頭部の中身で愛し合おう






影浦くんが同級生を殴った。
それ自体はよくあることで、学校を揺るがす話題にはならない。
誰かが喧嘩をしても、ああそう、くらいで終わる。
温厚な北添くんがキレたとか、香取ちゃんが誰かを刺したとか、三浦くんが暴行したとか、仮にそうなってくるとしたら話題になるだろう。
生憎そこまでひどいことは狭く閉鎖的な学校生活では起きず、ひたすらに平和。
平和だからそうなるんだと思っても、みんな気にしないか話題そのものを口にしないかのどちらか。
私はどちらでもなく、生活指導室に篭る影浦くんをひっそりと待っていた。
影浦くんのサイドエフェクトについては密かな連絡が行っているので、学校側も指導しかできない。
むしろ教師は何故殴ったのか聞きたがる。
本当は暴力なんて一発停学でいい。
ここはボーダーと高校の連携の他に、サイドエフェクトを持つ生徒を積極的に受け入れるための補助をボーダーと特定の医学会から受けている。
それは学校の社会的評判に大きく関わるもので、廃校にならない上に三門市復興支援にも関わるので補助を切らすわけにもいかない。
影浦くんの場合、サイドエフェクトの内容が内容だから教師達も暴力に一度目をつぶり影浦くんの声へ耳を傾ける。
生活指導沙汰を起こしても、一発停学にしない理由は上手くできていた。
ボーダー内部といいサイドエフェクトといい、外側だけでも平穏を保たないといけない組織は得体の知れないものが怖いのだろう。
社会はいつも恐れとの戦いだ。
閉鎖的な空間は、何故か個々の得体を把握したがる。
大人になれば自由になれる、だから、今日もいつもどおりになるのを待つだけ。
それしかできないのがもどかしいとも思わない。
私は影浦くんが好きで、会えば笑うし話すし手も繋ぐしキスもするし、それ以上は恥ずかしいから駄目だけど、好きなりに出来ていると思う。
勇気を持って雅人くんって呼びたいけど、まだ出来ない。
誰もいない渡り廊下でこっそりと、雅人くん、と呟いてみる。
空気の中へ落ちていく言葉は、私にしか聞こえてない。
呟いただけで頬が熱くなり、喉奥が締まる。
影浦くん、まだかなあ。
すぐにいつも通りの呼び方に戻して、渡り廊下から一階の様子を見た。
生活指導室の方向から教師が歩いていったのを見て、私と影浦くんの鞄を取るために教室へ向かう。
そろそろ終わるのだろう。
生活指導室から影浦くんが出てきたら、いつもみたく影浦くんって笑いかけるんだ。
人気がなくなって冷えた空気しか吸えない廊下を歩いて、夕暮れに近い空を見てから自分の教室へと向かう。
教室まで及ばないうちから、談笑している女の子達の声がする。
ハリのある高い声が「つか、影浦!また生徒会のやつ殴ったって!」と叫ぶ。
その声が発した名前に足を止め、全神経を耳に集中させる。
足が冷えて頭の当たりが熱くなっても、声は止まらない。
「またかよ。」
「あいつ絶対クスリやってるよ!ヤバイ幻覚とか見えてんじゃね?マジ学校やめてほしいわ。」
「村上くんもなんであんなんとつるんでんだろーね、意味不。」
「すっげ金出すとか弱み握ったとかじゃね?」
どこにでもいる声が、突如ナイフのように尖って渦巻いて鈍く光り出す。
口の中が重い味に包まれて、喉の奥が刺すように痛む。
こういう感覚は好きじゃない。
何もできず廊下で佇んでいれば、他愛ない談笑にブチ当たってしまったばかりに私の身体は冷えていく。
誰も悪くない、たまには思い切り話したくなる。
だから立ち聞きする形になってしまった私も、悪口手前なことを喋り捲る談笑も悪くない。
唇が乾くのを感じて、体温に耳を済ませた。
心臓の鼓動が聞こえるのに、体は恐ろしく冷えていく。
冷たい廊下にいる私が、急に真っ黒になる感覚に襲われた。
「穂刈とか何考えてるか分かんないやつは影浦つるみやすいんだろうけど。」
「つるむ時点で内申考えてないでしょ。」
「それ言ったらアホの子やってる女子みんなやばくない?今ちゃんにくっついてる国近とか別格だけど。」
「国近ちゃんといえば当真いるじゃん?あの人も影浦とつるんでね?」
別の子が笑い、相槌を打つ。
「昼寝のしすぎて頭おかしいんでしょ。」
「あれと仲良くしてあげてる北添くんマジ懐デカすぎだよね。」
廊下の白い壁を揺らすような笑い声が複数したあと、それを掴んで落とすような声がした。
不穏な感覚に覚えがある。
当事者なら楽しいゴシップタイム、でも、話題の的には堪ったもんじゃない。
「でもあの子は絶対影浦の交友関係目当てだよね。」

話題は唐突に変わる。
談笑というのはそういうものだと分かっていたのに、私は逃げ出さなかった。
「あー…なまえさん?」
呼吸器系はおかしくないはずなのに、息が止まった気がした。
喉奥から脳髄、脳髄から眼球の裏、眼球の裏から脳、脳から全身。
冷えて痺れた私の足は、走り出さない。
「悪い人じゃないけどウチらと合わないかんじの子だよね、話しかけたら普通だけど基本何考えてるかわかんない。」
「わかる、てかなまえは何で影浦に懐かれてんの?」
「え?なまえさんが懐いたんじゃないの?」
「いや違うんだって!影浦がなまえに話しかけて一緒に帰ってんの!」
「うわマジ!?」
息を飲んだ声がして、それが私なのか談笑する声なのか分からない。
もしかしたら同時なのかもしれなくて、眩暈を飲み込んだ。
身体に触れる髪の毛すら重く感じて、手のひらの血流がわかるくらい皮膚が冷え切る。
「付き合ってるとしてもあの二人似合わなくね?」
「似合わないよね、あの二人なに話すんだろ。」
「影浦が仲良い二年いるじゃん、あの二年と影浦が付き合ってると思ってた。」
でもあの子ボーダーだから、と誰も言わない。
それに気づいてからでも廊下を走り去れたのに、胃の辺りがぐるぐるしてから足の血へと落ちて冷えていく。
「なまえさんも何考えてるか分かんない系ってか、浅いよね。」
「オトコはあの浅さが都合いいんじゃね?」
「影浦にしか相手にされないとか、それはそれで辛そうじゃん?その幸薄加減でオトコ狙ってるとか。」
「見た目地味だし話も地味だし、浅さしかない。態度からして綺麗系狙ってんのか知らないけど、あんま可愛くないし。」
「えー、なまえさんと仲良くしとこうかなー、村上くんのプラベ知りたいし。」
「村上くんといえばさ、今ちゃん最近調子乗ってない?表彰式あったあたりからマジすごいんだけど。」
他の子が相槌を打ったところで、ようやく正気に戻り鞄を取らずに生活指導室へと足を運んだ。
後ろ髪が談笑に撒きついて、取れない。
ボーダーに関わる、正義感が強くてまっすぐな子やコミュニケーションを取るのが得意な子だけが人じゃないということは分かってたのに。
それでも気分が悪くて、手すりに捕まりながら階段を降りる。
生活指導室の前に着けば、既に影浦くんが解放されていた。
私を待ってくれていたのか、ポケットに手を突っ込んでダルそうな顔で壁に寄りかかっている。
「影浦くん」
いつもどおり声をかければ、マスクをずらしてギザギザの歯を見せた。
「長引いた、悪かったな。」
「18時からミーティングだよね、行こう」
いつもどおりの笑顔を見せたつもりが、影浦くんにはバレてしまう。
「なになまえ、どうした?」
「なんでもない」
機械的にそう答えれば、暫し見つめられた。
私のようにサイドエフェクトがない人間は、相手の目の色や態度や雰囲気で人を伺う。
影浦くんの場合は、それに感情の刺さり方が加わる。
複雑怪奇な影浦くんのサイドエフェクトは、感情の隅々まで見渡して知ってしまうから隠し事なんて無駄。
今の私がどう移って感じているのか、影浦くんしか知らない。
影浦くんにしか見えない世界に、私はどう映るのか、完璧に知る日は来るのだろうか。
どういった感情なのか隅々まで把握したのか、見つめるのをやめて私に向き合う。
見慣れた顔が目の前にあって、とても落ち着く。
「なまえが弱虫じゃねえのは分かってる、何に不安になってんだ。」
そう言われ、口をついて出る。
「クラスの子が」
「女子?」
「うん」
「女子がどうした。」
「・・・陰口?みたいなのを・・・」
「事故だ事故。」
忘れろと私の額の前で手を翳してくれた影浦くんを、再度見る。
見た目から伝わる印象だけなら、怖い人。
怖い人じゃないと知っているからこそ、一挙一動に安心してしまう。
俯いて、心の中で劣等感と優越感と存在意義と葛藤が揺れ動き、また後ろ髪が離れなくなる。
みっともない姿のまま、影浦くんに問いかけた。
「影浦くん、私の何が好きなの?」
「性格。」
即答した影浦くんにときめきつつも、まだ心が波打つ。
「私、可愛くないし綺麗でもないし」
「なまえは可愛いだろ、俺から見れば綺麗な目してる。」
「そうやって相手にしてくれるの、影浦くんだけだよ」
脆い気持ちを心に貼り、醜い言葉を紡ぎ出す。
後ろ向きになったと思わせて、女なんていつもこんなことが脳裏を掠めるのよと感情で伝える。
「なんだそれ。」
「相手にされないって言われてた」
それでも、影浦くんはクソだのボケだの罵らない。
感情の根底にある感情がなんなのか、影浦くんには見抜かれる。
溜息をついた影浦くんが、ポケットに突っ込んでいた手を自分の腰に当てた。
鋭い目は、優しい光を灯す。
「アホだな。見た目なんて意味ねえよ、見た目が気に入らねえってんなら金とトリガー積めば弄くれるだろ、金とトリガーでも性格は弄くれねえ。
ダベってるクソの世間話を聞いて、内容がなまえのいる世界じゃあり得ないくらいアホらしいからショック受けたんだろ、落ち着けよ。」
大きくて骨っぽい手が、私の顔に触れる。
頬をぷにぷにされてしまい思わず笑えば、影浦くんはようやく気を緩めた。
それに気づき、自分の顔の怖さにハッとする。
生活指導室に缶詰にされた影浦くんのほうが嫌になるくらい疲れているはずなのに、目の当たりにしたもののせいで不安定になってしまっていた。
ごめんね、と思ったのが伝わり影浦くんが諭す。
「相手にされないだのなんだの、他人がいなきゃ自分の価値が決まらない頭の安い奴らの性格は金積んでも治らないんだぜ?金で変わるような信念のバカは普通にはなれねーだろ。」
私に感情受信体質があったのなら、今の影浦くんの気持ちを一身に受け止めている。
そうだったらよかったのに、と一瞬でも考えた私は間違いなく浅い。
深いはずの物事を知ってもなお、自分本位の考えが脳内で一人歩きしていく。
ボサボザの前髪が影浦くんの目にかかって、目元が暗くなったと思えば頬に軽いキスをされた。
薄い唇が頬にあたり、後ろ髪が引かれていた不快感の残骸までもが遠くへ飛ぶ。
熱された頭には影浦くんのことだけ。
目の前に影浦くんの座った目つきがある最中、囁かれる。
「俺も気に入らねえ視線ばっかきてイラつくことはしょっちゅうだし、わかるぜ。けどよ、気に入らねえのに振り回されてたまるかってんだ。」
頷けば、肩を抱かれて耳元で低い声がする。
「なまえは俺のどこがいいんだ。」
手に触れれば、影浦くんの拳のところが赤くなっているのに気づいた。
同級生を思い切り殴った痕跡も、そのうち消えてなくなる。
「思いを隠さないところ」
「な?ツラじゃねえだろ。」
人気のない廊下で暫く抱き合えば、冷えていたはずの身体は熱くなる。
談笑の声が段々近づいてきても動く気にもなれず、抱き合ったまま足を動かしてみれば壁によりかかる体勢になった。
後ろ頭は壁に冷やされ、目の前には影浦くん。
頭の中から煩わしく面倒くらいことが吹き飛んで、一時的に感情だけが放蕩する。
気分だけが知りもしない感覚へ旅立つのだから、本能は面白い。
このまま死んでもいいと思うくらい心地いい気分になっているのも、影浦くんには刺さっているはず。
目を閉じて体温を布越しに感じる。
キスして、と思えば影浦くんの唇が耳に触れた。
頭の中に備えているも同然な卑猥なことを浮かべれば、影浦くんの肩が震える。
ん、と声が漏れて、私のふとももに何かが当たった。
それは布の下にあるもので、妙に温かい。
なんなのかは、察しが着く。
それを挿入したいと言い出さない影浦くんを抱きしめれば、静止の声が囁かれる。
「気づいてねえだろうけど、なまえは卑屈な気分になろうがエロい気分になろうが俺に向けてる感情の刺さり方は変わってねえ。」
温かくなってきた両手で影浦くんを抱きしめれば、細かった。
影浦くんの骨に触れそうな皮膚は、同じように体温を持っている。
喋るのをやめても、生きている限り影浦くんと意思疎通が出来ることへの摩訶不思議な感覚はどう説明しようか。
変わらない気持ちがあるのなら、それだけで愛への説明ができる相手に恋をした。
なにもかもを超えた局地を感じ取る能力は、余計なことは全て飾り。
目を閉じて、声をなくして、動く手足と感情だけでも伝わる。
いつかお互いの皮膚を全て曝け出そう、そう思っても何も言わずに私を抱きしめている影浦くんのことが、好き。








2016.10.14








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