29日












外に出た途端、肌を冷たい風が撫でる。
生ぬるい体に打ち水をされたような気がして、思わず呟く。
「うわ、寒っ」
なんとかしようと飛び跳ねていると、後ろにいた哲次くんが呻いた。
「今日の予報にここまでの気温低下なんてなかった。」
「そうだよね、さむいさむい」
哲次くんに同意して、飛び跳ね続ける。
今だけ残暑が欲しいところを、季節は無視していく。
「寒いだろ、羽織れ。」
哲次くんがジャケットを脱ぐ仕草を始めたので、慌てて腕を押さえる。
「哲次くんが寒いでしょ」
伸ばした腕すらも寒い状態なのに、風はまた吹く。
さむい、と思えば哲次くんに引き寄せられ、着ているジャケットの中に上半身だけ包まれる。
ぎゅっと抱きしめられ、僅かに温くなった。
「じゃあこれでいいだろう。」
哲次くんの胸板に顔を突っ込む体勢になって、首元が温まる。
恥ずかしさと温かさを求める気持ちがあったけれど、温かさを求める気持ちが勝った。
抱きしめられているのは本当は恥ずかしい、でも寒い今は哲次くんの腕の中がほんのりと温かいので、恥ずかしくない。
このままコタツに一瞬だけ入って温まりたかった。
人が沢山くる前に離れて帰らないといけないけど、もうすこしだけ。
暖を取りたい私に、神は簡単に微笑まなかった。
誰かが近寄ってきて、分かりきっていた顔ぶれを見た人のような気楽さと生来の気軽さを兼ね備えた声で哲次くんに話しかける。
「おっ、自分なに大切なもん抱えてん?」
哲次くんの横から、聞き覚えのある声。
すこし見るだけのつもりで、哲次くんのジャケットに埋まった顔の隙間から覗くと至近距離で目が合う。
思わず顔を哲次くんの胸に押し付けると、生駒さんの機嫌の良さそうな笑い声がした。
「いやあ〜なまえちゃん熱いなあ、うちのストーブも荒船となまえちゃんくらい熱かったらいいのにな。」
気づかれないように私の肩を抱いた哲次くんが、丁寧な声で生駒さんに話しかける。
「生駒さん今帰りですか?」
「今からマリオ迎えに行くんや、マリオの弟二人がワイーだかウェーをブッ壊したかで家がレスリング大会になって部屋に入れないってラブコールがきてな、ここはいっちょモテたろかと。」
得意気に喋る姿をちらりと見れば、子猫でも見つけたような顔と仕草をこちらに向けた。
陽気な雰囲気とは正反対の目元が動いて、携帯に視線を移す。
マリオちゃんからメールが来てないか確認しているのだろう。
生駒さんの言っていることが本当なら、早く行かないといけない。
それに、マリオちゃんはモテるモテないを考えちゃいけないくらいの相当な厄日に見舞われている。
哲次くんのジャケットから顔を出し「弟さんが壊したのはウェーじゃなくてWiiだと思います」と言うべきか、大人しくするべきか悩む。
この状況で何も言わず黙り込んでしまうのは随分おどけている気がした。
突っ込みどころ満載の生駒さんの何気ない生活感溢れる一言に、哲次くんが食ってかかる。
「生駒さん、それラブコールじゃないと思います。」
「なんでや!困ってる女の子助けてこその男やろ!」
マリオちゃんが困っているという自覚はあった生駒さんの底抜けた陽気さに、こちらも温かくなればいいのに。
すこしだけ伺えば、会話はとっくに生駒さんと哲次くんのものになっていた。
「生駒さんモテとか気にしますよね。」
「え?自分そんな帽子被ってるのに、そういうの気にしないの?ヤバいな?」
「帽子は関係ないですよ。」
「まあー自分の面じゃ電話かけたところでラブコールいうよりブーティーコールになるやろな、気にせんふりはしたいな。」
わははと笑い出した生駒さんに、哲次くんが否定する。
「そりゃないですよ。」
焦り混じった哲次くんの声で味を占めたのか、生駒さんが哲次くんの腕の中にいる私に話題をふっかける。
「なまえちゃん、荒船から聞いてるか?隠岐がな・・・。」
「その話の辺の話はなまえに一切してません。」
哲次くんの言葉に驚いた生駒さんが一瞬だけ言葉を詰まらせ、それから哲次くんの肩を軽く叩いた。
笑顔だけど目だけ笑ってない生駒さんが、何故か哲次くんを激励する。
「うっわ俺感動したわー、荒船おっまえなまえちゃんにマジやなあ、俺を見習えよ荒船少年。」
「ご心配なく。」
言い切った哲次くんの肩から手を離した生駒さんが、私に視線を移す。
「なまえちゃん、荒船に泣かされたら俺がいつでも胸貸してやっからに良い女になりいや!おっ、ラブコールきてもうたわーもうモテる男は辛いなー。」
一気に言ったと思えば、一気に去っていく。
怒涛のような生駒さんが携帯を手に取り、耳に押し当てた瞬間歩き始める。
私と哲次くんに背を向けたまま歩いていった生駒さんが「なんでや!俺のプレステ関係ないやろ!!」と叫んで走っていった。
生駒さんとマリオちゃんに、今日これから何が待ち受けているのか私には分からない。
でも、生駒さんは嫌いではない。
底抜けに明るいところや何があってもへこたれなさそうな所は、皆が見習うべきところ。
「明るい人だね」
「ねえ哲次くん、マリオちゃんの弟が壊したものってwiiのことだよね?」
「たぶんそうだな。」
生駒さんが向かった先は、一体どんな光景が広がっているのか。
好奇心と怖いもの見たさに包まれた事実の登場人物のことを考え、ふと気づく。

「マリオちゃんって」
「生駒隊は全員スカウトで入隊したから、細井のところに弟二人が遊びに来ているんじゃないか。」
私が気にしたことを一発で言い当てた上に答えまで言ってしまう哲次くん。
ジャケットから顔を出して、つい背後を伺う。
生駒さんの姿はなく、たまに車が通り過ぎるだけ。
マリオちゃんとその仲間達は、スカウトされて関西から来た。
元気で明るいマリオちゃんが寂しそうにしているのは見たことがなく、その事実をつい忘れてしまう。
マリオちゃんは皆とすぐに打ち解けてしまうから、マリオちゃんがもともとスカウトで来ていることを気にしなくなる。
時として関西弁は伝染することがあり、それすらも彼女がいれば話の種にしかならない。
マリオちゃんがいつも見せてくれる笑顔を思い出し、彼女のように元気でいれたらいいと思う。
「ね、哲次くん」
「なんだ。」
「もし哲次くんが関西にいたとして、あと私も関西にいたとして・・・」
家族や友達、いつも行くお店、いつも歩く道、住み慣れた家、過ごしなれた環境を簡単に離れることは出来ない。
「ボーダー、私は来てたのかな」
それはきっと三門市内にいる全員に共通する。
「身近だったから目を向けただけで、もし違うとこにいたらって思うと」
ありもしない事実を妄想すれば、浮かんでくる事実。
「私はマリオちゃんみたく一人で知らない土地にいけないかなあ、そんなに強くないし」
僅かな例外、そう、たとえば、人の上に立ち統率することができる人や皆のリーダーになれる素質を秘め持った人。
哲次くんのような人なら目標のために行動するだろうと思えば、意外なことを言い出した。
「俺も行けない。」
驚いて何も言えずに顔を見つめていると、哲次くんに伺われる。
帽子の影の中でも映える目に疑いの色はなく、冗談で言ったのではないと悟った。
「そうなの?哲次くんなら目標のために行ってそうな気がした」
冷たい風が、肌を撫でる。
温まった上半身が生ぬるく感じて、自分で自分の腕を握った。
「俺がスカウト組の生駒隊と同じような立場だとして、なまえと会う前なら行っていたかもな、今は無理だ。なまえを残してどこかに行くなんて考えられない。」
なんでもないことを言い放ったような哲次くんを唖然として見つめれば、哲次くんが見つめ返す。
それから、哲次くんが先に目を伏せる。
「そっか」
途端に頬が赤くなった哲次くんを見て、微笑む。
ジャケットの間に手を忍ばせるよりもずっと温かくなった体は、心を綻ばせる。
「うれしい、ありがと」
緩んだ笑顔を浮かべると、哲次くんが伏せた目を私に向けた。
「ああ、いや、でも目指すことのためにボーダーは行くし、そうなるとボーダーに行ったらなまえに会えるし、何にせよ行ってるな、うん。」
「うん」
「それに、だな、なまえなら待っていてくれるだろうし俺を任せられるし俺も待つ・・・。」
恥ずかしそうな顔をしたあと、格好つけたいのか大真面目な表情を作った哲次くんに微笑みかける。
大きな手が私の手を握ってから、優しく引き寄せる。
「なまえ、29日って暇か。」
「うん」
「29日のレイトショーで見れそうな映画があったら、一緒にどうだ。」
哲次くんにしては珍しく、見たい映画のタイトルも、見たい系統の内容も、指定映画館もなく、日付と時間だけが目的のようだ。
「行けるよ、でも何を見るの?」
たぶん、時間が取れそうな日がそこしかないんだろう。
そういうことは今までもあったけれど、どうしてもというその口調に引っかかっていると負けんとばかりに告げられた。
「俺はブーティーコールなんかしない。」
先ほどから耳にするその言葉がなんなのか、まだ分からない。
「ブーティーコールってなに?そういう映画の台詞?」
哲次くんの頬が赤い。
付き合っていても、何度手を繋いでも、哲次くんが何を考えているか分からない。
好き同士でも、他人であることの壁があるから当然なのに、たまにその壁が鬱陶しくなる。
自分の中で隔たるものですら嫌なのに、こうも体感すると嫌になりそうになってしまう。
触れてはいけないものに触れてしまったような気がして、離れようとするとジャケットの上にあった手で背中を抱かれて、つむじにキスをされた。
頭のてっぺんで何かむにゅっとしたものを押し当てられてから、熱い息が額にまでかかる。
「俺らの間には絶対に関係ないことだから、気にしなくていい。」
耳元で聞こえる声はいつも通りで、顔をあげても普段の哲次くんがいるだけ。
それでも、どこか特別な感じがした。
「熱くなってきた」
色々と、とは言わないでおくと、哲次くんが囁く。
「俺はもう少しこのままがいい。」
気を紛らわせようと狙ったように走り去る車から、聞き覚えのある音楽が耳に触れる。
それが何の曲なのかすぐに思い出せたけど、そっと内に秘めた。
行き交う車と人は、私と哲次くんの思いを知りもせず通り過ぎていく。







2016 09.19









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