弾丸の合図





人の去ったテーブルを拭く手が冷たい。
頻繁に人が来るようになったカフェでの日々は心地よくて、お菓子作りにも気合が入ってしまう。
私はカフェのウェイトレスでしかない。
勤務交代した山岳警備兵がコーヒーを飲んでいるのを見たり、怪我をした兵士でも普通に働いているのを見て、ここはブリッグズだと思う。
カフェでの仕事がひと段落する午後二時に、バッカニアは来る。
それが嬉しくて、午後になると疲れも飛んで上機嫌。
午後二時を数分過ぎた頃、愛しのバッカニアがカフェに現れた。
大柄な体躯、高い背、厳めしい顔、特徴的な髪型と髭、太い手足。
「ハニー!」
見ればすぐに分かる。
「なまえ!」
会うのを待ち焦がれていた恋人のように、顔を合わせた途端に嬉しくなる。
テーブルの上のカップを置いて、バッカニアに駆け寄るべくテーブルを拭いていたタオルを受付に置く。
私がバッカニアのことをハニーとかスイートパイとかクリームとか呼ぶことを、周りは知り始めている。
カフェにいた兵士たちが、好奇の目で私とバッカニアを見ているのは知っているけど、どうでもいい。
私の癒しは、彼。
愛しの彼に歩みを進めるたび、バッカニアも笑顔になってくれている。
それが、たまらなく嬉しい。
もう少しでバッカニアに抱き着ける、という距離でバッカニアの背後から音もなく現れた男を見た瞬間に、長年の勘が冴えわたった。
服、くたびれていても真新しい。
靴、汚れていない。
身なり、雰囲気、あまりにも匂いが無さ過ぎる。
目つき、狂気。
男が銃を引き抜いて私に向かって撃つまでの数秒の間、咄嗟に動いてテーブルが密集する位置に飛び込んで銃弾を避けた。
耳が銃弾の音で遠くなる。
鼓膜が震えてから、視力だけの世界になる感覚。
久しぶりの感覚でも、すぐに思い出す。
こういう時に、どうすれば無傷で生き残れるか。
私が隠れた先を見て、何度も撃つのは分かっている。
ブリッグズ兵の位置を確認し、テーブルを横に蹴飛ばして大きな音を立ててから走った。
目的は、コーヒーを飲んでいる兵士の腰にある銃。
山岳警備兵も使う銃なら、最低でも6発は入っている。
腰にある銃を奪い取り、構えた。
距離は10メートルもない。
相も変わらず私に銃を向ける男の足と腕に、一発ずつ銃弾を撃つ。
男の悲鳴。
何度も鳴る銃声に、カフェの中にいた兵士全員が驚く。
今一度銃を私に向けたところで、男の腕に二発銃弾をすぐに打ち込む。
男が銃を落として悶絶し始めたところで、野次馬が集結した。
そんなことは、どうでもいい。
男の髪を掴んで顔を見てから、銃口を額に押し付ける。
「名前を言え」
私の口から、掠れた声が出る。
銃を撃つ時は、いつもこうだ。
「なまえ!」
バッカニアが私に駆け寄り、血まみれの男と私を今一度直視した。
男が先に撃った、それはバッカニアも知っている。
目に狂気を宿した男、その男に銃口をつきつけたまま動かない私。
私を見て言葉を失うバッカニアを遮るように、騒ぎを耳にして駆けつけたマイルズさんと部下数名がこちらへ寄る。
「なにしてる、どうした、何があった!」
カフェの扉を盛大に開けて入ってきたマイルズさんが、撃たれて血を流す男を見て息を飲む。
当然だろう。
男に銃口を突き付けているのは、ただのカフェのウェイトレスだったはずの私。
険しい顔をするマイルズさんに、銃で男を指す。
「先に銃を向けたのは、こいつよ」
「なまえがやったのか。」
マイルズさんの一言に、疼く。
「先に撃ったのよ!この男が!!」
声を荒げた私に、バッカニアが寄り添う。
手を握られ、はっとした。
バッカニアの険しい顔を間近で見てから、視線をずらす。
カフェにいた兵士たちが、軽侮を興味で薄めたような目をしている。
驚いている者も中にはいるけれど、私が思ったのは「やってしまった」だった。
バッカニアに手を掴まれ、銃を手放される。
「あとはこっちでやる。」
大きな腕に支えられ、立ち上がった。
じわじわと香る、血の匂い。
何かの記憶の蓋が開きそうな私を察したのか、バッカニアが私を自室に返す。
マイルズさんの後ろにいた兵士が、男に駆け寄っていった。

「なまえ、いるか?」
扉の向こうから、聞き覚えのある声がする。
今は声の主に抱き着く気分ですらなく、返事をする声が自然と低くなってしまう。
「入って」
あれ、鍵閉めてたっけ、開けてたっけ。
どっちか考える前に、バッカニアが扉をゆっくりと開けた。
鍵は閉めていなかったようだ。
灯りのない部屋、ベッドに腰かけ項垂れる私。
扉を閉めてから隅にあった椅子を片手にし、部屋の灯りをつけたバッカニアが私の目の前に椅子を置いて、座る。
殆ど反応を示さない私に気を使っているのか、バッカニアは何も言わない。
このまま部屋に居座られても、私がつらいだけ。
「少将、なんだって」
私から切り出すと、一切の感情を抑えたような声をしたバッカニアが私に告げる。
「あの兵士は一か月前に東方司令部から転属になった軍曹で、五年前まで両親とアエルゴにいたそうだ。そこでなまえの顔を見たと。」
「なんて聞いた?」
俯いたまま、呻いたように聞く。
すぐに答えは返ってこない。
つまり、そういうことだ。
この気持ちも私の態度も、一方通行でしかない。
心の奥が沈むような気持ちになり、アエルゴにいた時は毎日感じてた感覚が蘇る。
ホルスターに愛用の銃、身軽な格好で毒弾を撃ち、半殺しの男をドブに投げ捨てる日々。
あの男は何故私を撃ったか、洗いざらい喋ったことだろう。
当然だ。
アエルゴで依頼を受ければ誰でも撃ち殺すガンマンも、戦争で居心地が悪くなり国外に逃げたガンマンも山ほどいる。
金だけで汚れ仕事を請け負う中の一人が、私だった。
逃げた理由も、アメストリスに来た理由も、ブリッグズにいま居る理由も思い出したくない。
私の価値は、私が決める。
でも私の評価は、周りが決めるのだ。
もうこのまま消えてしまいたい。
バッカニアは、落ち着いた声で私を探った。
「本当なのか。」
「本当よ」
手から香っていたはずのバニラエッセンスの香りがしない。
慣れ親しんだ匂いの手触り。
嗅覚を研ぎ澄ませば、鉛の匂いがするかもしれない。
あまい匂いのしない自分では、どうしてもバッカニアが見れなかった。
「言わなかったこと、気持ち悪く思ってるでしょう」
私の価値は、私が決める。
でも、私の評価がないと意味がない。
「自分の身は守り抜いたけど、それが後々になって効いてくるなんてね、思ってもいなかった」
バレなければいい。
そう思っていたし、今もその通りだと思う。
バレた時が最後だから。
「少将からの伝言だ。」
判決を聞く気持ちで、バッカニアの言葉を受け取る。
「一週間、なまえに休暇を与える。休暇の間にブリッグズから出ていくか居座るか考えてこい。居座るのであればアエルゴの銃に関する全てを教えろ。それと…」
アームストロング少将からの伝言は、予想通り。
あの女性の事だ。
アエルゴの技術が欲しいのだろう。
「休暇」の間に高跳びしても、今なら目を瞑ろう。
そういうことだ。
私が選んでいいという余地を与えてくれたアームストロング少将の美貌を思い出し、倒れなくなる。
アエルゴの銃は手元にあるから。
それでいいのなら、いくらでもあげる、だから、だから。
自分らしくないことが頭をよぎる。
「教えてあげるわよ、それくらい、いくらでも」
「それと、だな。ぬう…それとだな。」
「それと?」
バッカニアを見ると、何故か赤い顔をし始めた。
よくわからず、まじまじと見つめる。
バッカニアが軽く俯きかけて特徴的な髭が揺れた。
「一週間の休暇にバッカニア大尉をつける、暫く二人で頭を冷やして来い、とのことだ。」
数秒の間。
休暇はいい、私の猶予。
一週間もあればアメストリスからの高跳び先も見つかる。
名目上「休暇」ならば、好きにできるのだからそれでいいはず。
だけど、なぜバッカニアがつくのか。
「なんでそうなるの!?!?」
大きな声を出すと、バッカニアがたじろいだ。
「俺も分からん!!ただ…。」
「ただ?」
赤い顔から血の気が少し引いて、いつもの顔に戻った。
普段の怖い顔のバッカニア。
この顔がコーヒーとケーキで笑顔になる瞬間が好きなのに、今のこの状況に憎しみしか感じない。
笑顔にさせられない時間なんて、消えてしまえ。
「俺のせいだ。」
「え?」
「俺が気づいて撃たせなければ、あそこでなまえは引き金を引かなかった。俺のせいだ。」
理解が追い付かず、茫然とする。
あいつは撃った、私も撃った。
それだけの話。
あいつが撃った理由は正当性のあるもので、私は撃たれる理由がある立場。
どこにも、バッカニアのせいになる要素はない。
明らかに私とあの兵士の問題だというのに、バッカニアは私を庇う。
休暇と、その休暇にバッカニアがついてくるという結果。
ベッドから立ち上がることも出来ず、溜息が出る。
おそらく、アームストロング少将の前で私を庇ったんだろう。
「そんなわけないじゃない…」
ここはブリッグズ。
一枚岩で、砦で、何があっても崩れてはいけない場所。
私がいた無法者が溢れるアエルゴの酒場ではないのだ。
ここで、仲間を傷つけるものは許されない。
「全部私のせいよ」
私は許されるはずがないのに、なぜ庇われたのか。
「私が気持ち悪くないの?」
「思わない。」
「なんで?」
厳めしい顔が、少しだけ悲しそうな顔になる。
やめて、そんな顔しないで。
バッカニアが、私の目線にまで屈んでくれた。
深い青い目。
私とは違う顔の彫り。
「話の最中、ずっと泣きそうな顔で俺の話を聞く女が悪人に見えるか。」
バッカニアの一言で、現実に戻る。
ベッドに座り込んで髪の毛はボサボサ、固まった表情筋。
目には何かしらの感情が宿っているのだろう。
酷い姿の自分に想像がついて、急に情けなくなった。
バッカニアが私の銃を撃ったほうの手をとり、撫でる。
「何年も撃ってなかったんだろう、撃つ時の腕が少し曲がっていたぞ。痛みは?」
大きな指が、私の手を包む。
本人は応急処置のような気持ちなんだろう。
私よりも大きな手。
薄汚れた過去を必死でどうにかしようとしていた私の手を、バッカニアが包む。
過去ではなく、この人は今を診てくれている。
バッカニアが見ているのは、私だ。
その優しさが、今の私には効いてしまう。
「ない」
じわじわと広がる心の温かさが、痛みか優しさか区別がつかない。
ぽろ、と零れた涙。
乾いた頬を濡らす生温い液体が頬を伝い、口の中に入り込む。
「なまえ、愛している。」
この状況で、この言葉を言えるバッカニアは何者なんだろう。
私が好きになってしまった人は、どうして私を見てくれるのか。
涙で濡れた口元で、素朴な疑問をぶつける。
「なんで今言うの」
「ぬう、言ってはいけないのか。」
「だって、今って」
「何回でも言ってやろう、だから泣くのはやめろ、笑っているなまえが一番可愛い。」
大きな体に抱き着き、首元に顔を埋めた。
軍服に包まれた大きな体と、私を労わる優しい心。
太い肩と首、私の顔は簡単に埋まる。
「愛してるわ、ハニー」
ようやくいつものように喋れば、バッカニアは私の背中を撫でた。



「ああーっ美味しい!!!」
休暇一日目。
すぐにバッカニアは私と共にノースシティへと降りた。
マシュマロ・ティーブレイクでディナー限定メニューとココアケーキを食べて、満足。
「なまえは切り替えが早いな。」
「だって美味しいものには勝てないもの!」
次に運ばれてきたホットマシュマロケーキに目を輝かせ、一口また一口と頬張った。
美味しいものは、何もかもに勝る。
先ほどの出来事を思い出したくなくて、すこし多めに食べている事実もあるけれど、美味しいから問題ない。
口にするなら好きなものでいい、そう思っている。
ホットマシュマロケーキの内側はとろけていて、バニラクリームが割った側から垂れていく。
美味しそうで一口すくって食べれば、口の中を幸せが襲う。
甘いものを盛大に頬張る私を、バッカニアは穏やかな顔で見ている。
フォークで大きめに切ったものを刺す。
「はい、ハニー!あーん」
口元にきたホットマシュマロケーキに驚きつつ、おそるおそる私からのケーキを食べてくれた。
大きめに切ったはずの生地は、豆粒でも食べるかのように口の中に消えてしまう。
「あはは、口おっきーい!」
嬉しくて笑ってから、ホットマシュマロケーキを頬張る。
窓から見える光景は普段のノースシティ。
夜の時間帯は人が少なくて、従業員も奥に引っ込んで明日の仕込みをしている気配がする。
「一週間だものね、色々回ってみる?」
「構わんぞ、なまえの好きなところに行けばいい。俺はそこについていくだけだ。」
ぶっきらぼうに言ったバッカニアの唇の端っこに、バニラクリームがついている。
指で唇をそっと撫でて、クリームを取った。
こちらを見たバッカニアの目の前で、口元のクリームを舐めるとバッカニアが真っ赤になった。
愛しい、私のハニー。
ホットマシュマロケーキを食べながら、バッカニアに伺う。
「クリームが行きたいところは?」
「ぬう…そうだな、ラッシュバレーとか…。」
「いいわね!珍しい銃のパーツがあればアームストロング少将に会った時の説明に使えるかも」
甘いものを食べながら、本性を滲ませて喋る。
ほんとの私は、銃に余念がない。
「ベレッタのパーツは簡単に手に入るけど、ライフルだと弾丸がいまいちなのよね」
「型がないということか。」
「違うの、アエルゴだとライフル式でも銃弾の威力は爆薬並みだから」
「それは初耳だ。」
「アエルゴの情報って、ほとんど国外に出ないからね。君主制だしマフィアが多いし」
自分の身を守ることに感じては、一切の余計な情報を遮断する。
それくらいじゃないと、アエルゴでは生きていけなかった。
言い訳も全てホットマシュマロケーキで飲み込んでから、床に置いた荷物を見て気づく。
「あ、そうだ夜どこ泊まろう。ノースシティのホテル一件しか知らないわ」
ホテル、の一言でバッカニアが何か思い出したように上着のポケットから紙を取り出す。
それを私に差し出し、ここだと言う。
「少将がここのホテルに言って、この番号を言えと。」
紙には、綺麗な字で「セントラル第一グランドホテル 809号室S」と書かれていた。
ホテルの名前に覚えがあり、真顔になる。
「ここ、セントラルのすごい高いホテルじゃなかった?」
「アームストロング少将は名家の生まれだ、これくらい造作もない。」
「セントラルだと、汽車で一日あれば着くけど」
「今から夜行に乗って、昼過ぎにセントラルというところだろう。」
にやり、と笑ってホットマシュマロケーキを食べる。
夜の空気が冷え切る前に汽車に乗って、バッカニアと二人でノースシティを離れセントラルへ。
アエルゴ式の調味料も、あそこでしか手に入らない。
ホテルのキッチンで、大好きな人にアエルゴ料理を振舞おう。



汽車で揺られ、痛みかけた腰を労わるかのようにベッドに飛び込む。
私とバッカニアが三人ずつ寝れそうなくらい大きなベッド、豪華な部屋、大きな鑑とドレッサー。
スイートルームを用意してくれたアームストロング少将に最大の感謝を心の中でしながら、大きなベッドの端で伸びた。
「わー!ひろーい!ここに七日間?いいの?」
「ボスがいいって言うんだからいいんだろう。」
「わー!アームストロング少将ったら見た目も美しくて心も優しいなんて」
アームストロング少将を褒めると、バッカニアがにやりと笑った。
いたずらっぽい、悪そうな笑顔。
「心臓まで氷の女王様が優しい?言うねえ。ボスは人を見る目は確かだが、油断してると殺されるぞ。」
「そんなに冷たいかな、私には優しい人に見えるけど」
見た目は悪そうでも、バッカニアだって人を見る目は確か。
今の私を見てくれた。
過去の私なんてどうでもいい、そう言わんばかりに今の私にだけ向き合ってくれた。
それだけで、本当に嬉しい。
「あー!お風呂入りたい!」
ベッドから飛び起きて、バスルームに走る。
大きなバスルームを見て、乙女心が刺激された。
ピンクと白を基調とした上品な作りに、何種類かの石鹸。
入浴剤らしきものと、綺麗なボディブラシもある。
これまでにない豪華なバスルーム、女の夢を叶えるような作りにうっとりしてバスルームから顔を出す。
「あっ」
そして、気づく。
ホテルは、一部屋だけ。
私とバッカニアが、二人でひとつの部屋に泊まる。
ホテル滞在一日目の夜が、初めてバッカニアと共に過ごす夜だということに。
「ぬっ。」
私の動揺に気づいたのか、バッカニアがこちらを見る。
上着は黒、ズボンは落ち着いたベージュ、シャツだけ柄ものだけど、まあそれはいい。
大きい上着を脱いでクローゼットにかけたバッカニアが、固まった私を不思議そうに見つめる。
「ああー…そうよねえ」
しゃがみこんで、バスルームとバッカニアを交互に見た。
私の様子に気づいて、バッカニアがどんどん真顔になり顔から感情を消していく。
「まさかなまえ、今気づいたのか?」
黙って頷けば、バッカニアがベッドに倒れ込んだ。
「もうだめだ、俺の手には負えない。」
「なんでよお!!!!!!!」
倒れ込んで、そのまま動かない熊のようなバッカニアの背中を何度もぺしぺしと叩く。
少し触れただけで、大きな筋肉が背中を覆っているのが分かる。
何度も、夜な夜なの熱に浮かされた妄想にバッカニアが出てくることがあった。
でも、いざとなると。
妄想の中での自分はどうしてたっけ、でも、同じことをできるわけがない。
「えー、ねえ、じゃあ」
たぶんそれは、バッカニアも同じなんだろう。
私の鈍い提案に乗りたいのか、赤い顔をして眉を困らせたバッカニアが私を見る。
「一緒にお風呂入りましょうよ」




2020.01.31








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