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私の顔を見て、ライナーはそっと手をとめた。
フライパンの上で肉が焼ける音だけが、響いた。
ぱちぱちと油が跳ねる音と焼ける音に、肌がべたつきそうだ。
鞄を床において、覚悟を決めた。
「私、なんでも許したわけじゃないわ。あなたは学生だし、モラルだってあるんでしょう?」
ライナーが、ゆっくりと左手で火を止めた。
そっと消えていく焼ける音と油の跳ねる音。
相変わらず、悪気もなさそうな顔をして、私を見ている。
「言いふらすことは、私じゃなくて、あなたのマイナスになるのよ」
アニちゃんから言われたことを、せり上がるように思い出す。
それも思い出さないようにして、ただ自分の理論だけをぶつける。
これが分からないような馬鹿ではないはずだ。
そう思っていた。
「私たちの関係を、マイナスに捉えられるようなことを言うのはやめて」
ようやく、部屋の中に私だけの声が響いた。
ライナーは私を見つめて、どことなくぽかんとした顔をしている。
なんの悪意も、害意も、浮かばない顔。
今となってはこの表情が、とても不安因子が強い。
私の言っていることも、相当身勝手だけれど、それでも言わなければ始まらない。
ここで何を言われても私には痛手ではない。
そしてライナーが、間違いを正す子供のように喋り始めた。
「何のことだ?」
エプロンを外して、キッチンの端に置く。
いつものシャツとジーパン姿のライナーが、微笑む。
「なまえさんと俺は、もう結婚しただろ?」
私に近寄り、顔同士が目の前になるまで屈まれる。
間違いなくライナーに私の驚いた顔が見えているわけだが、私の表情を見て悟ることはないのだろうか。
「モラルも何も、夫婦にそんな下世話なことがあるのか?」
ゆっくりと腰を寄せられ、胸板に顔をつっこむ。
逞しい胸板だけれど、今となっては違和感と、それから恐怖の対象でしかない。
ライナーの体越しに、焼けた肉の匂いがしてきた。
油と肉の、べたつく匂い。
いつもなら腹をすかせるんだろうけれど、それどころじゃない。
「お姉さん、俺はお姉さんが好きだよ。」
「そう」
しばらく抱きしめさせたあと、体を離し、トイレにいくふりをして廊下にでた。
今にも崩れ落ちそうな足をなんとか立たせ、呼吸を整える。
脳内の警報を聞きながら、そっと携帯を取り出した。
連絡先から、ベルトルトくんを選ぶ。
アニちゃんと話したことが、溢れ出るように思い出された。

「すこし前から、ライナー、あいつがね、言動にばらつきが出てきたの。」
アニちゃんが、悟ったかのように喋りだした。
流暢に喋る。
こんな風に話す子だったんだ、と思いながら、話に耳を傾けた。
「私たちのすこし前だから、まあ、だいぶ前ね。」
私達、ということは、幼馴染か、ずっと一緒なのだろうか。
呼び捨てにしているし、知った雰囲気からして、そのどちらかだろう。
「あいつ、前はクリスタのことばかり目で追ってたわ。なのにある日突然、なまえっていうお姉さんのことばかり喋りだして。」
クリスタ、とは誰だろう。
きっと同級生、そう思っても言葉の最後のほうの事実に焦らざるを得なかった。
ある日突然、そう、全て突然だった。
「本当に突然よね。」
アニちゃんがベルトルトくんの顔を見て、問いただす。
静かにそっと頷いたベルトルトくんの感じを見るに、本当に突然だったのだろう。
「いつだっけ?」
時期を問いただすと、ベルトルトくんは即答した。
「ライナーを一人で帰して、次の月曜日には、もう。」
思い返される。
ああ、あの日だ、と。
あの日のあれだけのことで、何かのスイッチが入ってしまったのだろうと、そう思った。
私を見たアニちゃんが、怪訝そうな顔をする。
「あんた達の出会いは深入りしないけど、なまえさん、あなた大丈夫?」
いきなり心配され目を丸くしていると、アニちゃんが余計眉を顰めた。
なかなかに怖い顔ができる子なんだな、と思いながらも、言葉に言葉を返した。
「大丈夫、って?何が?」
私の無感覚さを悟ったのか、アニちゃんが腕を組んで吐き捨てるように言った。
「あいつ、きっと必死よ。」
「必死って?」
「私達にも色々あってね、あいつは突然の分担に耐えられなかったのよ。」
「それがどうやって必死になることと関係あるの」
「拠り所、手放したくなくて必死よ。」

思い出して、背筋が凍る。
一体何に対しての拠り所なのか、聞かなかった。
そっと携帯を取り出し、ベルトルトくんに簡単なメールをした。
今の状況を簡潔にまとめ、家の場所も分かるように書いて、送信。
こんなにも早く連絡するとは思わなかったし、年下に頼るのもまた如何なものかと思った。
けれどライナーについては、間違いなくベルトルトくんのほうが詳しい。
まるで、読めない言葉と読める言葉がごちゃ混ぜになった本を知り尽くしたような、そんな人。
それがベルトルトくんだと、思っている。
携帯を握り締めて、さあ連絡が返ってくるのを待とう。
そう思いリビングへの角を曲がると、すぐ目の前にライナーがいた。
思い切り見下ろされている。
目も、表情も、一切狂っていない。
けれど、非常に恐怖感を与える威圧感だった。
そっと私の手に触れると、するりと手から携帯が取り上げられた。
こんなときでも、力の違いがでる。
ライナーが携帯を取り上げたかと思うと、壁に向かって当りどころを確認もせずに投げた。
私の視線は、ライナーに釘付けだった。
今度は全身が警報を発令するように寒気が襲う。
壁に携帯が当たる音が聞こえて、次いでライナーが低い声でそっと喋った。
「お姉さん、誰と話してたの?」
玄関に向かって、自分の身なりも確認せず駆けた。
靴は履かずに、そのまま外に出よう。
とにかくどこでもいいから隠れていよう、その一心でドアノブに手をかけようとした。
玄関まであとすこし、そのところで、ライナーに口を塞がれ羽交い締めにされた。
軽い荷物のように、ひょいと抱え込まれ視界から玄関が遠のく。
ずるずると部屋に引き込まれ、私の叫びは私の体内で反響した。






2013.08.10

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