ヴェロニカに差し伸べる手






渇望の音の続き









「おまえ、何でその体のまま歩いている。」
「え」
ブランコに座ってる腰が冷え、声の主を目にして凍りつく。
出来れば、話しかけられたくない。
黒い髪、切れ長で鋭い目、白い肌、男の子にしては細い手足。
でも肩幅はがっしりしてるから男の子なんだろう。
これから低くなりそうな声をしているし、喉仏はマフラーで見えないけど男らしくなりそうだ。
男の人の声は低くて耳の中で響くから、あまり好きではない。
「あ、えーと、三輪くん」
どうもこんにちは、と微笑む間もなく、質問がぶつけられる。
「うちの隊員が、おまえの心音が聞こえないと随分前から言っていた。ボーダー以外でもトリオン体のまま出歩いていい許可は貰っているのか。」
たぶん、菊地原くんのことだ。
彼は耳が良いサイドエフェクトを持っていると、那須ちゃんから聞いていた。
心音は、確かに聞こえないかもしれない。
元々心臓もそこまで良くないし、と余計なことを思い返していると、三輪くんは「おい、聞いているのか。」と私に声をかける。
聞こえてるよ、今トリオン体だもの。
目の前の三輪くんは大層険しい顔をしていて、まさに正義の味方のようだ。
「ああ…うん」
相槌を打てば、追撃してくる。
「隊と名前を言え。」
「…なんで?」
「上に報告する。名前は?」
三輪くんは、怖い。
単純に見た目が怖いだけなのに、こう迫られると引いてしまう。
あまり会話したくない。
上層部の人、特に鬼怒田さんは私が「聴力、両眼視力が著しく低く日常生活は困難、原因は遺伝子疾患によるものであり、トリオン体による実験体とする」ということを知っている。
誰に報告してもいいけど、三輪くんの感じからして城戸司令に報告するだろう。
城戸司令も、詳しいことは知らなくても私が特例であることは知っているはず。
だけど那須ちゃんより重い症状だということを知る人は、あまりいない。
何か知られたらと思うと気が気じゃない。
そんな私を影で見ていたかのように助け舟が来てくれた。
「なまえ!と、重くなる弾の人か。」
待っていた声がして、嬉しくて振り向く。
学校帰りの遊真くんが私に笑顔を向けながら手を振る。
手を振り返すと、小走りで寄ってきてくれた。
小さい背、白い髪に赤い眼。
遊真くんと個人戦で勝ったことは一度もないけど、良い友達だと思っている。
私と三輪くんを交互に見て、遊真くんは不思議そうにした。
「珍しい組み合わせだな、どうした?」
「これからボーダー行こうと思ってて、それで会って」
「おいおいなまえ、ウソはよくない。」
遊真くんのサイドエフェクトを知っていても、状況が状況だ。
嘘をついてしまう。
ブランコから立ち上がると、ぐらっと視界が揺れた。
その感覚を掻き消そうと遊真くんに微笑みかけて話題を繋げようとする前に嘘を見抜かれる。
「どうした?」
ううん、なんでもない。そう言う前に三輪くんが遊真くんを遮る。
「おい、おまえに用はない。違反を報告する。」
「うん?なまえが違反?」
「そうだ。よく見ろ、コートの下は隊服だ。」
「そうだな、なまえはトリオン体で歩いてることが多いぞ。」
相槌を打つ暇も惜しくなり、もう一度ブランコに座りなおす。
私の場合、黙って30分も休憩していればボーダーと病院を行き来するぶんのトリオンは回復する。
まだ休憩を開始して5分も経っていない。
ぐらぐらと視界が揺れるのを感じて、頭の中が悲鳴をあげる。
「ここで…那須ちゃんを待っているの」
「那須?」
三輪くんの反応にうんうんと頷くのも、頭の中が割れそうな感覚がする。
「病院に付き添って」
いつもの癖で嘘をつく。
ふと遊真くんを見れば、ウソつかないほうがいいよ。と言いたそうな顔をしていた。
そう、そのとおり。
那須ちゃんを使って、自分に都合のいい嘘をつくのはやめよう。
「トリオン、切れそう」
「なまえ、持ちそうか?」
遊真くんが私に駆け寄り、顔を覗き込んでくれた。
学校の制服に合わない程の白い髪、赤い眼、同年代の子より掘りが深い顔立ち。
ああ、羨ましい。
「那須ちゃ、ん、を」
駄目だ。
耐え切れず、トリオンを切る。
音が聞こえず、手持ちのバックに手を突っ込む。
補聴器を探す視界にちらつく白い前髪と高い鼻根で出来る影で、目元が暗い。
バックの中を探る手に、那須ちゃんとお揃いで買ったポーチが触れる。
すぐさまポーチを引き出して開け、中にある補聴器を手に取った。
知らない人が見れば小奇麗に出来た玩具の釘のようなデザインのこれは、ボーダーのエンジニアがデザインしたものだ。
補聴器の先を耳の奥底に差し、僅かな痛みに耐える。
ぐぐ、と内耳越しに骨に当てる痛みに耐えると、僅かに音が聞こえた。
耳たぶを補聴器の蓋で挟み、外耳を蓋で覆う。
空気の音、呼吸の音、自分の喉が呻いている音。
「それ、なんだ?先っぽが鼓膜に当たると痛いんじゃないか。」
遊真くんの声は高いから、すぐに拾ってくれる。
「緊急用の補聴器。骨伝導式のもの」
とりあえず片方の耳だけつけて、遊真くんに微笑む。
「なまえ、平気か?」
「平気」
「ウソつかなくてもいい。」
嘘つかないと、皆に嫌がられちゃう。
その考えが根底にあるせいか、すぐに平気だとか大丈夫だとか言ってしまう。
「おい、なまえ…だったか、今はいいのか。」
三輪くんが、私を見る。
高い鼻根、茶色の左目と青白い右目、前髪だけ白い私。
ああそうなのか、と言いたげな三輪くんを見て、ある種の安心が沸く。
これだから嫌なんだ。
私が嫌、私の体が嫌。
「トリオン体じゃないと、耳が上手く聞こえない、今も、そんなに」
「おい、本当に平気か。」
遊真くんと違って、低い声。
ぐわんと内耳の中で広がり、舌の裏が震えた。
「平気、三輪く、ごめ」
三輪くんの低い声が頭の中で何度も広がり、吐き気がする。
戻しはしないものの、聴力が不安定だと声すらも攻撃になるのだ。
つらい、と言うわけにもいかず俯くと、三輪くんが私に近寄った。
ぼやけた視界、といっても眼球から1mくらいなら動いているものを認識することはできる。
殆どポンコツになった私の目の前で、三輪くんが手話を始めた。
細めの指が「大丈夫ですか?」と動いてから鋭い目のまま私を伺う。
背筋が寒くなり、足から血の気が引いていく。
手話で「なんで手話が分かるの?」と返しても、動きが早すぎたのか三輪くんが手話で返事をすることはない。
代わりに、私へと私のことを投げかける。
「ワーデンブルグ症候群、だったか。」
当てられ、ぞっとする。
あまり広まっている名前ではないのに、と三輪くんを伺う。
「どうして分かったの」
「姉の関係で病院に入り浸っていた時期に知った症状だ、ワーデンブルグ症候群に会うのは初めてだ。」
「わーでんぶるぐ?」
遊真くんが聞き返す。
三輪くんは遊真くんを睨み返してから、黙り込む。
私がいいのと呟けば、何も聞かなかったかのように目を逸らした。
「眼と耳の神経遺伝子疾患、私は、けっこう重くて耳も眼も殆ど機能してなくて見た目もこれだから」
遊真くんの眼が一瞬だけ曇る。
そう、そういう眼で見てくれたほうがいい。
だってそれが当たり前の反応だから。
「大変だな…でも、トリオン体になれば大丈夫なんだろう。」
「そうだよ」
遊真くんの声を拾ってから、三輪くんに疑問を投げる。
「手話は」
「中学のときに習ったものしか分からない。通じたか?」
「少し」
今すぐにでも手話で何か言いたいけど、まずは回復が優先だ。
トリオン体を切ったなら15分もあれば少しは戻る。
視線を逸らしていても、三輪くんがこちらを見ていることが分かってしまう。
小さい頃から最近まで沢山注がれた視線。
高い鼻根と左右の目の色の違いで外国人だと思われ、前髪だけ白いのを見られれば察される。
かわいそうな子、珍しい子、もっともっといやらしい眼も向けられてきた。
三輪くんも、そうなんだろうか。
補聴器を調節するふりをして、ぼやけた視界で三輪くんを見る。
三輪くんは、まっすぐ私を見ていた。
私と目が合った途端に手を構え、手話をしようとしている。
姉の関係で病院に入り浸っていたと言った。
きっとお姉さん思いなんだろう。
その気持ちは、お姉さんにだけ向けてあげて。
救えない人間を見つめなくていいのに、どうしてなの。
「なんで」
「…手話は分かりにくかったか。」
「そうじゃない」
私の隣に控えてくれた遊真くん、私を気遣う三輪くん。
ああ、妬ましい、羨ましい、なんで、なんで。
「遊真くんも、三輪くんも、私にないものを沢山持ってる」
気持ちが、僅かに溢れ出す。
「私が持ってるものは、皆いらない」
補聴器のかかる耳を千切って捨ててしまいたい。
見えない目で見れる世界はいらない。
トリオン体じゃなきゃまともに人として生きれない事実を噛み締めて、叫びたくなる。
いらない、許せない、みんな許せない。
「ボーダーに来たって、どこもかしこも私に無いものを持っている人ばかり」
どうして私なの。
平等なわけがない、だったら私と貴方は同じのはず。

「なまえ。」
遊真くんが、私の手を握った。
私の手は手汗でびしょびしょで、遊真くんの手が濡れる。
まっすぐな赤い眼が、私を見た。
「落ち込む気持ちも分かるぞ、でも休んだらトリオン体に換装すればいいんだ。重くなる弾の人はさっきから凄く心配そうな顔をしているぞ。」
おい、と三輪くんが焦ったような、恥ずかしそうな声を出した。
違う、私は違う。
そう思わないと苦しいの。
「遊真くん、違うの」
今までの苦しみは何だったのか、自分の中で分からなくて爆発しそうなの。
「遊真くんが前を向けるのは、目があるから、体があるから、首に胴体がついていて脳みそがあるから」
生きているだけで立派、みんな同じ、平等。
そんな言葉を作り出した奴を、殴り殺したい。
「私にも同じものがあるはずなの、見た目は変わらないはずなのに、遊真くんは私に無いものを持っている。私にあるもので前を向いて生きているの」
狼狽しそうな私を前にして、三輪くんは私を見下ろす。
くだらない女だと判断されているに違いない。
三輪くんが私のことを報告するとしたら「トリオン体で動き回ることを許された女が精神不安定のごとく喚いていた、組織には必要ない。」と言うだろう。
是非そうしてくれ、私は本当は誰にも必要とされない。
醜い私を前にしても、遊真くんは明るく微笑む。
「そう言っても、何も始まらないぞ。見た目の中に詰まったものとは一生付き合っていかなきゃいけない。かく言うおれもそうなんだがな。」
「余裕ね」
「余裕か、そうだな。後ろ向きに考えていても悪いほうに行くばかりだ。前向きにしていかないと意味が無い。」
遊真くんの言葉に、三輪くんが口を開く。
「おい、おまえ…。」
三輪くんの声は、心配と焦りが混ざっていた。
声色にぞくりとして、足の中身が震える。
驚きを隠せず、ゆっくりと三輪くんを見れば、三輪くんの鋭い目は遊真くんを睨みつけていた。
ああ、そうか。
三輪くんも、私に無いものを持っている。
どうして、どうして。
「遊真くんが、羨ましい」
隠していた気持ちが漏れるには、十分すぎた。
「ほう?」
なんで、どうして、純粋な気持ちをぶつけることに躊躇いのない遊真くん。
羨ましい。
「遊真くんは、私にないものを持ってる」
羨ましい、羨ましい。
私に無いものを沢山持っている遊真くん。
私を見て、何気なしに放つ言葉を紡げるに至る今までの遊真くんの人生が羨ましい。
長いこと色んな国を転々としていたと言っていた遊真くん。
隣には親もいたんだろう、友達もいたんだろう、支えになるものがあったんだろう。
遊真くんが持っているものが私には無いと気づくには、簡単すぎた。
私にあるものは、友達と、使い物にならない耳と殆ど見えない目と、それらで判断されてきた環境と周囲。
持っていないものなりに生きればいい、なのにどうしても前を向いて見えるものが暗闇のままなの、そんなの生きる理由になるの?
だったら生きる理由を教えて。
「三輪くんも、遊真くんと同じように沢山持っている」
「こいつと一緒にするな。」
遊真くんをこいつと呼ぶ三輪くんに、心が揺らがない。
「私から見たら、一緒」
くぐもった声が頭と舌の中間地点でハウリングして、歯に響く。
気持ち悪くて深呼吸をすれば、鼓動が耳まで伝わる。
はあ、と漏らした吐息が通る三半規管の動きまで補聴器が拾って、脳一杯に滲んでいく。
いやだ、いやだ。
これらが私が皆と違う理由なんだ。
不意に、三輪くんが俯いて動かない私の目線までしゃがむ。
三輪くんが手話で「大丈夫ですか、戻りましょう」と言う。
ぼやけた視界でも三輪くんの鋭い目は見える。
小さい頃から得意とする手話という会話で「耳には問題ないです、少し休めば回復するので私のことは放っておいてください」と伝えた。
当然、三輪くんは手の動きが早すぎて理解できない。
それでも、三輪くんは私をまっすぐと見つめていた。
鋭い目にクマのある下瞼、重たい前髪、口数の少なそうな唇。
遊真くんとは正反対の顔つきをした三輪くんを、不思議と怖いと思えない。
手話を知っていたからだろうか、さっきの心配と焦りが混ざった声色を聞いてしまったからだろうか。
何も言わず、三輪くんを見つめ返す。
一体どう理解したのか察せないけれど、三輪くんが私の耳のあたりに手を翳す。
音が遮られ、ぼわんと音が消える。
そして、三輪くんの低い声。
「耳が辛いだろう、一旦外せ。」
なんでだろう、ただの可哀想な人間なのに。
三輪くんは、どうして。
私に優しさなんて無い。
だって、誰からも優しくされないのに私が誰かに優しくする必要はどこにあるの。
神様がいるなら、どうして私をこんな目に遭わせるの。
絶対に神様なんていない。
誰かに優しくするだけ無駄なのに、心配するだけ時間の無駄なのに。
どうして遊真くんも三輪くんも、私を放って去らないの。
わからない、わからない。
違う。
本当は分かっている、私が理解したくないだけ。
理解してしまったら私は崩れ去ってしまう。
殆ど見えていない目から涙が零れそうになる直前、大きさからいって三輪くんの手が私の肩を支えて耳元で何か言った。
何て言ったのかすら聞こえない。
見た目こそ怖いのに、どうして私にないものを持ったままそれを惜しげなく使えるの。
強く歯を噛み締めれば、遊真くんの高めの声だけが耳に触る。
「なまえ、ほら、おれの手を取れ。」
色だけ見える景色では、白い髪をした男の子が私に手を差し伸べている。
微笑んだ遊真くんを、嫌がることなんて出来ない。
だって彼は、私が欲しくて堪らないものを持っているから。
この手を取ったら、私は、私は。




2018.12.15








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