嘘を吐いた、その唇で




嘔吐描写注意








白いテーブルの上に並べられた、私の手料理。
クロックムッシュ、カルボナーラ、アイントプフ、フォルシュマーク、シチュー、ヴァレーニキ、シュニッツェル、ボルシチ、ビーフストロガノフ、黒パン。
ほうれん草のソテーとポトフをテーブルに置き、完成。
「作るスピードが上がってますね。」
テーブルの前で微笑むキンブリーさんが綺麗な手つきで、ほうれん草のソテーを一口。
見慣れた真っ白なスーツ姿のまま、唇を汚さずに食べる仕草は紳士としか表現できない。
「あの、ソテーの味どうですか?」
「美味しいですよ。」
そう言ったあと、キンブリーさんは黙々と食べ始めた。
ここはキンブリーさんが住んでいるアパート。
彼は私が通う学校の美術専科に、ヌードモデルとして来ている人。
ある時、私が調理室で慣れない料理に慣れるべく一人で食材と奮闘しているのを見かけられ、バイトを持ちかけられた。
キンブリーさんの部屋で一日三時間、好きなだけ料理をして8000センズ。
どうしてそんなバイトを持ちかけたのか、なぜ他人に料理をさせるのか、何も分からないまま受けた。
聞くところによると、キンブリーさんの本業はサーカスの芸人だという。
小遣い稼ぎにヌードモデルをしているらしい。
でも、サーカスの芸人というのが嘘だというのは察しがついていた。
ヌードモデルで学校に来ているというのに、学長で錬金術も嗜む美術学部部長と親しくしている。
それに、先日は軍の人と一緒に歩いているのを見てしまった。
何をしているかよく分からない人だ。
彼の身体をデッサンしているとき、位置的に横顔を描くことが多い。
比較的整った顔から、悪そうな感じはしなかった。
清潔感と紳士的な物腰が伝わるキンブリーさんと接していても、嫌な気分にはならない。
バイトでは色々な料理をこれでもかと試せて、料理の腕が上がっていく。
給料も悪くない。
おいしいバイトだと思い、バイトの意味を知り得た今も引き受けている。
今日一番作るのに苦労したのはヴァレーニキ、作り慣れてきて上手く作れたのはクロックムッシュ。
黒パンは来る途中に買ってきたもの。
キンブリーさんは、どれも美味しそうに食べる。
食べ物の好き嫌いは無いらしく、生焼けでない限り何でも食べてしまう。
会う時は家でも白いスーツに綺麗に結んだ髪。
基本的に私の料理を無言で食べ続けてくれる。
一度だけ「これ、まずいです。捨てなさい。」と返されたのは覚えたてのシン料理。
薄いパン生地の中に肉や魚を詰めるものだったけど、あれは駄目だったらしい。
調理器具を洗っている間にも、キンブリーさんは食べ進める。
実は食べる順番があって、スープから先。
その次に肉や魚、最後にパン。
だから今日買ってきた黒パンは一番最後に食べる。
これだけの食材を買うお金も調理器具一式も、どうやって揃えたんだろう。
言えはしないけど、キンブリーさんの部屋はどこにでもあるアパート。
食材と調理器具を揃えるお金と住居が釣り合っていないように思えるけど、そこは大人の事情なんだろう。
肉を置いていた皿を洗い終わる頃、キンブリーさんの声がした。
「ごちそうさまでした。」
ふう、と一息ついたキンブリーさんにコップ一杯の水を出すと、すぐに飲んでくれた。
私の手料理が乗っていた皿は、洗う手間も省けそうなくらい綺麗に食べられている。
コップを丁寧に置いたキンブリーさんが、スーツの上を脱いだ。
椅子の上に置き、首と肩を軽く回してから軽やかな足取りでトイレへ向かう。
コツ、コツ、コツ。
足音がトイレへ向かう間、私はずっとキンブリーさんを見ていた。
なんで、こんなことをするんだろう。
テーブルの下に転がっていた空のバケツを手に取る。
もう何度も見たバケツ。
これいっぱいに水を入れて、それを飲み干してからキンブリーさんは私の手料理を食べ始める。
最初は意味が分からなかった。
その意味は、すぐにわかる。
スーツの上を脱いでいく意味も、嫌でも理解してしまう。

トイレから吐瀉物がぶち撒けられる音と、間にキンブリーさんの声がする。
びしゃびしゃびしゃ、おごぇえぇ、びしゃびしゃ、ぐぇっ、びしゃ。
もう聞きなれた音。
最初は驚いて泣いてしまったけど、もう何も思わない。
何も置かれてなかったかのような皿を手に取り、洗う。
その間にも汚い音とキンブリーさんの短い呻き声が聞こえる。
ソースの汚れもつかないほど綺麗に食べるキンブリーさんの手つきと口。
それなのにどうしてだろう。
あんなに綺麗に美味しそうに食べるのに。
汚れた皿を全て洗い終わる頃、トイレから流す音がする。
何事もなかったかのようにキンブリーさんがトイレから出てきた。
「ふう、今日もありがとうございました。」
棚の中から財布を取り出し、8000センズ。
冷蔵庫からデザートのクレープを取り出し、テーブルに置く。
クレープと私を交互に見てから、私に向かって笑顔。
「いいですよ。」
ハンカチで口元を拭くキンブリーさんは、顔色ひとつ変えていない。
8000センズを受け取り、脱いだスーツの上を着るキンブリーさんに聞いてみる。
「あの、なんでこんなことするんですか」
この関係性とバイトの決定打になりかねない事実に、切り込んでみた。
口を拭いたハンカチを丁寧に畳んでスーツの内側のポケットにしまい、私を通り過ぎて洗ったばかりのコップで水を飲むキンブリーさん。
「言いましたよね、私はサーカスの芸人なんですよ。」
「この前、軍の人と一緒にいるとこ見ました、軍でサーカスするんですか?」
後ろで、コップを置く音がする。
殺気に似た何かを感じないこともない。
キンブリーさんは男性。
いざとなったら金を放り投げて逃げ出せばいい。
独特の声が、後ろからする。
「嘘はつきたくなかったんですか、仕方ありませんね。」
大きな手が、私の肩をそっと握る。
「私は国家錬金術師なんです。」
耳元で、囁かれた。
「え」
振り向くと、手のひらを私に見せたキンブリーさんがこちらを見ていた。
手のひらには立派な錬成陣。
今まで気づきもしなかった手のひらの刺青に目をやると、手を隠され目のやり場を奪われる。
「どうしてバイトを?と思うでしょう。それに、なんでこんな家に、とか。」
「まあ、思います」
「今の今まで聞かなかった理由を伺ってもいいでしょうか。」
「軍の人と歩いてるのを見なかったら、ずっと聞きませんでした」
「正直ですね、よろしい。」
間を空けて、キンブリーさんは続ける。
「つい最近まで刑務所にいて金が無いんですよ。生憎身体は鍛える時間がありましてね、出所したばかりですが贅肉はついていない。」
唖然とする私を見ても、笑いもしない。
清潔感があるキンブリーさん。
でも、先ほどまでトイレで盛大に吐いていた。
人は見た目によらないとは、このことだ。
「ヌードモデルのバイトは好都合だったんです。」
あんなに綺麗に食べる人が、少し前まで囚人だったなんて。
「なんで錬金術師が刑務所に」
「戦争で上官を五名殺しました。」
「その人たち、なにか悪いことしたんですか」
「特には。」
「そう、ですか」
言葉に詰まり、立ち尽くす私。
殺し殺され、そんな世界とは無縁。
どう答えたらキンブリーさんを傷つけないだろう。
何も言わない私に呆れたのか、キンブリーさんは一歩さがって私を見据えた。
「ほら、そういう顔をする。だからなまえに嘘をつきました。」
今、私はどんな顔をしているんだろう。
事実に対する落ち込みが見えてしまっているのか、それとも違う気持ちまで見透かされてしまったか。
ころした、せんそう、けいむしょ。
日々の生活では無縁のこと。
「…戦争なんて」
戦争なんて、戦争なんて。
このあとに続く言葉が、心の底にある理性から出てしまった。
「みんな悪いことしてるんだから、別にキンブリーさんは悪くなかったよ」
吐くための料理を作る私。
吐くために食べるキンブリーさん。
吐かれた食材の代わりに生まれる金。
どれも見方によっては、悪いことになる。
「どうして吐くの?」
もしかして、戦争で精神的に不安定になってしまったのが理由かもしれない。
あるいは、戦争より以前の理由で吐いている。
どれにしろ、私には知る理由が少しだけあるはずだ。
キンブリーさんが私の目の前に来て、顔を寄せた。
ゲロくさくない顔が、すぐ前にある。
「こういうことが出来るように。」
そう言ったキンブリーさんの口から、赤い石が見えた。
綺麗な歯の間に、赤くて細長い石が挟まっている。
「なにそれ」
「何に見えますか?」
「宝石」
印象のままに答えると、赤い石は口の中に戻り、嚥下の音がした。
どう見ても石にしか見えない、食べ物ではないものを飲み込む。
「いい線いってます。」
キンブリーさんの口には、もう赤い石はない。
「これを怠ると大変なことになるので、吐く練習をして喉と食道を鍛えるのは必要なんです。」
明らかな鉱物を、キンブリーさんは出し入れしている。
胃から食道までの距離、食道から胃までの距離。
どれを考えても常人ができることではない。
「嘘、これ以外についてるんですか」
「ついていません。」
キンブリーさんの唇から、目が離せない。
またあの赤い石が見えるのではないか、とついつい見てしまうのがバレたのか、キンブリーさんが笑った。
青い目が、優しそうに輝く。
「バイト、まだやってくれますか。」
「はい」
「なまえを離すのは惜しい、これだけ料理が出来るのですから、これからも吐くための料理を作って頂きたい。」
キンブリーさんが、そっと私の手を握る。
指には荒れのひとつもなくて、嫌悪感はない。
「それと、気が変りました。吐かないほうの料理も、なまえに作ってほしい。」
これだけの料理、とキンブリーさんは言った。
色んな料理が作れるようになったのは、吐くためとはいえキンブリーさんがキッチンを貸してくれたおかげ。
私一人の力ではないのに。
握られた手から、キンブリーさんの体温が伝わる。
男の人の気は、すぐ変わるものなのだろうか。
それすらも、まだ知らない。
わかりましたと頷けば、キンブリーさんはいつもどおり笑った。
キンブリーさんが吐かないための料理は、何にしようか。






2019.10.22








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