鐘は鳴る





目覚める前も存在していることが当然だったように、意識の蓋が開かれる。
意識の蓋は身体と関係なく結びつき、こじ開けられていく。
これを目覚めというのは分かっていても、不快感がへばりついた覚醒だった。
冷たい空気、違和感、痛みの上積み、筋肉の鈍り。
乾いた瞼を開ける筋肉が少しだけ鈍り、霞む視界を受け入れた。
清潔に香水を一滴落としたような香り、シーツの淀み。
体は拭かれ、消毒液の匂いしかしない。
口の中や鼻の中も、綺麗に掃除されている。
喉の奥だけはどうしようもなかったようで、唾を飲み込むと古い血の味がした。
鉄くさくて、まずい。
起き上がろうと身体に力を入れて、気づく。
右腕は添え木をされて包帯を巻かれ、指先まで手当されている。
なんでこうなったんだっけ。
包帯の下にどんな怪我があるのか、なんでこうなったのか。
脳を回転されれば、すぐに思い出した。
後悔、怒り、痛み、自己犠牲、犠牲、犠牲、痛み、憤怒、そして狙いを定める。
起きる前には、確かにその出来事があった。
無理な撃ち方をしたツケはこうして回ってくる。
生き残るのが下手なガンマンなんて、生かしておいても痛い目を見続けて厄種をバラ蒔いていくのだから、助けるほうが残酷。
知っているはずなのに。
包帯まみれの右腕を庇いながら起き上がり、左腕の真ん中に深々と刺さる点滴の針を見た。
血中に流される栄養剤を眺め、あたりを見渡す。
病棟にしては庶民感があり、広すぎる。
床は絨毯、壁は美しい白、窓の飾りだけで家がひとつ買えそうな扉。
ここがどこなのか察し、ひとまず胸を撫でおろす。
大きな天蓋ベッド、足元のほうにゴミ箱と医療ワゴン。
包帯や消毒液、タオルと薬、栄養剤の袋がいくつか見える。
私が身にまとっている高そうなガウンの下につけられていたオムツを脱いで、投げ捨てる。
感覚は鈍っていないようで、ゴミ箱の中に綺麗に落ちてくれた。
枕元には、小さなテーブルと豪華な枕。
ドレスを丸めたような生地の枕は私の頭の形の凹みを作っている。
綺麗なシーツには血ひとつ落ちていなくて、清潔な病床で眠っていた時間は幾ばくか。
心身の状態を見るに、経過観察が必要なほどの怪我を負っているような気がする。
ゴミ箱の中にオムツを投げ捨てた音を聞きつけたのか、一人のメイドが扉を開けた。
私がウェイトレスとして働いていた時に着ていた制服のデザインを、白と黒で落ち着かせたロングワンピースを身にまとった女性。
屋敷のメイドであることは、見て察せた。
ここはアームストロング邸。
誰の計らいでここで手当てされているのか分かり、目を閉じる。
メイドは起きている私を見て足早に去り、今から騒がしくなるのを瞬時に理解して溜息をつくために深呼吸をした。
肺、問題なし。
鼻、問題なし。
気管支、問題なし。
息を吐きだし、包帯まみれの右腕を見つめる。
利き腕がこれだ、しばらく何もできない。
廊下のほうが騒がしくなるのを耳で感じて、すぐに違和感に気付いた。
動く左腕で、あるはずの右耳を触る。
分厚いガーゼで覆われ、あるはずの外耳があった場所を触っても音を感じない。
左耳でしか感じ取れない音、あるはずの右耳。
全身から冷たい汗が噴き出て、眩暈を引き起こす。
脳が乱され、背を曲げる。
辛うじて動く左手で頭を触り、頭蓋と脊髄があるか確認した。
首、動脈、肺、胃、骨。
あちこち傷だらけだけど、とりあえず生きている。
大体は無事だと気づき、冷や汗が治まる。
右耳は欠損し、痛みも残らない。
最初から無かったかのように削げた肉から漏れる血を、大きなガーゼが塞ぐ。
左腕に軽く噛みつき、叫び声を抑える。
荒れそうになる息を抑え込んで、全身の神経を執着させた。
片耳が駄目になった、けど両手はある。
両手のうち片方も、無事で済んでいない。
でも生きている、生き残ってしまった。
狼狽しそうになる私を正気の淵に立たせるように、扉が開く。
やってきたのはメイドではなく、アームストロング少将。
アームストロング少将の後ろにはマイルズさんと、大柄な体格をしたスキンヘッドの軍人男性。
いつもなら、マイルズさんとバッカニアがいるはず。
大柄な男性は見たことがない軍人で、誰だと見定める前にアームストロング少将が私に歩み寄った。
金髪も瞳も美しく、軍服にも変わりはない。
アームストロング少将は怪我もなく、屋敷にいるということは軍の人は特に変わりなく無事。
私が眠っているベッドの前に、アームストロング少将が立つ。
「バッカニア大尉は?」
アームストロング少将が話すよりも先に、開口一番にバッカニアの事。
呆れたのか、アームストロング少将は舌打ちをした。
「先に言うことと聞くことがあるだろう、愚か者め。」
口を閉じて、綺麗な金髪を見た。
手入れされた肌と髪、輝く青い目。
アームストロング少将は戦火の中を生き残り、半殺しにされた私を助ける余裕まであるときた。
セントラルに呼び出されてから、約束の日になって、それから色々あって。
グリードは、どうしたのだろう。
シンの老人は?
バッカニアは?
ブラッドレイの野郎は?
ファルマン少尉は?
意識が途切れる前に聞こえた女性の叫ぶ声の答え合わせもできないまま、約束の日の中に囚われる。
「何日?」
「貴様が倒れてから、三週間と少しが経過している。」
三週間、と時間を伝えられ茫然とする。
その期間、ずっとこの部屋で寝ていたというのか。
豪華な部屋で、哀れな私の世話をメイドにさせて、生かして。
「死に損なったか、なまえ。」
生かした張本人が今一度、私に生を問う。
死に損ないましたと素直に言う気になれなくて、アームストロング少将を睨み返した。
重い瞼のせいで、顔は自然と不穏な表情になる。
笑いだすのか、叫びだすのか、泣き出すのか、誰もが予測できない表情になる私をアームストロング少将は黙って見つめた。
私が何を言い出すのか、楽しみで仕方ないのだろう。
「バッカニア大尉は?」
「寝ても覚めても、自分の男が恋しいか?私は貴様のような女が嫌いだ。」
「ファルマン少尉に頼んだの、バッカニア大尉が死ぬくらいなら私を殺せって」
「なまえの命がバッカニア一人と同等のものと思ってるのか、傲慢め。」
傲慢、それが私が生きた理由だろうか。
それとも、生きて背負う罪の名前だろうか。
アームストロング少将が、終末の鐘を叩き鳴らした。

「なまえ、この時世だ。面倒事を片付けるには良い機会でな、貴様の処分を私なりに考えてやった。
砦にあるカフェのウェイトレスは、別のモノに挿げ替えた。貴様は珍妙な銃を司令部で振り回し、勝手に暴れ勝手に死にかけた、ただのアエルゴ人だ。
なまえという人間はセントラルの暴動の中、煙のように消えた、そうしよう。」
私の人生に、アームストロング少将が考えたシナリオを乗せる。
そう、もともとはこのシナリオでよかったんだ。
アエルゴから来たという女が、国を揺るがした一大事件の最中に仕事を放り投げ、姿を放り投げ、ふっと、消えた。
そうしよう。
「ねえオリヴィエさん、最後にさ、一回だけ対等に会話しようよ」
素晴らしいシナリオを考えたアームストロング少将と、私は最後のお話をしたかった。
ここまで来るのに、随分と遠回りをしてしまった罪。
硝煙のように消える機会は幾度もあった。
バッカニアの手を取り、銃を取り、共存しようとして半殺しの目に遭い無様な姿になる。
愚鈍な私の提案は、終末の鐘を鳴り止めるのに十分だった。
点滴の針が刺さる無様な体の私、金髪を綺麗に整えたアームストロング少将。
オリヴィエさん、と初めて呼んだ。
「よかろう。」
分厚い唇が動き、会話が始まった。
輝く青い目は、曲がりきって歪んでいた私を受け入れる。
ふと飢えを感じて、見たことしかない病室を思い出す。
病院食が出されるテーブルが近くにないことに気づき、枕元の小さなテーブルの上を見た。
白と青で彩られた小さなティーセットが揃えられている。
ティーポット、そして自分がさっきまで頭を沈めていた枕を手にしてアームストロング少将に問いかけた。
「これ何?」
「アームストロング家お抱えの針子が作った枕と、祖母の代からあるティーポットだ。」
はっきりとした答え。
これが、私とアームストロング少将の違い。
決して私はアームストロング少将と分かり合えないという、決定的な証。
笑いだしたい気持ちを抑え込んで、会話を続けた。
「これはモノよ」
枕を枕元に放り投げ、ティーポットを片手にオリヴィエさんを見つめる。
オリヴィエさんから滲み出る「今すぐ消えろ」と訴えかける雰囲気と同時に覆う気位も、なにもかも、私とは違う。
だから、死に損ないの私を助けることもできた。
「モノ、と表現する意味はあるのか。」
意味を理解する機会がなかったのなら、私はもっと分かり合えない。
生き残るのが下手なガンマンはどうする?
生き残るのが下手ならば、ガンマンをやめて洗濯屋をすればいい。
武器屋になればいい、逃がし屋になればいい。
いくつもの選択肢があるのに、それらを手にすることすら邪険にされる世界をオリヴィエさんは知らない。
笑いだすのを抑え込むため、私は持論を曝け出した。
「オリヴィエさんは当たり前が疑問になる前に自分のものにしてる。
少将まで上り詰めて、国を動かす出来事に名を刻む行動ができた。堂々とするための自信が湧いてくるのは、当たり前じゃないの。
どういうわけか国じゃ自信は常に入荷してなくて、血と埃まみれの中から手に入れた。
オリヴィエさんは…どこから入荷したの?家族?友達?成績かしら」
私の根拠のない自信と、アームストロング少将の積み重ねの人生による自信。
同じでも、成り立ちが違う者は分かり合えない。
分かり合えるとすれば、それは。
ようやく意味を悟ったのか、アームストロング少将は哀れむような目で私を見た。
後ろに控えていたマイルズさんと、大柄なスキンヘッドの軍人男性は、終始会話を見守っている。
この世界を、等しくも落差もない、煮え切らない世界だと思ってる。この綺麗な屋敷も、あなたも、ここから見える景色も、とても綺麗。
それらは分かりきったことで、何の意味もない。
モノとして価値をつけるしか出来ない、だからこそ美しいと思う。
「付加価値よ、この世界を豊かにするものは」
ティーポットを指先でくるくると回して、柔らかなベッドの上に落とす。
地面がこれくらい柔らかければ、誰も怪我をしない。
オリヴィエさんは哀れむのをやめて、静かに私を見据えた。
人を見る目があっても、汚泥のようなモノは見たくないだろう。
スキンヘッドの男性はアームストロング少将よりも哀れんだ目をしていて、気の毒になった。
「その価値を持ってるのは世間知らずの地べた知らずって思ってたけど、違ったのよね。環境が人を変える、変わっていくの。」
アエルゴから来た、ダブリスに住んだ。
そのあとブリッグズへ向かった、そして国が面倒なことになってる間に別の場所へ向かった。
今までの私なら、それでよかったのに。
「人はね、生まれ育つ環境で全てが決まるの。でも人である限り、人は変われる」
そこまで言うと、唇の端に感覚が集まった。
頬の筋肉が緩んで、いつぶりかの笑みが零れる。
随分とみっともない顔をしてしまったのだろう、オリヴィエさんが冷たい目をした。
これが今生で最後の、貴女との会話。
交わることのない人間が会ってしまったが故に起きたことの、執着地点。
北壁の女王様は、変わることなく告げる。
「なまえは今までの人生を全て周りのせいにし、愚行を背景に押し付けるか。無責任なことだ。」
「対等に話そうって言ったじゃない」
不貞腐れて言えば、オリヴィエさんは背を向けて扉へと歩みを進めた。
会うこともないだろう。
凛々しい軍服を着たオリヴィエさんが、冷たい声を響かせて去っていく。
「二度と私の城に足を踏み入れるな、以上。」
それだけ言って、扉を開けて去っていった。
控えているはずのマイルズさんとスキンヘッドの男性はそのままで、動く気配はない。
私が変な気を起こさないように見張りを頼まれたのだとしたら、運の悪いことだ。
オリヴィエさん、いや、アームストロング少将は最後まで品行方正に私を見てくれた。
それは非常に恵まれたことだった、と包帯まみれの右腕を見て思う。
お姫様だから、凛々しく生きれる。
か弱くもないし、つらいものはブチ壊していく。
アームストロング少将の生来ついたものが、今のアームストロング少将を作り上げたのだ。
今の状況の重みと、生きてしまった責任を感じながら、溜息をつく。
ベッドから腰をあげようとすると大柄な男性が駆け寄ってきた。

「なまえ殿、決して無理をなさらぬよう。」
「歩けるんだけど」
大柄でスキンヘッド、前髪はカールし、髭もカールしている。
セントラルの軍人であることは見た目で察せた。
大きな手が助けようと伸びるのを無視し、床に足をつけようと脚を動かし、またしても違和感に気付く。
あるはずのものがない違和感。
右足を床に落ろし、左足を下ろすべく太ももを曲げる。
左足首から先はなく、あったはずの左足の甲や踝も見当たらない。
忌々しいブラッドレイの顔を思い出して、寒気がした。
「はあ、とことん現実って冷たい」
俯き、弱音を吐く。
神経が弾け飛んで、あるはずの場所に熱と痛みと空虚が押し寄せ、脳が混乱する感覚。
二度と感じたくない気持ちが、確かに存在して体験してしまった証。
右耳と左足首がない。
当然、前のように動くことはできない。
銃は持てないし、持つこともないだろう。
溜息をついて左足を見る私を心配してくれているのか、大柄な男性は大きな手を引っ込めることはない。
肩を落として、大柄な男性を見る。
体躯に似合わぬ宝石のような青い目に、足を見せて無言で「これあとどれくらいかかるの」と訴えた。
失礼な態度の私に、笑顔で対応してくれた。
「あと二週間は安静に、とのことです。それとなまえ殿。
マイルズ殿と姉上は共にセントラルに異動し、バッカニア大尉と率いる隊は全員昇進とのことです。
いやはや、姉上も気が強すぎて素直になまえ殿を心配することができず…おっと、これは姉上には内緒ですぞ。」
「姉上?」
「アームストロング少将は、我が輩の姉です。」
耳を疑えば、衝撃の事実。
目の前にいる大柄な男性と、アームストロング少将が血縁だと言う。
女性的で小柄なアームストロング少将と、いや、でも、たしかに、金髪と青い目は似ている。
それ以外は似ていない、もっと言えばバッカニアと血縁ですと言われたほうが納得するような外見。
人は外見で判断できないと分かっていても、理解が追い付かない。
唖然とする私の顔を見て、思考の隙間で気づいたことを大柄な男性が口にした。
大柄な男性が軽く微笑んで、名乗る。
「申し遅れました、我が輩はアレックス・ルイ・アームストロング。姉上は少将、我が輩は少佐であります。」
似ていない姉弟の名前を覚え、既に知られた名を名乗る。
消え入りそうな声で「なまえです」と言えば、大きな手と握手をした。
これくらい大きな手を知っている。
バッカニア、彼はどこ。
アームストロング少佐が言っていた言葉を受け止め、混乱する私の頭の中を察したマイルズさんが声をかけてくれた。
これからセントラル勤務になるという。マイルズ少佐。
昇進したということは少佐ではなく、いまは中佐だろうか。
「アームストロング少佐、なまえを例の場所へ。」
目覚めた私に用があるのは、アームストロング少将だけではなかったらしい。
マイルズさんがアームストロング少佐に声をかけると、本来の目的のために動きだした。
「ぬ、構いませんぞ…なまえ殿、松葉杖を用意して参る。」
松葉杖、そう聞いて気が滅入る。
アームストロング少佐が部屋を去る間、鉛のように重い出来事を思い出した。
ブラッドレイ、刀、爆炎、銃弾、血、埃、痛み、ブラッドレイのサーベルが突き刺したもの。
考えたくもないけれど、あの出来事から私は生き残った。
運がいい、きっと運がいい。
暫くは走り回れないのは、これからどうにかしていけばいい。
「ブラッドレイ、どうなったの」
悪運でないことを祈りながら、控えるマイルズさんに聞く。
国の天辺がどうなったのか知りたいのは、私だけではないはず。
もっとも、私が聞くのは自分のため。
聞いても遮られず、マイルズさんはブラッドレイがどうなったのか教えてくれた。
「死んだ。遺体は部隊が発見した。表向きには暴動の中で息子と共に死んだことになっている、今の大総統はグラマンという唯一無実の将校だ。」
「ほかの将校は?」
「殆どが豚箱だ。」
語気に嘲笑を孕んだマイルズさんを見て、大体を察する。
勝利は、こちら側。
作戦は成功、ただし死人と罪人は盛沢山。
国が平和になったのなら、悪どい者は一層アメストリスに住めなくなる。
胡散臭いものが消えてクリーンになった国は、どう歩みを進めていくのか。
アメストリスは人ならざるものが天辺を仕切る国ではなく、民衆のために存在していく。
セントラルは罪人の息吹を払い、活気を取り戻すだろう。
ついでにブリッグズは彼女の城ではない、猛者共が守る国境。
「ねえ、ここキッチンある?」
嘲笑を孕むマイルズさんと肩を組むように、普段どおりに接した。
終末の鐘を鳴らすのは、アームストロング少将ではない。
松葉杖を手にしたアームストロング少佐が戻ってくるまで、心の中で銃を手放す。
運命を決め、共に歩むものが何かを決める時間がある。
私の始末を教えてくれる相手に、愛しい相手に会わないといけないことは、全員が分かってくれていた。
約束の日に囚われた私を皆が逃がす。
失った右耳と左足首の代わりを、私は得られるのだろうか?






2020.10.17






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