ウェイトレスとリボン


アエルゴの内情はゲーム版参照




ダブリスに移住して二年。
そろそろ移住地を更新し、職を新たに見つけなければアエルゴへ強制送還。
というのは建前で、二年の間のうち半年はデビルズネストというダブリスの酒場で用心棒をしていた。
居心地が悪くなったガンマンが国外へ逃亡なんて、よくある話。
ダブリスは生憎空模様も真っ青になるくらい平和で、アエルゴのように日常的にマフィアが支配する街ではなく撃つことはなかった。
半年ぶんの金をグリードと名乗る元締めの不気味な男から貰い、銃をしまって生きる。
いざとなれば銃を片手にアメストリスで生きればいい、でもダブリスへ来てからそうは思わなくなった。
酒と煙に塗れるだけで、殺しも犯しもしない人々。
女を求めて夜に溺れる男たち。
汚れた場所はあっても、アメストリスは平和。
もちろん表向きの話であって、裏はどろどろしているのだろう。
でも、アメストリスには道端で飢えた野良犬もいなければ乞食もいない、街を絞める「ファミリー」に粛清された人もいない、アエルゴよりはずっと平和。
働き口を探せば、普通の仕事はいくらでもある。
銃が無ければ自分を守ることもできないアエルゴとは大違い。
二年前の私に教えれば驚くようなことが、アメストリスにはたくさんあった。
私が「銃」で生計を立てていたことを知り、何かを察して自分の店の雑用という働き口を与えてくれたイズミさん。
アメストリス語が下手くそでも、私を笑わずに話してくれたシグさん。
背景を知っていても笑顔で接するメイスンさん。
あの肉屋で囲まれて、私の尖った心は丸くなりつつあった。
銃を構えていなくても、人として接してくれる人は必ずいる。
それを知ってしまってから、銃を持つ仕事をしたいとは思わなくなっていった。
「持つべきものは、友達ね」
制服に袖を通し、運よく引き当てた仕事の馴れ初めを思う。
肉を担いだメイスンさんから「なまえさん、次の仕事と移住地見つかってないよね?雪が平気ならいいのがあるんだけど。」と言われて、今こうしてブリッグズにいる。
メイスンさんの叔父はブリッグズのベテラン山岳警備兵。
ブリッグズ要塞内のカフェの人員が足りていないらしく、手の空いている者なら軍人でなくてもいい。
とのことだった。
喜んで引き受けた私は、人生で初めてウェイトレスの服に身を包んでいる。
「カフェの店員なんて初めて」
白いシャツに黒のワンピース。
大人しいデザインだけど、かなり女性らしい恰好。
イズミさんが見たら、なんて言うかな。
「可愛いじゃないの!」かな、それとも「いつものほうが似合うよ。」かな。
どっちかな、と思いを馳せる。
調子がいい時のイズミさんのカバンを持ち、ふたりでダブリスの街で買い物をしたことがあった。
桃色のワンピースを手に取り「なまえはこういうの似合うんじゃない?」と笑顔で言ってくれたことがある。
その時は遠慮したけど、今は着てみたいと思う。
恥ずかしいからと遠慮するのも、今はやめた。
アメストリスに来てから目新しいことばかりで、アエルゴでの日々を忘れつつある。
血と硝煙の匂い、薬莢と肉片。
戦争でイシュヴァ―ル人に武器を渡し、助けを求められたら徹底して無視をする。
国内でアエルゴのやり方に盾突く者は撃ち殺す。
ひとつ国を跨げば、別の世界があった。
鏡に映る自分は確かに自分なのに、こんなにも違う。
ウェイトレスの恰好を鏡で見て、頭にリボンがあってもいいと思う。
そこまでしたら目立つと思いながらも、少しだけ嬉しい。
自分に余裕ができた。
可愛い恰好をしたいという、感情から産まれる原始的な欲求のひとつ。
ホールに赴くと、既に人がいる。
数人から注文を受け、キッチンにいる男性にメニューを伝える。
出来上がり次第、客席に運ぶ。
飲み終わった後は私が片付ける。
これだけの仕事。
掃除の仕方も覚えないといけないけど、イズミさんの肉屋と比べたら力仕事は無い。

ただ、思うことがある。
店員をしていて、何も粗相をしていない時でもブリッグズの人たちは私をじっと見ていることが多い。
新入りだから珍しがられているのかもしれないけど、それにしてはあまりにも見られることがあった。
容姿が奇抜でもないのになぜだ、と考えた際にしっくりくるのは、人種的差異。
アエルゴ人は、基本的に背が低くがっしりとした骨格で、浅黒い肌と大きな鼻と顎を持っている。
私が唯一アエルゴ人だと思える外見的要素は骨格が他の女性よりもしっかりしているところくらい。
要するに見た目が目立ち、どこか異国の匂いをさせる見た目なのは承知している。
可能性としては、異質な女として見られているか。
そういうこともあるだろうと割り切っても、見られていると分かりながらホールを眺めるのは良い気分ではない。
ホール全体を見渡し、少しでも動きがあれば目がいく。
カフェの仕事で、即座に銃を引き抜く反射神経が役に立つ。
のんびりしたカフェの店員は落ち着くけど、同時に僅かな退屈が心の中で増していく。
早く誰か来てくれないかな。
一息つきたいけど、これは仕事。
前みたく縄を片手にメイスンさんを追い掛け回すことは出来ないのだ。
人がいる時であれば退屈ではないだろうけど、今は午後二時。
昼も過ぎて人が入らない時間帯。
少しだけ退屈。
イズミさんにチョコレートパイを焼いてあげたり、訪ねてくる子供たちと遊ぶ時間。
下手くそなアメストリス語が上手くなるたびに、それとなく褒めてくれるイズミさん。
ダブリスにいて、寂しいと思うことはなかった。
今も、そう。
寂しくなくても、退屈なのは面倒くさい。
退屈が終わらないかと、目を泳がせる。
ホールの入り口付近に目をやると、かなり大柄な男性が入ってきた。
職業病だろうか。
その姿に一瞬で目を奪われ、脇に銃を携えていないことに背筋が凍りそうになる。
ここはアメストリス、撃つ必要はない。
重火器を持った大男が突然やってくることはないのだ。
気を戻し、カフェの店員になる。
その男性の容姿は、私と比べものにならないくらい目を引く。
人の倍はある体躯に2mは越す身長、右手は機械鎧で頭はモヒカン。
厳めしい顔つきと動物のような特徴的な髭。
モヒカンの後ろから延びるみつあみを揺らしながら、のしのしとした足取りで椅子に座った。
席についたのを見計らい、注文を取るべく伺う。
ご注文お決まりですか、私がそう聞く前に男性は低く唸るような声で言う。
「コーヒーひとつ。」
おそらく、ここの常連。
「畏まりました」
返答し、メモをとり奥へ向かう。
低い声。
なにもかも厳しそうな顔。
普通の男性の倍以上ある腕。
見た目も顔も、優しそうだとは思えない。
どこか厳しい印象を受ける軍人さんだ、と言葉を飲み込みながら裏にいた店主に注文を伝える。
「コーヒーひとつだそうです」
「あー…それ注文したのモヒカンの巨漢?」
そうです、と言えば店主はあれなあ、と続ける。
「見た目はあの感じだけど、コーヒーにミルクつけないと怒るから気を付けろよ。」
「怒る人なんですか?」
「怒るっていうかまあ…俺が警備兵時代に何度か怒鳴られて掴みかかられただけ。」
「何かしたんですか」
「ありがちなミスを連発しただけ、まあ気に障ることはしないほうがいいよ。」
それに、と続ける。
「なまえさんは女性だし大丈夫!」
笑顔で店主が言う。
それでいいのかと思う。
ここの掟は「弱肉強食」だと聞いた。
人種、民族、男女、同じ天秤。
そのあたりは非常にアエルゴに似ている。
アエルゴの場合は君主制であることから、平民同士の小競り合いも絶えず、マフィアばかり。
力に抗うのが、アエルゴで生きる掟。
その掟が嫌でアメストリスへ来たわけだから、結果として比較的自由に生きれる今が一番いい。
出来上がったコーヒーを受け取り、ミルクのカップをトレイに乗せる。
トレイを持ったまま歩き、大男の目の前に淹れたてのコーヒーが入ったカップを置いた。
「お待たせいたしました、コーヒーです」
コーヒーを置き、ミルクを置くついでに相手を伺う。
近くで見ても、体格は相当大きい。
殴りかかられたら一撃で脳震盪を起こしそうな腕の筋肉と、熊の手のような機械鎧。
指先は尖り、明らかに殴り掛かり相手を殺すように作られている。
もし一対一で相手にすることがあれば、近距離戦は避けたほうがいい、と長年の勘が言う。
これだけの大男に責められたら、弾切れを起こせば死を免れない。
間合いを詰められれば、拳一突きで気を失うだろう。
かつての職業病で相手を見定めてから考えを消し、ミルク用のスプーンを置くついでに顔を伺った。
一瞬だけ目が合い、にこりと笑う。
すぐに逸らされてしまった大男の目は、青色だった。
大男の髪は黒。
この顔立ちに青い目、おそらく混血。
アメストリスは比較的混血が多い、アエルゴで産まれ育った私には混血が珍しく映る。
トレイを下げ、会計の紙を置くまでの隙間に大男を観察した。
生身のほうの手でコーヒーカップを持ち、ミルクが入ったコーヒーを丁寧に飲んでいる。
もっと豪快に飲みそうなのに、仕草は目立たない。
ミルクのカップには半分ほど中身が残されており、コーヒーの最後にミルクを入れて楽しむのだろう。
大男をもう少し至近距離で観察したいけど、これは仕事。
さあ後にしようと戻る手前、視界の端。
大男のみつあみの先に小さな白いリボンがついていた。
持ち場に戻りながら、見た光景を復唱する。
一対一なら殺されそうな厳つい見た目に、小さなリボン。
可愛らしく思えて、口元が綻ぶ。
「ごゆっくりどうぞ」
私がそう言うと大男は「うむ。」と返事をしてくれた。
コーヒーを飲むリボンの男性のテーブルから離れ、あのリボンを思い出す。
先ほどまでリボンをつけようか迷っていた私の悩みがバカらしくなる。
女性らしい恰好をしての仕事なのだ。
思い切って髪を結う飾りにリボンをつけてもいいじゃないか。
カフェのコーヒーが似合うような女になってみても、誰にも咎められない。
アエルゴじゃできなかったことが、ここでは出来る。
コーヒーと軽食の匂いがするカフェで、自分らしくしてみよう。





「お待たせしました」
「うむ。」
大体決まった時間、決まった注文。
決まった会話と返事。
つまらないけど、変わり映えのしない毎日も良い。
リボンの男は午後二時か夜七時に来ては、コーヒーだけ頼んでいく。
機械鎧の手は尖った手だったり普通のものだったり、勤め始めて二週間のうちに一度だけ大きなチェーンソーのような機械鎧をつけているのを見た。
一体どういう理由で機械鎧を頻繁に変えているのか知らないけれど、ここは軍。
何かしらの事情があるんだろう。
軍属ではない私が突っ込んでいいことではない。
曲りなりにも銃と共に生きて来た身としては、ころころ変わる機械鎧がどんな性能なのか気になるところ。
リボンの男の腕も、ちょっとした背景も。
昼はともかく、夜にコーヒーだけ飲むのは気が知れない。
あの日以来、髪留めにつけたリボンは彼と同じ白い色。
気づいてくれるかなと思ってしまう僅かな期待もあるけれど、私は彼がどんな人かも知らない。
知っているのは体躯が大きく顔も怖く、声も低く、今のところ言動も見た目通りの人。
でもみつあみの毛先にあるリボンを見る限り、悪い人だとは思えない。
人を見て「悪人ではない」と判断する私がいるなんて、思いもしなかった。
私の中の、僅かな変化。
カフェの店員の身だしなみを気にする人なんて、まずいない。
「あの人、コーヒーだけ頼むのね」
裏でコーヒーと紅茶を同時に作る器用な店主にそれとなく声をかけ、世間話をする。
「ああ、大尉?あの人いつもそうだよ。」
「コーヒー飲むと他に欲しくなりませんか」
「俺はタバコ欲しくなるなー、警備兵時代はコーヒー飲んでタバコ吸ったら六時間くらい何も食わなくても平気だった。」
「今は?」
「全然。タバコも滅多に吸わないかな。」
わははと笑う店主が、手際よくコーヒーと紅茶を淹れる。
タバコは吸わない、酒も飲まない。
嗜好品に使う金を何に使ってたっけ、と思い返し銃の手入れや新調だったことに気づき、頭から思い出をかき消す。
コーヒーを一人分のカップに淹れる店主が、スプーンを用意しながら一言零した。
「人によっちゃクッキーとからしいけど。」
「タバコの代わりに、ですか」
「そうそう、甘いもので落ち着く人とかいる。」
これ大尉に、とコーヒーを渡される。
リボンの男の名前は、まだ知らない。
大尉と呼ばれているくらいだ、ここに勤めて長いんだろう。
誰かと来るわけでもなく、一人で決まった時間に来てはコーヒーだけ頼む姿。
私はリボンの男がいるテーブルにコーヒーを置いていくだけの関係性。
コーヒーを飲むときは、私だったらどうしてたっけ。
誰かと飲む習慣がないけれど、別の習慣ならある。
「よし、アエルゴ式やってみますか」


「本当なんだって!」
小麦粉を片手に通路の脇で休憩していると、談笑しながら歩いてくるブリッグズ兵の声がした。
五人の足音、たぶん山岳警備兵の交代だろう。
直前まで冷たいところにいた時の呼吸の仕方、踵に気を使わない足取り。
疲れていそうだ、邪魔をしてはいけない。
奥に引っ込み、兵士の目の触れないところで通り過ぎるのを待つ。
「ボビーが言ってたことだろ?女の子が店員になったっていう…。」
ああ、私のことだ。
この話に聞き耳を立てれば、じっと見られる理由が分かるかもしれない。
来た当初から異様に見られる理由。
実は兵士の中にアエルゴ人がいて、私の素性がばれてしまったか。
それとも国内外のガンマンの顔を覚えている者がいたか。
どちらかなら、ここは立ち去らないといけない。
見た目の異質さを指摘されるだけなら、異国だということで存分に割り切ろう。
髪のリボンを弄りながら、兵士の声に耳を傾けながら自らの気配を消す。
「どういう経緯で来たんだろうな、軍属じゃなさそうだし。」
当たり、軍属ではない。
「案外誰かの知り合い伝とか。」
当たり、友人の叔父がここの勤務。
「その話題で俺んとこも持ち切りだった。」
「ここじゃ新入りは目立つようで目立たないから、話題になるってことは…。」
「ボスの知り合いとか?」
「あー、それあるかもな!」
一人の男が嬉しそうな声をあげた。
「それもさ、話題になるのも見たら分かるぜ。その女の子ほんとスゲー可愛いんだよ!」
リボンを弄る手が、止まる。
同時に顔に熱が集まり、聞こえた言葉に耳を疑う。
かわいい?
私が?
そんなわけない。
私をよそに、兵士たちの談笑は続く。
「まじか?」
「人当たり良さそうな感じで接客してくるんだけど、顔が可愛い!」
「そりゃーいいな。」
「髪の色と目の色を見たけど、アメストリス人じゃないかもしれないな、でもスゲー可愛いよ。」
「一週間くらい前から髪にリボンつけててさあ!可愛いのなんのって!」
「リボンが似合う感じ?へー、見てみたいな…女の子か…。」
「たしかに、あの女性は良い。」
「ってもよーお前、ここ女の子成分少ないから余計そう思うんだろ。」
「あれは成分関係ない!可愛い!」
かわいい、かわいい。
連呼される言葉にカフェの今までの顔を思い出す。
100人兵士がいれば、90人は男性だった。
勤め始めてから二人ほど女性を見たけど、それきり。
女性は紅茶にプレーンクッキーだったりスコーンを頼むけど、男性はコーヒーを飲むだけ。
そして異様に見られる理由。
人種的差異、異国の肌、新入りという違和感に包まれている私という存在はこんなところで独り立ちしたイメージがある。
穏やかな事実が判明したはいいものの、恥ずかしい。
コーヒーや紅茶を運ぶ先にいる兵士の性別は、男性、男性、男性。
殆ど男性しかいないことに、今頃気づく。
兵士たちの声が、私に届く。
「うわーっ!俺あの子と詳しく知り合いてえー!よくわかんねーけど良い匂いするんだよ!あの子!名前も知らないけど!」
「ほんとかよ、俺も行ってみようかな。」
「見たら絶対びびる、あの巨乳とスタイルはすげえぜ。」
「あと脚なげーよ、背も高いからウェイトレスの恰好やべえくらい映えてんの。」
「うちの女王様が黄金なら、あの子は真珠だな。」
「美人なのか?」
「美人っていうか、ありゃ可愛い系だな。」
「可愛い系で真珠って、どんなんだ。」
「お前も見ればわかるって!ニールのまっずいコーヒー飲むならカフェのほうに行くぞ!」
兵士たちの声が、遠ざかる。
小麦粉を抱える手に汗をかき、茫然と立ち尽くした。
今の会話は、なんなんだ。
銃を手に生きてきた。
見た目も身体も商売にしたことがないから、当然褒められたこともない。
褒められるのは悪い気分ではないと思えたのは収穫。
でも、こんな気持ちになるなんて。
顔に集まった熱がだんだんと引いて、全身に血が行き渡った。
「…戻ろう」


「コーヒーひとつ。」
「畏まりました」
決まった会話、決まった返事。
リボンの男の機械鎧は、今日は尖っていない普通のもの。
ウェイトレスと客という、いたって変哲のない関係。
これを打ち砕いて、ブリッグズ内での生活に潤いと楽しみを足すか引くか。
私の勘が言っている。
リボンの男は、悪い人ではない。
新しい土地、自分を知らない誰か。
今までと違う環境に、自分を取り巻き知らない人たち。
銃を取り払った私がどんな人間か、今はわかる。
店主が用意するコーヒーを受け取り、別に用意した皿に自分で焼いたクッキーを乗せる。
用意していると、店主が手元を伺った。
「えー、そのクッキー自分用に作ってたんじゃないの?」
「一日二枚限定です」
「一枚はなまえちゃん、もう一枚は俺じゃないの?」
店主が笑う中、リボンの男に頼まれたコーヒーを運ぶ。
大柄な身体に近づき、いつもの手つきと立ち姿でコーヒーを置く。
「お待たせしました」
リボンの男が低い声で返事をする中、ジャムとクッキーが乗った皿を置く。
ブルーベリーとリンゴのジャム二種類少々、バタークッキーが二枚。
「む、これは?」
「クッキーです、さっき作ったので…サービス」
アエルゴでは、ティータームに必ずクッキーとジャムを用意する。
紅茶なら砂糖が多いクッキー、コーヒーならバターの多いクッキー。
もともとは客人をもてなすための意味合いのある習慣だったけど、今では食文化として定着している。
リボンの男に向かって、にこりと笑う。
笑顔が顔に張り付いていないか気になるけど、コーヒーのお共にどうぞという気持ちは本物。
怪訝さを薄めたような顔で私を見たリボンの男に、相槌を探るべく名を名乗る。
「あ…なまえと言います」
どうも、と愛想よくすればリボンの男が相変わらず低い声で答えてくれた。
「バッカニアだ。」
「バッカニアさんですね、覚えました」
口の中で、何度か繰り返す。
アメストリス特有の名前だろう、私の発音に馴染みがない。
バッカニア、バッカニアと心の中で復唱しつつ、笑顔で接客する。
「…リボン。」
「はい?」
バッカニアさんが機械鎧の右手で頭のほうを指さして私を見た。
自分の髪留めにあるリボンに気づき、笑って説明する。
「ああ、これ…バッカニアさんのリボン見て、私もいいかなって思って」
クッキーを作る前に聞いた兵士たちの会話。
かわいい、という言葉。
それはもっと小柄で幼くて守りたくなるようなものに言う言葉であって、きっと私が貰う言葉ではない。
リボンひとつ着けるのにも躊躇っていた私に似合う言葉では、ないはず。
「そうか。」
バッカニアさんがコーヒーを置いて、クッキーをひとつ手に取る。
自分ではちょうどいい大きさで作ったつもりなのに、バッカニアさんが手に取ると凄く小さい。
「時間、いつも決まってますよね」
「休憩と終わりの時間には、ここに来る。」
そう言って、クッキーひとつを一口で食べてしまった。
次からもう少し大きく作ろう、ああでも、まずいと言われてしまっては意味がない。
気に入ってもらえたらいいな。
大きな口に放り込まれたクッキーが噛み砕かれる音がして、心地が良い。
自分で作ったお菓子を他人に食べてもらうことは、ほとんどなかった。
寛げる環境が今まで無かった、というのが大きい。
それこそアメストリスに来てイズミさんに出会ってから調理の腕を磨いたくらいで、得意ではなかった。
イズミさんと共にキッチンに立っていたことが、こんな役に立つとは。
クッキーを噛み砕き、コーヒーを一口飲んだバッカニアさんが告げる。
「美味い。」
「本当ですか!?」
嬉しくて、つい声が大きくなる。
周りにいた客が、こちらを見るのが分かった。
思わず口を押え、一息ついてからバッカニアさんに微笑みかける。
「また作りますね」
「ほう、有難い。」
ありがたい、と言われ全身が温かくなる。
誰かにお礼を言われること。
純粋な気持ちが許されること。
今までの環境では出来なかったことが、ここでは出来る。
喜びを感じながら、残りのクッキーを食べるバッカニアさんに「ごゆっくりどうぞ。」と挨拶してから、軽やかな足取りで持ち場へと戻った。






2019.10.21






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