酩酊の幕


小津さんリクエスト
ゲルガーと単なる酒飲みなわけではない同期で甘い感じ









死に急ぎ、生き急ぎ、狭間に存在する時の過ごし方を知らない。
日銭を稼ぎ生きる術も、何かを見つけ目指し生きることが出来ることも知っていても、選ばない。
無限にある選択肢の中で何故これを選んだのかと聞けば、大体の人間は口を噤む。
ああだこうだと語り出す雄弁なやつほど、すぐ死んでいくのを知っているからだ。
調査兵団に志願する人は、皆そういう生まれと育ちで生きた人間ばかり。
底の浅さを人に笑われようと、汚泥のような心の底を見られたくないと浅いふりをすることに皆気づかない。
調査兵団志望の大半はそれを分かっているから、この上なく接しやすかった。
きつくて苦しい訓練の合間に接する人たちは、自分と何処か似通っている人ばかりだったから友達にもなれる。
たまに死んだり色々なとこが折れて消える人もいるけど、そんなの自分だっていつそうなるか分からないから何も言えない。
運がいいのか悪いのか、私は訓練兵にしてはそこそこ生き延びて成績も良かった。
だからこうして、夜の静けさの背後から恐ろしい光景が襲い掛かってくる予感を酒で掻き消すことが出来る。
愚かなる感情も、憎しみも、寂しさも、なにもかも飲み込んで溶かしていく。
私には酒が束の間の阿呆になれる薬にしか思えない。
寝る前の一瞬だけ阿呆になってバカになって、まだ見ぬ明日に向けて眠る。
誰もいない食堂の椅子に座り込み酒で舌を焼き、喉から胃に流し込み、後から迫り来る酔いに脳みそを任せた。
松明の僅かな明かりと何処から漏れるか分からない月の光だけが頼りの視界はまだはっきりしているので、酔うにはまだ時間がかかるだろう。
瓶の酒があと半分もすればなくなる、というところで扉とは逆方向の壁から音がする。
ごと、がたがた、と落ちて転がるような音。
何かが落ちたのかと思って見れば、空の酒樽が積んである物影でゲルガーが倒れていた。
いつからそこにいたのかと目を凝らして、すぐに理解する。
ゲルガーのシャツの胸元が濡れ、ズボンと靴には埃がつき、キメている髪型の横が少し荒れていた。
酒樽をベッドだと勘違いして今まで寝こけていたんだろう。
ううう、と呻いて起き上がろうとする千鳥足のゲルガーを見て、思わず声をあげて笑ってしまった。
酔っているせいか、自分の声が一枚隔てた紙の向こうから聞こえる。
薄い薄い酩酊の幕が、私にかかった。

私の笑い声が余程頭に響いたのか、頭を押さえたゲルガーが更に呻く。
のろのろと立ち上がり、壁によりかかる。
落ち着いて見れば全体的にまあまあの男だけど、いかんせん酒が好きすぎる彼を好きとは言いにくい。
また一口酒を飲めば、匂いを嗅ぎ取ったゲルガーが素早く私を見る。
目の焦点が僅かにずれ、瞳孔が浮いたように黒い。
酔った顔のゲルガーが、よろよろと私に向かって歩み寄る。
「なまえ、モブリット見なかったかあ?」
呂律は回っているものの、声帯が酔った声は非常にだらしない。
「見てない」
私の答えに、呻きながら部屋の隅で項垂れ、そのあと私の隣に座る。
大きな肩幅のすぐ近くから、酒の匂いがした。
「あいつに酒貸したのによお、ったく俺の酒がまた減る。」
赤い顔についている瞳と睫毛がぼうっと滲むような顔をしたゲルガーが酒臭い息を肺に溜め込んで、ゆっくり吐き出す。
モブリットがどうの、なんて多分嘘だろう。
または先ほどまで見ていた夢の内容。
ゲルガーが俯き呻く度にぬるりと動く首の筋肉に、血管が薄く浮かぶ。
「いい加減お酒減らしたら」
「無理。」
私の提案を一蹴する声は、かなりはっきりしていた。
「病気ね」
意識はあり、酔いが身体にだけ残っているんだろう。
その状態のまま朝を迎えれば散々な訓練結果になるけど、今は夜。
朝には酒が抜けているから、どうってことないはずだ。
「なまえもこんだけ夜更けてる時間から飲むって時点で同じ穴のなんとかだろ。」
「狢ね」
「別によお、酒の力借りなきゃなまえの顔ちゃんと見れねえわけじゃねえし。」
たまに、こうして人をドキッとさせるようなことを言う。
酒を飲む人はいつもこうだ。
酔ってるからを言い訳に、いいことも悪いこともする。
「そんなこと聞いてない」
「なんだよ、ツラ見てほしいのか?」
私の肩に顔を寄せてきたゲルガーを、押しのける気にならない。
酔ってるせい、そう、酔っているから。
ゲルガーの目は、まだ瞳孔だけ渦巻くように暗い。
「何考えてるか知らないけどさ、ゲルガー、お酒いつから飲んでるの」
瞳孔だけ顔の真ん中でぼうっと浮かび上がるような顔をしたゲルガーに、それとない話をふってみる。
食堂でいつから正体不明になっていたのか聞いて、話を絡まそう。
酒くさいゲルガーは、おう、と相槌を打ってから答える。
「んあー・・・ガキの頃は寝ないと飲まされてたなあ、怪我して痛いときも薬じゃなくて酒かけてくる母親だったし、義理の親父みたいなの?あれにも飲まされてたし、わっかんねえ。」
なんでもないことのように、酷い事実を言う。
調査兵団にはこういう人が多いし、自分はそうじゃないと言い切れる自信はない。
「今日のいつからって意味なんだけど」
「ああ?悪い悪い、夕方くらいからだ。」
悪気のない顔。
酒にまみれて本性が現れても、この顔だ。
長い手足が酒まみれになっていたとしても、ゲルガーはこういう人なんだろう。
今際の際にも酒を飲みそうな人だから、安心できる。
「そんな飲んで平気?」
「あたりめえよ、俺を誰だと思ってんだ、馬用の酒を食らうゲルガー様だぞ?」
人当たりが良さそうで、一瞬だけ明け透けさが見える笑顔。
ゲルガーの底知れぬ心に、どうやったら冷や水をかけられるんだろう。
「若い頃から飲んでるとアソコが小さくなるんだよ」
私も酔っている。
水の掛け合いを始めてみれば、ゲルガーは乗ってきた。
「確かめてみるか?」
「やだ」
自分なりに意地の悪い笑みを浮かべれば、暗い瞳孔を隠すようにゲルガーの瞼が僅かに下がる。
男の顔をしたゲルガーが、今にも抱き寄せてきそうな雰囲気を醸し出した。
「なまえの唇、いいよな。」
「肉厚のソーセージを噛み切るとき、油と肉汁が跳ねずに済む唇よ」
そう言って一口酒を飲めば、ゲルガーが想像してゾッとしたのか自らの肩を抱いて震えた。
飲み終わってから笑えば、やめてくださいと言わんばかりの顔をしたゲルガーが私を見る。
「やめろよ、こえーな。」
喉を酒で満たし、胃に落とす。
酔いが進む前に寝て、明日はすっきり起きるんだ。
間違っても起きたらゲルガーと全裸で寝てましたなんてことにはなりたくない。
そうなったら、ゲルガーとの友情はおしまいだ。
こうしてくだらないことを言い合う仲じゃいられなくなるだろう。
「なまえだって相当飲んでるだろ、俺となまえで飲み比べた時も危うく負けそうだったし。」
「まあね」
「つうかなまえだって兵団来る前から飲んでたろ?」
「飲んでない」
「はあ?俺と飲み比べできる女がここくるまで酒切ってなかったわけか?」
「そういうことになるわね」
「本当かよ、なにもかもクソだ。」
言葉の割には棘のない声に、少しだけ惹かれる。
でも酒くさい互いの息に気づいて、そんな気持ちは酔いに掻き消されていく。
私達の関係はそこまでで、命がいきなり尽きたときがそれの終わりであってほしいと願う。
酔って喧嘩してお別れなんてことになったら、その日から死にかねない。
それだけは嫌だから、ゲルガーの前では酒を飲む。
「ゲルガーの髪って面白いよね、こんなに酔っても崩れもしない」
本当は横のほうが荒れているけど、言わなかった。
「なまえに会う前にセットしてきたって言ったら?」
それなのに先ほどまであそこで寝てた理由はなんだろう、と突っ込む気にもなれない。
酒の入ったゲルガーは陽気でふざけてて、暗い気分も薄めてくれる。
大人数で飲んだときに居ると有難い人物だから、気持ちを潰すような真似はしたくなかった。
「ぐっしゃぐしゃになるまで乱してあげようか」
誘うように見つめてから、酒をまた一口飲む。
味を感じる鈍い舌の上で酒が踊る。
鼻の裏にこびりつく匂いは、起きたら消えているから不安はない。
あはは、と笑った唇近くにゲルガーの指が触れる。
大きくて太い指を当てられ、ゲルガー本人の顔を伺っても変化はないのを見て不味いと思う。
最初のほうで変な話を振ったのが原因だと気づいて、酔いの中から寒気がする。
このまま指を咥えろ、さっき言ってたソーセージみたくやってみろ、そういうことだ。
「冗談」
すぐにそう言っても、顔色ひとつ変わらなかった。
欲情した人は、こういう顔をする。
自分もそういう顔をするだろうし、その気がない人間にとってはこの上なく怖い顔。
正直、このまましても死にはしない。
でも、ここでゲルガーの性欲の着火に流されてしまっては、こんなふうに酒を飲みながらふざけられない。
飲みかけの酒をゲルガーの近くに置けば、ゲルガーはいとも簡単にそちらに目をやった。
ほら、私より酒が好きなんだ。
唇近くにあった指が僅かに離れたところで、格好つけるように椅子から立って食堂を後にする。
そう、まるで、自分は百戦錬磨の女だとでも言いたげに。
後ろを向いて微笑めば、情けないゲルガーの顔が目に入った。
今日もこれでいい、次もまたふざけあいになれる。
「そりゃねえだろ、なあ、俺もう。」
「知らないわよ、素面の時なら考えてあげる」
颯爽と食堂を後にして、何もなかったかのように振舞う。
私はこうしなきゃ、ゲルガーの前で格好つけられない。
弱弱しい女なんか好きじゃなさそうなゲルガーと酒のために、私はこうする。
あれ、なんのために飲んでたんだっけ?
そんなの、寝て起きてから考えればいいや。
扉を潜ったとき、背後で「いつまでなまえの前でなまえより酒が好きなふりしなきゃなんねえんだ・・・。」と聞こえた。
かなり小さな声なのに聞き取れたのは、日頃の訓練のおかげだろう。
聞こえていないふりをして、感覚が薄くなってきた足で寝床まで歩く。
脳裏に浮かぶ情けない顔、あの顔がいつか男の顔をしたまま私に抱きついてくることがあるのだろうか。
ふざけあいにならなくなるうちに、離れてしまおうか。
いや、でも、と躊躇う私しかいない夜の中で、身体に酒が回っていった。





2017.06.17











[ 65/351 ]

[*prev] [next#]



【アマギフ3万円】
BLコンテスト作品募集中!
×
- ナノ -