パンドラ



白い壁、床、窓、カーテン、机、椅子。
殺菌された白さで統一させた部屋に、私は暮らしている。
来訪者は看護婦が日に二回。
朝ご飯と夕ご飯を部屋に持ってくる時だけ。
それ以外は自由な時間だけど、みんなから疎まれたり怖がられたりするから広間には出ていかない。
ここには「みんな」がいる。
みんな、殺菌された部屋にいて同じような生活をして一日を過ごす。
みんな周りに混じれない、でも私はとりわけ「みんな」に混じれない。
お昼ご飯を食べる時は、隠れて食べる。
なんとなく、食べるところを見られるのはトイレしているところを見られるのと同じような気がしてしまって、みんなと食事することが出来ない。
たまには好きなものを沢山食べたい。
それがみんなと私に共通する唯一の点であり、それ以外の共通点といえば何かしら抱えて、ここにいるということ。
何を抱えているかなんて、みんな忘れたい。
だから何もないふりをして毎日をゆっくり過ごす。
ゆっくり呼吸をして、静かに音もなく歩み寄る死の影を眼球の裏に感じながら、ただ過ごすだけ。
それくらいしか、私たちには出来ない。
思う通りに事が動かないことが殆どの世界で、できることは限られる。
走り回ること、夜中にこっそり起きること、朝遅くまで寝ること、大声を張り上げて遊ぶこと。
これらは全て「できないこと」。
お腹がすいた、カレーが食べたい、そう思うとすれば私は簡単に「そうすること」が出来る。
目の前にいる黒いボサボサ頭の影浦くんの脳内に「面会時間、五時で終わりだから」と話しかけると、長くて細い腕が黒いボサボサ頭の後ろを掻いた。
「それ、やめろ。」
なんで?
「脳みそに直接刺さって後から気持ち悪くなるんだよ、わかってやってんだろ。」
そうだよ、でもこうして話すほうがいいの。
「まあいいけどよ、好きにしろ。今日は俺のほうから来てやったことだしな。」

影浦くんは、幼馴染。
感情受信体質という、世にも奇妙なサイドエフェクトを持つ。
「みんな」の中でも異質なもので、ここに診察に来るたびに誰かと喧嘩していた。
人の気持ちがチクチク刺さる感覚があるらしく、普通に過ごすには色々大変。
だから月に一度病院に来て診察を受ける。
そのうちボーダーにスカウトされて、三か月に一度の診察になった。
性格とサイドエフェクトが合って、上手くやってるらしい。
影浦くんが診察の帰りに私と話すことは、よくある。
この歳になっても「みんな」と混じれなかった私を、影浦くんは馬鹿にしながらも哀れむ。
一見粗野で乱暴でデリカシーがないけど、影浦くんは優しい普通の人。
裏表のない影浦くんと話していると、自分が自分でいることを一瞬だけ忘れられる。
影浦くんをよそに、顔を見かけたことのあるだけの炊事担当の病院食調理師の脳に話しかけて「カレーが食べたい」と吹き込む。
何度か吹き込んでしまえば、自然と思い込む。
頭の中の声が「自分の声」や「幻の声」だと思い込んでしまう人は、とてもとても多い。
私のサイドエフェクトは、特殊声質。
声を届けたい相手の顔を思い浮かべてしまえば、相手の頭の中に声を響かすことが出来る。
誰が授けたか知りたいくらい、非常に悪趣味なサイドエフェクト。
「なまえ、ボーダーほんとに来ねえの。」
うん、行かない。
「うさんくせー迅の野郎が言ってたぜ、なまえちゃんはボーダーに来るべきだってよ。」
その人の話題、何回聞いても慣れない。
「おい、なまえ。新しいの貰ったんだろ、それで喋れ。」
影浦くんが、私の首にある人工声帯を指さす。
手に持つ人工声帯よりも便利で、機械を喉に埋め込み傷穴が塞がることによって発声が簡単になる。
「どう?」
声を発してみれば、影浦くんが顔を顰めた。
人工声帯独特のカエルのような声が、耳障り。
「あー…前の人工独特のガリガリ声より、いくらかマシになってるぜ。」
喉から空気を逃がすように笑えば、影浦くんが口元を歪めて笑う。
「普通に過ごす時は、それでいいじゃねえか。」
影浦くんは、私のことを気にしない。
どうして喉が潰れたか、みんな一度は聞いてくる。
あるがままに「私の「声」の両方を耳障りに思った母が、私の喉を刺して潰した」と説明すれば青ざめた顔をして、一様に言葉を失う。
影浦くんは、私の喉のことを聞いてこない。
ずっと病院で暮らすのは何でと一度は聞かれ「私の「声」で頭をやられた母が飛び降りていなくなり、家がないから」と答えればバツの悪そうな顔をする。
影浦くんは、自分の家のお好み焼き屋の話をすることはあっても私のことは聞かない。
聞いていいことと悪いことを、影浦くんは分かっている。
感情受信体質が知る、人の感情のパターン。
それがわかるからこそ、影浦くんは私を「気にしない」のだ。
「つーか、なまえよお。」
「なに」
「そのクソ能力、この病院の中だけで終わらせるつもりか?あと二年で小児科出るんだぞ。」
「うん、そうだよ」
ねえ、と脳に話しかけようとして思い留まる。

「なんで私のこと、きにするの」
「あ?」
影浦くんの目が、ぴくりと動いて吊り上がる。
私からの感情を受信したのか、または思うことがあったのか。
今にも殴りかかりそうな声色で返事をした影浦くんが、いつもに増してガラを悪くした。
「俺と同じクソ能力の持ち主が、ボーダー突っ込まれたらどうなんのかってな、俺が気になるだけだ。」
どうして?
「だから普通に話せっての。」
喉に意識を戻して、筋肉を使って話す。
影浦くんのお願いじゃなきゃ、喉を使って話さない。
「かげうらくんの、ふつうって、どれ」
「呼吸と糞くらい、ひり出せばできるだろ。俺の求める普通はそんなもんだ。」
「だれかに、いわれた」
「ああ、言われた。普通にやれだのマトモに動けだの。言ってきた奴は殴ってやった。」
「かげうらくんを、おこらせるひと…ばかね」
人工声帯が掠れたところで、影浦くんが笑った。
ばかね、その言葉で何かを思い出したかのように顔を赤くして、手を何度も膝に叩きつける。
決して机や椅子を叩かないのは、影浦くんの性格。
または、笑うふりをして私を見据えている。
「そりゃあな!あの面みたらなまえも笑うぜ?なあ、ボーダー来いよ。」
決まってることだろ?と言いたそうな顔をした影浦くん。
「そうしたらよ、今日医者に言われたこと気にする必要なくなる。」

時が止まって、1秒、2秒、3秒で。
「どういう、こと」
私の喉が先に動いた。
「余命告げられたんだろ?担当医に。そのツラのまんまいつ言い出すか待ってたけど、言わねえだろ。」
何も言わずにいると、影浦くんが足を組んで体勢を少し変えた。
長くて細い脚、この脚なら走り回れる。
いいな、うらやましいな。
話題を逸らそうとした私に気づいたのか、影浦くんが続ける。
「さっきの診察、医者が途中で呼ばれちまって、入れ違いで来た看護婦が俺となまえのカルテを間違えて目の前に堂々と置きやがってよ、嫌でも余命のことが見えちまった。」
まあ、と一息ついた影浦くんが私を見る。
鋭い目。
私よりもずっと元気な影浦くんが、なんで私を気にかけるのか。
何かあるに違いない。
「トリオン体なら生身がどうだろうと自在に動き回れる。なまえが死ぬまでの気晴らしと冥土の土産にはちょうどいい。な?」
頭より先に喉から出た言葉。
「わたしは、ここが、おにあい」
そう言うと影浦くんはウザったそうに頭を掻いて吐き捨てた。
「あーーーーーーー!辛気くせえなあ!」
暴言に近い発音、でも言葉の中に確かにある感情。
私にはそれくらいしか感じ取れないけど、きっと影浦くんは今の私の感情が刺さった。
申し訳ない気持ち半分、足音のない死を掴んで殴り殺したくなる。
死は、潜む。
影も形もない、見えもしない。
そして誰もが恐れ、憂う。
死は私たちのサイドエフェクトのように、くっついて決して離れない。
「産まれながらにクソ背負わさせたのはなまえだけじゃねえ、俺もだ。クソひっさげてねえ奴らは、俺らがどんな思いで生きてきたか知りもしねえ、分りもしねえ。」
そう、誰も分からない。
感情受信体質のことも、私の声質も、仕組みは誰にも分らない。
だから私たちは異質として扱われる。
「何の苦労も知らない、そんな奴らが世の中で善論ぶっこいてんだぞ。ムカつかねえか?殴りたくならねえか?俺らのことを化け物みたいに扱う奴らに一泡ふかせる手段が、目の前にある。
それなら手段を取るしかねえだろ。」
珍しく沢山喋った影浦くんの意図を汲む。
なにか、何かがあるはずだ。
悪趣味なサイドエフェクトを持つ私に、ここまで気を向ける理由。
「本音を言えば俺は、なまえのクソ能力で連中がボコボコになるのが見てえ。ただそれだけだ。」
ようやく見えた理由は、少しわかりにくい。
「れん、ちゅう?」
「ボーダーに来れば分かる。」
軽く俯いてから頭を掻いた影浦くんが、暗い顔のままこちらを見る。
「余命。」
ぼそりと呟いた影浦くんに、喉で答えた。
「に、ねん」
「そんだけあれば十分だ。俺の隊に来い、そんでA級一位に上がる。」
にや、と歯を見せて笑った影浦くんが手を差し出す。
「なまえの冥土の土産、最高のもんにしてやるぜ。」
悪だくみの笑顔。
この笑顔は見たことがある。
私を刺し殺そうとする前の母の笑顔だ。
この笑顔をする人の行動の意味を、私は知っている。
知るだけ知っているのに、考えなしに手を取り「声」で話す。
私の力を誰かが必要とすることも、使われることも、凡てが冥土の土産になるのなら、死んだあとは最高の暮らしができるわ。





2019.08.08





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