巫蠱に等しく、蓋を重く









「エルリック兄弟?」
コーヒーを飲んでいる女医さんの眼鏡の奥にある瞳を伺う。
曇りもない目の奥に、薄暗い気持ちを感じ取る。
えるりっく、と口の中で発音しても、いまいち馴染まない。
「エルリック兄弟の兄が錬金術師なのよね」
発音しにくいアメストリス人の名前を発音する。
そうよ、と女医さんは目を伏せてコーヒーを飲む。
「国家錬金術師のエルリック。」
「よく知らない」
「見た目は普通の子供なんだけどね、肩書きが肩書きだから天下の国家錬金術師様、って言っておいたわ。」
アメストリスは、錬金術が発達している。
錬金術師は国家資格にも相当するらしく、この国で錬金術を見かけない日はない。
一般的に浸透したのが機械工学であったアエルゴでは、錬成だの術だの、はっきりいってわからないことだらけ。
私の目線からすれば、珍しいことこの上ない。
女医さんは呆れた顔で、エルリック兄弟のことを話す。
「エルリック兄弟が司令部も通さず単身で来て、研究がどうのって言ってたけど話を聞けば聞くほど話の中が蓋まみれ。」
ふた、と言った女医さんの顔はいつも通り。
触れてほしくなくて、自分の中の記憶と言葉の間の道に蓋をして話す。
私が何度もやったこと。
辻褄が合わなくならない程度に話していても、勘のいい人は蓋の存在に気付く。
たとえば、アームストロング少将とか。
口ぶりからして、女医さんはエルリック兄弟の話の中の蓋には、触れなかったのだろう。
コーヒーが注がれたマグカップを空にしてから、もう一杯を注ぐ手つきは慣れてて、鼻孔にコーヒーの仄かな香りがする。
「蓋を開けたら、これもまたブリッグズ顔負けの訳アリ。」
訳アリの子供なんて、いくらでもいるでしょう。
そう言いたいのを抑え込んで、うんうんと頷く。
「時間も経たないうちにドラクマの生物兵器が地下から現れて、もう大変よ。」
疲れた顔でコーヒーを飲む女医さんを見て、ため息をつく。
寒さがまとわりついた髪をかきあげ、力なく微笑んでみた。
「私がいない間に色々あったのね」
なまえ、と私に声をかける女医さんの声は優しい。
「セントラルで収穫はあった?」
「運よくアエルゴ人を一人引いた。政府高官も相手にしてる飛び切りの情報通」
報告する私に何かの影を感じ取ったのか、女医さんの視線が私に釘付けになるのを感じた。
一人引いた、殺してやろうかと思ったけど。
物騒な感情を差し引いて、出来る限りの平穏を保ち結果を報告した。
「アメストリスの上層部が不相応な身なりのアエルゴ人を募って会食していることが増えたらしいわ、それも随分と人気のないわりにチップの出が異様に良いところで」
高級料理店の裏側のさらに裏、金と情報が飛び交うだけの場所。
どこの国にも点在する薄暗い場所は、決して逃げることなく存在し続ける。
そこに出入りする人間がどんな人間か、私はよく知っていた。
目を凝らせば、知っている顔もいたかもしれない。
いまの私は、アームストロング少将の部下でもある。
汚い言葉を使いながら笑って挨拶することもなく、かといって顔を見られる前に撃ち殺すこともなく。
自分の耳だけが汚れ、情報を胸にブリッグズへ戻る。
静かに業務をした私は言葉に蓋をした。
暗い言葉が唇から出る前に、表情筋を動かす。
いつものなまえの顔にしてから、女医さんを見る。
「っていう情報をアームストロング少将に伝えたいんだけど、忙しいわよね」
「そりゃもう。」
コーヒーを飲む仕草に、隙がない。
私という人間に心を許してくれている証拠だと思うと、嬉しくなった。
「マイルズさんあたりに報告だけしてくるわ」
「いってらっしゃい、あとね。」
「あと?」
女医さんが、にこりと笑う。
「大尉がお疲れでも、許してあげなさいよ。」



マイルズさんでなくてもいい、マイルズさんの近くによくいる人でもいい。
とりあえず、情報は伝達しないと。
無機質な足音が重く響く廊下を延々と歩き、マイルズさんのいそうな場所をいくつか巡り、簡単には見つからないと判断。
ウェイトレスの恰好に私物のコートを着て歩いていても、誰にも会わない。
女医さんから聞いたとおり相当忙しいのだろう。
ドラクマからの生物兵器、せっかく兵器にするなら機械のほうが後腐れなく壊して使えるのに。
生物も機械も後処理が面倒だから、的を絞って消したいやつだけ消せばいい。
兵器にするくらい厄介な事態になる前に、処理する人たちがいるほうが何事もなく終わるのに。
そう考える私みたいなのがいるから、戦争はなくならないんだろう。
嫌でもわかることを、何度も考える。
平和を味わっているだけじゃ物足りなくなる日が来てしまう前に、と不穏なことを考えていれば、電話交換室の前にマイルズさんがいた。
白い髪に褐色の肌、サングラスの容姿。
見てすぐ分かる記号を持つマイルズさんと、白いスーツを着た見慣れない男性が何かを話している様子が見て取れた。
明らかに、軍属ではない。
見て分かる感覚、白いスーツの男性は私側の人間。
決して真っ当ではない生き方をしつつ、上手いことやってきた狡猾な雰囲気がする。
私も始めは、この感覚を人に浴びせながら生きていたのだろうか。
ぞっとする。
気分を押し殺し、男性のほうになるべく目をやらないようにしながらマイルズさんに声をかけた。
「マイルズ少佐、お久しぶりです」
サングラスの奥から僅かに伺える赤い瞳が、私を捉えた。
さっきまで白いスーツの男に異様な感情を向けていたことが分かる目つきをしていて、少し心配になる。
「報告へ向かうところか。」
「いえ、電話でセントラルの友人に」
これは暗号。
私の言う「セントラルの友人」は、アエルゴ人のこと。
「アームストロング少将は忙しい、俺が代理で報告しよう。」
「了解しました」
では場所を変えて話しましょう、そう続けようとした時だった。
「お久しぶりです。」
白いスーツの男性が鋭い目つきを隠すように無機質な笑みを浮かべ、話を遮って挨拶した。
黒髪、目は青。
帽子をわざわざ取り挨拶するところだけを見れば、紳士的な男性だと思う。
潔癖なまでの服装と髪、そして人柄からの臭いがしない。
無味無臭という言葉が似あう仕草する男性に、愛想よく断りをいれる。
「えー…あの、すみません、どこかでお会いしましたか」
この手合いの人と知り合うことは、沢山ある。
間違いなく会っていたとしても、今ここで会うことはない。
ここはブリッグズ。
私が出入りしている時点で言えたことではないが、余程のことがない限り私のような人種は入れない。
相手の勘違いであることを願う前に、私の立場は崩れ去った。
「なまえさんですよね、よく覚えていますよ。」
名を呼ばれ、何も言えなくなる。
確実に会ったことがある、記憶の中から顔を引っ張り出してきて、どこのどいつだと照らし合わせた。
黒い髪、青い目、白いスーツ。
ひっかかるのはスーツだけで、外見的特徴といえば目つきが鋭く重たいことと、髪が長いこと。
こんな人と会った場所が思い浮かばないまま、白いスーツの男性は答え合わせをしてくれた。

「国境越えのイシュヴァール人を撃ち殺す請負ガンマンの中に、性能も見目も恐ろしいアエルゴ製の銃に似合わないほど、可愛らしい顔をした女性がいました。
弾は百発百中、仕事を美しく早く終わらせる。他のガンマンや軍人が薄く見えるほど表情ひとつ変えずに撃っていましたね、よく覚えています。
私が興味を持ち他のアエルゴ人に貴女の名前を伺ってなまえという人だと聞きましたので、名前を呼ばれて大変驚いたかと思います。
ここにいるということは、銃を持つのはやめてしまったんですか。」
誰にも聞かれたくない、恐ろしい答え合わせ。
私が去らずに耳を傾けてしまったばかりに、後ろ暗い過去が、よりにもよってマイルズさんの前で露呈する。
そうだ、あの時は請負の場所が軍拠点の近くだったりすることもあった。
軍人が混じっていても、不思議ではない。
だが、撃つところを見る軍人は誰もいなかった、そのはず。
「…ええ…」
物事の点と線が繋がらず、ぞっとした。
さっきの話をしていませんでしたと言うのは無理がある雰囲気のまま、白いスーツの男性は私の服装を伺う。
そして、白いスーツの男性はわざわざアエルゴ語を使って話しかけてきた。
「ウェイトレスですか、ブリッグズ内にはカフェがあるのですね。紅茶はありますか。」
「あります」
無意識に出た低めの声。
アエルゴ語を話す時には、どうしても癖が抜けない。
白いスーツの男性のアエルゴ語は完璧なものではなく、アメストリス訛りが重く混じっている。
アエルゴ語にしては、あまりにもアメストリス語。
それでも、アメストリス国内でアエルゴ語を話せる人に対しては警戒を解くことはできない。
ホルスターに銃があれば、すぐに撃ち殺していただろう。
足元が、ぐらぐらする。
眩暈と寒気の中、白いスーツの男性と向き合う。
「ふむ…私が見た請負ガンマンの中で、一番腕の立つのはなまえさんでした。やめてしまったのは非常に惜しい。仕事があれば、紹介しましょうか。」
「いいです、今は」
目を逸らさず、どこでこの男性と会ったか記憶を探る。
撃ち殺した仲間たちでも、運び屋でもない。
かといって請負人の雰囲気でもない、誰だと思いながら男性のことを探る。
「貴方は何故ここに?」
「レイブン中将と共にここに来ているのですよ、それに…。」
アエルゴ語でも、レイブン中将という名前は聞き取れたのだろう。
何か続けようとしたところで、マイルズさんが遮る。
「キンブリー。」
キンブリー、と呼ばれ反応したのは、白いスーツの男性。
名前には、聞き覚えがあった。
それに会ったこともあるし、話した時は、白いシャツに軍服のズボン。
そうだ、キンブリー。
名前で誰なのかを思い出し、昔の記憶が一気に蘇る。
「では、これで失礼します。」
記憶の濁流に飲み込まれた私をよそに、キンブリーは腹が立つくらい綺麗な仕草で私の前から去っていった。
マイルズさんの顔をしばらく見れない私は、電話交換室のドアを茫然と見つめる。
遠ざかっていく足音が消えても、記憶の濁流は落ち着かない。
電話列待ち用のベンチに座り、首を垂れる。
ふーっ、と息を吐きだしてから足元を見た。
血のひとつもない廊下、泥もない自分の靴。
煙のにおいも、血のにおいもしない。
記憶の濁流が現実と違和感を覚え、止まっていく。
私の中にいつの間にか溜まった煙のにおいが出ていくように、大きく息を吐いた。
寒い空気に晒された肌から冷や汗が噴き出て、体の中が渦巻いていく。
アメストリス訛りが重く混じったアエルゴ語。
白いスーツを着たキンブリー。
もうすべてが、なにもかもが違っても、どこかで引きあってしまう。
「一番腕が立つ、か」
キンブリーの一言に、興奮の混じった寒気がする。
また何かの拍子に引き金を引けば、同じようなことを誰かに言われていく。
私が無意識に選んでいた人生は、こういうものだった。
大きく溜息をついてから、大きく息を吸う。
叫ばず、笑わず、泣かず、天井を見上げた。



「っていう会話をさっきしてきたのよ、もう気分最悪」
黙ってコンクリートを均すブリッグズ兵の手を見ながら、涎が出る。
一仕事終えれば、必ず何か食べていた。
人を殺した後も襲う道順を教えた後も、何かを食べながら移動しては次の仕事を片付ける。
クラブサンドの後味は、血のにおいを綺麗に消してくれるから好き。
レイブン中将という、顔はコンクリートの中に埋まった人が埋められる光景をバッカニアと見つめる。
アームストロング少将の命令どおり、コンクリートは綺麗に均されていく。
「ああやってコンクリートの中に埋まっていく人を見るのが人生で初めてじゃないのが…もうなんか…」
ぐったりした肩の私の視線を、愛しい人に向けちゃいけない気がする。
「ここで茫然とするな。」
真っ当なことを言うバッカニアの言うとおりにできないくらいには、衝撃的な出来事に意気消沈。
綺麗になっていくコンクリートのように、私の人生ももっと、もっと何もなかったくらいクリアにできればいいのに。
「…キンブリー、紅蓮の錬金術師か。」
「ええ」
「過去を知られているのか。」
「そうよ、一緒に仕事してた。服装が変わってたから気づかなかった」
私の、仕事。
イシュヴァール戦が一番稼げるような、私の仕事。
バッカニアには全て話していても、時々ぶり返すような気持ちになる。
「ドラクマの生物兵器の話は聞いたか。」
「聞いた」
「明日から先遣隊を探しに潜る、丸一日は潰れるが…何があっても、戻ってくる。」
「わかってる」
そういうこと言うのやめて、と言うのを堪えて俯く。
何もなかったようなコンクリートは、綺麗で、景色に馴染んで、その下に何もないかのようになる。
もし何かあるとしたら、ブリッグズ内のオカルトとして軍人の幽霊が出るとか。
近くを通るバッカニアの部下も、私の様子を見て何かを感じ取る。
「生物兵器が掘った穴を調べるのよね」
「む?そうだが。」
「たぶんそれ、ドラクマの兵器じゃないよ。いまドラクマは兵器とか作るにしても生物兵器を扱う流れじゃないから」
セントラルで得た情報の中のひとつだけを、バッカニアに話す。
引いたアエルゴ人は、いいことを色々教えてくれた。
薄暗いレストラン、アエルゴ語、飛び交う金と笑い声、薬莢消しの薬草、早口のドラクマ語、整髪料の臭い、革靴の足、焚かれるお香。
私の中で死を連想させるものを思い浮かべ、コンクリートが均される光景に次々と埋めていく。
戻ってくるものは、戻ってくれば倍になってくる。
それを知っているからこそ、怖い。
いつもならバッカニアに抱き着いて愛の言葉を囁く私が、落ちるとこまで落ちそうになる。
隣にいるバッカニアのおかげで落ちないで済んでいると思えば、今の私は救われていると思えた。





2020.07.09









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