08








冷たい空気が詰まった白い部屋に、私、春秋、秀次、ジン、カザマ、顔に傷のある男、神経質そうな鷲鼻の男、厳しい顔の太った男がいる。
何が起きたか分からないのは、私だけ。
冷える鼓動が耳の中で木霊して気持ちが悪かった。
どちらがジンでカザマなのか分からないけれど、顔の上に小さな器をふたつくくりつけた飾りを巻いた優男は平然としていて、表情筋の無い小柄な男の子は春秋を伺っている。
白い部屋には水を薄く固めたようなものが置いてあり、そこから灰色の不規則な景色が見えた。
空気は一定の温度で、冷たく過ごしやすい。
水がないと生きていけないのに、ここまで過ごしやすくしたり石をここまで不規則にできる技術は、素晴らしい。
ずっと景色だけを眺めていたいけど無理なこと。
顔に傷のある男が、私を一瞥したあとジンとカザマと秀次に質問した。
「日常生活で、一度でもこの者を見かけたか?」
「いいえ。」
「風間さんに同じく見ていません。」
飾りを巻いた男が、即答した小柄な男の子を風間と呼んだ。
ということは、飾りの男はジン。
二人の答えに頷いた傷の男がジンを見つめた。
「迅、どうなんだ。」
「んー、いやあ、お言葉ですが城戸司令、彼女を見てから俺の頭がパンクしそうなのでちょっと整理させてもらっていいすか?なんつって。」
へらへら笑いながら気軽にそういう迅に説得力はなく、迅は私を見ても顔色一つ変えない。
不気味とは程遠いにしても、胡散臭く近寄りがたい。
傷の男は城戸司令というらしく、立場や空気からして偉い人なのは一目見て分かった。
秀次が低く顰めた声で、答える。
「一度会いました。」
「いつだ。」
「一番最初、なまえが車椅子に乗っていたときです。廊下で玉狛を待っていたときに少し。」
「そうか・・・。」
秀次の声が恐ろしくて、聞いていられない。
背中のあたりにまで伸びた髪の毛先すら鬱陶しいくらいの体を放り投げて水の中へ戻りたいのに、それを許さない道を選んだ。
それがここまで気持ちの悪いものだとは、と嘆くにはまだ早い。
横目で私を見た風間が、城戸司令に伺う。
「・・・彼女が何か問題を起こしたのですか。」
「ボーダー内での問題ではない、隊員ではないからな。」
隊員ではない、そう言い捨てたのを聞いた風間を疑いの目を私に向ける。
春秋に横歩きで一歩近寄ると、城戸司令と目が合う。
軟弱な女だ、と今にも言いそうな顔で私に言葉を投げかける。
「こちらからの情報を単刀直入に言おう、なまえ。」
春秋がつけてくれた名前を、城戸司令が呼ぶ。
「君はリーベリーの近界民。」
怖い人に呼んでもらうために、なまえって名前をつけてもらったんじゃない。
陽太郎みたく、明るく呼んで。
疎むのなら私の名前を呼ばないで。
春秋から事情は聞いているにしても、気分のいいものではなかった。
「君は不慮の事故で三門市内近郊の海に漂着し迷い込んだリーベリーの民。偶然海に居合わせたボーダー隊員であり三門市民の東春秋に発見され、リーベリーの民である君はしばらく市内の病院で過ごし、運良く玉狛の川に飛び込み口がきけるようになった。」
大筋は合っているため、頷いた。
「東春秋の元にいるところを見るに、侵略をしようという気は見て取れない。」
もう喋れるのに、声を出す気にならない。
弱いと思われてはいけない、返事をしよう、そう思ったのを見抜かれたのか厳しい顔をした太った男が私に問いかける。
「こちらとしては聞きたいことが山ほどある。リーベリーの民である君がどこから来たのか、ゲートはどこにあるのか、君はなんのために来ていたのか。何せ君が打ち上げられたその日、ゲートはどこにも発生していないのだ。」
口ぶりからして、ゲートの発生について気にしているようだった。
灰色の石を奇妙に切り崩した中で生活する民は、地上で信じられないようなものを使い生活している。
私の目線が海にあるように、この人たちの目線は地上にあるのだろう。
鷲鼻の男が手を顎の前で組んだまま、私を見る。
「なまえくん、君の事を病院が気にかけていてねえ、一度ニュースにもなったのだけどそれは知っているかい?」
「ニュース?」
知らない単語に困惑すると、鷲鼻の男は察したように卑しい目つきをした。
それから風間がああ、と声を漏らす。
おそらく、そのニュースとやらで私を見ていたことを今思い出したのだろう。
私を見ていたとしても、それはどんな私だ。
もしかして病院で掠れた声帯を持ち干からびていた私を見たのだとしたら、わからなくて当然。
今の姿は冬島に設定してもらったトリオン体。
そのトリオン体でも、この状況は気持ちが悪くて仕方ない。
「もみ消すのに労力はそれほどかからなかったから、気にしないでくれたまえ。しかしなまえくんが近界民だとはねえ・・・。」
「偶然ってやつですよ。」
「迅くん、君には・・・。」
「あのー根付さん、彼女ボーダーにはそれほど影響ないですよ。」
迅が遮り、鷲鼻の男を優しく黙らせた。
なんの計らいか分からないものの、迅というこの優男は危なくはなさそうだ。
優男がへらへらしているのを見るのは好きではないものの、私の数歩後ろで黙り込んでいる秀次よりは安全。
太った男が私を疑うような目つきで見た後、切り出した。
「この街はゲートが発生すれば感知するように作ってある、基本的にゲートは市内のみ、それ以外の報告は今のところない。おまえ、一体どこのゲートから来たのだね?」
「深海」
その言葉に、太った男が眉を顰める。
「私達は水の中を移動するから、深海にゲートを発生させるわ、軍隊を向かわせて支配しようとした上官もいたけど水があまりにも汚くて一度は断念していたから、襲うことはないと思うわ」
「軍隊!?一度は侵攻しようとしたということか!!」
「そうね、でも想像を絶する状態だったから次の侵攻があるにしても手が込んでリーベリーらしくない方法かもしれない、ここは場所によって水質が違うものね」
「厄介だな、地上ならともかく海となると・・・おい待て、他にも行ったことがあるのか?」
「他、っていうとあれかしら、ここから地点計測で一周した先とかのこと?あるわよ、氷漬けのところも行ったわ」
私の答えに唖然とした太った男は、一瞬言葉を失った。
つらつらと意見を述べる喉は痛くない。
トリオン体に感謝しながらも、水の中に帰りたくなる。
太った男が、質問を続けた。
「氷漬けのところと言ったな、そこで何をした。」
「深海地底に信号を埋め込む偵察トリオン兵を送って、あとは水質調査をしたわ」
額に汗を浮かべた太った男が、困惑した表情を浮かべる。
水質調査がそんなにまずいのだろうか?
この惑星を覆う水は、リーベリーの民を多いに湧かせた。
汚泥のような川の水にもに秘密があるのなら、知りたい。
「水質調査団を向かわせて、水質を一から調べているの。水の組み方さえ分かってしまえばトリガーでどうにかなるから、私もその一行だった」
出来れば思い出したくないことに自ら触れて、黙る。
面倒くさい女になってから、後ろにいる秀次が殴りかかってこないか不安になった。
城戸司令が、私を刺すような目で見る。
「なまえ、リーベリーは侵攻の予定はないと見ていいのか。」
「そうね、そういう噂があるなら私の耳になら入るだろうし」
「それはどういうことだ。」
「私はリーベリーの中でも血が濃いほうだから、家も立場も国のお上に近いの、そういう噂は水の中で広まるから」
といっても平民の最上級、貴族の最下層だけど。
それは言わないでおくと、城戸司令が怖い顔をして私を睨む。
怖い顔を見たくなくて視線をずらせば、迅が私を見ていた。
奇抜な格好をした者を木陰から見るような目をした迅が、私を見つめる。
このトリオン体は、そんなに変なのか。
それとも、私自身が変なのか。
怖い顔の城戸司令を見つめなおし、言葉を待つ。
「君は我々に敵意はないと。」
「敵意も何も、私は水の中じゃないと干からびるから動けないし、帰りたい気持ちはあるけど今は郷に従うわ」

戦意喪失を通り越した私に、太った男が申し出る。
「つい先ほど冬島から聞いた話によるとだ、雨取隊員程ではないにしろ、ぽっと出の荷物の割りに良いトリオンを持っておる。未知のトリガーも解析中だ。トリオン云々のことで言えば遠征艇の足しになるものを見過ごすことは出来ん。
労力に対しての対価を、おまえ自身には求めん。だがな、トリガーに起きた謎を解明し原因を特定する代わりに、おまえを捨てたリーベリーの内情をすべて教えろ。」
太った男の提案にカッとなり、前へ進み出ると、春秋に腕を捕まれた。
宥める春秋の目を見た途端怒りは治まり、足の力を緩める。
「捨てたんじゃない、トリガーの事故なのよ、解析できるのならそれが先」
心臓がばくばくして言葉が上手く組み込んで発音できない。
捨てられた、その言葉に火がつきそうだ。
聞き捨てられない単語に怒りそうな私を抑えたままの春秋が私を庇うように先ほどの出来事を告げ始めた。
「なまえの体には未確認の反応がいくつも出ました。どれも未知のものです。トリガーを解析することにより新しい技術を手に入れることも可能でしょう。現在は冬島が解析中ですが、難航の兆しは見えていません。」
春秋の言葉のあと、すぐに鷲鼻の男が呟く。
「処分はそれからでも遅くない、と?」
自分の立場が透けて見える言葉に、頭から熱が降りかかる。
堪え、何も聞かなかったふりをして、春秋に寄り添う。
許されるのなら、私にはこの人しかいない。
「わかった、わかったわ、でも私はまずトリガーのことを知りたいの、とにかくそれが知りたい、それからでいいかしら」
捨てられた、捨てられた。
その言葉だけがぐるぐると体の中から眼球の裏までめぐり、舌の裏と頬の内側を這い、足の裏を軋ませる。
どうしてこんなにも聞きたくなかったと思うのか、理由はわかる。
太った男はそれ以上怪訝な顔をすることはなく、悪意がないことだけは分かった。
「それでは、こうしよう。」
城戸司令が冷たく言い放つ。
「なまえの意向を示し、解析結果が出るまで東がなまえを見る。なまえを交えた本格的な話し合いはそのあとだ。二人と三輪と風間は行け、迅は残れ。」
「うっす。」
軽い返事をする迅が羨ましい。
焦燥に涙を混ぜたような感覚が頭から離れて、今度は胃に落ちた。
気分が悪く、元の姿のままだったら今頃墨でも吐いてる。
行っていいと言われ、春秋に手を引かれ白い部屋を後にして分かった、自分でも本当は分かってる、目を背けた先にいる春秋を見つめているだけだと。
背後から聞こえる足音は、春秋のものではない。
秀次だ。
春秋の後頭部を必死で見つめ、だんだん早くなる足音に怖気を感じる。
首の後ろが冷え切ってきて、足からだんだん寒くなってきた。
かつかつかつかつ、かつ、と増えてくる足音に限界が近づいて、春秋から手を離し走り出すと同時に白い部屋の扉が閉まる音がした。
「なまえ?」
春秋の声がしたけど、不安で走り出すしかなかった。
後ろで「おいっ、秀次っ!」と聞こえて、反射的に後ろを見る。
走りながら一瞬だけ見えたのは、こちらを睨みつける秀次を押さえる春秋。
足音は幻じゃなかったと知り、なにもかもの限界が突破する。
「なまえ!おい!」
必死に抑えていた感情が、漏れ出した。
暗い藻屑の海でひとり。
失ったトリガーが体に食い込んだあの瞬間。
干からびた体、失った鱗と掠れる喉。
針山を歩く痛み。
冬島の言葉、太った男の言葉。
目を背けた先にいる春秋を見つめていいのか、見つめていたい、だって目を背けた先を見つめたら。
睨む秀次よりも怖い事実が突きつけられてしまう。
ごわごわする体の中から逃げたいのに、走っても走っても取れない。
「うやっ、だ、だ、えっ、春秋、ぃぃぃいいぃぃいぃ、いぃやぁぁぁぁぁ」
声帯から漏れる声は悲壮に満ちていて、嫌になる。
捨てられたのを本当はどこかで悟っていたんじゃないか、だけど春秋が目の前にいたから、だから。
「はるっ、はるあ、春秋!」
私を助けてくれた人の名前を呼ぶ。
私の本当の名前なんて、どうでもいい。
春秋がつけたなまえがいい。
顎の裏がぞくぞくして背骨の一本一本に針が刺さるような寒気を感じる。
眼球が破裂して全部歯になって頭から食われてしまえばいいほどに恐怖が蘇るのも、コレも全部、私が目を背けていたから。
わかるまいとしたことを無視していて、それから、なんだっけ、もう忘れたい。
走りぬけ、角を曲がり、その先の廊下に誰もいないことを確認してからへたりこんだ。
涙は出ない。
ざらざらする上半身の中身が、今にも口から出そうだ。
どうしてこんなにも「捨てられた」という言葉に反応しているのか、考えたくも無い。
情けなくへたりこむ私を追ってきた春秋が、私の姿を確認してからゆっくりと歩み寄る音がした。
ぼうっとして、何もしたくない。
春秋が私の目線にまでしゃがんでくれて、ようやく目を合わせた。
なんてことない顔をしていて、安心した。
「あの人はなまえが傷つくと思って言ったんじゃない、許してやってくれ」
「ちがうの、あの人は悪くない、私は分かってるの、本当は」
トリガーが食い込むあの感覚。
なんとなく、何故そうなったか分かっている。
認めたくなかったことが、だんだんと私を追い詰めてきた。
黒い瞳を見つめて、春秋に対する本心を伝える。
「春秋のために、何かしてから消えたい」
私の本心に悲しそうな顔をした春秋を見て、言わなきゃよかったと後悔する。
春秋の悲しい顔なんて見たくないのに。
悲しい顔をさせてしまう私は最低だ。
自己嫌悪に陥りそうな私の肩を掴んで、向き合わせる。
へたりこんだ足が力なく春秋のほうに向いてから、春秋と向き合った。
「なまえ、寂しくない場所なんだ、だから消えたいなんて言わずに・・・解析結果が出て以降なまえがどうするかということは・・・俺と冬島に、考えがある。」






2016.09.04






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