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秀次と戦い、何度もベイルアウトしたりさせられたりで楽しかったと笑うと、米屋が腹を抱えて笑った。
一方の秀次はというと、少しだけ落ち着いた顔色で無愛想にしている。
「なまえさん、マジ明るいっすわー!さすが外人!」
ガイジン、という言葉が何なのかいまいち分かっていないけれど、米屋も秀次も髪が黒いし、私の腰の位置に二人の胴があるのを察するに、容姿的に別の人種のことを差すんだろう。
本当は、こんなに目立ってはいけない。
お目こぼしで遊んでいるようなものだから、そろそろ行かないと。
秀次と戦う前に「冬島がなまえのトリガーの解析を終えたそうだ、俺は先に行く。秀次と一戦交えたら話し合うぞ。」と春秋が言った。
そのとおりにしようと去ろうとすると、米屋が次は戦おうと意気揚々と告げる。
頷くと、よっしゃーと謎の声をあげて私に手を振った。
春秋が辿った道を歩み、冬島の部屋を思い出す。
この建物は整えられ地味に装飾された宮殿のようで、歩いていてもどうにも心地がよくない。
冬島の元に向かうまでに、何名かとすれ違った。
頭の後ろで輪を作るように黒い髪を束ねた女の子が、通り際に私を凝視する。
マスクをした男の子は、私を避けるように通っていったけど、マスクで隠れかけた目から強烈な視線を感じた。
異物だということは、もうバレている。
冬島が解析を終えたということは、あのエラー音の原因が解決したということ。
理由が分かれば、後は自分でどうにかする。
ここを出るもよし、一人で向かえを待つのもいいけど、それはなんとなく失礼だと思う。
冬島の部屋について、さあ入ろうと思い内耳の感覚を調整する。
尋ねて居ない場合は出直そうと思い、低い音を聞こえるようにピアスを弄った。
白く分厚い壁の向こうから、冬島の声が聞こえる。
「これさあ、捕まったアフトクラトルの奴よりも悲惨なんじゃねえの。」
低く、疑惑と憐情の篭った嫌な声色。
こういう声は、よくない予兆。
ぞくりとした私を庇うように、春秋の声がした。
「悲惨、って。」
春秋は冬島と話しているようで、呼吸の音が扉のほうに向いていない。
「これ見ろや。」
ずっ、と音がして、かちかちっと石を細かく打ちつけるような音がした。
冬島の呼吸が篭り、春秋の心拍数が少しだけ上がる。
内耳感覚を元に戻そうとしても、戻せない。
ここで何も聞かないふりをするのは、後になって辛いだけ。
なんとなく、そう思ってしまった。
逃げれば良い、何か危ないことを聞きそうになったけど、どうでもいいと忘れればいい。
でも、ここで逃げても忘れられない気がした。
脚は動かず、内耳の感覚をそのままにして立ち尽くす。

「耳と脳の位置付けは影響ないみたいだけど、どうにも気になったのが右腕のよくわかんねえ反応。トリオン器官流出反応と似てるけど、ほら、消滅反応に近いだろ。
これを解析かけたら消失反応と解離反応が右手と同化してるんだよ、右腕にだけ水圧の影響が残って神経が微妙に麻痺残ってるから、それも解析した。
武器が原因。
一定の水圧で外れるよう出来てたんだろうな…右手首のあたりだけ水圧に囲まれてるみたく圧かかってる。
こんな反応見たことないし、こっちのトリオン体では動き回れるみたいだから、まさかと思って解析かけてたんだけどよ…。」
冬島の声が、淡々としている。
死刑宣告をする裁判官のように感情の無い声。
消滅反応、解離反応、水圧、麻痺、深い海でエラが消えて溺れる感覚、強い不快感と痛み、起動したトリガーが爪から骨に染みこんでいく感覚、破裂して壊死しそうな首と喉の焼け付く感覚。
そこから先は、もう言わなくても分かる。
扉に飛びこんで冬島の口を塞いでもいいけど、そんなことはしない。
瞼が重くなり、今にも閉じそうになる。
哀れでも、惨めでも、私はリーベリーの戦士の血を引く民、恐れを受け入れることを諦めてはいけない。
私がどうしてこうなったのか、私が一番よく分かっている。
全てが恐ろしいけど、冬島にとっては事故を理性的に分析する為の説明なのだ。
「なまえさんの右腕のトリオン神経に、神経に作用する毒が含まれてた。成分作用から推察すると鱗から毒を染みこませて殺すように作られてるけど、複製して毒を再現してみたんだが作用期間が短い。
雷蔵が毒の成分に気づいて色々やってたんだけどよ…気圧変化に敏感な毒で、実験に使った機器も一時間くらい使いものにならなくなった。
これが武器の中にあったってんなら、毒が染みこんだあと一時的にトリガー使用不能になっててもおかしくねえ。
海ん中にいたら鱗から毒回って死んでたけど、運よく浜辺に打ち上げられて東が拾ったんだよな…その時には毒も干からびたんじゃないか。」
春秋の呼吸数が、少し少なくなる。
心拍数に変化はない。
私の体は、氷付けの海の中に全裸のまま放り込まれたように冷たいのに、内臓が熱い。
「この神経毒は未確認だ、トリオン器官にしか作用しない。俺は頭よくねえけど、大体の話から思いつくことは…。」
体のどこかが、悲鳴をあげる。
たぶん脳だ。
瞼の裏から涙が零れ、白い床に落ちる。
「…なまえさん、国から捨てられたんじゃねえの?」
私のことを何も知らないはずの冬島が「たしか国の中でも良いとこの出身なんだよね?リーベリーは軍事国家か。」と言う。
城戸司令との会話は筒抜けだったのだろう。

太った男の「トリガーに起きた謎を解明し原因を特定する代わりに、おまえを捨てたリーベリーの内情をすべて教えろ。」という言葉。
早い段階で、私のことは分かっていたんだろう。
それを知らされなかった春秋と、聞いてしまった私。
春秋には選択が出されるだろう。
助けてしまった近界民を騙して実験体へと差し出すか、リーベリーとの交渉に使うか。
交渉に使えないなら、このままここで生きていく。
そう、このまま。
国に捨てられた私に、何が出来るだろう?
未来を担う、私の二本の脚。
俯いて見える脚は震えて、足の裏が熱くなる。
立っているのに、全身を振り回されているような感覚に陥り、ピアスを弄り内耳の感覚を全て切った。
無音。
見える白い壁と扉は、私を押しつぶすような大きな棺に思えた。
このまま生きる意味を探して、見つけて、どうにかしていければいいと思っていたと僅かな期待が歪んでいく。
血が濃いのに国に捨てられ、事故でもなんでもなく切り捨てられた。
リーベリーでの血の濃さは身分を守るために必須なのに、私は、捨てられた。
すこし冷静に考えれば、平民の最上級であり貴族の最下層の血筋に知られたくないことがあってもおかしくない。
水の中から静かに侵略する民。
統率が取れないのなら、必要が無い。
私は血筋の先端に立つ者だったが、要らないと判断された。
それだけのこと、そう、それだけのことが私の身に降りかかっただけのこと。
孤独は私のミスでもない。
国という権力から押し付けられた絶対的なもの。
リーベリーの民である以上、逃げられない。
事実からも、自分からも、水の中で自由自在に動ける体からも。
内耳の感覚がない状態にしているから、今の自分がどんな嗚咽を漏らしているか分からない。
喉の奥からこみ上げる悲鳴を抑えて、ぐっと飲み込む。
飲み込んだ悲鳴は、どこに行くんだろう。
それすらも考えたくない、もう何も考えたくない。
深海、暗い海、鈍い痛みと水圧、孤独、痛む両足、乾いた体、声のない喉、白い肌と髪、この世界に来て居場所を得ても実際は惨めなだけの自分。
繋がっていく、わかる。
誤魔化しは利かない。
どう足掻いても異物は異物なのだ。
ピアスが冷たく感じるほどに顔に熱が集まったとき、両目から涙が溢れた。
何も聞こえない世界で、涙を流す。
捨てられた自分にはお似合いだ。
それでも、崩れ落ちないのは何故だろう。
二本の脚は、折れることもない。
そうか、これが私の未来か。
俯いていると、扉の影が動いた。
誰かが出てきたけど、内耳の感覚を切っているから声も聞こえない。
私の脚の前に、見覚えのある爪先が見える。
大きめの靴、黒いズボンの裾。
自然と視線を上げれば、春秋が驚いた顔をしていた。
口をしきりに動かして何か言っているけど、聞こえない。
肩を掴まれ、春秋の口元がはっきり見える。
心配そうな目元、唇が「聞いていたのか?」と動く。
背筋にヒビが入りそうな感覚に襲われ、春秋の手を振り払い走った。
両の脚は風を切り、真っ白な床を走る。
水の中ほど自由はきかないけど、あっても不満はない脚。
脚が私に与えられた自由ではなく、ただの烙印だとしたら?
大きな棺のようなこの建物の中にいては、私は、私は。
内耳感覚が無くても分かる、走って走って走るたびに心臓が激しく動く。
いや、これは心臓だろうか?
きっと臓器ではない、何か別の感覚が私の体の中を支配する。
白い壁のつきあたりに差し掛かる頃、大きな手が私の肩と胴を掴んだ。
思わず叫んで、振り払うために体をめちゃくちゃに動かす。
もういいの、やめて、きえたいの、そう叫んでいるつもりだけど内耳感覚を切ったまま発音しているから、言葉にはなっていないだろう。
暴れる私を押さえつけて鎮めて落ち着かせるように肩を抱えてきたのは、春秋だった。
黒い髪、黒い目、黄色がかった肌、大柄な骨格にうっすらとつく筋肉。
大きな手に砂色の髪がかかって、首を振った。
春秋の口が何度も動いて、私に話しかける。
聞く気もないどころか聞こえてないと気づいたのか、春秋が私のピアスを弄り始めた。
ぐいん、と内耳の感覚が戻り、敏感に音を感じ取る。
空気の音と感覚まで聞こえるようになり、自分の荒い吐息と春秋の切羽詰った心拍数まで煩いくらい聞こえた。
「なまえっ。」
私を呼ぶ春秋の声。
春秋がつけてくれた、なまえという私の名前。
聞くだけで安心する、春秋の声。
何も言わず、湧き上がって溢れそうな悲鳴を抑える。
歯を食いしばっているのを見られたくなくて唇を閉じたまま、濡れた目で春秋を見た。
「なんでそんなに泣いているんだ、なまえ、落ち着いて。」
春秋の大きな手が、私の涙を拭く。
黙り込んで、春秋の目を見た。
心配そうに歪んだ目の中にある黒い瞳の瞳孔。
オニキスを暗闇で見たような色をした目が、私を捉えている。
「…聞いたのか。」
目を伏せると、春秋は私の肩を摩った。
慰めてるつもりなのだろう、体温が擦れて温かいような気がする。
内臓が冷えたり熱くなったり、涙が溢れたり、叫んだと思えば岩のように黙ったり、私の体は忙しい。
「なまえ、辛かったろう、悲しんでいいから、そんな顔をしないでくれ。」
私はどれだけ酷い顔をしているのだろう。
春秋は、私が今にも全てを葬り去りそうなことに気づいたのか、必死で諭し始めた。
「この世界は広いんだ、リーベリーだけじゃない、玄界だって、他の惑星だってある、この玄界にだっていくつもの国があって、生きてれば必ず居場所がある。
それはどこにあるか分からない、ここにないなら他にある、だから身体があって心があって脚がついてる。」
春秋の吐息が、細かく聞こえる。
喋るたびに舌の間と喉の奥から漏れる息は、普段は聞き取れない。
「俺は、A級1位だったこともある、今から東隊で一位を目指して遠征にいこう、そこで新しい国を見つけよう、俺ならなまえをどこにだって連れて行ける。
俺は、俺はなまえの味方だ、あの海で出会った日から、俺はなまえの味方なんだ。」
冷え切った内臓が、下へ下へと落ちていく感覚に襲われた。
頼ることも、笑うことも、縋ることも、今はしたくない。
目の前にいる春秋を信じたい、でも私にそんな価値はあるだろうか?
捨てられたリーベリーの民。
本来は死んでいるはずの私の脚が踏む地は、棺か墓の中。
春秋の大きな手。
私の哀れな体。
信じていいものはない、あるとすれば、それは自分の感情。

春秋の左手を掴む。
涙を流す瞼を閉じて、幼い頃何度も聞いたおとぎ話の言葉を唱える。
リーベリーの民が出来る魔法。
今では貴族と、平民の最上級の民のみが出来る血の濃さが成せる業。
愛する者に自らの証を残したいときに使える、最後の希望。
むかしむかし、あるところに戦いに明け暮れ英雄と呼ばれた兵士が尾びれを失い戦えなくなった時、愛する子供に自らの力を全て託すことにしました。
これがおとぎ話の始まりで、物語の先は長い。
今の私に、おとぎ話なんて塵よりも意味が無いもので、おとぎ話の兵士が紡いだ言葉を思い出す。
リーベリーの民しか発音できない声で、震える喉で呟く。
言葉を紡ぐたびに、喉から、舌から、口蓋の裏から、視神経、脳、脳髄、臓器、神経の中に潜んだ水の力が緩み、溢れ出す。
行き着く先は、春秋の手。
哀れな私を救った手に、私の力が流れていく。
青白い私の肌が脈打ち、春秋の左手の薬指に、白い指輪が宿る。
春秋の黄色がかった肌に浮くような真っ白な指輪を捕らえた私の眼球が、ぐらりと揺れる。
まるで糸が切れた人形のような体。
全身が緩み、視界に砂色の髪の毛が見える。
薄い感覚を灯した私の手が春秋からゆっくり離れて、意識を手放した。








2018.05.09







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