銃声を鳴らして








足音を殺し、アームストロング邸の敷地を歩く。
花が生けられ噴水のある庭、綺麗な舗装、立派な屋敷。
アメストリスの綺麗な作りの家は、見ていると御伽話のお姫様を思い出す。
もしもこの屋敷にいるのがお姫様なら、私はただの侵入者。
裏口を開けると、銃を構える音がした。
ぱっと明るくなり、真っ白な床と壁が照らされる。
護身用のグロッグを握ったカーリーさんが私を見て、肩を落とし安心したように溜息をつく。
「いま夜中ですよ。」
破れかけのボストンバックを抱えた不審な女としか表現できない私をカーリーさんは招き入れ、通信隊に連絡する。
深夜に叩き起こされた通信隊に心の中で謝ってから、上着を脱いだ。
屋敷は、お姫様率いる先鋭軍属の本拠地。
上着を椅子にかけると、僅かにガーリックソースの匂いがした。
誰かがピザでも食べたのだろう。
ボストンバックを開き、カーリーさんに薄汚れた頭陀袋をみっつ渡した。
「これがルガーとマシンガン用、赤い袋のはランチャー強化用」
受け取ったカーリーさんが、中身の匂いに顔を顰める。
直に香るメカニックオイルと、血の匂い。
プレス機器に挟まれた人間の臭いに鍵覚えがあったのか、カーリーさんが中身を確認した。
一発の威力が大砲並の弾帯を確認している間に、ボストンバックの中身を出していく。
「大砲に付属できる手榴弾、あと閃光と劇薬煙幕。一掃に使って」
手品のようにひょいひょいと品物が出ては並ぶ床を見たカーリーさんが、頭陀袋を手に我が目を疑い始めた。
あまり眠っていないようで、髪はいつもよりボサボサになっている。
「これをなまえさん一人で?」
頷くと、真面目な顔をしたカーリーさんが閃光弾と煙幕に興味を示した。
目眩しに使える閃光弾は、一見普通の携帯式ライター。
毒入りの煙幕のボトルには、アエルゴ軍のマークがついている。
残りは、大きなラバーケースのみ。
真新しく手入れされたラバーケースを、そっとボストンバックから出し、中にある手榴弾の山を見せてから渡した。
カーリーさんが私を不審者と断定する前に、事情を説明した。
「運良く一人ガンマンを引いた。けど…私が何か隠してるってバレてる。もうセントラルからは引けないかも」
「危険なことはしないでください、あなたは本来ここにいないはずの人間だ。」
もっともな意見を笑い飛ばす。
銃を構えたイシュヴァール人が塹壕跡地から飛び出してきたことや、賞金稼ぎの頭を連続で打ち抜いたことを思いだす。
「心配はいらない」
カーリーさんは笑う私を心配そうに見た。
使える駒というだけで、私は軍属でも無い。
アームストロング少将を狙うアエルゴ人やクレタ人もいた、約束の日は良い粛清になる。
と、カーリーさんには言わなかった。
「関わったからには、地の果てを目指すわ」
私の言い分に、カーリーさんが呆れて笑う。
可愛げのない女だと思ってくれたほうが、印象に残りづらいことも知っている。
たぶん私は、明日に色々なことが決まる。
持ってきたものを全てカーリーさんに渡し、眠るべくアームストロング邸を散歩し始めた。





誰もいない、広い部屋。
大きなテーブルと椅子に絵画やピアノ、大きなガラス窓からは噴水と敷地内の薔薇の迷路が見える。
埃ひとつない絨毯を踏み締めて、テーブルに触れた。
汚れもない綺麗なテーブルの真ん中には、10人ぶんの臓器が買えそうな値段でも不思議ではない豪華な燭台。
アフタヌーンティーを始めれば、大層に豊かなお茶の時間になるんだろう。
窓から見える薔薇の花園で、幼き日のアームストロング少将は遊んだのだろうか。
月の光だけで照らされた部屋で、何を考えるわけでもなく立ち尽くした。
瞳孔をぼんやりと開かせる私に向かって、聞きなれた低い声。
「なまえ、いいか。」
先ほど自らが入ってきた扉をくぐったバッカニアが、深夜の不審者と化していた私に近づく。
時刻は、深夜二時か三時。
明日に備えられ、腕は戦闘用機械鎧クロコダイルに換装されていた。
「バッカニア、寝なくていいの?」
私の隣に控えてくれる彼の腕に寄りかかり、疲れなく笑って見せる。
降りたカーリーさんに、不審者の名前を伝えられたのだろう。
本来なら寝ているはず。
「なまえの顔を見たら、目が冴えた。」
それなのに、私に気をかけさせまいとするバッカニアが愛しくてたまらない。
言わずとも愛してることは伝わっている。
愛してる、そう言いたいけれど状況が言わせないと線を引いてきた。
「明日よ」
気を張り詰めた私の肩を彼が抱き寄せ、にかっと笑ってくれる。
月の明かりに照らされたバッカニアの笑顔は、何も知らない人が見たら叫ぶだろう。
強面の笑顔ほど珍しいものはなく、深夜の空気で冷えた手でバッカニアの頬に触れた。
「腰抜け共に噛みついてきたなまえなら、やり方は分かってるだろう。」
邪は、彼に見透かされている。
「どさくさに紛れて、憎い奴を突き飛ばすのも得意」
冗談を冗談と見抜くことに長けているのか、私を抱きしめたまま何度も耳元にキスをしてくれた。
腕がクロコダイルのまま抱きしめてくることは滅多になく、珍しさに驚く。
右耳の耳たぶを食まれ、すこしだけ熱が宿る。
ブリッグズ兵達がアームストロング邸で何をしているか、何のためにここにいるのか、まだ誰も知らない。
正義のためにアームストロング少将は上層部に食らいつきに行き、兵士は檻から出された猛獣のように飢える。
兵士であるよりも先に、人は戦いが好きだ。
この作戦の内容を聞いて腹の底が沸き上がらない人間はいない。
戦いはまだか、と。
明日が火蓋を切るのだ、早く寝てと言おうとした私の唇にそっと大きな唇が重なり、離れる。
「…チーズケーキ。」
「え?」
「チーズケーキだ。」
怖い顔が、突然場にそぐわぬ言葉を放つ。
「終わったらチーズケーキを山ほど食いたい、作ってくれ。」
正直な欲望に、笑みが零れた。
チーズケーキを山ほど作るなら、材料はどれくらい必要だろう。
山ほどなら釜で焼いたほうがいい。
クマのような大男がチーズケーキをわざわざ頼むのだ、10人前は必要だ。
などと考えだしていると、バッカニアが悪戯好きな猫のように、大きな手を少しだけ伸ばしてきた。
手を伸ばしながらも、私の目をしっかりと見る時のバッカニアは欲情の合図。
ここはアームストロング邸、見渡す限り誰もいないとはいえ地下には人がいる。
大きな手を無視して、指先で鼻をちょんと突っついた。
「私のハニー、私のお腹もあなたのミルクでいっぱいにして」と言い出さないことに驚いたのか、頬を赤らめながら私に擦り寄る。
肩にモヒカン頭が乗り、みつあみの先を弄びながらバッカニアの頭を撫でた。
「みんなに見られちゃうのかもしれないのに、甘えるの?」
「全員仮眠だ、誰も見てない。」
我儘なバッカニアの額にキスをして、大きな体を抱きしめる。
筋肉まみれの体に、戦闘型の機械鎧。
見た目だけじゃ笑いそうにもない彼の甘える姿を、私だけが見れる。
後頭部から首筋まで優しく撫でると、甘えたい盛りの子供のように抱きついてきた。
「カーリーが降りてすぐ、ヘンシェルの隣で雑魚寝を始めた。夜明けまで時間がある、しばらくは誰も起きない。」
つまり、何がなんでもしたい。
我慢が出来なかった罰としてお仕置きするより、愛しさが勝つ。
力が込められていない機械鎧の腕を、そっと押しのける。
する気がないと思ったのか、バッカニアが寂しそうな顔をした。
みつあみを掴んで引き寄せて耳元で囁く。
「愛しのハニー、頭からハチミツかけて食べちゃいたい」
耳まで真っ赤にしたバッカニアが、むぅと唸る。
窓を開けると、涼しい風が入り込んできて肌を撫でた。
「大好きよ」
「ぬ…俺もだ。」
夜風が、僅かに通る。
額にキスをして、深い青の目を見た。
私とはまるで違う青色。
怖い顔と対照的に、瞳の色だけは誰もが夢の中で見るような色だ。
「愛してるぞ、なまえ。」
戦うために作られた機械鎧を身に着ける意味は、私にも分かる。
明日、一体何が待っているのか。
それでも彼は私の前で、軍人であることをやめる。
バッカニアが生身の腕で私を抱き寄せ、少し強い力でお尻を握られた。
「あっ、ねえ」
やめてと言おうとして、言えなかった。
いつになく寂しそうで真剣な顔をしている意味を察してしまう。
「…明日が最後かもしれないだろう。」
気持ちは嫌というほど分かる。
街中がマフィアに爆破され、生きるか死ぬかの中で弾帯を調達しに行く時の道で感じた気持ち。
請負の仲間が予定外の場所で殺され、明かりのない真夜中に靴も履かずに走り抜けた時の心。
君主制故の面倒事で荒れる中で、銃を握りしめる時の決意。
「冗談はやめて」
人生には、起きたことしか起きない。
次の日のことなど、誰にも分からない。
生き急いだ私が、バッカニアの頬を撫でながら口づける。
特徴的な髭が指に絡まってから、機械鎧ではない生身の腕でしっかりと抱きしめられた。
離したくない、というのなら私も同じ気持ち。
言わなくても分かる間柄だというのに、確かめ合わないと不安な体。
嫌というほど分かる気持ちからバッカニアを逃したくて、服の上から彼の身体をまさぐる。
クロコダイルの腕では、服は上手いこと脱げない。
それをいいことに、バッカニアの身体を軍服の上から舐めるような手つきで何度も撫でる。
軍服の上に羽織るコートの下を撫で、服の上から腹筋を触り、ズボンのチャックを下ろす間、ずっと見つめあっていた。
大きな手が、私の右の頬に触れる。
右耳の外耳を覆われてから、後頭部を支えるように動いた手に従った。
片手で軽々と抱き上げられて、窓際の、本来は観葉植物や陶器などを並べて置くであろうスペースに座らされる。
ちょうど私の腰とバッカニアの腰が同じ位置に来て、何も言わず、黙って下着を脱ぐ。
クロコダイルの上に片足をかければ、腕に抱えられた。
近づいてくる腰のために自分の性器に触れ、溢れるほど濡れていることに気付く。
膣口に当てられた熱をゆっくりと受け入れて、満たされるような快感と安堵感が体を支配する。
悲鳴のような喘ぎも、殺しにかかるような快感も、今は無い。
バッカニアが私に覆いかぶさり、ゆっくりと動く。
性的な快感とは違う感情までもが、性器を通して広がるような心地良さ。
夜風が身体を通り過ぎて、愛液と体液の匂いが身体の狭間で煮詰まる。
肌が擦れあい、唇と舌が絡み合う。
無音の中で行われる行為。
太い首に腕を回して、彼の耳元で息を熱い息を漏らす。
ゆっくりと揺れる身体から生まれる熱と、バッカニアから僅かに漏れる呻き。
膣内で弾ける熱、促すように動く私の両脚。
私の目尻から漏れる一粒の涙がバッカニアの首に落ちていく。
汗ばんだ額をくっつけあって、何度も呼吸をする。
言葉はいらない、愛がそこにあるから何も言わない。
身体の中にある熱が、証。
赤い顔をしたバッカニアと見つめあって、キスをした。






レストランは、上客しか相手にしたくないと言わんばかりにラジオから落ち着いた音楽を流している。
今日ほどラジオのニュースキャスターが喋る日もないというのに、悠々と食事を楽しむ客が昼間から溢れていた。
昼間からワインを飲み、ラディッシュのサラダとマカロニを食べて、これから街へ繰り出すような金持ちばかり。
シャツに上着、ズボンにブーツといったアウトドア重視の服装の私は歓迎されず、フロアの端に座らされている。
窓が遠く、景色は見えない。
ミートパイを平らげパンプキンスープの二口目を口付けると、骨を揺さぶる轟音が響いた。
レストランの客が一斉に悲鳴をあげ、揺れにより落下したラジオから耳障りの悪い電波音がする。
きゃぁ、と叫んだ女性がワインをひっくり返し、床が赤く染まっていく。
あ、始まった。
口には出さず、砲撃音に耳を傾けながらパンプキンスープを飲む。
歓迎された客は金を払わずに逃げ出し、ワインを飲んでいた女性に給仕長であろう年配男性が突き飛ばされた。
出入り口がパニックを起こした人で溢れ、魚の群れのようになっている。
その間も食べ続けている私に、誰かが駆け寄ってきた。
「お客様、逃げてください!安全地帯へ!」
私に声をかけたのは、額を汗まみれにしたウェイター。
フロアにいる私以外の焦りと恐怖を一身に背負ったような顔で、私に避難を促す。
安全地帯なんてどこにあるんだ。
ウェイターの顔をじっと見つめたまま、パンを一切れ手に取りパンプキンスープにつけて食べた。
呑気に食べる私を見て、ウェイターの混乱は達する。
「え、あ…言葉通じてない?耳が聞こえてない??」
何も言わず、パンを咀嚼する。
砲撃音が鳴り響く中、パンとスープを食べる私への心配も虚しく、100mほど先から砲撃音。
肩を引きつらせ、フロアが木っ端微塵になっていないことを確認したウェイターが叫ぶ。
「誰か!」
半狂乱の片鱗を目に宿し、厨房の人たちまで慌て始めた。
鞄を手に、レストランから去る。
外に出ると、ほんのりと火薬の臭いがした。
レストランに併設された非常階段を上がりきり、建物の上から周りを見渡す。
「割れる心配の無さそうな、綺麗な屋根ね」
屋根から屋根に飛び移り、砲撃音の方角を目指す。
風に乗り、火薬と人の臭いが散らばって臭う。
一度止まり、市街地を見渡した。
行かなきゃならないのは、大門前。
大門前は目を凝らせばすぐに見つかり、屋根の数と路上を見てから地面に降りた。
冷たくも篭った空気が張り詰めた通りに降りて、鞄を抱えて歩き出す。
一般人は避難したのか、人の気配はしない。
誰かに見つかった場合を考え路地裏に入り、それから鞄の中身をぶち撒けようとした、その時。
「お嬢さん、逃げ遅れたのか。」
真後ろから男性の声がした。
口調は丁寧で物腰柔らかなものの、端々に隠れる厳しさを煮詰めた雰囲気に怖気が背中を走る。
危機管理能力を司る脳が、瞬時に悲鳴をあげた。
しゃがみこんで、真後ろにいる男性の足を蹴り飛ばせればチャンスはある。
もっとも、蹴り飛ばせた所でこの至近距離から銃を引き抜いて間に合うかどうか、だが。
男性の声を聞いてから息を吸って吐く間に、私の背後から視界を両断するように、血のついた刃の切っ先が煌めいた。
ゴジュッと肉と骨が千切れる鈍い音が脳いっぱいに聞こえ、猛烈な吐き気がする。
脳が揺さぶられ、訳がわからなくなるよりも先に右耳の辺りが耐えられないくらい熱くなった。
膝をついて呻きながら屈む。
「ふむ、避けたか。随分と良い耳だ。」
男性の声を感じれないほどに、喉奥と食道から血の味がした。
砂利のカケラと小石がめりこむ膝に痛みを感じる余裕はなく、追撃で死ぬと理解し怖気と寒気と叫びたい気持ちが混ざり合って爆発しそうになる。
唇を噛み締めながら、真後ろにいる男性を見た。
眼帯をつけた初老の男性。
無難なシャツに、軍のズボン。
眼帯に軍服という出立をどこかで見たことがある。
唇を噛み締めたまま動かない私を見て、男性は剣を握る。
滴る血が口に入り込み、血の味が口の中に広がった。
銃に手をかけよう、と意識だけ浮いたまま背骨の中を熱さと痛みの信号が駆け巡る。
「誰」
眼帯の男性を、睨みつけた。
「名乗る時間は無いのだがね、君は迷子にしては…少し物騒だ。排除とまではいかないが、帰りなさい。」
「帰るわけ」
ない。と言い終わる前に再びサーベルを突きつけられ、間一髪避ける。
壁に刺さる刃を見て、冷や汗が溢れた。
もし勘がなかったら、私の頭のド真ん中に剣を立てられ即死だろう。
逃げなきゃ。
叫ぶ本能に従い、立ち上がろうとした私の左足の甲を熱いものが貫通する。
サーベルが私の左足の甲を刺し、ブーツの中が猛烈な熱さに覆われた。
痛みに耐えれず叫び、足を抱えたまま倒れる。
握りしめた拳からも血が出始め、掌と爪先の間から血が滲み出す。
視線を動かすたびに痛む右耳を押さえ、焼けるように熱い左足先を動かさぬよう体を固める。
眼帯の男性は私の血がついたサーベルを払い、路地に血を散らした。
「随分と我慢強い。物騒なことに関わらず生きていれば、君らしく済んだ人生だっただろう。」
眼帯の男性は動かない私を見て、用はないと言わんばかりに去った。
屋根の上まで蹴りひとつで飛び上がり、そのまま大通りに向かって走り出す。
人間の跳躍にしては高く、屋根を飛び慣れたような足音を感じる。
目の前が擦れ、目蓋の裏が引きつった。
呼吸は血の味しかせず、耳から噴き出す血が地面に落ちる。
左足が熱い。
痛みが襲うのを覚悟で、ブーツを脱いで脚を見る。
左足の甲に始まった大きめの刺し傷によって、左足の小指がちぎれ掛けていた。
今は、応急処置しかできない。
脱いだ上着を力任せに切り、布切れを足に巻く。
左足の小指はくっつかないとしても、治療するまで組織を包んでおけば痛みの手当にはなる。
息を切らしながら血を止めるために上着で耳を拭き、布の上から右耳の聴力を確認する。
心臓の音は左耳からよく聞こえても、右耳からは聞こえない。
銃を撃つ人間にとって、気配を感じ取る器官のひとつが不調を起こしたのは痛手。
男性の言う「君らしく済んだ人生だっただろう。」が頭の中で何度も響く。
「へばるわけには、いかないのよ」
血塗れの上着だった布の一部で足先をきつく巻き、血に塗れた足をブーツに戻すと、足の裏で血の海を感じた。
右耳を押さえたままホルスターの銃を確認する。
両足に巻き付いたベレッタ、グロック、リボルバー、認証式のグレネードランチャー。
レッグホルスターに隠された武器は無事、これなら戦場に行っても力になれる。
手持ちしていた鞄は先程の襲撃で路地の角にゴミのように放り投げられ、痛む足を押さえ鞄を抱き抱えた。
中は無事、アエルゴ式のえげつないマシンガンとライフルと弾薬が詰まれた鞄を手に、立ち上がろうと壁を伝い立ち上がっていると、霞む視界に黒い靴とズボンが目に入る。
軍服の青ではない。

視界をあげれば、目の前には黒髪を後ろで束ねた赤い目をしたシン系の男性。
赤い目、といってもイシュヴァール系の赤ではない。
瞳孔は薄暗い黒、虹彩は光のない宝石のような赤。
シンの人間にイシュヴァールが混ざると、こんな目の色になるのか。
血が所々についた私を見て、男性が肩を落とす。
「ラースの奴、女にまで容赦ねえのかよ。おっかねえなあ。」
怪我をした私を見て、憎々しくラースの奴と言い放った男性。
ラース、それが眼帯の男性の名前だろうか?
「え、いや…ラース?あんたは誰?」
ガサツな物言いに顔を顰めた私に、シン系の男性が近寄る。
武器を出す気配はなく、名乗りもせずに私と鞄を抱えて歩き出した。
「怪我したまま這いつくばるなよ、女が無理すんじゃねえ。」
「女だから…なの?」
「まあな、俺は女と戦う趣味はねえ。」
女を助ける趣味があるなら、女衒向き。
厄介な男性に頼るわけにいかず、抱えられたまま指図した。
「片耳やられて、方角が分からない」
「外は気にすんな。病院、連れて行ってやるよ。」
「いい」
男性が歩くたび、私の血がぽつり、ぽつり、と垂れる。
失血死にはまだ遠くても、やられたのは耳と足。
万全とは言えない。
「いいって…怪我どーすんだ。」
「これくらい手当てできる」
男性にスカートをめくって、両足に巻き付いたホルスターを見せた。
ホルスターに収まる銃を見て、私がなんのためにセントラルにいるか男性は察する。
そして、心から楽しそうに笑った。
「ははっ、地獄へ高飛びすんなら今日は打ってつけの日だ。ボスは誰だ。一人か?裏切られたか?仲間は?」
「仲間なら…戦車の向こう」
男性は底意地が見え隠れする笑顔を更に嬉しそうにした。
この笑い方をする人には、極力関わりたくない。
「ほーう、なら俺と行く道が同じだ。背負ってくわ。」
男性が私を軽々と抱き上げ、背負って歩き出す。
手にある鞄を枕にし、男性の肩に置いてから頭を寄り掛ける。
霞んだ視界を無理にこじ開けず、瞳を閉じてから呼吸を整えた。
「歩ける…」
「うるせえなあ!どこまで運んだらいいか言え!」
バッカニアより小さい背中。
筋肉はしっかりあるけど、骨が細く戦う人間の体つきではない。
道中の足に感謝し、目的地を告げる。
「門…ブリッグズ兵が守ってるから、そこに」
門、と聞いた男性が皮肉っぽく笑ったのを見て察した。
この男性は、ブリッグズ兵がセントラルにいることを知っている。
最初から通りすがりの一般人ではないと感じていたが、この男性の仕事はおそらく情報屋かフリーの依頼請負人。
赤い目が好奇に歪み、私を睨んだ。
「蛮勇の集まりか。憎めねえ奴らの片棒担いで、早死にするぜ?それだけ可愛い顔がありゃよお、黒光りする物騒なモン持たなくて済むやり方あんだろ。」
可愛い顔、と言われても喜べない。
血塗れで知らない男性に背負われた姿を、もしもバッカニアに見られたら何て言い訳しよう。
マイルズさんに見られたら、ヘンシェルさんに見られたら。
きっと誰かが見たら、話は広まって笑い話の種にされる。
よく笑うニールさんがあちこちに話して、女医さんに怒られる光景を頭に浮かべた。
「大事な…人がいるの。仲間もいる…」
私の言い分に返事のない男性の借りを返すべく、問いかける。
「名前…」
「あ?」
「私はなまえ。あなたは?」
「グリード。」
無愛想に、面倒くさそうに男性は名乗る。
グリードといえば、アメストリスに来た直後から半年の間だけ用心棒をしたデビルズネストというダブリスの酒場の元締めの男。
黒い服に身を包み、背が高く大柄で、威圧感のある不気味な男だった。
よくある名前なのかと納得しかけたところで、男性の声色が変わった。
「…いや、リンだ。」
先程とは違う、高めの声。
同じ人物から出る声にしては違和感を突き立てられ、男性の名前を今一度確認した。
「リン・グリードさん?」
「好きな方で呼べ。」
「じゃあ…グリードで」
グリードという名前を聞いて、ふとデビルズネストのことを思い出した。
よく話したのはマーテル、彼女からナイフの使い方を少しだけ教えてもらった。
肩のタトゥーに酒がかかっても気にしない女性。
マーテル含む長年のデビルズネストの者は雇われではなく、家族や仲間のような扱いをされていた。
仲間、そうだ。
あれは仲間だった。
シン系の顔つきを見ると、どうしても異国情緒を感じる。
両親の片方がシン系のアメストリス人は、セントラルでは珍しい。
不気味なほうのグリードの周りには、シン系からクレタ系までいた。
アエルゴ人から見ると混血は珍しい、愛しのバッカニアの黒髪はシン系の色。
怪我をして動けなくなり、知らない男に背負われても、考えるのは自分のこととバッカニアのことばかり。
まだやることがある、意識を切らすわけにはいかない。
半ば意気消沈し、呼吸を止めず痛みを脳内から追い払おうとする私にグリードが声をかける。
「さっきお前の耳吹き飛ばしたやつ、もう着いてる。気ィつけろよ。」
応答する前に瞳を閉じ、体力を温存する。
眠気に襲われる中、バッカニアの顔が浮かぶ。
厳しい顔つきに特徴的な髭を生やし、長く伸ばした髪をみつあみにして毛先にリボンをつけた彼。
熊のような見た目、私を抱きしめる時は無邪気な子供のような彼。
仲間、私は仲間を守りたい。
私を見てくれた人たちを、イズミさんを、バッカニアを。



「おい、着いたぞ姉ちゃん。」
ゆっくりと地面に座らされ、外の匂いを嗅ぐ。
煙、硝煙、僅かに血の匂い。
目を開けると、グリードと晴天の空。
グリードは私の目の前に鞄を置いてから、しゃがみこんで私の右耳を覗きこんだ。
「姉ちゃん…じゃなくてなまえか。」
気配すら右耳に届かない。
項垂れる暇はなく、鞄の中に手を突っ込んだ。
右耳を覗き込んだグリードが何も言わない。
痛み止めが詰まった注射器の束が入る箱を取り出し、血まみれの指で箱を開けた。
注射器を手の甲に刺し中身を押せば、冷たい感覚が肌の中から体に入り込む。
いかがわしい薬だと思ったグリードが、露骨に顔を顰めた。
「いつもやる前にキメんのか?あの世行きが早まるぜ。」
「痛み止め…だから」
大丈夫と微笑めば、グリードは悪そうな笑顔を向けた。
注射器の中身が空になり、痛み止めが血中に入り込む。
軽々と動く右足で空の注射器を踏めば、ガラスの砕ける音がした。
「俺は行く。あとは自分でやれ。」
グリードはそう言い残し、去っていった。
セントラルの空を一望し、感覚を澄ませる。
煙、銃の音、悲鳴。
慣れた音と匂いを口の中の血と一緒に飲み込み、鞄の中にあった水筒の水を飲む。
水が唇から滴り、ひんやりしたものが胃を満たした。
鞄の中にあるマシンガンとライフル。
近距離戦は避けたい。
マシンガンを握りしめ、認識し二回り大きくたマシンガンに弾帯を巻きつけ、ありったけの弾を詰める。
照準に触れ、マシンガンを体温にのみ反応する設定をしてから血で濡れた手をズボンで拭く。
ロングライフルと狩猟ライフルの利便を混同した改造型ライフルを握りしめ、息を切らした。
痛み止めが効いてきた足は、神経の端が悲鳴をあげたあとの響きが残っていた。
痛み止めを一度打てば、半日間は痛覚が鈍る。
深呼吸し、顔を上げた。

ここはどこだと方角を確認して、現在地が中央司令部と気づく。
真っ白な床の先は絶壁で、下を見れば誰かがいる気配がする。
煙の匂いに、血の匂い。
何が起きてるか嫌でも分かるからこそ、腹の底が冷えて堪らない。
深呼吸を何度かして、覚悟を決めてから這い寄り真下を覗く。
視線を凝らさなくても、よく見えた。
真下には、壊れた人形のようにバラバラになったブリッグズ兵。
無事な軍人は門の前で待機し、何名かが慌ただしく動いている。
グリードが戦う両刀の短剣使いは、ラース。
側に控えた小柄なシン人の老人も、グリード同様ラースに襲いかかっている。
ラースの動きも、グリードの顔も、シンの老人の顔もよく見えた。
機械鎧の腕を丸ごと破壊され倒れたバッカニアの腹に、サーベルが突き刺さっている姿も。
「ああ、遅かった」
私の体に、弾が当たった瞬間の爽快感が湧き上がる。
今までの私を肯定する全てが、変わったはずの私に襲いかかってきた。
死体を散らかした山を走り抜け、生きている人間を撃つ。
殺した数だけ、生き延びる可能性が増えていく。
力と、武器と、金が全て。
その世界が全てじゃないと教えてくれた愛しい人が、憎々しいサーベルに貫かれている。
静けさを伴った殺意が、私の頭を支配した。
「殺さなきゃ」
グリードは、門の真上から降りろと言うつもりだったのだろう。
暗に「戦うな。」と言う気持ちは有り難い。
だけど、殺さなきゃ。
地理的に、ここは屋上に値する。
ホルスターにある銃の弾帯を全て腰に巻き、上着を巻き付けて隠す。
マシンガンを握りしめ、息を吐いてから頭を切り替えた。
「時間稼ぎになればいいけど」
弾薬が詰まった鞄をしっかり閉めて、ラースがいる方向に向かって投げる。
刹那、瞳の代わりに蛇のような紋が私を見た。
随分と反応がいい。
落下する鞄に狙いを定め引き金を引くと、鞄の中に詰まった弾薬全てに引火し、大爆発を起こした。
耳の底から顎の骨に振動が響く。
この大爆発が「なまえが来た合図」となっている。
本来なら街中に戦車が走り出した頃、市街地でこれをやり中央兵を街中に向かわせるつもりだった。
爆煙止まぬまま、マシンガンを起動する。
グリップを握りしめ、引き金を引いた。
聞き慣れた機械音を耳にして、マシンガンから去る。
おおよそ50発、ラースに向かって乱射されている間に降りる方法を模索した。
見渡す限り階段はなく、もしも私が銃を持ってなかった場合、グリードの帰りを待つか助けを待つしかない。
愛用のベレッタで、円を書くように自分の周りを五回撃つ。
ピンを抜いた手榴弾を投げ、真っ白なコンクリートの上に落ちる瞬間に狙いを定めた。
引き金を引けば、床一面が爆音と共に崩れ出す。
ライフルの威力で、手榴弾の爆発力が周囲のコンクリートを巻き込みながら真下へ崩れる。
自分の周りの円を作るコンクリートが崩れ落ち、煙の向こうに白いシャツと青い軍服を着た男性を確認し、発砲した。
弾を撃っても全て避けていくラースを憎く思いながら、地面に向かって何発か撃つ。
コンクリートを砕き、粉塵の中を雑に着地した。
痛み止めで痛覚そのものを鈍らせていても、骨が震える。
マシンガンの音は止まっていて、薬莢と血の臭いがした。
銃を構えたまま煙を掻き分け、痛みを感じなくなった左足のブーツの中の血が滴り、足跡を作る。
銃を構えた私を出迎えたのは、グリード、ラース、シンの老人。
不思議なことに、全員傷を負っていない。
三人から見れば、派手な自殺に失敗したようにしか見えないだろう。
ラースの目には瞳の代わりにウロボロスの紋があり、人ではないことが伺えた。
何事かと見つめるシンの老人と目があってから、グリードに悪戯っぽく笑われる。
私を見たラースが、くだらなさそうにした。
「先程の娘か、大人しく帰ればよかったものを。」
口髭を生やした口元が、厳しく動く。
戦況を把握するため、空になったライフルを瓦礫の中に放り投げた。
「避けやがって、こっちはテメーのツラからケツまで、バラバラにしに来てやったのによ」
昔からの使い慣れた言葉遣いで、ラースを罵る。
グリードが、半ば悲鳴のような声色で私を蔑んだ。
「今の襲撃なまえかよ!お前のせいで俺とじーさんが死にかけたぞ!」
マシンガンは、体温にのみ反応する設定にした。
ラース含めここにいる三人が全て避けたということならば、私に勝ち目はない。
だが、グリードとシンの老人はどうだ。
グリードの手には鉱石で作られたグローブがはめられ、獣の手のように鋭利になっている。
じーさんと呼ばれたシンの老人は、呼吸ひとつ乱れていない。
鼻まで血の臭いにまみれた私の勘が叫ぶ。
体術使い二人と私かかっても、ラースは倒せない。
「そう、じゃあ」
作戦変更。
ベレッタとリボルバーを構え、グリードと目を合わせた。
「私とこいつは地獄行きよ、手伝って。グリード、ご老人」
肉体は、銃と共に。
銃は、肉体と共に。
今まで何度もやった愚かな汚れ仕事が、役に立つ日が来た。
私の人生が、誰かが書いた脚本だとする。
起きたことしか起きなかった物語のエンドロールに、銃声を鳴らそう。
グリードがラースに飛びかかると同時にベレッタとリボルバーの引き金を引き、ラースへと襲い掛かった。





2020.09.24








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