ボーン・ディス・ウェイ


本誌ネタバレはありません。イモータン諌山
教官が好きすぎて2021






血の滲んだ包帯。
白い布の下に隠れた皮膚は殴られ、蹴られ続けて裂けている。
日焼けして浅黒くなった身体に痣が出来ると、世にも不気味な色が斑に覆う。
キースの包帯を取り換え、新しい薬を塗りながら悲鳴を上げた。
「もう、こんな怪我するまで意地を張らなくて良かったのに!」
檻の向こうには、見たこともない新米の兵士がいる。
誰かに指示されてキースを見守る役を任されたのだろう。
確信を得たいのか、何度もこちらを目で伺っている。
「熊を相手にした。」
すこし掠れた声。
殴られて腫れた顔、でも瞳や歯は無事。
腕、足、胴体に蹴られたあとが大量にある。
熊がこんなに小さい足をしているわけがなく、キースが一体何を相手にして怪我をしたのか、嫌でもわかる。
また動乱だ。
国が動くときはいつだって、民の気持ちなんか考えてない。
民は簡単に争う、輝かしい未来のためだとか吠えて、存続を身勝手に選別していく。
だから、争いは嫌い。
巨人を相手にしていた時が平和に思えるなんて、どうかしている。
私でも分かる、もうすぐ国は終わると。
起こっていることを見聞きしたぶんを総合して考えると、終わるどころで済めばいいけれど、と思ってしまう。
「随分と力の弱い熊なのね、熊なら一撃で仕留めるわ」
「互角だった。」
「そう…熊も、キースの圧に負けてたのね」
私の言葉を聞き逃さなかった新兵が、檻の隙間からこちらを伺う。
優しい目をした、丸刈りで眼鏡の男性兵士と目が合った。
体つきや喉仏を見ても、まだ子供。
包帯を変えるふりをしてキースに軽く抱き着き、首筋に顔を寄せキスをするふりをした。
男性兵士がぎょっとした顔をして、赤面する。
男性兵士の視線がまだこちらにあるのを感じ取ってから、キースの肌の上を舐めとる仕草をした。
傷だらけのキース教官を抱きしめ、至近距離を許された女が愛撫する。
それが何を意味するかを察したのか、男性兵士は離席した。
ようやく周囲に人がいなくなったのを確認して、言葉を続ける。
「来る時…知っている顔を見かけたわ、リコと、ハンジに随分と似た人が赤毛の少年と一緒にいた」
薬を塗り、裂けた皮膚を縫い付けるために針と糸を取り出す。
小さくて鈍い痛みしか起こさない針。
服を縫うか、人を刺すか、使い道で喜びにも苦しみにもなる。
皮膚に針が刺さっても、表情ひとつ変えない。
小さな痛みがどうでもいいくらい、キースの身体を覆う傷が多い。
「私が私服でここに出入りしているのを見て、驚いた顔をいくつも見た。それに、見慣れない黒い服の集団」
同期だった兵士が、まだこの近くにいる。
何が起きているか理解するよりも先に、目の前のキースを想う。
ちくちくと傷を縫う指先が感情のままに動けば、新兵を片っ端から殴り殺している。
そう、まずは檻の向こうから視線を投げていた男性兵士を藁束のようにバラバラになるまで殴ろう。
門で私を防ごうとして掴みかかってきた女性兵士は、来る時に振り払った。
顔は覚えている、今から胸骨を砕こう。
いくらでも殺せる怒りを抱えたまま、指先は愛する人のためにあると内に言い聞かせる。
理性で動く指先は、キースの傷を塞ぐために動く。
「あなたをこうしたのは…黒い服で立体機動装置を装備した、赤毛の少年ね?わかるわ、クソ生意気で反抗的な目をしていたもの。
ああいうのは全てを邪険にする年頃を拗らせた…周りにも厄介だと止められなかったときに産まれる、厄種よ」
光が癒せぬものは、人の闇。
弱きを掬いとる闇と交わったものは暴虐を働く災厄となり、決して元には戻らない。
傷を縫い、身体を労わる。
私の答えを否定しないキースは、話題を続けた。
「厄種か。俺も今の時代における古き悪しき厄と見なされるのも当然だ。」
「なにいってるの」
「もう古い、巨人を殺す必要はなくなった。」
「いつ巨人が来るか分からないのに」
傷をいくつも縫い、包帯を変え、汚れた皮膚を洗う。
怪我についた泥、熊は足にブーツ型の泥なんてつけない。
呻きひとつあげないキースに、私の心が揺れる。
手当てが終わったら、近くにいる新兵を一通り殴って蹴飛ばしてから、家に帰ってキースと眠りたい。
私の絵空事は、現実にまで付いて回る。
怪我をしても、兵士に裏切られても、世界に必要とされなくなっても、この人は自分であることを貫くのだろう。
慣れ親しんだ家で、私に看取られて最期を迎えるなんてことは絶対にしない。
私は、兵士であり団長でもあった、教官であるキースを愛している。

そのためなら、何度だって生まれ変わる。
愛が溢れて零れていく前に、私はキースを包みたい。
「生まれ変わっても、私はキースに会いたい」
そう願うことが、愚かだとしても。
包帯を変え、針と糸を手放す。
「…熊に襲われた怪我を見て、感傷に浸るほど…寂しい思いをさせたか。」
「すこしだけ」
生きることに飲み込まれ、どれほど経っただろう。
「どうしてかしらね、生きているだけで意味を探していた頃から、随分経った気がするの」
他の兵士から浮くほどに生への執着がなく、キースに恋焦がれ、神への祈りも捧げた心臓も忘れてしまった。
愛に掬いとられ、キースの側にいることを選んだ人生を他人はなんと呼ぶだろう。
「まるで、調査兵団にいたのが長い長い夢のようで…」
首が飛べば死ぬ、巨人に食われれば死ぬ、キースに首を折られれば死ぬ、キースに見放されれば愛も尽きる。
綱渡りの上にレンガの家を建てるような人生は、永遠なわけがない。
「たとえば」
不安になると、人は可能性を探る。
「私が調査兵団に興味も持たず、田舎の牧場で針子でもして暮らしたら…」
ありもしない事態は、ありえる事態だということを思い出すために。
「あなたが団長を辞めたとき、私が離れたりして…あるいは、私の恋心が若さゆえの一時的なものだったと私が片付けてしまって」
私は、あなたに恋をした。
「あなたに心から微笑みかけなかったら」
私は、あなたを愛した。
「違う結末があったと思う?」
愚門だと跳ねのけないキースが、何度か咳払いをしてから私の目を見る。
傷が痛むのに、私のために身体をこちらに向けた。
私物の針と糸が入った箱、乱雑に入った包帯。
血のついた包帯は床に落ちて、乾いた錆びの香りを漂わせる。
感傷に浸った私を見て、キースは現実に戻す前に向き合ってくれた。
こういう時、キースは真剣に答えてくれるのを知っている。
「孤独は選んだり、拒んだりするものだ。意思によって決まる、自分で孤独の道を進むか、孤独を拒むか…どちらかでしか起こりえない。」
突如、孤独の話を始めたキースが一度言葉を切ってから、私を見る。
キースのヘーゼルの瞳が、暗い緑色に輝く。
「…と、なまえに出会うまでは思っていた。いくら俺が孤独を選ぼうとも、なまえだけは側にいた。
何故かと聞いても、愛してるからとしか言わない。始めは意味が分からなかった…愛とは、そんなものか、と気づいたのは…最近だ。」
最近とは、いつだ。
大勢の兵士から暴行されたと思われる怪我を手当している今になって気づいたとしても、遅い!なんて言わない。
キースの人生に愛として残ることが出来るのなら、それでいい。
そんな気持ちで恋をして、愛した。
「気づいたときには、もう老いていた。人生も終わりに差し掛かっている。」
終わりじゃない、死に急ぐのはやめて、私と生きて。
眼差しを煮詰めた愛を、私はキースに与えたい。
わががまを口にする気になれなかった。
「俺はなまえを拒むために手を差し伸べなかった、その結果が今だ。希望は自分で選ぶものだ。」
乾いた血が零れる掌で、頬を包まれる。
刃の鈍い香りと、血と埃と砂の匂い。
戦場にいる兵士の体臭を纏ったキースに、私が何を言えるだろう?

彼は兵士であり、団長でもあった。
闘いの最中に身を置き続ける、永遠の戦士であることを自ら選んだ男だ。
「老いることは素敵なことよ」
目の奥が、熱い。
もう少し感情が揺さぶられたら、涙が出そうだ。
「老いるのは生きている証、私はキースが老いていくのを見るのが好き。団長のキースも、教官のキースも。
こうして一人の人間として素顔を見せるキースも、私は愛している」
声帯の奥が熱くなって、何度も酸素を取り込む。
呼吸に混じる唾液を、唇を閉じて飲み込んでから私なりの結論を出す。
「世界の終わりが来ても、私はキースの側にいるわ」
性急する結論だろうか。
でも、迫る現実はいつも残酷で、冷たくて、山ほどの屍の山に飛び込んでしまえば歴史の一部になる。
歴史の奥で、キースと愛し合うのも悪くない。
涙も血に変わる世界か、抱擁が愛となる世界か、選ぶことが出来るなら戦争なんか起きてないと知っていても。
孤独は選ぶことも拒むことも出来ず、襲い掛かるものだと知っていても、決して言ってはいけない。
なぜなら、それが残酷な真実だから。
身を包んだ孤独を晴らすものが何か、人によって違うから。
だから、神を信じるし、愛を信じる。
人間は、そういうものだ。
「世界の終わりは、選ぶか拒むか…受け入れるか受け入れないか、だ。」
言葉を飲み込み、キースを愛したことを感じる。
「たとえ話として出したけれど、それは仕方ないっていう領域に来ているんじゃない?」
「そうだな。」
「誰だって…平和に暮らしたいわ」
産まれた世界と生きるなら、今の状況に平和を見出そうとするほうが狂気。
キースの瞳を見る。
朝焼けで黄色に光り、夕暮れの月で深い緑を映す瞳。
傷だらけの皮膚の下にある、素直な心には罅ひとつ入っていない。
真新しい包帯が巻かれた腕で、キースは私をそっと抱きしめた。
薬草と清潔な布の香り、嗅ぎなれたキースの身体の匂い。
私がすっぽりと収まるには十分な抱擁。
大きな身体に長い手足と、何度戯れたか。
もし、調査兵団も巨人もマーレもエルディアも無い世界に産まれても、私はキースと愛し合うために産まれる。
キースに抱き着いてキスをした日。
内緒で仕事中に尋ねた日。
ドレスをプレゼントされた日。
香水を纏い抱き合った日。
あの日々を送るために、私は産まれたのだと思う。
キースは、私を見つめたまま続ける。
「明日で業火に焼き尽くされ、歴史も国も消えようとも、どうなろうとも…俺はなまえのいる場所に帰ってくる。
俺を待っていてくれ。どこでもいい、天国だろうが地獄だろうが…どこで待っててもいい。
なまえは、ただの傍観者で、なんの取り柄もない凡人の俺の生きる意味だ。」
キースの腕の中で、涙が零れる。
この腕に抱かれているのなら、奈落に落ちていってもいい。
落ちた先で刃を取り、戦い抜くことになってもいい。
私は、この道に産まれてきた。
愛する人を愛することができる素晴らしい場所で、私は生きる。
泣いているのを感じ取ったのか、キースが私の背をそっと撫でた。
「笑わないのか。」
そう、いつもなら、色っぽく微笑んで唇から舌を出しながら淫猥に誘って跨って、わざとらしい!と怒られる。
怒られたら、笑いながらキースに抱き着いてキスの雨を降らす。
「いえ…なんで泣いているのかしら」
涙が溢れるのに、感情は心臓の真ん中で石のように鎮座する。
心が揺れていないのに、愛しくて仕方がない。
怪我をしているキースの身体に甘えてはいけないのに、抱きしめられているのも幸せ。
キースの傷の手当をするのも、生きていることを許された証。
私の短くも愚弄な人生。
穢れを纏ったとしても、キースの元へ走る脚を慈しむのなら、いくらでも走れる。
私はその人生を選んだ。
キースは、選ばせてくれた。
「ずっと前に、同じようなことをキースに言われた気がする」
いつ言われたか思い出せないまま、虚空が感情で満たされていく。
夢で言われたのかもしれないし、夢想の中のキースが閨事で囁いたのかもしれない。
「ずっとキースの側にいたい、愛しているの」
私の答えを、キースが包み込む。
「俺もだ。」
傷だらけのキースを抱きしめ、何も言わずに涙を流す。
産まれ落ちて、誰かを愛することができたのは奇跡なのだから。
私とキース、この世界に生きるものを招くのが悪魔の成れの果てだとしても。
次に続く言葉は分かっていた。
「まだやることがある。それでも生きていけるのはなまえがいるからだ。」
何度でも人は立ち上がる。
人が立ち上がらせてくれる、人間とはそういうものだ。
キースが私を抱きしめていた腕の力を緩めて、私はそっと抜け出す。
まだやることがある、そう言うキースの身体を起こすために腕を伸ばした。
私の腕を取り、キースがゆっくりと立ち上がり、枕元にあったコートを掴んで身に纏う。
ふとキースの顔を見ると、私と同じように涙を流していた。
「キース、どうして泣いているの?」
いつもの顔で、顔を顰めて乾いた大きな指先で涙を拭う。
皺を濡らす涙が、瞳を輝かせる。
「なまえに愛していると、前にも言われた気がして…何故だろうな。」
どうして泣いているのか、後で聞かせてもらおう。
立ち上がったキースが立体機動装置を身に着ける姿を見て、いつかの夢へ思いを馳せる。
一筋の希望のために眠っても、絶望しか待っていなくてもいい。
私の生きる意味は、決まっている。
たとえ夢でも、眠りの脆い繭を砕き、巡り巡って目覚めたあとは隣で眠るキースに微笑みかけて、彼を抱きしめる存在でありたい。
そのためなら何度でも、キースのいる場所へ向かう。
何度だって、私は愛を紡ぐために産まれる。





2021.03.10





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