夢見を流し込んで






扉を閉めて、鍵をかける。
少尉から大佐までがいる階の端っこにある私の部屋は、最低限のものしかない。
エプロンを脱いで、椅子にかける。
端から端まで歩けば5分はかかる広さなので、部屋はもっぱら寝るためにしか使っていない。
「はあ」
髪を解いて、頭を切り替える。
カフェの制服を脱いで普段着に着替え、一息。
なにか飲む気にもなれず、後ろにあったベッドにそのまま倒れ込む。
「少し疲れた」
浅ましい眠気と意識の合間、微睡んでいく。
微睡みの中の香りは自分のベッドに染みつく自分の香り。
嗅ぎなれた自分の香りに包まれて頭をゆっくりと眠気に浸していけば、意識が奥へ奥へと向かう。
身体ごとぬるま湯に沈んでいくような感覚は、好き。
眠っている間に時が過ぎて、半年一年五年以上経っていれば楽しいだろう。
寝ている間に死んでしまいたい。
それが人類が一度は願うことだと思う。
ああ、でも、それじゃバッカニアさんに会えない。
どうしてこんなことを思うんだろう。
今までは、誰かに会いたいから目を覚ますなんて選択肢は浮かばなかったのに。
深い眠りの入り口はまだ遠く、脳みその上澄みで記憶を整理する。
目を閉じて思い出す一日を、瞼の裏で引き寄せた。
私の一日は、単純明快。
カフェで皆にコーヒーを淹れて、バッカニアさんにケーキをあげて、たまにアームストロング少将にクッキーを渡す。
みんなに「ありがとう。」「美味しい。」「美味いぞ。」
そう言われることが、本当に嬉しい。
自分が必要とされている。
実感できる、疑わしいくらい簡単に実感できてしまうのだ。
自分の好意と善意が認められる世界にいることが、心地いい。
見慣れた顔しかいないカフェは、私を取り巻いていく。
居心地のいいカフェから去り、退勤する。
明日に備えて身体をゆっくりさせてから、作っておいたケーキの切れ端を適当に食べて部屋に戻るべく歩き出す。
無機質な廊下を歩き、エプロンのリボンを緩めてから部屋の扉を開ける。
部屋の中には、捕まえられて銃弾を撃ち込まれるのを待つ満身創痍の男。
殴られ蹴られ意識が朦朧とした男を見て、肩のホルスターに触れ銃を取り出す。
銃口を向けても反応しない男。
銃弾の音。
そこで目が覚める。
目を開ければ、静寂。
暗がりの部屋でベッドの上で寝転がる自分の身体の重みを自覚して、思わず手を見る。
バニラエッセンスの香りがするお菓子を作る手の匂いがして、安心してしまった。
ベッドの上で丸まり、片手で頭を抱える。
ここには、あんな汚い音はないのに。
ブリッグズに来てから、硝煙は掻き消されている。
私の骨にまで染みついたはずのアエルゴでの生活は消えつつある上に、心まで変わりつつあるのに。
なのに、どこかでそれを許さないものがある。
一体その正体はなんなのか、気づいてるけど知らないふりをした。
きっとバッカニアさんに会ってメディカルルームで女医さんとニールさんと話せば、元通り。
ベッドから起き上がり、寝汗で下着が濡れている感覚がして気持ちが悪くなった。
短く息を吐けば、胸が冷える。
髪をかきあげて時計を見れば、夜10時。
「変な時間」
部屋の灯りをつけることもせず、靴を履いて普段着の上に厚手のカーディガンを羽織る。
廊下は静かで、人通りはない。
それぞれ勤務しているか、非番で部屋を開けているか。
仕組みがはっきりしているブリッグズは過ごしやすくて、少し足を伸ばしたくなる。
覚えている限りの道のりで、大広間を目指した。


「あれ、なまえちゃん!」
大広間についてすぐ、聞き覚えのある声が私を呼んだ。
広いテーブルを、見覚えのある顔がふたつと知らない顔が五つ囲んでいる。
バッカニアさんとニールさんと、それとブリッグズ兵士五人。
全員仕事が終わって明日は非番なのか、全員酒を飲んでいる。
「ニールさん、それにみんなも」
カーディガンの裾を握りしめながら近寄ると、ニールさんに歓迎された。
他の男性兵士も、帰れという空気は出していない。
夢見が最悪なまま今に至るわけで、少しだけ心理的なものが原因の眩暈がする。
酔っているニールさんの近くに行く気はせず、なんとなくバッカニアさんの隣に座った。
他の男性兵士が何か言っているのを小耳に挟んで、やり過ごす。
テーブルの上には食べかけのものがいくつも皿の上にあり、晩酌中だったようだ。
砦を守る兵士の貴重な休暇を、本来なら邪魔してはいけない。
もしかしたら私の具合の悪さに気づいたのか、バッカニアさんの目つきが少しだけ変わる。
私を伺うような目をしたまま、僅かな違和感を指摘した。
「とっくに退勤しただろう、この時間に出てくるのは珍しいな。」
「寝たつもりが仮眠になってたみたいで、さっき起きたの」
これは本当。
大丈夫よと微笑む間を突いて、若い男性兵士がニコニコしながら私に話しかけた。
「髪おろしてるなまえさん初めて見たかも。」
「カフェに出るときは結んでるからね」
ビールを片手に酔っているニールさんが、私の分のグラスを手にして笑う。
ニールさんがグラスにウイスキーを注いでから氷と水を入れているのを見て、まあまあな具合の酔い方だと察する。
「花が増えて嬉しいよ〜、男だけで酒盛りしてたの!なまえちゃん、お酒飲める?」
ウイスキーが入ったグラスをニールさんが差し出した。
「少し」
本当は無限に飲める。
けど、弱いふり。
強いことを告白して飲んでも、お酒は楽しくない。
適度に楽しめばいい、無理に飲んでも意味はないことくらいは知っている。
座ってから、少しだけ呼吸が浅くなった。
夢見の悪さが後を引く。
どうにも気づかれているのか、視界の端にいるバッカニアさんの顔が微妙に険しい。
顔が険しいのはいつものことだと考え直し、グラスを受け取り一口。
薄い酒の喉越しは軽すぎて、水と間違えそうになる。
「あまり飲むなよ。」
バッカニアさんが怖い顔で言うので、つい微笑む。
「わかってる」
ウイスキーを一口。
アメストリスに来てからは酒をあまり口にしていない。
飲む暇もない、というか飲む必要がなかった。
ブリッグズの凍てつく寒さの中では身体を温めるために必要なものでもあると理解し、また一口飲む。
口当たりのいいウイスキーを飲む私を見たニールさんが、笑顔で問いかけてくる。
「ところでさ、キスする時は大尉となまえちゃん、どっちからいくの?」
飲んでたウイスキーを私が噴き出しかけ、隣にいたバッカニアさんがビールを咽た音がした。
ウイスキーのコップを置いて、両手を口にやる。
お互いゲホゲホと少し汚い音を口から押えつけながら耐えると、その場にいた兵士がぽかんとした。
ニールさんは、にやにやしてこちらを見ている。
山岳警備兵が真顔でこちらを見てから、私とバッカニアさんの反応を見て察したようだ。
「は?」
若い兵士はすぐに気づいたらしく、顔を赤くしている。
口元を抑えて噴き出しかけのウイスキーを口腔内に収める私を見てニヤニヤと笑いだした人までいて、私の顔が真っ赤になった。
「えっ、なんだそれ。」
強面の兵士、たしかヘンシェルという名前の男性。
どういうことだと身を乗り出したヘンシェルさんにニールさんが暴露する。
「知らないの?この二人付き合ってるんだよ。」
若い兵士がバッカニアさんを見て、悲鳴にも似た声をあげた。
「えー!?!??」
ウイスキーをなんとか飲み込み、バッカニアさんを確認する。
ビールの酔いが回ったわけではないのに、真っ赤。
さっきまで平然とした顔をしていたバッカニアさんは黙り込み、ニールさんを睨みつけている。
「大尉〜、そんな怖い顔しないでくださいよ!なまえちゃんといる時みたく甘い顔しちゃってくださいって!」
すっかりお酒の回ったニールさんが、バッカニアさんに馴れ馴れしく絡む。
元からこういう軟派で話しやすい人だ、アルコールが入るとこうなることは簡単に想像がついた。
ウイスキーを飲み込む私の真横で、色々と飛んだことが起きる。
「いつからなんですか!!」
「半年前…。」
呻いたバッカニアさんに、他の兵士が食ってかかる。
「お前なあ!!教えろよ!?」
ヘンシェルさんの悲鳴のような声をあげて、バッカニアさんの首元にふざけ半分で掴みかかった。
ヘンシェルさんは、楽しそうに笑っている。
噴き出したウイスキーが沁み込みそうな喉に唾液を流す。
やめろとかふざけるなとかも言わず、黙り込んだバッカニアさん。
水のコップを手に取り飲むと、隙を与えまいと笑顔の兵士が私に問いかける。
「なまえちゃん、大尉のどこがいいの!?」
驚き半分、興味半分といった顔。
バッカニアさんを一瞥し、水で潤された喉で答える。
「思っているより私の事を見てくれるところ、かなあ、あと一緒にいて落ち着くというか、まったく取り繕わなくていいとか」
ぺらぺらと喋れば喋るほど、兵士たちの顔が何か別の賑やかな感情で輝いていくの見て口を噤む。
自分の顔に熱が集まり、思わずバッカニアさんを確認すると、彼もまた赤い顔をしていた。
「あああああなんでもない」
言葉に詰まった私を見て、ニールさんが煽る。
「へえ〜〜〜〜。この前デートしてたじゃん、どこ行ってたの?」
「え、デート…ノースシティのお店案内してもらってる」
若い男性兵士が、実に楽しそうにした。
にこにこしながらバッカニアさんを見て、みんなは楽しそうだ。
「大尉、色々調べてましたもんねえ。」
「それは言うな。」
赤い顔で唸るように喋るバッカニアさんの隣にいた兵士が、楽しそうな顔をして遠回しに私に告げ口する。
私のために色々調べて連れ出してくれたことは既に知っていた。
きっと、この面子にバッカニアさんは少しばかり恋愛相談をしていたのだろう。
掴みかかるのをやめたヘンシェルさんが、ビールを一口飲んでから私に真面目に問いただす。
「軍人って忙しいだろ?女性ならもっとこう、頻繁に会えたりする人がいいんじゃないのか。」
「それは別に…カフェで会えるし、ケーキ食べてもらえるし」
私の一言を切っ掛けに、酔ったニールさんが大笑いした。
「熱いね〜!!」
「ニールさん声大きい」
テーブルの上にあるピザの一切れを口にしたニールさんが、食べながら喋り出す。
唇にチーズがついたニールさんは、普段の数倍緩い。
「もうあれだよ、次の休暇は二週間くらい貰ってさあ、二人でどっか行きなよ。」
「大尉がそんなに外せるわけないだろう。」
ヘンシェルさんの真面目な一言に、酔っ払ったニールさんが笑いながら答えた。
「行かなきゃダメでしょ!だってこの二人まだエッチしてないんですよ!」
私がニールさんに掴みかかろうとした瞬間、横にニールさんが吹っ飛ぶ。
バッカニアさんの生身の拳がニールさんの肩を叩き、数メートル先に転がっていった。
憎めない笑顔の持ち主を責め立てるべく、笑いながら床に転がるニールさんを追いかければ周りの兵士が囃し立てるような声をあげる。
恥ずかしさを増す要因になり、悶えそうになった。
爆弾発言をして吹っ飛んだニールさんの胸倉を掴んでぶんぶんと振る。
「今なんて言った!?!??ねえ!?」
殴られたにも関わらず笑顔のニールさんの屈託のなさを、見習いたい。
へらへらと笑うニールさんは少しだけ私から逃げながら殴られた肩を擦る。
「いったあああい!!もう!大尉!俺しんじゃう!やめて!」
懲りないニールさんを掴んで軽く何度か叩くと、笑いながら逃げられた。
「事実を述べたまでなのに!!」
「言わなくていいことまで言わないで!!」
酔いすぎだ、と言ったヘンシェルさんに回収されたニールさんが、椅子に戻される。
肩が痛いとか呻きながらテーブルに突っ伏して笑っているニールさんの背後により、ビールジョッキを手に取った。
一口しか飲まれていないところを見るに、これは相当飲んだあとの一杯。
ニールさんのビールジョッキを片手に、決意した。
「酔いすぎね、これは私が責任をもって飲むわ」
ビールを一気に飲んだ私の真横で、バッカニアさんが驚く。
「ぬ!?なんでだ!??」
少しだけ飲める、そんなのが嘘だったとすぐばれる勢いでビールを飲み干す。
ニールさんに水を渡しに来た兵士が驚く横で、空になったジョッキを机に置く。
アエルゴの安酒を忘れ去るような味と喉越しの酒。
こういう酒が気軽に手に入るのも、アメストリスのいいところ。
「よし!!私は寝るわ!!!」
寝る宣言をして、水を飲むニールさんを背にバッカニアさんに駆け寄る。
「おやすみ、ハニー」
バッカニアさんの赤い額にキスをして、男しかいない酒の席を振り返りもせずに去る。
一気飲みしたビールが胃を冷やしながら、私の背筋の熱を覆う。
水を飲んで正気に戻ったニールさんが私に謝りにくることはないだろう。
おやすみのキスを額にした自分の唇を舐めて、自分の部屋へと足早に戻った。


カフェの制服を着る腕の温度が、いつもと違う。
薄いとはいえ昨晩酒を身体にいれたのだ、体温が不安定。
冷たく感じる服の生地を無視して、髪を結う。
ニールさんを見たら昨日の事で責めてやろう、頭の隅にそうある。
朝八時にはカフェに着いていないといけないから、少し体温がおかしいのは飲み込んでいかないと。
部屋の扉を開け、鍵を閉める。
さて向かおうと通路を歩み始める間もなく、バッカニアさんの姿が目に入った。
丁寧に私の部屋の近くで待っていてくれたおかげで、歩み始めた私の視界にすぐ入る。
「変な酔い方をしなかったか。」
「平気よ、今日は遅番?」
「ああ、昼からだ。」
昨日のことを、気にかけてくれている。
素直になればいいのに、なぜか素直になれなかった。
昨晩の酒を後で理由にすればいい、と判断してそっぽを向く。
「気になるなら夜に部屋に来ればよかったのに」
自分らしくない一言。
もし夜に部屋に来られても、追い返してしまうだろう。
でも、この人なら。
バッカニアさんが夜に部屋に来たら、私はどうするんだろう。
何かを言う間もなく押されてしまっても不思議ではないし、なんなら私が興味本位で誘ってもいい。
もう大人なんだから。
とっくの昔に、アメストリスに来る前から大人なんだから。
一瞬だけ迷ってから、そんなことはないと否定するような声が降ってきた。
「あの後で、か?」
「うん」
「俺は酔ってなかったが…。」
「私も」
顔を伏せたバッカニアさんが、気まずそうに呻いた。
「そんなことしたら流れ上することはひとつになるだろう…。」
「すればよかったのに!!」
反射的にそう言ってから、顔が熱くなった。
何を言っているんだろう。
我に返るより先に、バッカニアさんが悲鳴のような声をあげた。
「む!?男をなんだと思っている!?」
「知らないわよ!!」
こちらまで悲鳴のような声が出て、行き場がなくなる。
男なんて知らない、二重の意味で知らない。
他人が何を考えているかなんて知らない、でも知りたい。
「なまえ、酔いが続いてるんじゃないか。」
「知らないわよ」
自分の気持ちも、他人の気持ちも。
「知らないわよ、なまえって呼ばれるだけで嬉しいなんて」
あなたの気持ちも。
冷えていく指先と、妙に温まる心。
どういう感情の連鎖反応なのか、嫌でもわかる。
「気づかないわけも、ないのよね」
曲がりなりにも、もう大人だから。
ニールさんからの突っ込まれた関係性にも、他にも、思うところはいくつもある。
倒れそうになって、腕を組んで俯く。
「なまえ。」
思考が停止しそうになる手前で、この人は私の気持ちを揺さぶってくる。
「やだ、私」
「調子が悪いのか、話せるか?」
「話せるけど」
バッカニアさんの大きな手を掴む。
自分の手で持ってきたもの、銃、銃、銃、銃、たまに首、銃、銃、人の一部だった何か、銃。
アメストリスに来てから薄れた血の匂いは、コーヒーの匂いに掻き消されて。
掻き消されて上書きされた気持ちの上に、知りえない気持ちが残されようとしている。
私の手より、ずっと大きな手。
意図を汲み取ってくれたのか、私の手を軽く握り返してくれた。
僅かに見上げれば、心配そうにしているバッカニアさんがいる。
「離してほしくない」
私の一言に、バッカニアさんまで顔を赤くする。
ぬう、と呻いて黙り込んでしまったのを見てから自分の心臓あたりが熱くなって、自責の念が私を覆う。
たとえ知らなくても、この熱には覚えがある。
夜な夜な浴びる熱に近しい。
「けど、だめでしょ、こういうの」
私の口から出た言葉が、何に当てての「だめ」なのか、分からない。
自分で自分の気持ちが分からなくなるまで、邪な思いが支配する。
いけないことじゃないはず、でも違和感にしか感じられない。
何かの欲を牢獄に閉じ込めたような心を持ったまま、胸を高鳴らせる。
私は卑怯だ。
なにもかも、全部バッカニアさんに任せようとしている。
自分は何もせず、この思いの答えを手に入れようとしている、こんなに卑怯なことはあるだろうか。
「もう行かなきゃ」
「なまえ、本当に大丈夫か。」
「平気」
バッカニアさんから手を離して、今一度顔を見る。
感情抜きにすれば、顔は怖いし体格も大きいし声も低いし慄く要素しかない。
でも、この人は私の好意を素直に受け取ってくれる。
厳めしい容姿も、怖いとは思えなかった。
「夢がね」
昨晩、大広間に行く前のことを思い出す。
「アエルゴにいた頃、あんまり良い思いをしなかったからね、その時のことが夢に出てきて」
硝煙に混じる、血の匂い。
「すごく気持ち悪くなって…なんとなく大広間にいったらバッカニアさんがいて、すごく嬉しかった、だからね」
あの匂いを思い出さない地へ、私は留まり続ける。
生きていれば、きっとどうにかなっていく。
「不安になったら顔見せて、そうしたら安心するの」
「おい。」
「なに?」
「さんをつけるの、いい加減やめてくれないか。」
一秒、二秒、間があいてから顔が熱くなる。
バッカニアさん、いや、バッカニアの前では顔を赤くしてばかり。
「わかった…あ、でも呼びやすいからハニーでもスイートでもクリームでもいい?いいわよね?」
「むう…いいだろう。」
ここで立ち話をしても、時間だけは過ぎていく。
お互い、もう行かないと。
踏み出せない私を、少しずつ引き出してくるバッカニアは、たぶん私の事なんかお見通しなんだろう。
それなら、予測できないことをすればいい。
悪い夢を掻き消す人が、私にはいる。
「ありがとうね、おはよ!ハニー!」
バッカニアのみつあみを掴んで顔を引き寄せ、唇に軽いキスをして微笑む。
唖然とするバッカニアの手を引いて、歩き出す。
「これから毎日、こうしましょ!ね?」
生身のほうの腕に抱き着き、ちょっとした抱き枕くらいの厚みがあるのを確認する。
腕にしがみついたまま歩けば、歩幅を合わせてくれた。
「ぬう…その、すこし、恥ずかしい。」
「いいじゃない、すれ違った朝くらい」
カフェまでの道のりで、人に会うことは少ない。
大体この時間は早番は既に勤務し、遅番は寝ている時間帯。
休憩も二時間先にならないと増えてこない。
隙間の時間でくらい、いちゃついても問題ないだろう。
「ハニー、大好きよ」
「…むう。」
「なに!?好きじゃないの!?」
「好きだ…が、なまえ、声が大きいぞ…。」
腕を引いて、一緒に歩く。
顔が赤いバッカニアは、私の力に付き合ってくれた。
人気のない廊下をくっついて歩いて、カフェへと向かった。





2020.01.24








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