ホルムアルデヒド




踊り子視点、完結
アセトアルデヒド
氷酢酸







エルヴィンが父親から教えてもらったという歌を低い声で歌う。
テーブルには酒、ラスク、葡萄のジュース。
エルヴィンは酒を飲んで酔う時は必ず私を控えさせ、翌日に響かないようにする。
片腕じゃ何かと不便なエルヴィンの側にいて世話をしていても、嫌にはならない。
今までの生活のほうが、ずっとずっと嫌だった。
無理矢理からだを痩せぎすにして貧血になりながら、血を混ぜるように踊ることもパン一欠片を消化する胃液に腹を痛めなくていい。
踊りすぎで変形した爪先は戻らないけど、足が血だらけになることはない生活。
足が守られる靴が履けて、コルセットを締め過ぎなくてもいい。
しがらみから解放された私は、自由だ。
エルヴィンは稀に鼻歌を歌うけど、上手くない。
たぶん、歌が下手なんだと思う。
その話をハンジさんにしたら、何故か大爆笑されて翌日には皆がエルヴィンの歌が下手だということを知っていた。
ハンジさんからエルヴィンの子供の頃のあだ名が「眉毛」だということも知った。
調査兵団の人たちは私が思っていたより、普通の人ばかり。
私が踊りをしていた頃に相手をしたお偉いさんが特殊なのだと知る頃には、馴染んでいた。
エルヴィンが歌うのは、子供の時に覚えたものだけだと言う。
子供の頃の記憶を遡っても耳にしたことがない歌で、歌のリズムに合わせて勘と脚を働かせ床の上を爪先で舞う。
やっていた事柄、歌は色々と知っているけれどエルヴィンの歌う歌を私はことごとく知らない。
これも育ちの違いなのかを思えば、ハンジさんは「エルヴィンは昔から私達の知らないことが基準だよ。」と教えてくれた。
声の低さも相まって、上手いとは言えない歌に合わせ踊る。
お世辞にも歌は上手くないエルヴィンが、懐かしそうに歌うのを見て笑う気にはなれなかった。
「細い足で、よく踊る。」
優しく笑うエルヴィンの顔。
紳士的に振舞う彼でも、こういう気分の時くらいあるのだ。
「それが私の仕事だったから」
「限られた者だけに出来ることだ、誇れ。」
「そうかなあ、物心ついた時には踊ることが当たり前だったから、いまいち誇れないわ」
歌うのをやめたエルヴィンに合わせ、脚を止める。
スカートの中で散々舞っていた脚は血の気が巡って、空気に触れるたびに冷たさが皮膚を覆う。
「お偉いさんの仕事は目新しいことがあって、楽しいわ」
脚を軽く屈伸させ、筋肉を伸ばす。
すこし前よりも肉がついた体は、自分では気に入っている。
なんの肉もない骨みたいな体よりも、あちこちふわふわしてたほうがいい。
ウエストを締めないとスカートが腰からずり落ちることもなくなった。
痩せすぎだとハンジさんに食わされまくったこともあったし、細くて長い脚を女性兵士に羨まれつつも心配されたことがある。
逸脱しそうな体型は、余興の暗闇でしか生きていけない。
ふわふわした今の体は、エルヴィンが抱きしめた時に揉んで楽しんでくれる。
「次の遠征はいつなの」
椅子に座り、片手で酒を飲むエルヴィンを見つめる。
青い眼、整った顔、金髪。
踊りの子達が群がりそうな容姿をしたエルヴィンを見つめても、怒られない。
過去の環境に、ざまあみろと言いたくなる。
私のいる安全圏は、私が得た。
酒を一口飲んだエルヴィンが私を見ながら答えてくれる。
「目処が立ち次第、すぐだ。」
「そう」
ラスクをひとつ摘んで、食べる。
噛み砕いて食べる経験が殆どなかったので、食感が面白い。
ぼりぼりぼりと齧るたびに、顎の奥に響く。
余興でありつく食べ物に、お菓子はなかった。
調査兵団のほうが真っ当なものを食べれるし着れる。
ラスクをもうひとつ、と思い手を伸ばせばエルヴィンに手を握られた。
私の骨っぽい手が、エルヴィンの大きくて筋肉質な手に包まる。
「寒い。」
ぼそりと呟いたエルヴィンを、まじまじと見る。
部屋は閉めきってるし、窓は開いていない。
気温も低くは無いし、まさかと思いエルヴィンの額に手を当てる。
エルヴィンの体温は熱いくらいで、風邪を疑おうとすれば見透かされて悲しそうに微笑まれた。
「たまに、こういうことがあるんだ。」
悲しそうな微笑、寒さ、私の体温を手で包む。
ああ、そうか。
エルヴィンの手と腕が震えていないことを確認し、ゆっくり立ち上がってエルヴィンの肩をさすれば、そっと引き寄せられてキスをされた。
ラスクの粉がついた唇を舐められ、唾液がついた唇を覆われる。
舌の動きに答えれば、口腔内をエルヴィンの舌が這う。
酒くさい唇がぷちゅ、と音を立てて当たってくすぐったい。
思わず唇を離し、エルヴィンの耳元でキスのお返しをして、自分の腕を差し出す。
「酒はやめて、少し外の空気を吸って」
私の腕を掴んだエルヴィンが、そっと立ち上がる。
窓際まで歩かせ、暗くなった外を眺めさせるために窓を開けた。
外の空気を吸えば、気持ち悪ければ戻すし酔っただけなら頭が冷えて気分がよくなる。
窓際に立ったエルヴィンが、外を見つめた。

「なまえ、君には何が見える。」
「それはどういう意味かしら、私は貴方より頭は劣るの」
「未来だ、この壁の中の世界のことだ。」
そうね、と相槌を打ち思う。
この壁の中は、上手く出来ている。
産まれがまともなものは内地で贅沢に暮らせる。
運悪く産まれが落ちれば、生きる道は限られているし地下街に落ちないだけマシだ。
産まれてすぐに捨てられても、拾う人に優しさがあれば捨て子は幸せになれる。
でも、そう上手くはいかない。
壁が壊されても余興を続ける支配人と、お偉いさん。
みんな、自分のことしか考えられない。
それが正しい姿であったとしても、今の世界は何かしらの大きな変化を迎えようとしている。
私がエルヴィンの側にいることと同じくらい、大きな変化が。
「変化を受け入れようとしている世界が見えるわ」
巨人、戦い、兵士、死人。
調査兵団はそれらと隣り合わせで、その団長をするエルヴィンは常に頭を働かせる。
いつも平静で、底が知れない。
「おそらく私の命は無い。」
底が知れないエルヴィンからは、たまにとんでもない言葉が出てくる。
酔ったにしては、悪い冗談。
エルヴィンの背中をさすって、いつもどおりにする。
私を見たエルヴィンが、思わぬ機密事項を漏らす。
「次の団長はハンジ・ゾエ。私が死んだあと、君はハンジの護衛になる。」
「・・・は」
間抜けな声が出て、背中をさする手が止まる。
死ぬとか生きるとか、私の前ではそういうことをエルヴィンはあまり口にしない。
「死ぬの?」
本気で言っていると気づいて、不謹慎なことを問いかける。
「いつも死と隣り合わせだ。なんとなく勘が叫んでいる、私はそろそろお迎えが来るとな。」
勘、という言葉。
私が散々頼りにしたもので、抗えない本能のひとつ。
滅多に気が滅入ることを口にしないエルヴィンがこんな話をするのは、酒のせいではない確信があった。
酒に飲まれたエルヴィンは、よくモブリットさんを捕まえて持ってきては会話をさせて笑い出す。
私が近くにいる場合は、ひたすらに甘えてくる。
酔っていても、それを越す感情がエルヴィンのことを包んでいるのだろう。
何があったのか聞きたいけど、聞かないことにした。
エルヴィンが片手で器用に窓を閉めて、肉がついてきた私の体を抱きしめる。
男性特有の匂いがする胸元に顔を突っ込む形になり、そっと寄り添う。
「なまえは温かいな。」
大きな筋肉質な腕が私を抱きしめる。
柔らかい肉に逞しい肉がゆっくりとめり込む感覚は、とても落ち着く。
この感覚を教えてくれたのはエルヴィンで、集団生活をしていても独りぼっちで生きてきた私には優しすぎる感覚だった。
必死で踊りを覚えて、偉い人に気に入られて囲われるか愛人になっていった人たちが本当に求めていたものはお金や食べ物ではなかったのではないかと思う。
好きな人に包まれる気持ち。
安心して身を任せられる安心感。
これのために生きていることが許されるのなら、ずっとそうしていたい。
何もかもから解放される瞬間で、許される瞬間。
それはきっとエルヴィンも同じで、なかなか私を離さない。
「本当に死ぬの?」
「近いうちに、な。」
「もしエルヴィンが死んだら、何か遺品を貰うわ」
腕をそっと動かし、抱きしめる片腕を舐めるように撫でた。
筋肉が盛り上がった腕の先にある、大きな手。
私の顔なんか一発で簡単に破壊できそうな掌と指。
エルヴィンの指を見て、いつかの夜を思い出して子宮が疼く。
「この指がいい。私を何度もイカせた、この指。あとは舌も欲しい」
物騒なことを言うと、エルヴィンはまずいものでも食べたような顔をした。
「私を切り取ってどうするんだ。」
「夜な夜なしゃぶりながら慰めるわ」
あはは、と笑えばエルヴィンが私の頬を撫でる。
優しい顔に戻っていて、安堵した。
「私は、なまえに会ってどうかしてしまったんだろうな。」
悲しそうに、嬉しそうに、エルヴィンは笑う。
今まで背負ってきたものが溢れ出してしまいそうな顔をしたエルヴィンが、私を抱きしめたまま零す。
「死が、少しだけ怖い。綺麗事を並べようとも生きるものが意味をつける為の死なのに、死を考えれば考えるほどなまえの顔が浮かぶ。なまえが教えた感情は、なまえがいなければ知る由もなかった。
生きることを諦めても、仲間を諦めても、夢を諦めたとしても、友を諦めたとしても・・・なまえがくれたこの感情だけは手放すことを諦めずに、心に置いて死ぬ。」
「綺麗ごとって、なに?」
「ずっと信じていたいことだ。」
きれいごと、と口の中で繰り返す。
信じていたいことは、沢山ある。
そのほうが楽だから。
爪先を血で真っ赤にして踊りの練習をしていた私が信じていたいことが何だったか、思い出せない。
汚い靴も、薄汚れたドレスも、私はもう身に着けていないから。
いま信じていたいことは、エルヴィンの側にいることで助かった私。
貧相な体で刹那に放り込まれて、塵を食う私。
踊ることに生を見出していた私。
あの時、財布を投げ捨てて調査兵団の端っこに身を置くことにした私。
そして今の私自身。
片腕を亡くしたエルヴィンが私に与えてくれる安心感を、ずっと信じていたい。
「エルヴィンにそっくりな子供、産みたかったんだけどな」
死ぬ前に、出来ることがあるでしょう?
ねえ、私のきれいごとは貴方なの。
わかってるでしょう。
子供が欲しいという本音をぶつけると、エルヴィンは少しだけ驚いた顔をした。
「欲しいか?」
「・・・欲しい」
抱きついて胸元で「エルヴィンのなにもかもが、欲しい」と言えば、抱きしめている腕が下のほうに移動した。
スカートの上から何度もお尻を揉まれ、唇と首にキスをされる。
酒くさいけど、気分は悪くない。
「貪欲だな。」
そうね、と呟くと、唇にエルヴィンの舌が入ってきた。
酒の匂いがする舌と、ラスクの味がする私の舌が交わりあう。
唾液を飲み込めば唇の端から音がして、エルヴィンの腕が私の下半身をまさぐった。
片腕でも器用にスカートの中の秘所を探りあて、太い指が濡れた部分を撫でる。
エルヴィンの薄い舌が私の貧相な口の中を舐め回すたび、下半身はどうしようもなく反応してしまう。
ぬるぬるした部分をエルヴィンの好きなようにされても嫌ではないし、むしろ求める。
これを「仕事」にしていた仲間のことを思うと、どうにも理解できない。
男が喜ぶだけで、自分は楽しいのだろうか。
少なくとも私はエルヴィン以外とこの行為をしたくない。
肉のついてきた私の体と、何度も死線を潜り抜けたエルヴィンの体でも交わうことは簡単。
痩せぎすでも、踊るしか脳がなくても、結局はこうなってしまう。
薄いからだに付いた臓器で、何か出来るのなら。
私の唇から離れた口が、呪文を唱えるような低い声で喋る。
「私はいつから、この感情に浸ってしまったんだろうな。この感情があるから、私は死も怖くない。だが、なまえがいないことが耐えられない。」
エルヴィンの気持ちを、全て知りたい。
でもそれは驕りであることも分かっている。
糞みたいなところから引き上げてくれたエルヴィンに縋って生きれなくなっても、私はまた別の生き方をするだろう。
胸の中にエルヴィンへの思いを抱えたまま、私は生きる。
私に出来ることは限られていた。
ただの女にできること。
男に求められて、できること。
「知ってる?私は悪魔なの」
欲情したエルヴィンの肩と胸を撫でて、手を伸ばし眉毛に触れる。
エルヴィンのシャツのボタンをひとつひとつ外してから、筋肉の下にある骨を求めるように舐めた。
舌の上に広がる香水の残り香と汗と男性のにおいに興奮して、私が本当に悪魔ならエルヴィンの骨ごと食い尽くしたいと思う。
私の一部になって、一部を残して。
そうしたら、私が生きる限り貴方は残り続ける。
きらきらした青い眼は、私を捉えていた。
「エルヴィンが死んだあともずっと生き続けるんだから、いなくならないの」
「それなら、私は安心して地獄へ行ける。」
大きな手が私の下半身から離れて、抱きしめられる。
腕の無い肩を抱きしめ、呼吸した。
荒い吐息も聞こえない静かな空間。
このまま地獄へ落ちたっていい、エルヴィンがいれば天国だから。
なんでもあげる、なんでも与え合うことが出来るから、ずっと一緒にいたい。
「温かい、なまえは、あたたかい。」
私の気持ちでエルヴィンが安らぐのなら、今すぐにエルヴィンのからだの中に取り込まれてしまいたい。
そうしたら、死んでも生きても何処に行っても同じ。
辛くなるくらい笑って楽しんでいても、絶望しても血まみれになっても、私が貴方の側にいるから。
だから、私を離さないで。
寒いと言わなくなったのに私を抱きしめるエルヴィンの首を撫でて、そっとキスをした。
熱に浮かされる前に、理性的なことをしておこう。
酒の匂いも、鼻につかなくなってしまった。
存在の意義を翳さなくても、探さなくても、私の生きる意味はある。
死ぬ前に私のことを思い出さなくてもいいの、私がずっとエルヴィンのことを覚えているから。






2019.05.21









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