それから



:)貴方だけに眼差しを の番外編

数年後設定









今日も昼過ぎになると廊下のほうから罵声が聞こえる。
声の感じからいって、同い年の誰かと出くわしたんだろう。
この時間帯に開発室近くをうろつくのは、暇になった隊員か資料を持ち運びする仕事中のエンジニアくらい。
だから雅人くんの罵声はすぐに聞こえるし、近づいてくるのもわかる。
普段なら寺島さんがいるけど、今日はいない。
人のいない開発室から聞き覚えのある声がした途端に扉のほうに目をやる私の期待を早く叶えてくれないかと待つ。
無機質なものばかりの開発室は余計な感情が刺さることがなく、雅人くんも落ち着くらしい。
鬼怒田さん曰く「隊員からエンジニアに転向したやつがぶつかる半年目の壁」というものが何だったか分からないので、こっちのほうが向いていたのだろう。
進級してエンジニアに転向して、寂しいと思うことはなかった。
前みたく頻繁にラウンジに行けないし、騒がしい個人戦ブースとは縁が薄くなる。
トリガーを試作してはユズルくんと雅人くんに持たせて評価してもらっているけど、かなり楽しい。
寺島さんを訪ねて隊員が来る手前、来てと言わなくても雅人くんやユズルくんが来るし、寂しいと思う理由がなかった。
静かな部屋で組み立てる予定のものを弄って改造して、と延々不規則な作業の相手をしていても疲れない。
周りに振り回されず目の前の物に打ち込める点で苦労したことはないので、エンジニアは続けられそうだった。
特に変わったことはなく、強いて言えば背が伸びてチビを脱却。
雅人くんは冗談でも私をチビと言わなくなり、ユズルくんも背が伸びて体つきもガッシリしてきた気がする。
あとは何も変わりない、いつもの通り。
開発室の扉の横にあるボタンを連打する音がしたので、何も言わず開閉ボタンを押す。
黒のポロシャツを着た雅人くんが、何故かポップコーンを片手に持ちながら入ってきた。
「なまえ、これ食う?」
雅人くんが片手にあるポップコーンを差し出したので、受け取る。
「どうしたのこれ」
「鋼に勝ったら穂刈がくれた。」
ほとんど食べられていないポップコーンを一口食べると、塩味だった。
途中でキャラメル味が混じっていてくれないかと思い食べても、塩味しかしない。
ポップコーンを私にくれた雅人くんがソファに座ったので、隣に座る。
食べてもやはり塩味しかしないので、テーブルに置いておいたペットボトルの水を取りに立ち上がった。
雅人くんが一応配慮したのか周りを見渡したのが横目で見えて、視線で誰もいないと伝えればソファに伸びる。
うああーと唸りながら伸びきる雅人くんの隣に戻ってから、ペットボトルの水を飲む。
最近になって髪が僅かに短くなった雅人くんが、水を飲む私を見た。
「気ぃつけろよー、穂刈の持ってた食いモンだからプロテイン入りかもしんねえ。」
「えっ、カロリーを消す粉とか降りかかってたらいいのに」
「それ食ったら筋肉増えるかもしんねえからな。」
「違う方向に増量しちゃう」
恐ろしい食べ物を受け取ってしまったと思えば、雅人くんはニヤーッと笑った。
唇から覗くギザギザの歯は見慣れてしまって、いつも通りだなくらいしか思わない。
「女ってほんと菓子とか好きだよなー、まあなまえは黙ってても菓子が似合うからいいけどよ。」
ペットボトルの蓋を閉めて、ポップコーンを食べる。
私しかいないところでは気を緩めてくれる雅人くんの目元が緩んで、眠そうに閉じかかった。
雅人くん率いる影浦隊はA級とB級を行ったり来たりしながら、今も強豪として活躍している。
行ったり来たりしている理由は察するべきことなので、たまに雅人くんと何故付き合っているのか、どうやって付き合えたのか聞かれてしまう。
決して明かしたりはしないけど、今でも雅人くんはそういう目で見られている。
実力が伴っているから周りも触れないことのほうが多いのがボーダーの有難いところ。
開発室に誰もいないから、とポップコーンを抱えたまま雅人くんに這い寄る。
前より少しだけ短くなったとはいえ、まだボサボサしていることが多い黒髪の毛先が光で透けて茶色に見えた。
ソファに座って伸ばされた長い脚を包むスキニーパンツは早くも足元に皺を作る。
こっちを向いてと思えばそれはすぐに伝わり、私を見てくれた。
「ん」
指先にあったポップコーンを唇の先で摘むと、雅人くんがやってきて咥え取った。
「おう。」
唇が触れてからポップコーンがギザギザの歯に砕かれ、ボリボリと音がする。
そういうことをする気分じゃないことは既にバレているので、キスはされなかった。
といっても、キスをしたことも片手で足りるくらいだし最早そういう気分は雅人くんと私の間でなかったことになっている。
大好きだと思って見つめ続ければ顔を真っ赤にされるし、それで十分。
プロテインが振りかけられていないことを祈るポップコーンを一口食べれば、食べ終わった雅人くんが世間話を始めた。
「さっき穂刈と荒船に会ったんだけどよ、アイツら髪に色入れてピアス増やしてた。」
「痛そう」
「思うよなー、なんでわざわざいてえことすんだよアイツら、マゾか?クソか?」
「おしゃれのつもりなんじゃないかな」
「そーいやよお、なまえ、進路決めた?どこ校?」
ソファに座ったままポップコーンを齧る私を見る雅人くんの目元は、意外と間が抜けている。
目はぱっちりしてるけど、気を抜いた表情の際に見れる目と眉の間の距離が案外あるところとか。
「んー……優先順位はボーダーかな」
「は?進学しねえの?」
今度は指先でポップコーンを差し出すと、ポップコーンだけ食べられた。
ボリボリ齧る雅人くんに進路予定を告げながら食べるポップコーンは、塩の味しかしない。
「進学はするよ、提携に行こうかと思ったけど、家の近くに定時制があるから勉強しつつエンジニアやる」
「へー、定時って私服だよな?制服もう着なくていいのか。」
「うん、やりたいと思うこと決まったし高卒は取れればいいや」
自論を展開すれば、すぐに突っ込みが入る。
「なまえ、得意になんのは勝手だけどよ、ボーダー嫌になったらどうすんだ。」
「雅人くんがボーダーなのに、嫌になることはないよ」
これから喋り続ける気配がしたので、ポップコーンを近くのテーブルに置いて、近くにあったウェットティッシュで手を拭く。
汚れが気になったのか、雅人くんもウェットティッシュに手を伸ばして指先を拭いた。
「俺がいる限りボーダーは安泰なんだよ、ぶはは。」
そうだねと笑えば、雅人くんの世間話は続く。
「あー、でもよお。定時の仕組み知らねえから俺わっかんねえんだけど、私服だろ?」
「そうだね、ジャージが配給されるくらい」
「それってあれか、名前刺繍されたクソダセェやつか。」
それだよと言うと雅人くんが何かに引っかかったような顔をして、口元を動かした。
少しでも感情が揺れると唇を片方吊り上げる癖があるので、何か思うことがあったのだろう。
学生時代のダサいジャージの思い出があったのかと見守れば、雅人くんが頬を掻く。
「んー…あー…それよお。」
何かに気づいたように、雅人くんが続ける。
筋の浮いた首の下にある喉仏が少し動いたのを見て、何か聞きたいことがあるのが分かった。

「俺んとこもキツくはなかったけど、私服だし相当緩いよな、髪型も服装も自由。」
雅人くんは普通高校だったから、制服があった。
今でこそ見た目は落ち着いた部類に入るものの、出会ったばかりの時は校則違反ど真ん中の髪型だった雅人くん。
気になるのはその点だったようで、事前に知っていることを話す。
「刺青はアウトで、それ以外は別にって聞いた」
「じゃあピアスとか指輪とかネックレスとか問題ねえんだな。」
「さすがに体育では外さないといけないと思うけどね」
規定にそう書いてあったし、学校生活で邪魔にならない程度なら自由だ。
でもピアスをする気もないし派手な格好をする気もない。
気にするべき点を詳しく聞こうとする姿勢のまま、雅人くんが私を見る。
「俺いまふっと気になったんだけどよ、定時って緩いじゃん。」
これ以上ないくらい普段の顔をした雅人くん。
なになにと目を向ければ非常に飛んだことを言い出した。
「影浦なまえになったら、戸籍関係の云々って出席番号とかに必ず影響すんの?」
雅人くんの顔を見つめ、一秒、二秒。
あーでも、と言い出した雅人くんから目を逸らせない。
「親が離婚したやつは出席番号変わってたな……結婚して苗字変わったやつ周りにいねえんだよな…変わっちまうか、なんか言われたら言い返せよ。」
詳しいことを思い出したように顎に指を当てて、頼りがいのあることを簡単に言い放つ雅人くん。
だけど、言い出したことは今までで一番とんでもない。
雅人くんの顔を見つめたまま動けないでいると、澄ました顔をされた。
「んだよ、その顔。」
きっとひどい顔をしている。
自覚した途端、現在言われていることの凄まじさを理解して顔が真っ赤になった。
ペットボトルを手にして顔に押しつけ、冷やそうとしたけど無駄。
ものすごく熱い顔のまま目を伏せようとすると、そっとペットボトルを奪われた。
「すっげえ、トマトみてーな顔してんぞ。」
視線を上げれば、目の前に雅人くんがいる。
鋭い目線が少し緩んだときの格好良さを、私は既に知っていたから見れない。
目を伏せたままにしていると、雅人くんが私を抱き寄せようとする。
あまりにも突然のことで体を強張らせると、それ以上のことはしなかった。
黙って私の体に手をかけて、感情受信体質を働かせている。
これは恐らくだけど、私と雅人くんが初めてキスをした時よりも酷い羞恥と興奮と驚きの感情が爆発して雅人くんに刺さっているはず。
たぶん、雅人くんも刺さり方に耐えるのがギリギリ。
何も言わず、心臓を落ち着かせる。
視線を自分の手に落として、とにかく見ないようにした。
体にあった手が私の手に添ってきて、口から心臓が出そうになる。
嫌だと逃げる気もない。
気持ちが決まらないわけでもない。
ひたすらに恥ずかしい、それだけ。
そんなことは刺さって伝わっているので言うまでもなく、何を言えばいいかわからず下を向く。
雅人くんの骨っぽい手が私の手に重なって、額に汗が浮かぶ。
私の左手が軽々と取られて、左手の薬指に綺麗な光り輝く小さな石が連なった白い指輪が嵌められた。
熱い手に、冷たい指輪が飾られる。
雅人くんが私の左手に指輪を嵌めたあと、自分にも同じように指輪を嵌めた。
何が起きたか分からず、手を見つめる。
「俺くらいになると出来高払い時代からの下積みだけで買えるんだよ。」
その言葉でようやく雅人くんを見ると、雅人くんも真っ赤な顔をしていた。
私の感情が刺さっているだけかもしれない、でも、それこそ雅人くんもトマトみたいな顔をしている。
指輪のサイズなんて調べたこともないのにピッタリの指輪を見つめて、それから雅人くんを見た。
私と同じように指輪を嵌めた雅人くん。
「なにビビってんだよ、オイ。」
ニヤッと笑ってギザギザの歯を唇の隙間から見せる顔。
ビビらないほうがおかしい、と思えば雅人くんが緩く抱き寄せた。
恥ずかしさも体に馴染んできたので強張らせないでいると、引き寄せられて額をくっつける体勢になる。
目を伏せあったまま、感情が刺さりあう。
サイドエフェクトがなくても、今のこの状況がどれだけ凄いかわかる。
黒髪の毛先が頬に触れて、目を開けた。
「サイズ、合ってるだろ。」
「う、ん、平気」
「オイ、こんなもん嫌だとか言う気か?キスばっか強請るような奴がそりゃねえだろ。」
「え、あ、だって」
「女は16から結婚できることくらい俺でも知ってんだよ、なまえ。」
全部わかってるのに、そう言う。
意地悪のつもりなのかもしれないけど、今はそれどころじゃない。
観念して見つめ返せば、雅人くんが笑う。
「好きな女ひとり養えないほど甲斐性ナシじゃねえんだよ。」
互いの手にある指輪を見て、唖然としたいけど唖然とできない気持ちになる。
見るからに高価なものなのは、分かっていた。
「いつから考えてたの」
「去年。」
思ったより前だった、と思えば目に涙が浮かんでくる。
「…私でいいの?」
「当たり前だろ、なまえ以上の女がいるわけねえ。いたとしても俺にはキメえもん刺してくんのは分かってんだよ、そんなん視界にも入れたくねえ。」
言葉がなくても分かる、私たち。
余計な言葉も物も行動もいらない、気持ちさえあればいい。
それなのに物も言葉も出してきた雅人くんの思いは、どれだけ大きなものなのか。
驚きを通り越して虚無になってきた私の唇に軽くキスをして、意識を戻してくれた。
はっとすれば、昔みたく髪をめちゃくちゃにするような撫で方をする。
それから、大事にするように体の線を添うように撫でてくれた。
「嫁に来いよ。」
黙って頷いてから、雅人くんを見る。
首元まで真っ赤な雅人くんを見て、同じような気持ちなのが分かった。
「クソ能力のせいで糞みたいな思いばっかしてきた、これからもする。だけどなまえがいるから大丈夫だって思えるんだ。なまえみてーな良い女を手放したくねえ。」
揺れそうな視界を一度閉じて、涙を眼球の奥へ引っ込める。
霞みが消えた視界で雅人くんを見つめれば、赤い顔こそしているものの真剣な目をしていた。
「一生大事にしたい、嫁に来い。」
「いく」
ずっと側にいる、と目で伝えれば優しくキスをされた。
乾いた唇が触れ合っても、雅人くんにとっては意味があまりない。
気持ちが刺さるんだから確認しなくてもいいのに、手を重ねてくる。
「なまえ、うれしい。」
多くて細い手が私の肩、首、首筋ときて後頭部にまわってから、熱さがぞっと襲ってくる。
それを黙らせたいのか、雅人くんが久しぶりにしつこいキスをした。
流れた涙が嬉しさのほうだったのを感じ取った雅人くんが、苦しそうな呼吸をしながら唇を開くように促すキスをしてくる。
逃げ場のない恥ずかしさを抱えたまま唇を開けば、舌以外に自分の涙まで口に入ってきた。
水で流し込んだはずの塩味が、舌に流れ込む。
大泣きするには緊張が詰まりすぎて声が出せない、と目で訴えれば唇を離される。
「なまえ、その目を俺だけに向けろ。」
わかったと思えば、即座に刺さる。
言葉のいらない世界に熱が産まれて、行き場のない熱も雅人くんに突き刺さっているはず。
黙ったまま寄り添う私と雅人くんを隔てるものは、皮膚と肉くらいしかない。
熱に食い込む冷たい指輪が温かくなるまで、時間は掛からないだろう。
雅人くんの髪に指を這わせてから雅人くんの頭と細くて広い背中を抱きしめれば、強い力で抱きしめられた。







2016.07.15










[ 204/351 ]

[*prev] [next#]



【アマギフ3万円】
BLコンテスト作品募集中!
×
- ナノ -