12





冷たい空気が詰まった白い部屋に、私、春秋、迅、城戸司令、根付、鬼怒田がいる。
前よりも冷たい空気が軽く感じて、城戸司令の顔を見た。
顔についた傷のせいで表情筋を動かせないのか、それとも元からこういう顔なのか、荒んでこうなったのか。
無愛想で冷たい顔の下にはどんな人生が詰まっていたのか、興味が僅かにも残る。
私に与えられた二本の脚は、未来か絶望か。
そう悩んだように、城戸司令も傷の下にある皮膚のもっと奥にある脳で希望を考えたんだろう。
顔を観察されていると気づいたのか、城戸司令が口を開く。
「解析結果は聞いているんだろうな。」
薄い唇の奥から、なかなかに太い声がした。
「今日この場で処分を決める、いいな。」
頷くと、迅がまたしてもへらへら笑いながら横槍を入れる。
「あのお、城戸司令。」
顔の上に小さな器をふたつくくりつけた飾りを巻いているのは、前と変わらない。
どうにもこの男が好きになれないし、格好もだらしないのに何故統一された服装の城戸司令達に混ざっているのか、察するとすれば凄く良いところの坊ちゃんだとか。
上層部に口出しできるのだから、さぞ良い身分なのだろう。
「東さんの話、先に聞いてやってください。」
迅はにこにこしながら、春秋へと発言権を渡す。
「なまえはボーダー側につきます。」
春秋が、はっきりと答える。
「憶測でしかありませんが、リーベリーの侵攻は上層部でも限られた者のみで実行されるでしょう。そのためなまえの立ち位置にある隊員は一斉に処分されました。
なまえは…復讐する気もさらさらない、と。与えられることになったトリオン体で、生きれるところまでいきたい、と。」
事情を伝える春秋を遮るように、鬼怒田が声を張り上げた。
「一斉に処分された、と言い切れる理由は?」
今にも怒鳴りそうな声は冷たい空気で覆われた壁を反響して、私の耳に届く。
声帯が掠れ老いてきた声は、気をつけないと年寄りになる頃に発声しにくくなる。
あとで教えてあげようと思っても、私じゃ無理。
春秋が、鬼怒田に告げる。
「リーベリーは軍事国家、現にボーダーには分からない深海という未知の領域から数度に渡り侵攻し、水質調査をして次の侵攻の際には水質をクリアし本格的な侵攻に踏み切るでしょう。
その際、どういった侵攻になるか、水の扱いに関して長けたリーベリーの侵攻が水の多いこの世界でどう行われるか・・・。
そこは、なまえから詳しい予想と憶測を聞くとして。
身分階級により全てが決まります。ボーダーのようにチャンスが平等に与えられるわけではなく、生まれた瞬間に行動範囲も職業も限られる。
なまえは軍事階級に属していました。水中で暮らせる血の濃いリーベリー民はなまえのようにチャンスが与えられ、優秀な戦士として育てられる。その戦士を処分していくということはリーベリーで何かが起きる。
血は水よりも濃い、そのリーベリーが起こす行動がこうならば、じきに酷いことが起きるだろう、と。」
「起きるだろう、と憶測でしか言えないのかね?」
根付がそう言えば、迅がまあまあと相槌を打つ。
本当に、こいつは何なのだろう。
迅の相槌を眺めた春秋が、付け加える。
「ボーダーを滅茶苦茶にしようとか、実はスパイでしたとか、そんなことは自分に在り得ない、と。」
春秋が一息いれると、すかさず鬼怒田が口を出した。

「おい、なまえとやら、さっきから何故何も喋らない?」
鬼怒田の言葉に、春秋はすぐ反応した。
「喋れないんです。」
その言葉に、全員が固まる。
迅だけは「知ってた。」と言いたそうな顔をして片方の眉を吊り上げた。
ここの世界では、声帯から発せられ舌で調節し発声し伝え合う会話と言葉が主なコミュニケーション手段。
それができないとなると、一気に異常者に括られる。
「東、なんでお前はなまえのことが分かる?」
疑い深そうにする鬼怒田を見て、春秋と目を合わせた。
私が頷くと、春秋が左手を皆に見せる。
大きな手に輝く指輪は、私の証。
左手の薬指に嵌められた白い指輪は、見えないだけで春秋の神経に接続されている。
「俺には聞こえます、なまえの声は俺にだけ聞こえるんです。これがあるので、なまえとは脳内で会話できます。」
にこ、と笑った春秋が私を見る。
優しい目、黒い瞳孔。
「俺にはまだなまえの声が聞こえているんです、この指輪に、リーベリーの力が全て込められました。」
城戸司令が、なんだそれは、と小さく呟く。
顔色ひとつ変えず迅が指輪を眺めているのを見て、本格的にこの男の素性が知れなくなる。
「冬島に解析してもらったのですが、戦闘中でも生身でもこの指輪を嵌めていれば、強化視力、水中での呼吸、視力の強化因子の増強による視野拡大と聴力強化の能力が備わっています。
なまえからリーベリーの民の基本的な力を、この指輪に託されました。なまえが力を指輪に託す時に、声を・・・。なまえ本人の肉体はリーベリーの民でもなんでもない、と。」
取り外しは可能ですよ、と春秋が軽く付け加えた時には、鬼怒田の顔には焦りが浮かんでいた。
根付は驚き、迅だけ何でもなさそうな顔をしている。
私の体の中にある私は、リーベリーの民とも言えない。
力がないのだから、戻ったところで鱗もなく水中での呼吸も出来ない、声帯の無いリーベリーの最下層民。
リーベリーでそうなったのなら家族に介護されるか物乞いになるしかないのだが、こうなってしまえば本当の体なんて意味が無い。
本当の体の意味は、ずっと前になかった。
血筋を誇っても、戦いに明け暮れても、捨てられてしまえばおしまい。
ねえ春秋、と頭の中で伝える。
あの話よと言えば春秋はすぐに伝えてくれた。
「なまえは鬼怒田さんの考えに賛同する、と。」
「なに?」
「リーベリーの内情、そんなものは知らない。と、ただ…。」
そんなもの、という言葉に鬼怒田は顔を顰める。
しかめっ面が水中での生き物にそっくりで笑いそうになったものの、春秋は続けれてくれた。
「指輪に力を全て注ぎ込んだ以上、なまえはトリオン体でしか生きれない。戻っても口がきけない。トリオン体はボーダーのもの、出来る限りのことに従事したいと。
リーベリーが侵攻するとすれば水中以外在り得ないので、ボーダーで水中侵攻対策をするなら知識を全て貸すと。あと鬼怒田さんの怒った顔が面白いとか。」
最後に付け加えたのを聞いて、けほけほと吐息しか出ない喉で笑う。
表情筋を少し緩めれば、鬼怒田はふてくされるような仕草をした。
「・・・ここは島国だ、水害対策はどの道せねばならん。」
はあ、と溜息をついた鬼怒田の目元に僅かな安堵が見えた。
リーベリーの対策が出来ることに安心を覚えたのだろうか?
この世界は、どうしてここまで侵攻を防ごうとするのか。
トリオン体に換装しなければ、簡単に死んでしまうからだろうか。
そしてもっと気になることを、春秋に伝える。
「どうしてここには平等なチャンスがあるのか、なまえが聞きたいそうです。」
何度か頷いて、城戸司令、迅、根付、鬼怒田の顔を見る。
同じ顔はしておらず、外見からして様々な身分の者が集まりこの組織をまとめているのだろう。
そんなの、リーベリーでは許されない。
身分が違えば考えも違う。
違う考えを許容し続ければ、差別の元となる軋みが生まれる。
それはいいのかと、気になっていた。
太い声の城戸司令が、私にだけ言葉を突き刺す。
「近界民を排除したい者から、サイドエフェクトを持つ者、技術を高めたい者、侵攻を恐れ正義に振るう者、全てを平等としなければ憎しみしか生まれない。
破壊と不安定は人にとって最大の恐怖であり凶器、蔓延してはならず平和を求めるのならば真っ先に排除しないといけないものだ、抑制、弾圧、黙殺、どれを用いて排除してもいいが、ここでは使わない。
君が思う以上に、我々は牙を研ぐことだけを考えている。」
城戸司令が言い終わると、空気はまた冷たくなった。
冷たい空気の中、迅が悠々と背伸びをする。
平和を求め、戦う。
あまりピンとこないので城戸司令の顔をまじまじと見つめていると、太い声がまた刺さる。
「身分階級も突然壊され、海は汚れ、貴族は殺され。そうなった時に君はどうするか。」
春秋に伝えると、答えてくれた。
「水の中なら負けない、と。」
その答えに、迅が軽く笑う。
この後に及んであの態度の迅は張り飛ばしたいけど、今は目の前のことが大事。
春秋に伝えれば、いいの?と言いたげな顔で私を見た。
微笑んで頷けば春秋が伝える。
「あと、なまえは水の中での戦い方の専門だけど、なまえの一族が遠征船の作成なんかも担当していたので良い設計図を教えるとか。」
死にかけの私を助けた春秋。
口もきけず、あわれな私を気にかけてくれた春秋。
近界民と知っても、助けたからと私の手を引いてくれた春秋。
そう、この人がいる。
この人が生きている国なのだ、きっと大丈夫。
迅が城戸司令達に告げる。
「ね?ボーダーにとってそれほど影響ないって言ったでしょ?」
影響がでかいわ、と鬼怒田。
城戸司令が一瞬顔を伏せ、もう一度上げる。
きつい目をしたまま、低い声で唸るように告げた。
「処分を決める。」
なんですか?と言っても、春秋にしか聞こえていない。
「東隊に所属し、エンジニアの元で知識を貸せ。」
以上だ、と終えると迅が城戸司令に絡みにかかった。
「そーれ処分って言わなくないですか?まあ、影響ないですよ。もしリーベリーが何かしてきたとき、なまえさんが居た時に良いほうに行くのだけは見えてます。」
見える、と言った迅をすぐさま観察したが、処分を告げられた私の出番は終わり。
春秋が挨拶をして、去る。
後を追いかけていけば、迅の視線を感じた。
振り返れば、にやついた目元と目が合う。
こいつはなんなのだろうか。
でも、どうでもいい。
大きな背中をした春秋を追いかけて、お偉いさんと迅のいる厳しい部屋の扉が閉まる音を聞いてから、春秋に抱きついた。
首元に顔を埋めると、頭を軽く撫でられる。

「緊張した?」
すこしだけ。
「なまえは、これでよかったの?」
私が迷っていたのかって思ってるの?
「そうじゃない、ずっとこの世界で生きていくことになる。」
それでいいの、春秋がいるから怖くない。
「俺が君を助けたのは、偶然じゃなかったんだろう。」
そうね、そうだと思うわ。
「これまだ慣れないなあ、頭の中になまえの声がぐわんぐわん来る感じ。」
そう、じゃあ声が綺麗に聞こえるところに行きましょう。


私が打ち上げられていたという砂浜の上で、服を脱ぐ。
トリオン体といえ隊服を脱げるように設定してもらったので、この世界のお洒落が出来るらしい。
鱗の輝きのみが美しさの証だったので、どんなものがお洒落なのか分からないけど、きっと春秋が教えてくれる。
裸になったあと、脚で海に入った。
二本の足の下がどんどん海水で濡れていくのを見て、面白くて笑う。
下着姿になった春秋の手を掴んで、海に入り込む。
泳ぎなれていることは聞いていたので、途中で手を離し潜る。
尾びれのない二本の脚を交互に動かし水を掻き分け、泳ぐ。
脚の間に水が流れる感覚は尾びれで泳ぐときとは違う。
一本の大きな尾びれではなく、二本の脚。
前のように優雅に泳げなくても、僅かな泳ぎのままでも、これでいい。
春秋の手を取り、海の中で喋りかける。
ここなら、声がよく聞こえるでしょう?
「ああ、これはいい。」
左手に指輪を煌かせた春秋を抱き寄せ、笑う。
あれを見て、と海面に視線をやると、春秋も見てくれた。
海の底に向かって降り注ぐ陽の光が海面に広がり、どんな宝石よりも絢爛豪華に輝く。
蠢く波と、陽の恵みと、大きな海が魅せる巨大な宝石。
海中から海面を見るのは初めての春秋の横顔を見つめた。
黄みがかった肌は海の中では白くぼんやりとした輪郭を保ち、黒い髪と黒い瞳だけは輪郭を保つ。
私の白い髪と肌と正反対な春秋の肉体は、本来は海で生きるように出来ていない。
私は陸で生きるように出来ていない。
この瞬間を、祝福に思える。
「綺麗だね。」
春秋が呟く。
もう声は出せない、でも、春秋にだけ私の声が聞こえている。
それでいい、私はあなたに声を聞いてもらえればいい。
春秋の肩を抱き寄せ、もう声を発することのない唇で春秋の頬にキスをした。
生暖かい頬に、唇で触れる。
軽いつもりだったけれど、春秋のほうから私の全身を抱きしめて唇を覆うようにキスをしてきた。
冷たい海の中で、体温が触れ合う。
春秋の皮膚の下にある暖かい血が、皮膚と皮膚を越して伝わる。
抱きしめられたまま、春秋が私に囁きかけた。
「釣りをしてると海の表面しか見ないから、気づかなかったなあ。」
軽く脚を動かしてみると、春秋が気づいたように言う。
「動くと冷たくて、動かなければ自分の体温で温かい。」
一緒に居ればずっと温かいよ。
「そうだな、たまにここに来よう。」
訓練のあと、疲れたら海で休みましょう。
「いいね、でも皆で焼肉にも行かないか?戦った後に遊ぶのは楽しいぞ。」
そうね、春秋と一緒ならなんでもできそう。
「なまえ、一緒にA級一位を目指そう。」
できるの?私がいなくたって、強い子たちで目指せるんじゃないの?
「俺となまえが凄いってことを、皆に見せ付けてやるんだ。」
見せ付けなくても、きっと出来るわ。
嬉しい、私ね、一人ぼっちになったのに、違う世界の人だったのに、声がなくなっても一緒にいてくれる春秋が大好き。
「俺も、なまえが好きだよ。」
好き、私はあなたが好き。
海の中、波の音も聞こえない静寂の中。
私の恋は、愛へと膨らんでいく。










2018.06.13

完結













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