君のペルソナ





パンドラの続き

単行本派の方はネタバレ注意





強いひとは守りたいもののために戦い、弱いひとは怒りに任せて戦う、この前読んだ本にはそう書かれていた。
その話を影浦くんにしたら「何言ってんだ、勝てればいいんだよ。」と一蹴された。
清拭され、消毒され、清浄された機械に通され浄化された空気が、閉鎖施設に詰まっている。
マスクの下で感じる清潔な匂いの下で、本のページを捲った。
スマートフォンが鳴り、影浦くんから「なまえが世話になるのは、柿崎3番隊。」というメッセージが届く。
地図が送られ、本を抱えたまま閉鎖施設の中を不器用に歩き始める。
病院内以外を歩く機会は殆どなかったので、新鮮。
対象者を限定して行われている遠征選抜試験に混じって、私のサイドエフェクトが周りに及ぼす影響を調べられる。
極秘に関わっているボーダーの職員達と、大学院でトリオン研究をしている東さんと、鬼怒田さんの名前と顔は覚えた。
その人たちだけに「話しかける」こともできる。
でも決してやるな、と鬼怒田さんに釘を刺された。
一時退院の時に貰ったお金で本を買い込み、不作法に「話しかける」ことはしないで過ごす。
柿崎3番隊のいる場所へ向かいながら、柿崎さんのことを思い出した。
研修医みたいな見た目の柿崎さんは、隊長をやっているらしい。
先週、東さんと一緒にトリオン研究の人と話したあと、非番の柿崎さんに会った。
閉鎖施設の中にある豪華な小屋みたいな場所で遠征の一次試験を行う大事な時なのに、東さんは何を考えたか私を突っ込んだ。
「なまえをどこにやってもいいけどよ、俺のダチだ。俺んとこに顔出せるようにしてくれ。」と影浦くんが言ってくれたので、不満はない。
影浦くんに「話しかける」―――ねえ、もう入っていい?

脳内に「うるせえ、カエルみてーなやつ使って喋れ!」と元気な怒鳴り声がする。
カエルみたいなやつ、と覚えられている人口声帯を取り出し、手に握った。
自己紹介くらいは人口声帯でやろう、でも面倒くさいんだよなあ。
スマートフォンで先日までの影浦君とのメッセージのやり取りを見返す。
そこから分かることを胸に留めていく。
ひとつ、隊長は良い人で、私のことは事前に東さんから聞いている。
ふたつ、影浦君は苦手な人と同じチームになった。
みっつ、一次試験が終わったら私はトリオン研究機関へ赴く。
でも、影浦くんには言っていないことがある。
影浦くんがいるという豪華な小屋の前に到着すると、扉が開く。
人の気配が少ない室内に踏み込むと、トリオンを認識する掌型のパネルを目にした。
パネルに囁くように、直感的に「話しかける」と、部屋の明かりが一気に明るくなって電気の弾ける音がする。
男の子の「うわー!具が死ぬ!!」という叫び声のあと、女の子のドスの効いた声がした。
部屋に入ると、事前に聞いていた柿崎さんの他、かっこつけた髪型の男の子、健康的な女の子、ヘルメットを被った男の子。
ヘルメットを被った男の子の足元に、圧力鍋と人参が散らばっている。
包丁を手にした健康的な女の子が、私を不思議そうに見た。
「え…誰?」
健康的な女の子が包丁を置いて、急いで手を止める姿を見てから人口声帯を取り出した。
携帯綿棒ケースのようなデザインの人工声帯を首に押し付けて、喉の筋肉を動かす。
「はじめまして、なまえです」
カエルのような声で名乗ると、健康的な女の子は笑顔を見せた。
影浦くんから事前に聞いていた名前を照らし合わせると、この人が藤丸ののさん。
対して、かっこつけた髪型の男の子は目も合わせずにソファでゲームをしている。
たぶんこの男の子が、犬飼澄晴くん。
藤丸さんは、人口声帯を持っていないほうの手めがけて――片手には本を抱えている私を気遣い、握手は強制しない。
「藤丸のの。好きに呼んで。」
人口声帯をポケットにしまってから藤丸さんと握手。
よろしく、と笑う藤丸さんは裏表のなさそうな感じがする。
親しみやすさに嬉しくなっていると、別の方向から扉の開く派手な音がした。
笑っている影浦くんが、同じく笑顔の柿崎さんにヘッドロックされながら引きずられて部屋に現れ、ふざけあいの果てなのが伺える。
「あ!なまえ!」
と言った柿崎さんが、影浦くんをロックする腕を放して私に駆け寄る。
東さんから、かなり特殊なサイドエフェクトがあると聞いても顔色ひとつ変えなかった柿崎さん。
「声」で話しかければ青ざめていたのに、今は切り替わっている。
さすが隊長と思う間もなく、ここでの掟が告げられた。
「みんな、なまえだ。訳あって一次試験の間だけ3番隊にいる、不定期にここに来るが、とりあえず歳の近い太一は仲良くするように!」
「ええ!?そうなの!?」
ヘルメットを被った男の子、太一くんは驚く素振りを見せた。
エプロンを脱ぎ捨てる藤丸さんの真横で、太一くんは頭を抱えて唸る。
「えっ、でもおれなまえさんと会うの初めてのような…個人戦とか参加してた?」
「してない」
人口声帯で答える私に、犬飼くんが興味を示す。
「太一さー、本当?こんな可愛い子の顔覚えてないとか、ちょっとないでしょ。」
笑顔が張り付いたような目に、妙に人柄のニオイがしない雰囲気。
ああ、苦手だ。
ソリが合わないと言う影浦くんの気持ちが分かり、目配せをする前に影浦くんが助け船をブッ飛ばしてきた。
「なまえは特別枠。」
「どういうこと、それ。」
犬飼くんに答えたいこと全てを、影浦くんが答える。
「なまえはS級隊員だ。一次試験なんか来なくていい立場だけど、東のおっさんがなまえを参加させろってうるさくてよ。
俺んとこに顔出させるならいいってトコで話がついた。」
影浦くんの一息の間に、人口声帯で喋る。
「別枠隊員だよ、S級じゃない」
電磁波のような声で返事をすれば、犬飼と呼ばれていた人が笑顔を見せ、太一くんが疑念を発した。
「なにそれ、すげーじゃん。」
「迅さんみたい!かっけえ!なまえさん、ここに来ていいんですか!?」
影浦くん、私が話すね。
そう話しかけると、影浦くんは話すのをやめて欠伸をした。
人口声帯を手元でくるくる回しながら「柿崎3番隊には、一次試験の間だけ顔を出すことになります。短い間ですがよろしくお願いします」と挨拶した。
ギャッと短い悲鳴をあげた太一くんが「え!何!何!?今の何!?」と面白いくらい反応していて、笑ってしまった。
吐息が漏れる喉であげる笑い声は汚くて、影浦くんも釣られて笑う。
ギザギザの歯が見える口元は既に見慣れていて、笑う影浦くんと私を見た藤丸さんが唖然としたまま柿崎さんと私を交互に見た。
「声」で挨拶した途端、柿崎さんは即座に耳を抑える。
幻聴ではないと確信した犬飼くんは、目を見開いて動きを止めた。
「おめぇら、なまえに気に入られておけ。もしかしたら自分んとこの隊員になるかもしれねーからな。」
「なーに言ってんだ、それ言えるのなまえ本人だけだろ。」
勢いよく言い返す藤丸さんに「隊員になれるかは不明です」と話しかける。
藤丸さんは怪訝な顔をして、人口声帯を手にしたまま唇を動かさない私から距離を取った。
「なにこれ…どういうサイドエフェクト?」
声を届けたい相手の顔を思い浮かべて、相手の頭の中に話しかけることができるんです。
嘘だろう、という顔をした犬飼くんと太一くん。
咳払いをした柿崎さんが、耳をまた押える。
「…と、なまえは特殊なサイドエフェクトを持っているが、一次試験の間だけこの隊にいるのは変わりない。」
「缶詰ですか!もしかしてなまえさんの声を一日中、いや、試験が終わるまで缶詰ですか!」
「おい太一、落ち着け。」
寝食は別のところで行います、安心して。
柿崎さんは顔を顰め、太一くんはヘルメットを押えて目をきょろきょろさせる。
慣れたのか、太一くんは私に駆け寄り「すげー!これならテスト中も喋らず会話できる!」と目を輝かせた。
太一くんの発想が瑞々しく、素直に笑う。
対して柿崎さんは額に汗を浮かべ、まだ言葉を選んでいる。
柿崎さんには一番効くようだ、頭の中が整理整頓されていて、自分に真っすぐな人ほど私のサイドエフェクトと相性は最悪。
「なまえには部屋の説明をする、太一はなまえの邪魔をしないように。」
逆に、影浦くんや太一くんのように裏表のない人には効かない。
人口声帯ポケットにしまって、皆の前で笑顔を見せる柿崎さんを立てて、騒ぐ太一くんに微笑みかける。
東さんと一緒に会った、あの日。
柿崎さんはふと「戦闘時に隊員の視覚情報をなまえに共有すれば、相手の足止めができる。」と使い道を述べた。
その使い道で実戦に導入されることが検討されているから、一次試験に放り込まれたんだろう。
サイドエフェクトは、超技能に位置づけられた。
一度顔を見た相手の脳内に「声」で話しかけることができる。
無害なナリをしても、このサイドエフェクトに脅威を感じる人は一定数いることは分かっていた。


閉鎖施設の端に用意された別室は、カプセルホテルを広くしたような無機質な部屋。
本を読みながら、スマートフォンが鳴るたびに影浦くんへの返信をする。
「ザキさんと俺で抜ける、なまえも出ろ。」とメッセージが来る。
なんとなく「眠い」とだけ返信して、無視。
読んでいる本に、古い古い神話の教えが引用されている。
引用文献参照ページまで飛ばす手を止めて、ふと柿崎さんの顔が浮かんで堪らない。
みんな、この声が怖い。
自分が出来る当たり前のことが、他人には狂気への道筋になる。
だから私はこの声が怖い。
相手の脳内に声を響かせることができるから、母は病んでしまった。
病院の看護婦さんも私の機嫌を取るのを優先するし、影浦くん以外は私と対等に話さない。
例外が一人いて、と思えば来客を知らせるためのブザーが鳴る。
影浦くんと柿崎さんかと思い扉を開けると、中途半端に長い髪を後ろに括った東さんが顔を出した。
「どうだった?」
東さん、この人は例外。
人口声帯を手にして、東さんと対等に話す。
「太一くんが驚いていた」
「そうだろうな、太一は行動に悪気がないから、嫌だと思ったらすぐ言うんだ。」
私を見据えようとする目をした東さん。
部屋に招き入れると、扉がゆっくりと閉まる。
この瞬間も、一次試験として管理されているのだろうか?
近くにあった椅子を東さんに差し出し、私はベッドの端に座った。
私を見据えた東さんが情報を明かす。
「一次試験を管理する側から連絡があった、なまえと会った柿崎3番隊全員にトリオンの変動があって、特に柿崎のトリオンの減りが…。」
「それって、ことは」
「なまえの声はトリオンに効く、増減のきっかけに思い当たることはあるか?」
驚く太一くん、衝撃を受け止める犬飼くん、動揺を隠さない藤丸さん、笑う影浦くん。
額に汗を浮かべ、叫びだしたいのを抑えていた柿崎さん。
恐れは弱さではない、未知に対する防衛本能。
「柿崎さんは、声を怖がっていた、酷く我慢させたように感じる」
「そうか…。」
「精神攻撃に役立つサイドエフェクトなんて、普段はいらない」
影浦くんは「なまえはS級隊員だ。」と言っていたけれど、スパイ専用隊員に変更されるかもしれない。
トリオン研究次第では、ここから出してもらえない可能性だってある。
私の声が一体どんな作用を齎すのか、私ですら全容を把握していない。
誰も、誰も把握しようとしなかった。
「なまえ、一次試験の間は暇かもしれないけれど、合間に外出許可は出ている。」
「外出の?」
「例えば、藤丸と太一と話して、どこかに行ってみたいところが出来たら俺に言ってくれ、行けるからな。」
例外さんは、例外だ。
東さんは、頭の中に声が響いて死にそうにならないか心配しない。
私と関わる人は、みんな怖がるのに。
今まで見たことがない人の頭の中をぐちゃぐちゃにする気にはならず、言葉を受け止める。
「カフェに行ってみたい」
「どこの?」
「前にみた、本が読めるところ」
「ブックカフェなら市内にあったと思う。探してみるよ。」
ありがとうございます、そう言う前にブザーがまた鳴る。
今度こそ影浦くんだろうと、扉をすぐに開けた。
なまえ、と唸るように声をあげた影浦くんが、既に部屋にいる東さんを二度見する。
「は?東のおっさん、は?手ェ早くね?」
「カゲ、元気な誤解はやめてくれないか。」
一緒に抜けた柿崎さんの姿はなく、部屋に入ってきた影浦くんは東さんの近くに立った。
東さんが椅子から退いても、座る気配はない。
「なまえは扱えねえよ、こいつの声は全部ブチ壊す威力がある。簡単にボーダーのモノになると思うな。」
低く唸る影浦くん、彼のトリオンにも変化があったのだろうか?
無害そうな東さんの静かな瞳が、一瞬だけ暗くなる。
「ペルソナ、って分かるか。」
「ぺ…なんだって?」
影浦くんの聞き取り間違いを差し置いて、東さんが続けた。
「自己の外側についている仮面、つまり心を覆うための仮面。そうだな…影浦、なまえ。一次試験が終わるまでにペルソナについて答えを出せ。」
なにそれ?
「はあ?」
私と影浦くんの声も空しく、東さんは部屋を立ち去ろうと扉へ向かう。
その背と止めるわけもなく立ち尽くしていると、東さんが振り向く。
「ブックカフェ、待ってろよ。なまえ。」
扉が閉まって、部屋に影浦くんと二人きりになる。
嫌そうな顔をした影浦くんが、椅子にどっかりと腰かけ溜息をつく。
ペルソナ、なんだか聞いたことがある。
人口声帯を手にしたままの私を見た影浦くんが、喉を指差す。
近くで見ればわかる程度に収まった傷跡。
せっかく来てくれた影浦くんと話そうと人口声帯を喉に押し当てようとすれば「やめろ。」と言われた。
「悪りぃ、いきなり来ちまったな。」
平気、ゆっくりしてて、私もゆっくりするから。
「おう、休ませてもらうぜ。犬飼のヤローと同じ空気吸えねえ。」
読みかけの本を手に取り、ベッドに寝転がる。
引用文献参照ページを開こうとして止まっていた本を読み、一説を読む。
紙とインクの匂いが私の鼻孔をくすぐり、本を読み進める脳を嗅覚で刺激する。
捲る、読む、感じる、三段階で構成された読書を行う。
引用には、こう綴られている。
「泥から作られた女性に、神々は彼女にあらゆる贈り物をした。仕事、能力、苦悩させる魅力、恥知らずで狡猾な心を与えられた女性は「開けてはいけない」と言われる箱を持たせたけれど、結局は箱が開いてしまう」
箱が開いたのは、恥知らずで狡猾だったから。
狡猾は強さを求め、恥は弱さを隠す。
本の中の知識である「強いひとは守りたいもののために戦い、弱いひとは怒りに任せて戦う」ことは、間違いなく正しい。
でも、私の「声」で精神を病み、幼かった私の喉を刃物で潰した母は弱かっただろうか。
会うたびに脳内に話しかけられて、前触れもなく私の声がするようになって怯え切った看護師たちは弱くない。
その後の人生で戦えなくなったとしても、怒りのみで生きていても、誰も悪くない。
正論、理論と結果は関係がない。
柿崎さんの汗を思い出し、本を読む手が止まった。
恐れを影浦くんに見破られて病院からひっぱり出され、お医者さんの電話一本でボーダーに足を踏み入れてから半年近く経つ。
無機質な性格でいなければいけない、影浦くんの前では素顔でいていい。
ペルソナの内側にまで響く私の「声」と、私の人生。
影浦くんの手がなければ、私はペルソナに乗っ取られたまま人生を終えていた。
柿崎3番隊に訪れた時の私は、どのペルソナを得ていたんだろう。
ベッドに寝転がる私の横に、影浦くんが腰かける。
本を閉じて、不服そうな顔をした影浦くんを見つめた。
「俺の声ってなまえに聴こえてんの?」
聴こえてない。
「うぜえな、東のおっさん。」
そんなことないと思うけど、どうしてそう思うの。
「俺が暇になる時間を見計らって、なまえのとこに来やがった。」
暗い顔に血色が戻ったのを見て、ハッとした。
影浦くんの言葉の裏が紐ついたあとは、沸々と推理小説を読み進めるように暴かれていく。
私を病院から引きずり出した理由は「俺の隊に来い、そんでA級一位に上がる。」だというのは間違いない。
けれど、違う。
東さんは影浦くんのペルソナを、どこで見抜いたんだろう。
「なまえ、俺の感情が刺さるようになってくれよ、なあ、できるだろ。」
私に顔を寄せる影浦くんを、突き飛ばさなかった。
声に頭をやられた人がどうなるか、詳しく調べないといけない。
東さんとは、何もないよ。
影浦くんとブックカフェに行きたい。
「…おう。」
影浦くんの細長い腕が私の膝を掴んで項垂れる数秒間、抱き寄せてからボサボサの髪を撫でた。




2021.09.01





[ 237/351 ]

[*prev] [next#]



BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
×
- ナノ -