酷いことってないもの

『Don't forget you』参加作品


メディカルルームにある鏡の前で、赤いリップを引く。
わざとらしいくらいの赤を見たバッカニアが、私の髪を触る。
「む、新しい色か。」
僅かな変化に気付く彼の観察眼と鏡越しに視線を合わせて、赤い唇を動かす。
「ハニー、聞いて」
「なんだ。」
私の手には、新品の赤いリップ。
乾いた薄い唇と特徴的な髭が首元に近づき、聞きなれた呼吸音が内耳に響く。
バッカニアの鋭い目つきと厳めしい顔、私の赤い唇。
この顔が笑うか、愛欲に塗れるか、恥ずかしくて真っ赤になるところを何度も見た。
私だけが知っている彼の痴態。
彼は私の痴態を知っているし、味わい尽くしている。
だから、彼が何を言うか、何をするか、予想がつく立場にいるのをいいことに続けた。
「これ貰ったの。ほかの人に告白されちゃった、結婚を前提に付き合ってほしいって」
その先を続ける間もなく、私の両肩は大きな手に掴まれた。
鏡に向かっていた身体が強引に揺さぶられる。
驚きと動揺、僅かな怒りを宿した青い瞳が突き刺さった。
「誰に言われた。」
「バッカニアが知ってる人」
「誰だ。」
ハニーともスイートパイとも呼ばず、誰かに貰った赤いリップを塗った唇を閉じる。
何も言わず、言いたくないと態度に出す。
明らかに普段と違う姿勢を見せれば、バッカニアの顔が見る見るうちに険しくなった。
「どういうつもりだ、コレもそいつに貰ったんだろう。」
手にしたリップと私を見るバッカニアが、面白いくらいに動揺する。
赤い唇、いつもなら愛を囁いてキスマークをつける唇は、翻弄させることもできた。
「…相手の気持ちを無碍にすることほど、酷いことってないもの…」
唇から曝け出す舌が愛でも終焉でも、結末は同じ。
息を僅かに止めて、この人が今まで私に向けた情けない顔を思い出してみる。
「おい、なまえ…何言ってるんだ?」
「悔しいの?憎いの?あなたよりも素敵な笑顔を見せる紳士がいたの」
「なっ、おい。」
「代わりの男なんて他にもいるわ、ブリッグズって男ばっかりだし」
「なまえ…何を…。」
「分かってたけど、察しの悪い男ね」
全部写真に撮っておけば、泣き出しそうな顔と見比べられたかもしれない。
声が震えたバッカニアに、もっとひどい事実を告げる。
「ねえ、今日何日?」
「四月一日…。」
彼は違和感の正体に気付き、今にも誰かを殺し始めそうな怖い顔をそのままに、ははっ、と乾いた笑いを漏らした。
日付を言ったバッカニアに耐え切れず微笑む。
メンテナンスルームの向こうからニールさんと女医さんとヘンシェルさんとカーリーさん、ほか男性兵士数名が飛び出してきた。
「ぶわっはははははは!大尉!」
男性兵士たちは申し訳なさと照れ隠しの笑顔を携え、ヘンシェルさんは肩を震わせながら両手で顔を覆っている。
げっそりした顔のカーリーさんがメディカルルームの壁に頭を押し付け、力なく屈んだ。
笑いまくるニールさんの横にいたカーリーさんが、引きつった笑いを浮かべながらニールさんの椅子に腰かける。
「いやいやいや、大尉の声が凄い怖かったんだけど…。」
青い顔に笑みを浮かべたカーリーさんが座る椅子をくるくると回しはじめたニールさんの頭をバインダーで叩いた女医さんが、真顔で私を見た。
「なまえ、あんた才能あるわ。」
唖然とするバッカニアが後ろを確認し、ヘンシェルさんと男性兵士たちを背に青ざめる。
「なんでお前らがいるんだ!」
「ごめん大尉、なまえちゃんにも内緒で俺が全員誘った。」
自白したニールさんにバッカニアが掴みかかったのを見て、女医さんを伺った。
「エイプリルフールってこれでよかったの?」
「まあ、午前中だけ嘘ついていい日だからね。いま11時半だからオッケー。」
はじまりは、女医さんの「今日はエイプリルフールよ、大尉にやってみたら?」という一言。
僅かな間でニールさんが外野を連れ込むのは想定していなかったけれど、少しだけ楽しかった。
震える声は聞くに堪えなかったし、今からキスの雨を降らせたい。
背後からはニールさんの叫びと笑い、バッカニアの怒る声、ヘンシェルさんの制止する声が聞こえる。
女医さんから貰ったリップをテーブルに置いて、ティッシュで赤いリップを拭いてから、保湿クリームを塗る。
派手な色を塗るより、ずっと落ち着く。
ティッシュの赤を見て、バッカニアの肌に真っ赤なキスマークをつけるところを想像する。
何か特別な日に全身キスマークまみれにするなら、普段塗らないような色も使っていいかもしれない。
鏡を見て、赤いリップが完全に取れたことを確認。
「大尉が付き合ってる人に告白する猛者がいるわけないじゃないですか…。」
カーリーさんの一言に、同意する男性兵士。
たとえ猛者がいたとしても、バッカニアから乗り換える気は全く無い。
メンテナンスルームにニールさんが放り投げられたのを見て、バッカニアに抱き着いた。
「ハニー!いじけないで!」
「いじけてはいない!」
怒りと恥ずかしさで顔を真っ赤にしたバッカニアの腕に甘えなおす私に、女医さんが助け船を出す。
「なまえったら、エイプリルフールに嘘ついたことないって言いだしたのよ。私が大尉に嘘ついてみなさいって言ったのよ。」
「先生、余計なことを…!」
だってね、と女医さんが続けた。
「二年前にエイプリルフール禁止令でたじゃない、なまえはそれを知らないし、なまえが来てから二年が経過してるねって話からこうなったのよ。」
禁止令までの詳しい経緯は知らないまま、ブリッグズに来て二年も経過していることに心が躍り、現在。
この二年、ウェイトレスになり恋をしてスパイになり、色々あった。
時間を感じさせないブリッグズでの日々に、私は居心地の良さを見出している。
「もうそんなになるか?体感だとなまえさんが来たの半年くらい前だよね。」
ヘンシェルさんの一言に、カーリーさんが頷く。
「二年前なあ、ニールの嘘が酷すぎて大尉がブチ切れて禁止になったんだよな。」
何気なく言葉を続けたヘンシェルさんに、バッカニアが声を張り上げる。
「今と状況が同じじゃねえか!」
私を腕にくっつけたまま怒るバッカニア。相当恥ずかしかったし、ショックだったのだろう。
二年前に一体どんな嘘をつかれたのか気になるけれど、今は聞く気になれない。
「嘘の内容を考えたのは私よ、ニールさんに怒りすぎないで」
バッカニアの腕に抱き着いたまま、力なく笑って心労回復に勤める姿勢を見せる。
私がきっかけの怒りは何時頃落ち着くか未定。
言葉ひとつで首が飛び、嘘ひとつがバレたら死体が浮かぶアエルゴでの生活ではエイプリルフールの習慣は無かった。
「むう………さっきの嘘で寿命が縮んだ…。」
死にそうな声で呟くバッカニアを見て、今度は女医さんが大笑いする。
長いみつあみを掴んで引き寄せ、頬にキスをした。


それが昼間の出来事で、仕事上がりのバッカニアに抱えられ部屋に連れ込まれたのが三時間前のこと。
カフェの仕事を放棄して行方を眩ました私を探す声はなく、荒ぶるバッカニアに捕食されるように抱かれ続けた。
大きなベッドの上に、乱暴に脱ぎ捨てられた軍服とワンピース、タイツ、お互いの下着が散らばる。
窓から漏れる光はいつの間にか消え、外は真っ暗。
汗と精液と愛液の匂いがする部屋で全裸のまま気を失っていた私の真横に、粗方の性欲を発散したバッカニアが放心している。
ブリッグズ内で盛りたくなったら、バッカニアが使う大きくて広いベッドで始めるしかない。
「腰…動かない…」
赤いリップの代わりに、泡と唾液がべっとりついた唇で辛うじて喋る。
舌の裏から溢れた唾液が私のものかバッカニアのものか、判別がつかない。
「すまない…。」
快感の名残で汚れた顔をした私を、バッカニアの大きな手が撫でる。
掠れた声で謝るバッカニアに抱き着こうと動けば、性器から精液が漏れた。
頭と背中を撫でる大きな手のあちこちに、液体が付着している。
「なまえが他の男に取られると思うと……抱き殺したほうがマシだと思って…。」
温もりで濡れる背中、鼓動が耳の中に響く。
「だからそれは嘘よ…」
精液くさい身体を洗おうと、なんとか身体を起こす。
シーツの上には色々な液体の染みが出来ていて、びしょ濡れのまま倒れ込んだような汗の滑りを感じる。
股の間の熱、吐息のあとが残る喉。
「これだけ出されたら、赤ちゃん出来ちゃうじゃない」
頭に過る日付と体質を考えて、自分の身を案じた。
故郷に比べれば平和なブリッグズ、女給として来ているのに余計な一身上の都合があれば処分されるだろう。
それでも、私一人で生きれる確信はあった。
何度も身体を重ねて生まれるのは安堵ばかりで、身を任せて力に従う快感を愛する人の下でだけ味わう。
愛する人の元なら、何にでも耐えられえる自信はあった。
「ブリッグズから離れたところで暮らすのもいいな、ラッシュバレーがいい。」
寝起きで背を曲げる私の横で、バッカニアが普段と違うことを言いだす。
唇の端についた涎を舐めとってから、声の主を見る。
「なまえが毎日好きな色の服を着て、好きなことをして、笑顔でいれる場所に住んでいれば、俺は満足だ。」
「えっ」
「むう、ラッシュバレーは嫌か?なまえは知り合いがダブリスにいるんだったな、友達がいるところのほうがいい、移住地はそこにしよう。」
驚いた私を見て、クマのような大男がニヤリと笑う。
冗談に決まっている。
彼は大尉、ブリッグズをまとめる兵士の一人でもある。
そんな現を抜かす暇はないはずなのに、幼き頃の夢を語る少年のように目を輝かせた。
何も言わない私を伺って、バッカニアがむう、と口癖のように唸る。
「不安か?」
「違うわ、そうじゃなくて…」
「安心しろ、ここを去る時に俺についてくればいい。そのあとは自由にできる。」
唖然とする私の目線まで身体を起き上がらせ、機械鎧の手で私の髪を撫でた。
平均的な体躯よりも倍は大きな身体、怖い顔、物騒な腕、汗の残る額と口元、全部私が見て知っているバッカニア。
「本気?」
嘘をつくはずがない、でも聞いてしまう。
私とバッカニアを纏う世界の一部の中で、平和を求めていいのか。
渦巻き歪む泥のような決まりの世界、銃を片手に生きた私が全てから許されていいのか。
愛に包まれていいのか。
「もう四月一日は終わってる。」
白昼夢のような出来事が、事実でいいのだろうか?
「エイプリルフール、ごめんね」
咄嗟に謝り、赤いリップの嘘から掻き消した。
相手の気持ちを無碍にすることほど、酷いことってないもの。
愛が実った先のことを想って、幸せになる。
喧騒を遠ざけ、二人で暮らす。
その未来が手にできるのならば、委ねてみたい。
愛があれば、手にするかしないかで決まることのような気がして、私はバッカニアを抱きしめた。




2021.10.03






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