忠誠心よ、血の底より





キンブリーがなんでドラクマ軍を動かせたのかとかの考察も交えた話





抱えた紙袋に詰まったパンをひとつ手に取る。
指の上に落ちた雪は体温ですぐに溶けて、なにもなかったように水になり肌を伝う。
甘い匂いのする茶色の生地のパンは、唾液腺を刺激する。
一口サイズの小さなチョコレートパンを頬張り、もう一つを横で歩くキンブリーさんに見せつけた。
「これ売ってたんだけどね、100センズよ100センズ!安くない?」
「手ごろな価格ですね。」
上品な言い回しをしたキンブリーさんを見つめながらチョコレートパンをまた一口。
頬張って歩くのは少しばかり品がないけど、キンブリーさんが怒らないなら大丈夫なんだろう。
あんまりにも躾のなってないことをすると「なまえ、美しくない。やめなさい。」と言ってくれる。
マナーとかセンスとかに疎い私は、キンブリーさんと会うたびに礼儀を学んでいく。
「キンブリーさんご飯なに食べた?」
たとえば、こうして世間話を振る時。
「シチューです。」
丁寧に答えると、相手も気分がよくなるとか。
会話を続けるために素直に答えるといいとか。
「そりゃこんな日だものね、あったかいのが食べたくなる」
相槌を続けさせてくれる会話をふっかけてくれるところが、キンブリーさんの育ちが隠しきれていない。
変な人なのは前々から知っているけど、劣悪な環境で育ったというわけではないんだろう。
「シチューは手作り?」
「ええ、多少のものは自分で作れますよ。」
「帰ったら私もシチューにしよ」
「煮込んで作りなさい、美味しくなります。」
私の隣を歩くキンブリーさんを観察する。
雪の上を歩く脚と、微動だにしない上半身。
白いコート、白いマフラー、白い靴。
髪だけ真っ黒、目は青いような紫色のような色。
この雪の景色に溶け込むような服装は、季節を選ぶことなくキンブリーさんが身に着ける色。
真っ白、汚れもない色。
白という色が「色がない」のかと言われると微妙なところ。
色んな色が綺麗に混ざるから、何にでも混じる色だと解釈してしまったほうがいい。
透明でもないかぎり、色がないとは言い切れないのだ。
この世界は、色で溢れている。
私の色、キンブリーさんの色。
他の人の色、ひとつとして同じ色はない。
「キンブリーさん、随分綺麗に歩くよねえ」
隣を歩くキンブリーさんにそう言うと、目を丸くされた。
雪の上を簡単に歩く脚。
アメストリスでは、雪は滅多に降らない。
今日みたいな日は細心の注意を払って外出するし、雪道を歩きなれていない人は大体どこかしらで転んでいる。
それなのに、キンブリーさんはコートのポケットに手を突っ込んで歩く。
丸く見開かれたキンブリーさんの瞳の色を観察していると、すぐにキンブリーさんが私に声をかける。
「なまえに褒められるとは、どういう吹き回しですかね。」
「吹き回しって?」
「あなたが他人を知ろうとすることが珍しいから、です。なまえは本当にモノを知りませんね。」
ムッとして、キンブリーさんの足元を指さす。
「なーに偉そうな!!この雪の日にそんな靴を履く人、いないんだからね!」
「そうですか、それは失礼。」
「でも!足元!その歩き方が出来なくて転ぶ人はよくいるの!」
「雪の日は黙っててもこう歩いてしまうものですよ。」
私の後を黙ってついてきてくれるキンブリーさんに、ちょっかいをかけたくなる。
この道は人通りもないから雪がそこそこ積もっていて、気を付けないと足首まで雪に埋もれてしまう。
雪はいい。
音を吸収して、外にいるのに周りに誰もいないかのような錯覚を起こしてくれる。
耳が静けさに包まれて、研ぎ澄まされていく。
「雪の日に平然と歩ける人、久しぶりに見たかも」
「慎重に、の間違いでは?」
雪の日独特の感覚が好きで、調子に乗ってしまった。
私を捉えて動かない虹彩の真ん中にある黒っぽい瞳孔にある深い青みを、よく観察した。
淀んだ青にも見えるその瞳の色を印象付けてしまう虹彩。
その奥にある瞳孔の色を、見逃していなかった。
「キンブリーさん、何代か前…または近いところにドラクマの人いない?」
静けさに同調するように、キンブリーさんの瞳がゆっくりと動く。
雪の日に映える容姿。
長めのまつ毛で影を作った目元、大きめの鼻先、薄い唇。
光に当たれば白い肌、対比するような黒い髪。
がっしりした骨格に対して高すぎない身長。
キンブリーさんが、にっこりと笑う。
「気づいたのはなまえが初めてです、よく分かりましたね。」
笑みだけは、文句なしに紳士的。
歩みを止めない私に何も言わずついてくる人の良さも、笑みの説得力に拍車をかける。
「鼻つきと目つき、独特だから分かるよ」
「そうですか。」
「あまり見ない顔立ちと目の色だからね」
目の色、と言った瞬間にキンブリーさんの瞳孔が動く。
「小さい頃、ドラクマに行ったこともあるでしょ。そうじゃなきゃ雪の中でこんなに身軽そうに動けないよ」
「幼い頃に雪遊びをした記憶はあります。」
「遊んでるキンブリーさん、想像つかない」
混血の証は、身体のどこかに現れる。
骨格だったり皮膚の色だったり、瞳の色だったり髪の色だったり。
降り積もりこの雪のように真っ白な混血の証は、滅多にない。
「アメストリスは混血が多いけど、ドラクマとの混血はイシュヴァ―ルとの混血の次に少ない」
雪が積もるドラクマ。
国境付近は常にピリピリしていて、アメストリスにいると国というイメージは怖くなりがち。
実際は穏やかな人が多い。
怒ったら物凄く怖い人が多いのも確かだけど、争いごとは基本的に好まなくて、平和。
軍のお偉いさんになればなるほど怖くなっていくけど、あれは性質としか言いようがない。
「キンブリーさん。けっこう苦労したでしょ」
目の前の紳士に微笑みかけてから、チョコレートパンを一口。
もりもり食べながら話しかける品のない私にも普通に接してくれるキンブリーさん。
歩きながら食べるのをやめなさい、と言われたことはない。
「苦労していないと言えばウソになりますが、それほどの思いはしていません。むしろ軍に入ってからは何かと得をしたことのほうが多い。
ドラクマは血族を重んじる、私のような者でも出世すればアメストリスを通しドラクマの軍事に触れる機会を与えてくれる。間接的にドラクマの軍事機関に居座れるのですよ。」
淡々と語るキンブリーさんを見定める。
キンブリーさんは嘘を言わない。
けれど、私に明かしてしまうにしては浅ましすぎる。
どこかが嘘に違いない。
今は廃墟と化したアパートの裏に回り、路地を曲がり、少し後ろにいるキンブリーさんに手招き。
目的地は、もうすぐ。
紙袋を手にした私とキンブリーさんが、人気のない路地へと歩みを進めていく。
他人の視線を感じないのを確認してから、余計なことを切り出した。
「ドラクマの人と何を話すの?」
「他愛もない話です。」
「ドラクマのスパイと最後に食事をしたのは?」
「明後日、ですかね。」
その言葉の意味を、嫌でも汲み取る。
路地は人気が少ない。
何せ今から行く場所への通り道。
もし私の首ごとここで吹き飛んでも、目撃者はいない。
「なまえ、あなたは?」
温情をかけたキンブリーさんが、私に猶予を与える。
「あなたは、どこの国の人間で、どこの血が流れているんですか。」
「教えるまでもないわ」
「なぜ?」
「詮索される前に、相手の事を全部探し当てるでしょ、キンブリーさんって。知ってるとおり」
私を軽く見下ろすキンブリーさん。
白いスーツに、整えられた長髪。
清潔感と同時に無機質さを兼ね備えた容姿は、一見して紳士。
何も知らない人が見れば、ただのお洒落な良い人。
でも、私は彼が爆弾狂だって知っている。
キンブリーさんの顔を、よく観察した。
「母親がドラクマ系、父親はアメストリス人ってところでしょう、顔に陰りが出来たときにドラクマ系だってわかるよ」
白いスーツが妙に似合う骨格。
僅かに白みの薄い肌。
「んー、でも何代か前に既にアメストリスが混ざってる感じの肌だね…でも目元と鼻と顎まわりがドラクマの血が濃い。ベースはアメストリス、他は隔世遺伝ってやつかなあ」
紙袋を抱えた私を、黙って見下ろすキンブリーさん。
ふっと顔の筋肉が緩んだキンブリーさんは、優しそうな目をして私を見た。
「驚きました、そこまで分かるのに国籍や人種で括らないとは。」
「無意味よ、こうも混血の国だと括りも無意味。だから争いがなくならないのよ、この国は」
「ほう、括りがあるほうが争いが起きないと。」
私の持論を、キンブリーさんに持ちかける。
理解されない持論を、私は持っていた。
紙袋にまた手を突っ込んでから、微笑んだ。
「ある程度の決まりはあったほうがいいでしょう、指針がないと迷う。人によっては指針が志とか信念ではなく、身体にくっついたものの場合だってあるんだから」
チョコレートパンを一口。
口の中は甘い。
キンブリーさんの心は、把握できない。
それでも、私はキンブリーさんと向き合う。
この関係にまだ特別な感情は産まれず、ただひたすらに興味と好奇心だけで保たれる。
でもそれも、もう終わりにしたい。
私の気持ちを察したのか、キンブリーさんが薄ら笑いを浮かべて肩を掴んできた。
「なまえ、あなたの信念に興味が湧きました、教えてください。」
大きな手が、私に触れる。
今はなんとも思わないけど、いつかこの手に触れられるだけでドキドキする日が来るんだろうか。
もしそうなったら、面白い。
下手に危ない橋を渡る時の命綱が増えるのは、生きていく上で大事なこと。
私の信念はなにか。
言おうとして、チョコレートパンと一緒に噛み砕いて飲み込む。
「手の内を明かさないこと」
紙袋に手を入れると、チョコレートパンは最後の一つだった。
もうなくなったのなら、晩御飯のシチューまで食べるのを我慢。
信念も、プライドも、人生も、私のもの。
でもお腹が空いたら気分は変わってしまう。
その程度の浅ましさで過ごしていたほうが、人生は楽しいと思っているけど、それをキンブリーさんに言うつもりは毛頭ない。
キンブリーさんを見つめながら、チョコレートパンの最後の一つを食べる。
空になった紙袋を丸めて、コートのポケットにしまった。
「なんてね」
甘い匂いのする唇で微笑むと、キンブリーさんは少しだけ面白くなさそうな顔をした。
こういう顔をするのは、想定の範囲内。
「さあ、黙ってついてくれば目的地よ」

あちこちが錆びて古くなった建物に入る。
足音がしなくて、後ろを振り向くと5メートルほど先でキンブリーさんが立ち止まっていた。
微笑んで手招きすると、ゆっくりとこちらへ寄ってきた。
建物の中に入り、音ひとつしない廃墟を駆け抜ける。
雪がすこし積もっていて、寒い。
この廃墟には人が来ないし、よく暴行事件が起きてるから煙たがって皆近づかないのだ。
予め用意しておいた鉄の粗末な箱に走り寄り、蓋を開けてから箱を蹴飛ばした。
「はい、プレゼント」
箱の中にいた男が雪と気温で冷たくなった地面に放り出され、どしゃりと音をして床に転がった。
もがく男が、私とキンブリーさんを見上げる。
怯え切った男を冷たい雪の上に転がした。
男の口に詰められた石と布きれが唾液と胃液まみれになっている。
箱に詰められた後に相当もがいたのだろう、箱の中は排泄物まみれで汚い。
でもこの箱ごと、キンブリーさんは片付けてくれる。
「この男は?」
そう呟くキンブリーさんの顔が輝く。
音ひとつなく手袋を外す姿を見て、嬉しくなった。
サプライズプレゼントは、大成功。
「わかるでしょ、私以外にあんまり自分のプライベート話しちゃだめってこと」
「ほほう?」
口元を歪めて笑ったキンブリーさんの顔に興奮が浮かぶ。
自らの快楽のためとなると、キンブリーさんは浅ましい。
「この人はね、キンブリーさんの言う明後日の予定を求めるあまり、キンブリーさんのことをあの手この手で嗅ぎまわってた」
ね?と言って笑いかけた。
私のプレゼントは、きっと喜んでもらえる。
その確信はあったけれど、成功を目にすると嬉しい。
キンブリーさんが脱いだ手袋をコートのポケットにしまい、男に歩み寄る。
綺麗な靴が、雪を踏みしめた。
男はこれから何が起こるか分かったらしく、何かを叫びながら逃げようと蠢いている。
「さすが、この私が心の底から気に入った女性ですね、なまえ。」
「褒めてるの?」
「ええ、素晴らしい女性です。」
「嬉しい」
「なまえ、夕食はドラクマ料理にしましょう。美味しい店を紹介しますよ。」
にっこりと笑ったキンブリーさんを見て、心底嬉しくなる。
細くて白い手が、男の頭を掴んだのを確認してから建物の入り口へと走った。
軽快に走る私の背後で、鈍くて生々しい爆発音がする。
何かが音を立てて弾けて折れ、野菜を砕いたような、瓦礫を打ち付けて鳴らすような鈍い音もした。
鼓膜が震える。
耳の震えは脳を伝い、神経を揺らす。
一瞬だけ冷えた目の裏の感覚を介して笑いがこみ上げ、微笑みながら建物の入り口で空を見上げた。
真冬の空。
雪が降るこの季節は、血の匂いも爆発音も雪が飲み込んでくれる。
ドラクマの深い雪は溶けるころに色々なものが浮かんできては腐るけれど、アメストリスは川が多い。
処理に困らず、流れるままに溶けていく。
雪のように静かに積り、季節と共に消える。
心地の良い自然が降り積もる季節を讃えながら、真後ろで何度もする爆発音に耳を傾けた。
ぱきょん、と箱が爆破される軽快な音がして、キンブリーさんの笑い声が聞こえる。
楽しそうな声。
微笑みは私の顔から離れず、キンブリーさんの笑顔を脳内で反復する。
肉塊を片手に欲望を爆発させる無垢な笑顔。
あの笑顔が、私は好き。
ドラクマ料理、何を食べようかな。





2020.01.24










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