冴えわたる






「おい誰だ、この可愛い娘は…。」
バッカニアの声を聞いて、医務室の前で開きかけた扉の手を止める。
数センチほど開いた扉からはバッカニアの聞き捨てならない言葉の他、複数人の声が聞こえ、医務室がいつにも増して賑やかなのが分かった。
少しだけ見えたのは、金髪の見慣れない少年と少女。
少年のほうは機械鎧を身に着け、少女のほうはエプロンをつけている。
どちらも初めて見る顔だ。
僅かに開いた扉の両脇に、人の気配があることにも気づく。
大柄な軍人男性が右と左に一人ずつ、そして右手に白いスーツが見える。
音を立てずに扉を閉め、数歩下がった。
眩暈と寒気がぶり返しそうになるのを必死で堪え、先日の出来事を思い出さないように深呼吸する。
何故今ここに、キンブリーがいるのか。
キンブリーが見慣れない顔の少年と少女に用があるとしたら、執着と粘着さの見える行動。
肌の合わない気持ち悪さがある。
白いスーツを纏ったキンブリー自ら、ニールさんに頭を直してもらいに来たのかもしれない、と平静を保とうとした瞬間、凄い勢いで扉が開いた。
「なんかムカついた。」
野太い声でそう言い捨てて医務室の扉を乱暴に開けて後にしたバッカニアの腕はマッドベア・G。
換装してもらい、上着も着ずに急いで出てきたという感じだ。
見慣れた分厚い身体に、大きな機械鎧の腕。
出てすぐ私がいるとは思ってもいなかったようで、バッカニアが私を見て驚く。
「む、なまえ。先生に用か?」
バッカニアの質問に答えず、扉に手をかけ少しだけ中を見る。
ニールさんと会話している金髪の少女の横顔が一瞬だけ見えて、聞こえてきた言葉に納得がいった。
「へえ…あの子、可愛いね…」
真後ろにいるバッカニアにかける声が、何故か自然と低くなる。
ニールさんと話している、ということは機械鎧技師だろう。
機械鎧の少年に、機械鎧技師の少女、珍しい組み合わせが来訪している。
扉を閉め、バッカニアを見た。
コートを着ているし、腕はマッドベア・Gに換装。
これから仕事なのが伺えた。
みっともない、と自分でも思うような気持ちを心の一か所に煮詰めておいて、我慢する。
「よかったね…可愛い子に珍しい機械鎧、褒めてもらえて…」
「なまえ、顔が…怖いぞ…。」
既に顔に出ている、と分かって居たたまれなくなる。
醜い嫉妬にまみれた自分を見てほしくなくて、大急ぎで戻ろうとすると大きな手に肩を掴まれた。
「なまえ!その…!!」
「なに…?」
医務室には、見慣れない少年少女、キンブリー、知らない軍人男性が二人。
入る気はしない。
必死な顔をしたバッカニアは、マッドベア・Gのほうの腕で上着を持っている。
間違えて引っかけたら、どうするのだろう。
「…今から地下の穴に降りて、行方不明の先遣隊を探しに行く。戻ってきたら…その、きちんと…。」
何かを言いたそうなバッカニアが、私の顔を見て更に青ざめる。
下手したらブリッグズの雪並みに白いのではないか、と思うくらい血の気が引いたバッカニア。
腕はマッドベア・G。
どう見ても強そうなのに、今だけは襲い掛かる気配もない。
それくらい怖い顔をしてしまっているんだろう。
バッカニアがわざわざマッドベア・Gに換装したということは、仕事が間もなく開始。
「いいよ…仕事しなよ…」
それだけ言って、本来の目的が何だったかも忘れカフェに引き返した。
先遣隊になる、ということは危険なことがある証拠。
怒りの沸点に触れると、重く低く怒りが唸っていく姿を初めて見せてしまった情けなさを抱え、寒い廊下を戻っていった。


午前の終わりと午後の始まりの時間帯は、一番人が来ない。
その間に洗い物や掃除や仕込みをすべて終わらせ、いつでも誰かが来ていいようにする時間帯。
なんとか平静を整えるために古い皿から順に割っていって、新しい皿を出す。
買いこんでいた皿の在庫が活躍し、誰もいない空間で皿を割ったので、気持ちは落ち着く。
バッカニアの煮え切らない発言もそうだけど、キンブリーをまたしても見てしまった。
割った皿が入った袋の口を閉め、溜息をついた。
あの男は、何の用があり、何のためにブリッグズに来ているのか。
風の噂で死んだとか刑務所だとか聞いていたけど、何故いまここで顔を見なければいけなかったのか。
色々と、煮え切らない。
カップを揃え、コーヒー豆を全て準備し、あとはお湯を沸かすだけという段階のところで扉が開く音がした。
顔を出せば、見覚えのある褐色の肌と赤い目。
マイルズさん、と言う前にマイルズさんが注文を出す。
「コーヒーを三つ用意してくれ、紅蓮の錬金術師と鋼の錬金術師の席、鋼の錬金術師の機械鎧技師の席に必要だ。」
「…紅蓮の?」
「そうだ。」
先日のことを思い出し、マイルズさんを見つめる。
あの時キンブリーに言われたことは、全て事実。
もともと、カフェでの発砲事件で私に関する色々なことは把握しただろうから、驚くほどでもない。
キンブリーがどういうことをイシュヴァール戦でしたかを考えれば、普通。
私のような人間は、普通にいた。
それでもマイルズさんを目の前にして、あれほどに事実を丸裸にされてしまうと合わせる顔もない。
「マイルズさん」
「なんだ。」
丸裸にされた事実は、既に知られていること。
それでも、目の前にして語られるのは決していいことではない。
「…ごめんなさい、あんな話ききたくなかったと思う」
思わず謝る私の立場は、今にも崩れ去っておかしくない。
ここの掟が弱肉強食なら、この場でマイルズさんに殴られて雪の中に放り投げられて問題なく終わる。
できればそうしてくれと願いながら、マイルズさんの顔から目を逸らす。
すこし間を置いて、マイルズさんが返してくれた。
「アレは常にあの調子だ、諸々の時間稼ぎのための会話が疲れる。俺は気にしていない。」
あの調子、と聞いて思わず笑ってしまった。
いつだったか、仕事をした時もそうだ。
イシュヴァール人を殺すために景色ごと吹き飛ばす錬金術で、美しいだの何だの言っていたのを思い出す。
キンブリーと請負歴の長い男性たちが会話しているのを遠目に、銃の手入れをしている私。
妙な感じのするイシュヴァール人たちを処理した日には、絶対にキンブリーがいた。
そして、キンブリーがいる日だけは掃除班が来なくていいことになっている。
変態か何かだと思ってはいたけど、上官を殺したとかで刑務所に入ったのは聞いていた。
錬金術師が上官を殺して刑務所へ、そして何もなかったかのように出所し、白いスーツを身に着ける。
そんな元囚人が、いていいものだろうか。
マイルズさんがキンブリーを「アレ」と呼んだことと、会話するのが疲れる、という言葉に少しだけ救われる。
力なく笑い終わったあと、マイルズさんを見た。
赤い目は特徴的で、基本的にどこでも目立つ。
混血を繰り返していっても、赤い目と白い髪だけは残るというイシュヴァール人。
「ほんとに」
そういえば、イシュヴァール人を沢山殺したけど、話したことが無い。
「白い髪と赤い目が遺伝し続けるの?」
今一度、マイルズさんに向き合うことは許されるだろうか。
「知る限りだが、肌と目の色は強く遺伝する。」
そうなんだ、と返して力なく笑えば、察された。
マイルズさんが陽気な笑顔で椅子に座る。
奥に引っ込んでから、コーヒーを一杯サービス。
目の前に砂糖の瓶を置いて、ごゆっくりと告げる。
さてあと三杯コーヒーを、と思った時、マイルズさんが私に声をかける。
「君の過去だ、それは変えられない。私の血も変えられない。それだけの話だ。」
薄い唇が、コーヒーを飲む。
マイルズさんの顔をまじまじと見て、イシュヴァールだけじゃなく多様な民族との混血であることが分かる。
たぶん、アエルゴ人の血は混じってない。
多様なアメストリスと対峙する機会は何度もあって、慣れなくて。
分かりあうことは大切なこと、と思っていると「時にはそういうこともない」と言うようにマイルズさんが私に釘を刺した。
「キンブリーと二人きりになるな、なまえの精神衛生上よくない。」
無言で頷き、頭に浮かんできそうな白いスーツを急いで消す。
重く訛るアエルゴ語が脳内で響く前に、去りたい。
自分の仕事をしたいのに、浮かんでは消えていく焦燥感に似た何か。
コーヒーを用意しながら割れた皿が入った袋を軽く踏みつけ、落ち着けと自分に言い聞かせる。
過去は変えられない、マイルズさんの言うとおりだ。
窓口近くにある湯沸かし器でお湯を沸かしていると、空のコーヒーカップを手にしたマイルズさんが顔を覗かせてくれた。
「私は機械鎧技師のロックベルに着く、女性だ。砂糖は多めに持って行ったほうがいいかもしれない。」


お菓子を少々乗せたお皿とコーヒー三杯が乗るトレイを手に、廊下を歩く。
大柄な軍人男性二人がいる部屋に差し掛かると、一人の眼鏡をかけた軍人男性が私に目を向ける。
眼鏡をかけ、髭を生やした軍人男性は見た目こそ清潔感で整えているものの、どこか野蛮さがあった。
おそらくキンブリーの部下。
コーヒーを見た眼鏡の軍人男性が扉を開け、部屋に通してくれた。
机がひとつ、椅子がふたつ。
ここで今からキンブリーと鋼の錬金術師が話すんだろう。
鋼の錬金術師がどんな人物か分からないけれど、キンブリーと一対一で話すと想像するだけで疲れる。
願わくば、鋼の錬金術師がキンブリーを怒鳴りつけ殴りかかる事態にならないようにと思い用意すれば、眼鏡の軍人男性が私に声をかけた。
「奥の部屋に、もう一つを置いてくれ。」
「わかりました」
見た目の清潔感が飛ぶような低い声に応答し、もう一つの部屋の扉を開ければ、既に少女がいた。
機械鎧技師のロックベル。
名前だけ聞けば、厳つそうな男性を想像するだろう。
一足早く、到着していたらしい。
「失礼します」
少女に声をかければ、どうもと微笑まれた。
医務室で一瞬だけ見えた横顔の少女。
こんなに普通の女の子が、ニールさんと同じようなことをしていると思うと面白いまでの違和感を感じる。
健康的な肌の色、直前まで別の地域にいたのは明確。
私の立場でも、何故こんな寒いところに、と思う。
「どうそ」
コーヒーを目の前に置き、砂糖の瓶を取りやすい位置に置く。
ロックベルさんが砂糖の瓶を目で追う姿を見て、可愛いと思う。
「あ…どうも。」
耳に数個ピアスを開けていて、金髪を伸ばし後ろで結んでいる。
年相応の雰囲気をしている可愛い子だ。
15歳か16歳、まだ子供。
まんまるな目、純粋な顔。
私から見ても十分に可愛い子の前に、お菓子が乗った皿を置く。
「クッキー好き?」
「はい!」
「全部食べていいからね」
大人ができる精一杯のことをして、去る。
「ありがとうございます。」
可愛い笑顔を見て癒されながら、部屋を後にする。
すぐにマイルズさんと鉢合わせて敬礼してから、今から何かが始まる部屋を後にした。
勘が囁く。
一番奥の部屋に通されたロックベルさん、扉を隔て、キンブリーと鋼の錬金術師が会話をする。
女の子にコーヒーを一杯。
錬金術師二人にコーヒーを一杯ずつ。
ロックベルさんの側にマイルズさんが控えるというのに、今の時点で何故か大柄な軍人男性が二人もいる。
どちらか一人が抜けたとしても、何故ブリッグズで見ない顔の軍人男性が女の子のいる部屋の近くに控えたのだろうか。
生物兵器、地下の穴、キンブリー、ロックベルさん、医務室で見た少年、大柄な軍人男性。
僻地のブリッグズにしては、あまりにも来客が多い。
私がいない間に、何かが起きようとするために足が伸びてきた感じがする。
気持ちの悪い違和感を覚えながら、廊下を後にした。






ニールさんが、バッカニアに今日あげるはずだったクッキーをニコニコしながら食べる。
「ウィンリィちゃん可愛かったなー、俺はああいう子が好み!若すぎるから大人になってからが楽しみだな。」
来客用のものとは、また別に用意しているもの。
それを他人にあげている時点で、バッカニアにはどういうことなのか理解してほしい。
今は仕事で地下の穴に潜ってるけど。
伝わるはずもないけど。
女医さんも美味しい美味しいと何枚も食べてくれて、私の淀んだ気持ちが澄んでいく。
「誰があんたを選ぶのよ。」
至極当然のことを言われて、ニールさんは笑った。
「仕方ないだろー!?ブリッグズ、女っ気ないし!」
目の前に私がいても、ニールさんは頭にロックベルさんを浮かべて笑う。
クッキーを頬張る女医さんが肩をすくめながら、私を慰める。
「まあ、男ってこういう生き物なのよ。大尉も余程の思いで言ったことじゃないから、その顔やめて。」
「そんな凄い顔してる?」
「今のなまえの顔を暗がりで見たら、誰もが叫んで逃げるわ。」
そう、と言って減っていくクッキーだけを見つめる。
なるべくキンブリーのことを考えないようにしていたところに、どうにも煮え切らない思いで溢れた私。
可愛い、そう簡単に口にするものだろうか。
人だもの、簡単に口にする。
彼が「可愛い」と思うものの対象が私でないというだけで、私だけがここまで煮え切らない。
とんでもなく面倒くさい奴だと自覚しても、なかなか収まらなかった。
導火線が揺れてる私を察知してくれた女医さんが、小さな保冷庫からケーキを取り出す。
「はいケーキ。」
「わあ!先生だいすき!」
お皿を受け取り、笑顔で食べ始めると女医さんが笑った。
「機嫌治るの早いわね。」
「うん、もう今は何も考えたくないの」
笑いながらケーキを次へ次へと口へ運ぶ私。
今にも出そうなバッカニアへの暴言を甘いもので流し込む。
出したらお終い。
お終いになるのは関係ではなく私の社会的立場である。
分かり切ったことを現実にしてしまう前に、防御していく。
「なまえがそんなこと口にするって…あーあー、大尉、やっちゃったわねえ。」
面白半分といった顔でニールさんを見る女医さん。
その顔に、何故かニールさんまで委縮する。
バッカニアがロックベルさんに可愛いというまでに何があったか知らないけれど、ニールさんは全貌を知っているようだ。
「ブリッグズは真夏になるかもしれねーな。」
ははは、と笑い飛ばしてケーキを口にしたけど、それくらい私は不機嫌になることが珍しい人間だと思われていた、ということでもある。
昔はすぐ頭に血が上ったし、口汚く言い返したり、すぐ撃ったり。
そこから考えれば随分と大人しくなったと思う。
ケーキで飲み込む、バッカニアへの罵詈雑言。
それらの出所は全て自分の焼きもちだと分かっているから、飲み込んでいく。
「それにしても、ボスはどうするつもりかしら。」
女医さんが、深刻そうな顔をする。
地下の穴、先遣隊、いなくなって帰ってこない兵士。
耳にするだけで、もう何かとてつもなくマズイことにブリッグズが巻き込まれているのは分かる。
浮かんでは消えるキンブリーの顔も、大柄な軍人男性のことも、ロックベルさんのことも、マイルズさんを前に言われたことも。
私は本来、ここにいるはずのない人間であることを突き付けられる。
「ああ、バレたらいつも通りにってコトらしーけど…何食わぬ顔して飯食ってきゃいいんじゃねえのか。」
「ニール、あんた危なくなったら真っ先に死にそうね。」
そういう人ほど、生き残るんだよね。
言いたかったけど、言わなかった。
恨まれないように生きていく上で、時には黙ることも大事。
特に自らに関することは、黙ったほうがいいこともある。
飲み込んでいるケーキの味はわかるから、まだ平気。
「なまえ、あっちは?」
あっち、と扉の向こうを気前よく親指で指す。
カフェは通常勤務なので、いつも通り。
「これから仮眠」
「…仮眠前にケーキ食べて大丈夫?」
「いいのいいの、今は何も考えたらいけないから」







2020.07.09









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