ポイズナー





自認だけが不安定な子とエルヴィン

久しぶりの団長夢です







部屋には大きな燭台、その上にいくつもの蝋燭。
豪華なテーブルに質素なテーブルクロスと食器。
美味しそうな一人前の肉と酒が目の前に置かれ、おおよそ1メートルほど先にエルヴィン団長がいる。
私を見ては切った肉を口へ運ぶエルヴィン団長を見つめながら、目の前にある肉に一切手をつけず酒だけを口にした。
苦いだけで、美味しくない。
貧しさの中でも人は酒を求め、酔いつぶれ、僅かな幻想の中で眠りと酩酊を求める。
私にはそれが理解できないけど、酒を出される意味くらいは分かる。
人によっては叫び出しそうな、笑い出しそうな光景を見て酒を飲む。
肉を飲み込んだエルヴィン団長が、グラスに手をつけて私を見る。
「アンカ・ラインベルガーがつけている香水、あれはピクシス司令が渡したものだ。」
数秒前まで口に肉を含んでいたとは思えないほど整った口元で酒を飲み、丁寧な指先がグラスを持ち影を作る。
「知ってます」
グラスを元の場所に置いたエルヴィン団長が、ナプキンで指を拭いてから私を見る。
暗がりでも、瞳の色だけは輝く。
「リコ・ブレツェンスカが身に着けている眼鏡、以前はゴーグルだったことを知っているか。」
エルヴィン団長が何を考えているのか、まったく分からない。
おそらく、会話の中で嘘をついている。
ゴーグルだったことなんて聞いたこともないし、聞くこともない。
でも、エルヴィン団長が聞きたいことの本心だけは分かっていたので作り笑いを口元に湛え、お望みどおりの答えを出す。
「知っていますよ、彼女、物を捨てられない性分なので」
そうか。と呟いたエルヴィン団長が肉を食べる。
なんとなく肉を食べる気がしなくて、酒の味だけを何度も口の中で転がす。
酒を口に含むと、舌と歯の裏に染み付いたリコの愛液の味が消えていく。
歯で感じたリコの肌を忘れたくなくて、何かを咬む気になれず、酒を飲めば飲むほど、リコとの情事の光景は脳裏に焼きついていく。
リコの髪は蝋燭の光の下とシーツの上で、エルヴィン団長の髪よりも輝く。
リコの潤んだ瞳の輝きなんて宝石よりも美しい。
滅多に口にできない肉と酒よりも、どうせならリコに齧りつきたい。
壁の中で食べれるものは、限られる。
本来なら肉に齧りついて腹を満たし、道徳を食欲で掻き消すのが正しいのだろう。
目の前で肉を食むエルヴィン団長がいる時点で、私の中の道徳が大きく膨らみ三大欲求が全て失せる。
この男性に、なんの欲も沸かない。
強いて言えば尊敬は沸くけど、それ以上にはならないと思う。
目の色だけが蝋燭の光で輝くエルヴィン団長の道徳と倫理は、今大きく揺らいでいるのかもしれない。
理解し難いものがあり、その理解を突きつけられた時に大体の人間はナイフを持つ。
そのナイフが柄に刃のついたものなのか、はたまた言葉に刃がついたものなのか、人による。
少なくとも、エルヴィン団長はどちらでもなかった。
「イアン・ディートリッヒの私物のうち、シャツを含む衣類がごっそりと無くなっているという報告が衛生兵からあった。」
先日の戦いで亡くなったイアンの名前を出され、懐かしみつつ答える。
「それを何故私に言うんですか」
「なまえではないのか。」
私の答えに少々の驚きも見せず、エルヴィン団長は言葉だけで驚いたふりをした。
どうにもエルヴィン団長は読めない。
手の内を明かさない人であることは見た目から伝わる雰囲気で知っていたけど、精神の手触りがないと不気味でもある。
私を明かしたくて肉と酒を用意していることも、よくわからない。
「私でもないし、リコでもないとだけは言っておきます」
イアンのことは残念だった。
でも泣いているリコの側に寄って肩を抱けば、頼ってくれた。
頼られることは好き。
だって自分が存在している証のひとつでもあるから。
本心から言うと、すぐに追撃された。
「そのシャツはイアン・ディートリッヒの物だろう。」
「そうです」
「何故なまえが身に着けている。」
「リコからイアンのシャツを着てほしいと言われたもので」
これも本心と真実。
まだどっちつかずのリコを責める気にはなれない。
リコには暫く精神の拠り所が必要だ。
そのひとつになるなら、たとえ理不尽と不条理な現実に掻き乱された挙句に吐き出したリコの感情の矛先であったとしても構わない。
「特に断る理由もありません、サイズが合っていないのが問題ではありますが」
悲しさと寂しさは、人の敵。
敵に追われているリコを助けられるのなら、出来ることをしたい。
それが私なりの道徳であると伝える前に、エルヴィン団長が切り出した。

「私が先日、廊下で抱き合うリコと君を見かけた時、そのシャツは着ていなかった。その場にいた部下には箝口令を敷いたが、毎晩リコの部屋に行ったり二人で隠れたり、君は隠す気がない。
今のところ兵団内での恋愛を罰することは出来ないが、君が隠す気がないのなら私の箝口令も時間の問題でしかない、君はいつか何かしらに糾弾される。リコは上級の兵士だから心配はしていないが、その時に私は君を庇うことなど出来ない。」
見据えた未来を口にされ、そんなの知ってると言いそうになるのを抑える。
自らの精神を落ち着かせるように閉じた口の中で舌を動かし、上顎を舐めてから唇の作り笑いを消して私の正義を貫く。
「イアンが死んで、リコは毎日泣いていました。泣いている女性を慰めないなんて人間じゃありませんよ」
「それが隠さない理由か。」
そうです、と呟き酒を飲む。
私の正義が、どこまでエルヴィン団長に通用するのか分からない。
おそらく、通用しないだろう。
それどころか何もかも見透かされている気がする。
この部屋には、私とエルヴィン団長の二人だけ。
いくら女の新兵とはいえ、食事の席に護衛の兵士を立たせないなんて、まずありえない。
人の気配が無さ過ぎる部屋の中で、私とエルヴィン団長の言葉が交わりあう。
「イアンの旧友に連れ去られ、暴行されるとは思わなかったのか。」
「思いません」
「リコを慕う者から憎まれ、痛めつけられるとは思わないのか。」
「思えません」
「なまえを殴りたいだけの者が今回のことで目をつけて、正義を振りかざして暴力を振るわれるとは思えないか。」
「まったく思えないです」
品行方正なエルヴィン団長から、至極真っ当な考えと言い難い言葉が出る。
暴力的な考え、貧しい考え。
弱いものを甚振るには打ってつけの考えを私の前に突き出す。
エルヴィン団長がこんな考えを根底に持っているはずがないことは、一目見て分かる。
これだけ頭の回る人だ、何か別に考えていることがあるに違いない。
皆に無いものを持っている人。
それが団長に上り詰める人であり、世の指導者である。
「なまえ。」
「はい」
エルヴィン団長は、食べるのを止めていた。
「リコとの関係は周囲の公認か。」
「公認じゃなかったら、どうするんですか」
ふつふつと、怒りに似た性欲が沸きあがる。
エルヴィン団長じゃなくてハンジさんなら、今すぐにでも飛び掛ってキスしてしまいたい。
私の手の中に収まる女という存在。
エルヴィン団長の手には、女はもっと納まる。
だから私にそんなことが平気で言えるんだと思うと、羨ましくて仕方が無い。
羨ましい、憎めない。
ひたすらに羨ましいだけ。
「私が認めよう、とでも言うんですか」
グラスに入っていた酒を、一気に飲む。
注がれた酒が半分以上減ったグラスは軽く、力を入れれば壊れてしまいそう。
飲んだ酒の後味が脳みそにぶちまけられ、何もかもが下種になる手前。
私の道徳と気持ちが、揺らぐ。
「それなら有り難いですね、巨人の糞で覆われたバージンロードを血まみれのドレスのまま歩けます」
汚い本性から漏れる本音を動じずに耳にするエルヴィン団長と、酒の回る私。
滑稽な私に、エルヴィン団長が追い討ちをかけた。
「私がなまえ憎しでこの席に呼んでいたら、どうする。」
「その時はその時ですよ、私は兵士で貴方は団長じゃないですか」
「なまえ、その酒に毒が盛ってあると言ったらどうする。」
ふんわりとした頭で、グラスの酒を見て答える。
「この色の酒でしたら、毒の種類にもよりますが蝋燭の光で色が歪んで見えます。それに味も違いますから、毒が混じっていれば一口目で吐き出しているかと」
今度は相槌もなく、ただ私を見据えた。
妙に輝く瞳だけが私を捉えて気分が高揚する。
この人は、私の何に興味を持ったのだろう。
女とセックスしているから?
媚を売らないから?
男を前にしても女らしさを出さないから?
どうにも解決しない疑問だけが沸くと、エルヴィン団長が口を開く。
「何故調査兵団に入った。」
エルヴィン団長は、顔色一つ変えなかった。
ここで逃げても、どこまでも追われるに違いない。
丁寧な唇と、規律のある口調。
エルヴィン団長に敵うわけが無い。
溜息を飲み込んで、正直に答えた。
「自分の名前を探すためです」
テーブルを見つめて吐き出した本音は、エルヴィン団長の正義と交わるのだろうか。
沈黙が一秒、二秒、四秒、八秒、十二秒。
様子を伺いたくなり、視線を上げた。
エルヴィン団長が、唖然とする。
思いもよらない答えだったのだろう、息を少しだけ遅らせた。
「なまえというのは・・・君の名だろう。」
「どこの誰がつけたか分からない名前なんですよ、出生届の文字が辛うじて読めるくらいの文盲でして、立体起動の腕だけで兵士として生きてます。」
ふと、エルヴィン団長が目の色を変えた。
可哀想な生き物を見るふりをして、興味があるだけの目。
よく見てきた目だ、嫌というほど見た目つきであって、当たり前だと言われる哀れみの感情を浮かべた目。
「先ほど毒の知識があったな、どこで身につけた。」
「その知識が無いと生きるに値しない場所から来たんです、もう分かるでしょう」
兵団に「そこ」出身の者は、多くない。
イザベルとファーラン、それにリヴァイ兵長も「そこ」出身。
公にしてないだけで「そこ」出身の者は多いのかもしれないけれど、イザベルとファーランがいた時に出自に同意を得るものはいなかったと記憶している。
私は、同意しなかった。
ひたすらに隠した。
だって、どうでもいいから。
「エルヴィン団長の頭から離れない光景、あれをやって金を貯めて私は調査兵団に入るための身なりを整えました。なので、女性のことならエルヴィン団長よりも詳しいですよ」
みんな、私のことなんかどうでもいいから。
だから何だって出来る。
どうでもいいんだから、せめて人の為になりたいと思うくらいはバチが当たらない。
「夜に飲む酒はどうも苦手です、余計なことまで喋る」
グラスに残っていた酒に目を泳がせ、残っていた酒を飲む。
口の中が酒まみれになり、口腔を洗うか嘔吐しないと酒の味は取れない。
酒を飲み終えた私に、エルヴィン団長が話しかける。
「ハンジがなまえを評価していた、新兵なのに臆せず巨人の研究に参加すると。」
「そうですね、特に怖くは無いです」
巨人よりも、本気になってしまった客が鋏を持って追いかけてくるほうが怖い。
言うと絶対に馬鹿にされるから、言わないけど。
沈黙がまた一秒、五秒、十秒、二十秒。
蝋燭のひとつが消えかけている。
ブン投げる時に威力が低くなるな、と考える自分を押さえ込んで、沈黙に身を任せた。
沈黙は嫌いではない。
むしろ、好きだ。
このまま何もない、透明な人間になってしまえば何もかも放り出して私を探せるから。
だけど、エルヴィン団長は私を透明にさせなかった。
エルヴィン団長が私に真剣な眼差しを向ける。
「君には何が見える?」
「エルヴィン団長が見えてますが、そういう話ではないとしたら」
脳裏に浮かぶのは喘ぐリコ、女性相手専門の売春婦をしていた少女時代の私を殺そうとしてきた女性客の夫、毒を見分ける知識を得る自分。
この三つに何の関係があるのか分からないので、酒には本当に毒が入っていて走馬灯でも見えているのかもしれない。
人生最期に見る顔がエルヴィン団長か、と思いながら現に答える。
「生死に意味を見出し、生きて死ぬことに名前を授ける調査兵団の姿と、燃え尽きるまで名前を探す自分が見えます」
世界がどうなっても、調査兵団がどうなっても、私がどうなっても、私が名前を探すのを止める姿が想像できない。
私はなんなのか、なんのために生きてきたのか。
どうして今こうして肉と酒を前にして本心を暴露しているのか。
動じない自分が何故形成されたのか。
地獄に落ちても、私は諦めない。
泥にまみれても私は生きている。
それが希望なのか絶望なのか、もしも他人に決められてしまったら。
お互いすっかり食べることを止めてしまった食卓は、ただの冷えた板になる。
エルヴィン団長が一瞬だけ目を伏せてから、私へ宣告した。
「思い残すことは有り余るだろうが、リコのことは諦めろ。明日から転属だ、私の部下になれ。」
蝋燭の灯りがひとつ完全に消え、暗闇が煙のように部屋を片方だけ覆う。
私とエルヴィン団長の顔半分が暗くなり、煤の匂いがした。
「君は毒の知識がある、私の食事を含む調査兵団上官の食事に毒が混ざらないか、君の知識を借りよう。」
エルヴィン団長が酒を一口飲んで、ふと笑う。
その笑顔に一種の寒気と熱を感じて、ぞっとする。
「場合によっては君の毒の知識を借りた食事を作ることになるだろう、その時が来ればの話だが、な。」
「と、言うと?」
「来るべき時は、いくつもの可能性を孕んでいる。」
エルヴィン団長が何を見ているのか、何が見えているのか。
私には微塵も分からない。
けれどこの人の思い描く世界は、私の思う世界とは真逆。
「なまえは私に無いものを持っている、なまえの正義と道徳と知識を生かす立場を与えよう。」
この世界は、なんだかよく分からない。
巨人はいるし、壁もあるし、壁は壊されてから色んなことが起きている。
それでも蠢く人々の本質は一切変わらない。
「どうして、私を?」
「価値観は多くあったほうがいい。」
「育ちも生まれも違う人が側にたくさんいたって、面倒くさいだけでしょう」
エルヴィン団長の考えを遮るような、私の本音。
鼓動が口から出そうになりながら、エルヴィン団長を見る。
浮かされた熱は、酒のせい。
「それが世界を織り成す事柄のひとつだ。」
当たり前のことを言うエルヴィン団長が、目元に笑みを浮かべた。
何を見て笑っているのか、分からない。
でも、あの表情筋の動きには覚えがある。
泣いているリコを慰めたくて、リコを慣れた手つきで抱き寄せて自分の胸に寄せることに成功し、自分の正義を貫いた達成感を得た時に浮かんでくる高揚感。
その時の笑顔を作る時に動く筋肉。
形が違えど、私もエルヴィン団長も正義を持っている。
何を見ているか、聞こうとも思えない。
違う道を通ってきた道徳が交わり、世界を動かそうと目論む何かをも倒す力になろうとする。
何を手に入れても勝利にならない時代が終わりを告げ、いつかは来る新しい時代の幕を引こうとしているのが分かった。
エルヴィン団長は、先を見据えている。
この正義が交わるか、エルヴィン団長は賭けた。
賭けに乗るべく、私は立ち上がり敬礼する。
兵士と団長という立場で、どれだけ私の正義が通用するのか。
生きた心地を味わうまでエルヴィン団長の側で生きよう。






2019.03.22








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