混ざりあった香り





洒落た雑貨屋で買い物をしている私の足の隣に、二回りは大きな足がある。
なんてことはない、好きな人の足だ。
隣で私の買い物に付き合ってくれるバッカニアさんから、ふんわりとした香りがする。
おそらく、男性物の香水。
「あれ、良い匂いする、香水?」
ネックレスを置いて、バッカニアさんの近くを嗅ぐ。
爽やかさの中に清潔感を入れたような匂いを探っていると、真上から低い声が降りかかった。
「ノースシティの洋服屋にあった。」
「こういうの好きなんだ」
「いや…その。」
「その?」
見上げれば、もう見慣れた顔。
厳つく怖い顔に低い声、モヒカン刈りの頭に特徴的な髭。
大きな体躯はどこでも目立つ。
みつあみの先にあるリボンは、今日は淡い青を選んで結んであげた。
機械鎧の手のほうで、部屋で使うというタオルと枕が入った袋を抱えている。
たまにしか来れないノースシティでの買い出しへ来るのも、もう何回目だろうか。
付き合いだしてから半年ほど、休暇を合わせては買い物に来ている。
バッカニアさんが私の荷物を持ってくれているおかげで、今こうして買い物ができている。
一緒にノースシティを歩いて、買い物をして、楽しく話して、何か食べて帰って、それで十分幸せ。
でも、幸せの中でも追及したくなることは出てきてしまう。
バッカニアさんが照れくさそうに笑いながら、香りの正体を説明する。
「なまえから良い匂いがするから…。なまえだけ良い匂いがして隣にいる俺が面白味もないというのも、釣り合わんと思ってな。」
バッカニアさんは、たまにこういうことを言う。
他意はないけれどこうなってしまった、という照れ隠しのような言葉。
こんあに怖い見た目なのに、突き放すような言い方もせず静かに告げる。
それがなんだか可愛らしくて、ついつい微笑んでしまう。
「なあにそれ!そんなことしなくても、ハニーはそのままでいいのよ」
「なんでハニーなんだ!」
アエルゴでは、親しい人に愛称をつける。
マイミルクだったり、プリティだったり、チョコレートだったり、スイートパイだったり、プリンだったり。
甘いものの愛称で呼ぶことが多く、なんとなく私はバッカニアさんのことをバッカニアと呼ぶことをせずハニーと呼んでしまう。
「ミルクのほうがいい?それともメープル?クリームパイがいい?シュガーにする?」
「食べ物縛りなのは意味があるのか。」
「食べちゃいたいくらい大好きな人をそう呼ぶ習慣があるのよ」
一息間を入れてから、自分の言ったことを振り返る。
そして、急に恥ずかしくなる。
荷物を片手に、両手をぶんぶん振って違う違うとジェスチャーした。
「ああ、ああ、ね、変な意味じゃないのよ、ね?」
「ぬう、そうか。」
「釣り合わないとか、そんなこと考えないで、それ言い出したら私も同じようなこと考えてるし」
「ぬ?」
釣り合わない、それを考え始めると止まらない。
私でいいのかとか、気持ちをバッカニアさんから引き出そうとした卑怯な私が隣にいていいのかとか。
もっと逞しくて美しい女性じゃないと、バッカニアさんには似合わないんじゃないかとか。
「なんでもない」
考えることが無駄に出てくるので、すぐに見知った顔で掻き消す。
赤と黒のリストバンドを見つけ、バッカニアさんに見せる。
「あ、ねえ、あの二人にこれどうかな」
「あの二人、とは。」
「先生とニールさん」
バッカニアさんがムッとした顔をして、やきもちを焼く。
しょぼくれてるとも見えるバッカニアさんの顔が、少しだけ可愛い。
「なまえがニールのことを考える必要はない。」
「でもよく顔を合わせるし」
「むう…。」
「なあに、やきもち?」
「違う!」
即座に否定したのをいいことに、意地悪したくなる。
こうすれば、バッカニアさんは私から目が離せなくなるのだ。
私は、どこまでも卑怯。
恥ずかしいからって、全部バッカニアさんから気持ちを引き出そうとしている。
バッカニアさんを見ながら、リストバンドをひとつ手に取った。
「そう、じゃあこれニールさんに選んじゃおうかな」
意地悪しながら、バッカニアさんへの気持ちは負けずと存在する。
近くにあるラッピングされた袋をひとつ手に取り、バッカニアさんに見せた。
「ハニーにはこれ」
「む。」
「石鹸。私が使ってるのと同じやつ、部屋でも使って」
生身の手のほうにラッピングされた石鹸を渡し、にまっと笑う。
良い香りだと感じるのならば、つけてほしい。
「さっき私から良い匂いがするって言ったでしょ、それってこれの匂いなの。良い匂いよ!」
バッカニアさんを石鹸と香水のコーナーの前に連れていき、わがままをひとつ。
「ね、私にも何か香りを選んで」
む、と呟いてから、真剣に選び始める。
香水をひとつひとつ手に取り、匂いを嗅いでは戻す動作を機械鎧の手で行う。
アエルゴでは見なかった機械鎧の手。
その手の持ち主を好きになるなんて、どうなるか分からないものだ。
機械鎧の手が、ひとつの香水を手に取る。
青い瓶に入った香水を手にしてから、香りを二度確認してから私に手渡す。
「どうだ。」
「これにするわ!」
受け取り、笑顔で瓶を眺める。
デザインは大人しいけど、バッカニアさんが選んでくれたものだ。
大事にしようと思い見上げれば、なぜかバッカニアさんが気まずそうに顔を逸らしていた。
「どうしたの?」
香水を手にした私と、顔を逸らすバッカニアさん。
バッカニアさんがようやくこちらを向いたと思えば、顔を赤くしていた。
「夜勤明けはシャワーに入るんだが…石鹸を貰うと、なまえのことを…確実に寝る前に思い出しそうなんだが…。」
「えっ、あ、思い出して!」
変な意味はない。
そのつもりだけど、そのつもりだけど。
バッカニアさんが赤い顔をして私を見たかと思うと、すぐに目を逸らした。
やってしまった、と思う前に微笑む。
「そしたら次の日に私に会ったときに、あーようやく会えたーって思わない?」
「…思う。」
「でしょ?」



メディカルルームでコーヒーを片手に、女医さんにデートの顛末を話す。
テーブルには女医さんのマグカップと書類。
近くにある椅子に座り話す私。
かいつまんだとはいえ、こういうことを話すのは恥ずかしい。
話終わりコーヒーを一口飲むと、耐えきれないとばかりに女医さんが吠えた。
「だーからねえ!!!!なまえ!!!!!!なまえ、あなたそういうやり方だといつか大尉を爆発させるわよ!!!!」
「えっ!?私、バッカニアさんを怒らせてた!?」
二度も私の名前を呼んで叫んだ女医さんを驚いて見ると、飽きれ半分険しさ半分の顔つき。
怒らせたのは、バッカニアさんじゃない。
「違うわよ!!そういう意味じゃない!もー、コーヒー代だけじゃなく恋愛相談代も貰おうかしら。」
「高くつく?」
「10分100センズ。」
そう言ってコーヒーを一口飲んでから、テーブルにマグカップを置いた。
女医さんが胡散臭そうに私を見てから腕を組んで、溜息をつく。
「寝る前に思い出すってことは、そういうことよ」
「分かってる」
「なまえ、それだと大尉に物陰にひっぱりこまれて抱き着かれても私は庇えないわ。」
「だっ」
顔に熱が集まる。
素直に真っ赤になる私を見て、女医さんが少しだけ顔色を変えた。
あの腕に抱きしめられたら、絶対逃げられない。
「沸点を分かってなさすぎよ、勘で分からない?」
勘はある。
前の仕事が仕事、勘は物凄く使えるほうだ。
気配察知も得意だし、特有の勘のおかげで危ない目に遭ったことはない。
「ほんとに関係ない人なら…でも…」
今の恋路のほうが、よっぽど危ない。
狼狽していると、目の前にあった書類がひとつ片付けられた。
相手の気持ちを察することはできるのに、求めてることを上手いこと受け取って与えていないらしい。
らしい、とぼかすまでもなく女医さんの反応を見るに与えていないんだろう。
下手をしたら相手を本気で傷つけてしまう可能性のある自分をどうにかしないといけない。
「好きな人に対して分からないって?」
頷くと、険しさを緩めた女医さんがコーヒーを飲んだ。
「不愛想な大男が気を使って街に行こうって言うんだから、色々と細心の注意を払ってるだろうに。あーあー、大尉可哀想。」
今まで言われたこと。
大尉より奥手、なまえは軽い気持ちだったの?次に大尉が来たら、ちゃんと伝えなさい。
自分なりに伝えていても、いまいちらしい。
コーヒーを片手に赤面する私に、女医さんがまたアドバイスをしてくれる。
「子供じゃないんだから、なまえも愛情表現してみなさいよ」
愛情表現、といっても。
すき、喜んでくれる顔を私に見せてくれるバッカニアさんがすき。
私の「すき」を受け取ったら、もっと喜んでくれるかな。
好きの形が確かになっていく。
延長上にあるのは、同じ形の「すき」なのかな。
誰にも答えは分からない。
でも、好きの形を放り投げる気にはどうにもならなかった。



朝、まさにこれからカフェに向かうという時に夜勤明けのバッカニアさんとすれ違う。
たまにあることで、その度に私はおはようと声をかけて少しだけ話すけど、昨日の今日。
自室から出て来たバッカニアさんと、カフェに行くところの私。
立ち止まって挨拶しても、唸り声のような挨拶しか聞こえない。
照れくさくて、わざとらしく聞いてみる。
「石鹸、どうだった?」
夜勤明けで、これからコーヒーを飲みに来るつもりだったんだろう。
むっとした顔の目の下にはクマがあり、疲れが垣間見える。
「まだ使ってない。」
「匂いしてるよ?」
少しだけ近づいて、悪戯でもするかのように笑いかけた。
私は、やっぱり卑怯だ。
「夢に出た私、何してた?」
「…コーヒー飲んでた。」
「後でコーヒー飲もうかなっ」
店員が飲んでどうするんだ、という話だけど気にしない。
制服もまだ着ていなくて私服のままの私と向かい合うバッカニアさんの頬が少しだけ赤くなった。
私の頬も、たぶん赤い。
休憩時間に余ったお菓子を片手にコーヒー1杯くらいはよくある話で、決して嘘は言っていない。
「私もね、くれた香水使ってみたよ。どう?」
そう言って、嗅いで!と言わんばかりに首元を見せてもバッカニアさんは顔を近づけてはこないのを知っている。
手を伸ばして、バッカニアさんの長いみつあみを掴んでから、ゆっくり引っ張る。
力ならバッカニアさんのほうが上なのに、私の力に大人しく従ってくれた。
バッカニアさんの上半身のバランスが少しだけ崩れ、私のほうに近づく。
髪を引っ張られて寄せられるなんて、失礼極まりないのにバッカニアさんは怒らずに顔を赤くしているだけ。
顔を近づけて、バッカニアさんをまじまじと見る。
厳ついし怖い顔だし、私を黙らせて言うことを聞かせたいなら腕力があるはずなのに。
それなのに、私に抵抗しない。
近くに顔があると分かる、石鹸の匂いがする。
「なんで使ってないって嘘ついたの」
切り込めば、気まずそうに顔を逸らされてしまった。
男性的な彫りの深さがある横顔と、顔に似つかわしい青い瞳。
「言いたくない。」
厳しいことしか言わなさそうな口元。
甘いものも、甘い言葉も、絶対に口にしなさそうなのに。
私から目を逸らすその顔が、どういうわけか赤くなっている。
「なんで?」
面白くなって、言葉の端に笑いが滲む。
明らかに私より強い男性なのに。
気安く髪に触れるな、と突き飛ばされてもおかしくない。
手にあるみつあみの先にあるリボンを弄りながら、バッカニアさんの言葉を待った。
何も言う気配はなく、周りの人の気配もない。
本人としても私としても、誰かが来ればすぐにやめるつもりの空気は感じ取っていた。
横目で私をちらちら見ながらも、何も言わない。
「ハニーが言わないなら言わせてあげる」
脚が冷える。
胃のあたりが震えるけど、もう仕方ない。
これから自分が何をしようとしてるか、私が一番分かってる。
少しだけ震える手でバッカニアさんの両頬に触れて、自分に向かせた。
赤い顔の真ん中の青い目と、視線が絡む。
顔を近づけて、唇に軽くキスをした。
ちゅ、と音を鳴らして一瞬だけ触れ合った唇がすぐに離れたというのに、私の顔は熱い。
「言いたくなった?」
照れくさくて、微笑んでみる。
バッカニアさんが目を見開き、私を見た。
顔は更に赤くなってるし、青い目は私を見て離さない。
「なまえ、今の…。」
「今のって…ねえ、ハニー?」
ねえ、と首を傾げれば、通路脇まで手を引かれた。
大きな手が私の手首をしっかり掴んだところで、何が起きるか察する。
バッカニアさんが私を抱きしめ、今一度顔を合わせてから唇が重なった。
本当に物陰に引っ張り込まれ、これからの展開を予想する。
といっても各兵士の寮から僅かに離れ、少尉から大佐までの自室しかない通り。
プライベートな空間に近いけれど、ブリッグズ要塞内である限り人が通る可能性が多いにある場所。
運よく今まで誰にも見つかっていないほうが珍しい。
誰かしら通ってもおかしくない場所で、もがくのをやめてキスに応じる。
大きな舌が私の半開きの唇を舐めて歯列をなぞり、頭の裏から背筋まで熱で焦がす。
ぬる、と入り込んだ舌が唇の内側を何度も這うと首のあたりがぞくぞくして、呼吸を止めた。
ふっ、ふっ、と息を切らすバッカニアさんが私の身体を抱えたまま生身の手で顔に触れる。
そこでようやく分かる、自分の体温。
バッカニアさんの手が冷たく感じるくらい、私の顔が熱い。
本気でもがけば離れられそうだけど、そんな気はしなかった。
口を開けて舌の動きを勘で合わせてみれば、唾液まみれの肉塊が絡み合う。
バッカニアさんの舌が私の上顎を舐めまわすように動いて、突き出そうとした舌の上で大きな舌が動く。
自分のものじゃない舌が、私の口の中をゆっくりと舐めまわす。
髭の毛先が首に触れた気がする、それよりも口の中を支配する舌に意識を持っていかれそうになる。
くちゅ、と卑猥な音が顔の近くでして、全身が燃え上がった。
口の中で、私とバッカニアさんが絡み合ってる。
今ここで流されてはいけない、合間を見てどこかで抜け出さないと。
吐き出すだけの息が、どんどん少なくなる。
薄目でバッカニアさんを見れば、青い目を細めて私を見ていた。
唇が離れ、思い切り息を吸った。
息を吐き出し、互いの間に溜まった空気を吐き出すように呼吸する。
「息止まったぁ!」
私の悲鳴混じりの声をあげると、バッカニアさんが困ったような顔をした。
目を細めて、息を整える私を見る。
「息を止めなければよかろう。」
しっかりと私を抱え、離さないバッカニアさん。
もしこの場を誰かに見られれば、即日噂が広まるだろう。
そのことはお互い頭にあるはずなのに、どうしてだろうか抑えが効いていない。
息も絶え絶えになってから、本当のことを告げる。
「キスするの初めてで分かんなかったんだもの…」
小さな声であからさまなことを言うと、今度はバッカニアさんまで真っ赤になった。
私を抱える手を緩め、いつでも逃げれるようにしてくれる。
腰を緩め、呼吸を整えるうちに気づく。
「あれ…これ…匂い混ざった?」
私とバッカニアさんの間の匂い。
「私の香水とハニーの石鹸の香りが混ざって、どっちの匂いか分からないわ」
「なまえだと分かれば十分だろう。」
「皆にバレちゃう」
「ぬ…。」
赤い顔をした、私とバッカニアさん。
「恥ずかしい」
「なまえだけが恥ずかしいと思うな。」
通路で少しばかり立ち尽くし、自分の唇に触れてみる。
唾液で濡れて、口の中は熱のあとで快感の引き出しがあるような感覚がした。
さっき私がしたものとは違う、大人がするキス。
「そうね」
あのキスが、当たり前のことで普通のこと。
恥ずかしくても、これが感情の行きつく先のひとつ。
歩み出した私の恋は、私の中だけで前途多難だ。





2019.12.12










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