笑いと叫びは





影浦、誕生日おめでとう







影浦隊作戦会議室には、影浦くんと私しかいない。
珍しく光ちゃんはラウンジにいるし、北添くんも絵馬くんも学校の用事。
影浦くんしかいないと知っていたけど、知らないふりをして作戦会議室を訪れれば、不機嫌そうな姿勢の悪い影浦くんが出迎えてくれた。
ぼさぼさの髪、きつい目つき、マスクの白さが浮くような服装。
「マスク、外さないの?」
あはは、と笑ってからケーキが入った箱をテーブルに置く。
光ちゃんが置いていったであろうジャージが冷蔵庫の上に鎮座する光景を通り過ぎ、作戦会議室の核心へと入り込む。
なんでも脱ぎ捨てていく光ちゃんの顔を思い出しながら、影浦くんのマスクを見る。
マスクが外され、床に落ちた。
無機質な肌をした影浦くんがソファに座り、薄ら笑いを浮かべる。
「おいなまえ、これで満足か。」
日焼けひとつない肌の上を覆うような雰囲気は、人を寄せ付けようとしない。
何も知らない人が影浦くんを見れば、ガラの悪い不良少年。
見た目のとおりではないと分かる人だけが、影浦くんの周りにいる。
それがどれだけ幸せなことなのか、影浦くんは気づいていない。
「さっきランキングみたよ」
ケーキを切り分ける私の横には漫画が散らばっていて、生活感が溢れている。
「それがどうした。」
ソファの上でスマートフォンを弄りながら、影浦くんが紙のお皿を差し出した。
綺麗に四等分にしたケーキのひとつを紙のお皿に乗せてから、持ってきたフォークを差し出す。
受け取る指は細長くて、爪は噛んだ痕がある。
影浦くんが日頃からどんなストレスに晒されているか分かるだけに、注意も指摘もできない。
「また剥奪?」
遠回しに言えば、すぐに刺さる。
特殊なサイドエフェクトに慄く人もいるけど、私はそうじゃない。
私をじろりと見た影浦くんが、フォークを使って丁寧にケーキを食べ始める。
「うるせえ、どうしようもねえクズに舐められんのが一番ムカつくって何度も言っただろうが。」
乱暴な言い回しと反するように動く手つき。
サイドエフェクトのせいで辛い思いをしていても、最低限の教育は行き届いていた。
細かな仕草に性格は見えて取れる。
雑に見える服装や髪型は、清潔感を覆い隠す。
乱暴な口調は、相手への牽制。
サイドエフェクトが無ければ、どういう人生を歩んでいたのだろう。
一番そうであってほしかったと願うのは、周りではなく本人が何より願っている。
孤独になりかねないサイドエフェクトを身に、影浦くんはこれからも生きていく。
生き方の選択肢の中にボーダーが無ければ、私には想像もつかない孤独を影浦くんを襲ったのだろう。
「あんまりやると、ボーダーやめさせられちゃうよ」
気軽にそう言えるくらい、この組織の存在は影浦くんにとって大きい。
「…うるせえ。」
紙のお皿の上に乗っているケーキは、ゆっくり減っていく。
本当は影浦くんの好きなものを食べさせたいけど、寿司食べ放題にも焼き鳥食べ放題にも連れて行ってあげられない。
お金の理由ではなく、影浦くんのサイドエフェクトが理由。
人が多いところには行けないから、毎年こうして祝う。
幼いころはサイドエフェクトが切っ掛けでトラブルを起こすことが多く、外食の経験そのものが少ないらしい。
出会ってから誕生日をこうして祝うことが、私は好き。
「俺がいなきゃボーダーも都合悪りぃんだろ、辞めろと言われたことはねえ。」
「でも言われるかもよ」
「仮定の話は気に入らねえ。」
ケーキを食べる口元には、生クリームがついていない。
綺麗に食べる影浦くんのギザギザの歯は、いつ見ても目がいく。
たくさん、たくさんクリームを使ってケーキを作ったんだけどな。
口元を汚して食べてよ。
汚した時のためのハンカチも用意してるの。
まずいって言われて投げ捨てられた時のために掃除をするためのタオルと袋もある。
だから、私の前で感情を曝け出して。
真っ白な生クリームと同じくらい、私と影浦くんの関係はクリーンなんだから。
私に頼って。
私は、影浦くんが好きだから。
「私、ボーダーやめるから」
口元に嘘、舌の上に生クリーム。
嘘をつくには心地の良い唇をした私を、影浦くんは受け止める。
影浦くんに嘘をついたって無駄。
「なまえの嘘の刺さり方はキメえんだよ、やめろ。」
「どういう刺さり方するの?」
ケーキを飲み込んだ影浦くんが、指で人中から顎までを指で指しながら苦そうな顔をする。
汚物でも見聞きしたような顔で私に教える影浦くんに、悪意はない。
「顔のあたり…ここだな。ここが刺さったあとに妙に痺れる、歯医者の麻酔に近え。」
「そこ、よく見てるから」
「あ?」
つい本音を漏らすと、影浦くんの顔が一瞬引きつった。
今までにない刺さり方だったのだろう。
何も言わず、私を見つめてきた。

「私は影浦くんの能力、うらやましいな」
「おめー頭おかしいんじゃねえの。」
真っ直ぐにそう言う影浦くんの本音に、私の心は踊る。
作戦会議室に入ってきた時と同じようにあはは、と笑う。
頭がおかしいと言われても、嫌じゃない。
影浦くんの口元が汚い言葉で汚れても、唾液で舐めとってしまえばいい。
刺さったところは、舐めて治してしまえばいい。
私の舌の上にある生クリームが胃に落ちていく頃、影浦くんが暗い顔をする。
「肌から脳みそン中に入り込んでくる。最悪だ。」
肌に刺さる、と他人に説明しているだけで本当はもっと気持ちの悪いサイドエフェクトであることは伺えていた。
痛みは神経に、神経は脳に、脳は全てに。
なにもかもを身体全体で受け止める影浦くんに生まれていたら、私はもっと上手いやり方で人を知れる。
「相手の考えてる気持ちが身体で分かるんでしょ?無駄なやりとりがなくて楽」
ケーキを食べて、綺麗に乗せておいたイチゴを食べる。
甘酸っぱいイチゴについていた生クリームが舌に絡んで、味覚が刺激された。
影浦くんのために作ったとはいえ、美味しいものは美味しい。
おいしい、と思うと影浦くんの気持ちが少し落ち着いたのが分かった。
「クソ能力、なまえに移してやりてえぜ。」
あはは、とまた笑ってみせた。
良い感情ほど気持ちよく刺さるらしい。
美味しいとか、楽しいとか、心地よく感じることは影浦くんに向けていかないといけない。
だから、私は影浦くんの前で笑う。
ケーキを食べながら、床に散らばっている漫画に目をやった。
少年漫画と少女漫画が混じり、たまに青年漫画がある。
「大好きな漫画にね、こういう言葉があるの」
誰が読んでいるのか定かではないラインナップを見てから、影浦くんに問いかけた。
「最初に一言、笑いと叫びはよく似ている。って」
私の問いは、単純明快。
影浦くんがケーキを食べる手を止めて、テーブルの上に食べかけのケーキをそっと置く。
「笑いたくなること、ある?」
細長い指が紙のお皿から離れる。
きつい目は私だけに向けられた。
「ある。」
低い声は、影浦くんの雰囲気を重くさせる。
感情を抑えてから、問う。
「叫びたくなることは?」
「ある。」
「今は?」
「どっちでもねえ。」
私のどっちつかずの変な質問に曇った影浦くんの顔を、どうにかして歪ませたい。
サディスティックに感じられる感情は、いつしか恋と名付けられ正当化される。
感情に気持ちに理由がついているだけで、この世界は素晴らしいと思う。
だから、意味がある。
笑いでも叫びでもいい、影浦くんの感情を掻き立てたくて溜らないのだ。
「ケーキ、美味しい?」
「美味い。」
「甘いものって美味しいよね」
「なまえ、ゾエみてーなこと言ってんじゃねえよ、美味いもんは美味いだけだ。」
「美味しいよ、だってね」
最初に一言。
最後に一言。
言葉は永遠に意味を持ち、言葉は感情からも生まれる。
「それ、私の愛情こもってるから」
嘘も上っ面も、生クリームと一緒に飲み込んでしまった。
「はは」
私が笑い声を漏らすと、影浦くんは驚いた目をして私を見る。
その顔には、覚えがあった。
誰でも一度経験し、そして二度と味わいたくない気持ちの悪い、居心地の悪さ。
永遠に届かないような気が一瞬でもすることが、嫌。
一気に深海に落とされたような気分になって、甘い気分から冷えた沼の底にいる気分に包まれた。
今が一体どういう状況なのか、私が一番分かっている。
食べかけのケーキが乗った紙のお皿に、もう一切れのケーキを乗せた。
生クリームたっぷりの、イチゴが乗ったケーキ。
嘘を飲み込むために使うには十分すぎるものなのに、もう嘘が無い。
「ねえ、サイドエフェクト便利?」
影浦くんがなんて答えるか、分かっている。
ケーキを食べ終わってから影浦くんが腰かけるソファに近寄り、ずっと見ていた口元を視界に大きく映す。
顔を赤くした影浦くんが、短く息を吐いた。
「冗談…きついぜ。」
「きつくないよ」
「俺が、きついんだよ。なまえ、分かってやってんだろ。」
ふたりの間で、ふんわりと香る生クリーム。
いま、この作戦会議室には私と影浦くんだけ。
やろうと思えば、影浦くんが私を作戦会議室から放り投げ出すことができる。
殴り倒して蹴り飛ばしてしまえばいいのに。
不本意な好意ほど気持ち悪いものはないと、本人が一番よくわかっている。
嫌なものは排除していいと、本人は理解しているのを私は知っている。
影浦くんの拳は動くことがなく、黙ってソファの上に鎮座した。
言い返しもしない影浦くんの赤い頬を両手で包む。
キスしたくてたまらない、でもしない。
飲み込んだ嘘が消化されるまでは、何もしたくなかった。
「ははは、ははは!!!!」
赤い顔をした影浦くんを見て、感情が溢れ出す。
大好きな影浦くんの頬を包んだまま笑えば、手のひらが影浦くんの体温で温かくなった。
テーブルの上にある食べかけのケーキは、このまま置いておいたら生クリームが溶けてしまう。
でも、いらない。
私と影浦くんに、生クリームはもういらないのだ。
嘘を流し込んでいた私は、バカみたいな存在であったことが明るみになる。
赤い顔をしたまま、何も言えないでいる影浦くんの唇が僅かに震えながら「俺も、すき。」と動く。
感情は、魔法でも夢でもない。
存在し得る、理屈で無い世界の真実のひとつ。
サイドエフェクトが作用する世界で、私と影浦くんの感情は交わる。
最後に一言、笑いと叫びはよく似ていた。







2020.06.04









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