あなたと生きる




「いいですか大尉!ここは熊の出る雪山じゃないんですから、クロコダイルはしまっておきます!」
「ぬう!マッドベア・Gはどうなのだ!?」
元気そうな声が聞こえる。
バンダナに白衣、適当さと雑さを違和感なく取り入れる陽気な機械鎧技師のニールさん。
咥えタバコが癖のニールさんの笑顔は、すぐに浮かんでくる。
底抜けに明るい生き方と、職人気質な性格は場を明るくしていた。
恐ろしい顔に大きい体格、特徴的な髪型と髭のバッカニア。
見ただけではマフィアか闇稼業の手練にしか見えないけれど、真面目な軍人。
軍人として生きてきたのか、感情に温順になると照れることが多い。
突如現れた私に、嫌な顔ひとつしなかった人。
バッカニアが何かの拍子に私のことで頬を赤らめれば、傷つかない程度に茶化す。
ニールさんの笑顔と、厳めしいバッカニアの顔が目に浮かんでは、涙まで浮きそうになる。
二人の声が聞こえる部屋の前まで来て、歩みを止めた。
「まあ、それくらいなら…ってか!こっちはまずそんな物騒な手して過ごす地域じゃないんですよ!」
「わかっておる!」
松葉杖で歩く私と、大きなチーズケーキが乗った皿を手にしたマイルズさん。
声のする部屋の扉まで歩みを進め、片方の松葉杖を壁に立てかける。
ニールさんの「ノーマルの機械鎧で過ごしてください!」という小言が部屋の隅で響き、バッカニアの「むう…。」という口癖も聞こえた。
相変わらずで安心する。
聞きなれた声に笑顔が零れる私を、マイルズさんがしっかりと見た。
慰めるような真似はせず、悪態のひとつも付かず黙って私が先ほど作ったチーズケーキを持っていてくれている。
先ほどウェイトレスの解雇を宣告され、軍属でもない、名実ともに無関係となった私の頼みを聞いてくれたマイルズさん。
同情や信頼でないとしたら、なんだというのだろう。
これから消える厄種の最後の御守、または逃がし屋の手前になろうとしているのか。
どちらでもいい、これから鐘を鳴らすのだ。
マイルズさんと目を合わせながら、部屋の状況を伺った。
「む…どうしても、この腕に慣れたいのだ。慣れないのなら今までの…。」
「ダメです。」
「…慣れていないとなまえを抱きしめられん。」
バッカニアの口からなまえと出る。
それだけで、泣き喚きたかった。
部屋の中の気配を感じることに徹して涙を堪えていると、また一人聞きなれた声がした。
「なまえねえ…どうなのかしら。普通ならそろそろ…ねえ。意識無くしてから、もう三週間よ。」
女医さんの真面目そうな声。
あれだけいる兵士の怪我を診ていた彼女だ、一大事に呼び出されたに違いない。
バッカニアのことだけでなく、大勢のブリッグズ兵のためにセントラルまで来たのだろう。
約束の日を生き残り、身体の一部を機械鎧にする兵士は多くいるはず。
おそらく、私もその一人に数えられる。
三週間寝たきりだった私のオムツを変えていたのがメイドか女医さんのどちらかであることを祈りながら、会話に耳を傾けた。
「命に別条はないのだろう?」
「それ貴方が言う?」
お前が言うな、と言わんばかりにニールさんが笑い、どすっという鈍い音がした。
近くにある枕でも投げたのだろう。
サーベルが深々と刺さったバッカニアの姿を思い出して、背筋が凍る。
無事ならばいい、それでいい。
ニールさんが転がって笑う気配がして、それから女医さんが笑い声を背にする。
いつもの光景が、すぐ近くで繰り広げられていた。
今すぐに入りたい。
ブリッグズで過ごしていた日常と変わらないものが、今ここにある。
変わらない日常に、私が混じってはいけない。
本能的にそう思って、扉を開けることが出来なかった。
「さっきアームストロング少将が来て、ブリッグズはお前に任せたーなんて言ってたし、貴方これから大変なのよ?」
「女王様に変わって上に着くのはセントラルの軍人らしいけど、兵士を束ねるのは大尉なんですよ。」
「この人もう大尉じゃないって。」
女医さんが大事なことを指摘し、ニールさんが「あー、すんません。」と呻いてから気配を遠ざけた。
たぶん、部屋の中で整備道具を整理しているかタバコを探している。
ニールさんの気配が遠ざかる時は、嗜好品を楽しむ瞬間。
様子が変わったのか、女医さんが落ち着いた口調でバッカニアに話しかけた。
「まあこっちは貴方の治療が長引けば長引くほど、セントラル観光ができて一石二鳥。家族にも会いやすいし。」
家族、と口にした女医さんが優しそうな口調になる。
メディカルルームのデスクの角に、女医さんの家族写真が飾ってあったのを思い出した。
仕事で家族の住む地域から離れ、ブリッグズで働く。
家族が恋しくなるのは当然のことかもしれない。
「じゃ、私は観光いってきます。」
軽快な声、そして揺らぐ気配。
松葉杖を取ろうとするより先に、気配がふたつ動く。
「俺もタバコ吸ってくる。」
ふたりが足早に部屋の扉を開け、私とマイルズさんに逢着する。
まずい、と瞬時に思った私の危機感は杞憂に終わった。
ニールさんと女医さんが、私とマイルズさんを見て楽しそうにニヤリと笑う。
ふたりともアームストロング少将から何かを聞いていたらしい。
女医さんが、潜めた声で私に合図をする。
「今よ。」
持つべきものは、友。
ニールさんが「しばらく戻んねーから。」と小さく囁き、廊下の向こうへと消える。
扉がゆっくりと閉められ、部屋の向こうには一人しかいなくなった。
マイルズさんがチーズケーキの乗った皿を渡し、頷く。
目と目で合図し、マイルズさんが音もなく扉を押して開けてくれた。
扉のほうに背を向け、医務室にあるような無機質な椅子に座って、窓から晴天の空を眺めているバッカニア。
まだ怪我が癒えないのか、近くには生活感のあるベッドがある。
生身の腕に包帯が巻かれ、シャツの下は厳重に手当てされたのが伺えるほど、包帯とコルセットの厚みが伺えた。
部屋に残るバッカニアの様子を見てから、マイルズさんはそっと去る。
足音を立てないように歩くマイルズさんに軽く敬礼して、赤い目と目を合わせた。
軽く笑ってくれたマイルズさんが、廊下を静かに歩いていく。
マイルズさんの背が見えなくなる前に、扉をくぐる。
チーズケーキの皿を持ったまま片足で跳ねるように進んだ。

雑な足音を出す謎の気配に気付いたバッカニアが、すぐにこちらを見た。
愛しい深い青色の目。
顔にいくつか傷の痕があるけど、それを除けば普段のバッカニアだ。
髪型も髭も、いつもどおり。
機械鎧は普通のものを身に着けていて、ブラッドレイにバラバラにされたクロコダイルの面影はない。
私に面影はあるのだろうか?と疑いたくなるくらい、穴があくほどバッカニアが私を見つめてきた。
右足でバランスを取りながら立ち、左足は先が無い。
包帯まみれの右腕も使って皿を持つ姿があまりに予想外だったのか、驚きすぎて声も出ないといった様子。
「昇進おめでとう」
約束どおり、チーズケーキ。
大きめの皿に乗ったチーズケーキは、バッカニアにちょうどよく、私には大きすぎる。
皿を差し出せば、バッカニアが椅子から立ち上がり私を伺った。
両手が私の頬に触れ、顔と頭を覆うように動く。
右耳が無いことに気付いたバッカニアが、顔色を変えた。
「なまえ、耳も…。」
頷けば、チーズケーキの皿を受け取って近くのテーブルに置いてから、私を抱きかかえた。
体重を乗せていた右足が軽くなり、疲れが取れる。
窓の近くにあるソファに座らされてから、バッカニアに思い切り抱きしめられた。
慣れないと抱きしめられない、なんて言ってたけど、あれは抱きしめられなかった時の言い訳。
いつもより力が弱いけど、離すまいと私を抱く大きな身体。
バッカニアが大きく感じる、もしかしたら私が縮んだのかもしれない。
三週間ほど眠りこけていた私の身体を、バッカニアが心配し始めた。
「なまえ…もういいのか、傷は…。それに足と耳も…。」
「ないものは無いけど、あとはどうにかなるわ」
テーブルにあるチーズケーキに関心を示すことなく、バッカニアはなまえ、なまえと何度も私の名前を呼びながら顔を撫でる。
大きな手が、大事なものを包むように動く。
今にも泣きそうな顔をしているバッカニアを眼前で見て、泣きそうになってしまう。
堪えて、堪えて、平静を保てる話題を振った。
「昇進ってことは大尉から少佐になるの?」
「誰から聞いた。」
「アームストロング少将」
の、弟さんだけど。
そこは伏せてから、昇進、と頭の中で繰り返した。
今のバッカニアは、大尉ではなく少佐。
「バッカニア少佐…言いづらいわ、ハニーでいい?」
あはは、と笑って見せても、バッカニアの目の奥にある不安と驚嘆は消えない。
ハニーと呼ばれて赤面するはずのバッカニアは、まだ不安そうに私を見ている。
私が三週間ほど寝ていたのは、笑い事じゃない。
「最近どう?私この三週間寝てたの」
バッカニアの反応は重苦しく、何か言いたそうにしている。
おそらく、私に対する本当の処分を知っているんだろう。
アームストロング少将が置いたシナリオも出来すぎたものであって、真実を知らずに消えるなら幸せなもの。
真実を知って消えても、消えなくても、同じ。
「昇進して…ブリッグズで兵士の鍛錬を任されることになった。」
「まだ仕事があるのね、羨ましい。アームストロング少将に私の城は出入り禁止って言われたわ」
「…ボスはセントラルに異動だ。」
「そう」
いつも通りの会話。
すこし元気がないバッカニアと私しか今この部屋にはいない。
チーズケーキに食らいついていいのに、バッカニアは美味しいものを放置して私に食い入る。
バッカニアの中の大事なものが何か、痛いほどに分かって嬉しい。
私の大事なもの、命より大事なものは生き残った。
半殺しで済んだなら、安いものだ。
バッカニアの代わりは誰もいない、私の命がバッカニアの代わりにはならない。
アームストロング少将の言うとおり、私は傲慢。
傲慢の罪を背負い、約束の日を生き延びた。
生き延びる前にファルマン少尉に約束をさせてしまった、彼にもいつか謝らないと。
バッカニアは生きている。
それだけでいい、本来私はここにいなくていい。
涙が溢れ、視界が歪む。
着ているガウンに涙がぼたぼたと落ちて、染みを作る。
息が冷たい、喉が熱い。
古い血がこびりついた喉に、涙だった体液が流れ落ちていく。
黙って涙を流す私、何も言わずに私を抱きしめるバッカニア。
至近距離にいるバッカニアの髭が見えなくなるまで涙が流れ始めたところで、大きな指が涙のあとを触る。
生身の手に涙が流れ落ち、機械鎧の指は涙を弾き、涙の玉を作った。
嗚咽すらしない私を不安そうに見るバッカニアを見て、私は鐘を鳴らす準備を始めた。
「ファルマン…」
「なに!?!?ファルマンがどうした!?」
私を心配するバッカニアに対して、一人で泣く私。
恋心も、愛も、何もかも悲しみで焼き尽くされたような感覚。
私が傲慢であるのなら、それでいい。
だからバッカニアを生かして。
自分勝手な決意を胸に銃を持ち、生き急いだ。
目の前に愛する人がいるのに、一人で閉じこもり始めた私に感情が後押しする。
死にかけたバッカニアを見ただけで沸き上がった憤怒。
私が生き残って、バッカニアが死んでしまって。
バッカニアも私も死んでしまっていい、私が生き残るのだけは絶対に嫌。
生きる理由が、ひとつ崩れ去るから。
そんなの、絶対に嫌。
あれが自分の悲しみだけを覆うために沸き上がったかもしれないと思うたびに、哀れで消えたくなる。
確かに、あれは本心だった。
「ファルマン少尉に、バッカニア大尉を死なせるなら、私を殺せって言ったの」
血まみれのバッカニア大尉。
グリードと、シンの老人。
散ったブリッグズ兵だった肉塊の海。
ブラッドレイを連れて地獄へ行く気だった私の中は、抜け殻で、今までの気持ちが焼け落ちたようだった。
善も悪も報いを受け、残ったものが全て。
失った身体の一部よりも、大事なものがある。
「貴方が生きてるなら、私はもうどうでもいい」
自暴自棄な言葉が、唇から漏れる。
くたばる前に、貴方のことを思い出す。
誰にも私の愛を邪魔させない、誰の意見も必要ない。
私がバッカニアを愛しているから。
永遠が愛にあるのなら、私は永遠のひとつになれるのだろうか?
涙が口の中に入り、嗚咽が漏れる。
「何も、何も考えてなかった。生きてればいい、って、それだけで」
涙が溢れ、自分を悟る。
銃と金と力だけの意味のない人生に、色がついた。
それは貴方を愛してしまったから。
耳が吹き飛んでも、足が散っても、気にならない。
貴方がいるから。
たった一瞬で、生死は決まる。
死をひっくり返したくて引き金を引きまくって、生を手に入れた。
でも、もしバッカニアが死んでたら?
人の身体は案外脆くて、これまでの人生において死で金を稼いでいた私に対する罰が降りかかる。
簡単に死ぬことくらい知っている、今まで死で飯を食ってきた。
愛する人を失いそうになる恐怖の前に、過去の倫理が刃のように突き刺さる。
もし三週間ほど眠っていて、起きて、バッカニアがいなかったらアームストロング邸の一室を私の血で染めていた。
自死の瞬間も、貴方を想うだろう。

「不思議ね、自分が生きていれば他はいいはずだったのに、なんで、なんでこうなったの」
涙を流す私を、バッカニアは静かに受け入れる。
乗り越えてきた戦場、もとい殺人現場の数は私のほうが多いはずだ。
決定的な違いは、殺人現場を作る側か見つける側か。
作ってきた側は死んだ人間なんてどうでもいい、恐れるのは生きている人間に追われ、探されること。
バッカニアが死んだら、私は考える間もなく首を括っていた。
私の人生を、今の時点で総合的に見ると死ぬのは逃げである。
銃と共に生きた人生をやり直しても、現時点では銃で生き抜いた。
もしも選べるなら、今よりマシな人生を探したいけど、バッカニアに会えない。
抱きしめられる一瞬が愛おしくて、死に向き合う気はなく、鈍く痛む右腕を感じる。
名をつける価値もない私の罪に名をつけるのなら、傲慢。
張り裂けそうな私を、バッカニアが引き戻す。
「なまえ、生きていればいい、それでいいだろう。生きてれば良い。」
私の生に人の手が加わる。
ずっと一人で生きてきた、生き抜いてきた。
バッカニアが、私の包帯まみれのボロボロの右腕に、そっと手を置いた。
「なまえは…ボスがここに運んできたおかげで身元は割れてない。セントラルからは早めに引き上げるぞ。」
「私って本当はどうなる予定だったの」
事実を、愛しい人から聞き出す。
今聞いても、後から聞いても、同じ。
「アエルゴ人が銃を持ち込んだ罪に色々くっつけられる寸前で、将校共が捕縛になった。お咎めはなしだが…。」
間を開けて、バッカニアが気まずそうにする。
「暫く人目を避けたほうがいい、ボスは他にも運んできたのがいる。」
何も言えず、黙り込む。
身元が割れるとまずい者を、アームストロング少将が複数匿っている。
どこからか現れたアエルゴ人が、持ち込んだ銃を乱射した。
今は将校も捕まり大総統も代わり、大変な時期であるが故に見過ごされているが、簡単に言えばお尋ね者の身。
訳ありのブリッグズで過ごし、ついに訳ありの身になった。
アメストリスから去るのが一番の解決策だが、決して選びたくない。
「銃を持たなくていい、今のなまえが出来ることがある、だから泣かないでくれ。」
「なにができるっていうの」
お菓子を作ること?愛嬌を振りまくこと?
私から銃を取り上げたら、驚くほど何もない。
だから、銃だけじゃないと、私は違う道もあったと証明したくてアメストリスに来て。
ああ、これじゃ飛んだ時と同じだ。
目の前には愛しい人がいて、五体満足ではない身体で、昔と状況は違う。
何かしらの岐路になる瞬間が来たというのに、満足に歩けもしないし聞けもしない。
私に、今後どんなものが待つというんだろう。
バッカニアが、終末の鐘を鳴らす。
「生きるだけじゃ足りないなら、俺と生きてくれ。」
驚くほど静かな世界で、晴天の下にある屋敷の中の一室で私の運命を知らせる鐘が鳴り響く。
死を与えるため頭を撃ち抜くと思った鐘は、私を生かす。
泣き崩れ、使える左腕でバッカニアの腕を握りしめて涙を流した。

触れ合っている皮膚から血が繋がるくらい、お互いを抱きしめあう。
「足りない、ただ生きるだけじゃ、嫌よ、だってハニーがいる」
「俺は…カッとなったら戦闘用機械鎧で殴りかかる、それで死にかけて、ニールの野郎からクロコダイルもマッドベア・Gも取り上げられた。」
バッカニアが、私の左耳で優しく話す。
低い声が私の中に響き渡り、身体の中を澄ましていく。
「イカしてない機械鎧の俺なんて、野蛮で面倒臭い野郎だ、今までの俺より、ずーっとつまんねえぞ。なまえ、それでもいいのか。」
涙まみれの目で、バッカニアを見る。
口調こそ照れ隠しのために厳しくも、私を見つめながら頬を赤らめていて、一番キスしたくなる瞬間。
声にならない声が、私から漏れた。
「私は銃で死にかけて、いま、こうなって」
「その…だな。だからだな。死にかけた話じゃなくてだ…。なまえが嫌じゃないなら…ずっと一緒にいたい。」
ソファに落ちる涙が、雨のよう。
全てが肯定されるような気持ちになり、バッカニアの胸に顔を埋める。
これが結末とはいかない。
まだやることがある上に、ぼーっとしてるだけでは違法入国者になってしまう。
永遠なんてないと分かっている。
愛し合うことに飽きるには、人生は短すぎることを知っていた。
抱きしめあって、沸き上がる熱を鎮めるようにバッカニアの掌が私の背中を撫でる。
歯を食いしばり、涙を流す目を辛うじて開く。
無機質な部屋、テーブル、機械鎧整備。
ここがバッカニアの病室なのだろう。
私の消し飛んだ右耳を気遣い、バッカニアは私の左耳の近くで囁く。
「決めてるのか、これからのこと。」
「決めてない…さっき起きたし」
「それなら尚更、俺と生きてくれ。なまえが…なまえがいないと。」
バッカニアが、私の肩に頬擦りする。
髭が首に当たり、くすぐったい。
「守るものが側に無いと、俺はまた無茶をする、なまえが無茶をしたら俺が助ける。行き急ぐなら今まで通りでよかったんだが、今は違う。なまえがいるほうが、俺は…その…幸せだ。」
機械鎧を破壊されたバッカニアの腹に、サーベルが突き刺さっている姿。
バッカニアが二度と死にかけない為に守られるなら、喜んで守られよう。
今までの人生を肯定していた、死を作りだし金を得る道。
アエルゴで生まれ育ったなら珍しくもない人生。
私の体に巣食っている射撃の爽快感も、血と硝煙の臭いも、銃声も、私が変われば消えていく。
死体を散らかした山を走り抜け、生きている人間を撃ち、殺した数だけ増やした生き延びる可能性の末に手に入れたもの。
力と、武器と、金はもういらない。
愛があればいい。
そう理解できたのは、皮肉なことに半殺しにされた後だった。
「ねえ」
掠れた涙声で、次を見据える。
「私も無茶したのよ」
「切りつけられて足が無くなった、ってニールから聞いた時は心底震えた。」
「足首と耳、機械鎧に出来るかな」
泣きながらでも前を進む決意をした私を、バッカニアが受け入れた。
にかっと笑ったバッカニアが私を優しく撫でて、涙を掬う。
「なまえに似合うイカした足にしてくれる機械鎧技師を知ってる。」
窓から差し込む陽の光が温かく、これまでずっと纏ってきた硝煙が掻き消されていく。
一人への愛のために、私の存在が大きく変わる。
死に損ねても、悔やんでも、身体が少し吹き飛んでも、生きることに変わりはない。
起きたことしか起きない人生という物語のエンドロールは、まだ先のようだ。
「ニールと先生が戻るまで、こうしてていいか。」
私をギュッと抱きしめ、何度も背中を撫でてくれる。
「好きなだけして」
「不安だろうけどな、俺の医療診断書類の名前の横にパートナーだってなまえの名前を書けばいい。」
扉の前で会った女医さんとニールさんの笑顔を思い出す。
あの二人なら、私を上手くセントラルから逃がす方法を考えついているだろう。
チーズケーキの皿を運んでくれたマイルズさん、シナリオをわざわざ用意して気持ちの逃げ道を用意してくれたアームストロング少将。
一人で生きたつもりが、周りにいつの間にか人がいる。
バッカニアがソファから立ち上がり、テーブルの奥にあった食器入れからフォークをひとつ取り、私を見た。
「腹、減ってないか?」
「終わったら山ほど食べたいって言ってたじゃない、だから作ってきたの」
「そうだったな、覚えててくれてありがとよ、なまえ。」
見慣れた笑顔を見て、笑いが零れる。
熊みたいな大男なのに、笑うと子供のように明るい。
チーズケーキの皿ごと持ったバッカニアがソファに座る。
切り分けたチーズケーキの最初の一口を、私に寄こした。
遠慮なく齧り、チーズの味がクリームの中に残るよう上手く作れたことを幸運に思いながら、バッカニアにキスをする。
生きるだけなら、簡単だ。
食べて寝て呼吸をすれば生きている。
それが生きていると言えるかどうかは、また別の話。
涙を流す私を抱きしめるバッカニアが、遠慮なくチーズケーキを食べ始める。
元気そうに食べる姿を見て、この上ない安堵を覚えた。
私は、まだ生きる。
身を守る術を得て、生きる以外の知恵も得て気づいてしまった。
自ら以外を守り抜くために引き金を引いて死にかけても、自分はどうなってもいいと思ってしまう人間になっていたことに。
自分の生きる希望を守るためなら、死んでいい。
今まで生き抜いてきた理由が、答えが私の身に手繰り寄せられる。
銃声の代わりに、何が鳴る人生になるか想像もつかない。
私の人生は、誰かが書いた脚本ではなかった。
自分で考え、選び、自棄になっても生きていくことで書き進められる、血のインクが必要な物語。
血は、私とバッカニアのものが使われることになる。
この人生の終わりが来るまで、掻き消された硝煙の向こうから近づく永遠も怖気づいて逃げだすくらいの愛を築いていこう。





end

2020.10.17

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