滑走






八津さんリクエスト
天真爛漫な惣菜屋の子がゾエさんに一目惚れして影浦を巻き込み逃走する話






見知らぬもの、見知らぬ思い、見知らぬ体験。
予想外のそれは突然やってくる。
店先の片付けをしているときに、お好み焼き屋の次男くんと一緒にいる人が目に入った。
同じ商店街だから、お好み焼き屋に入っていく人なんてよく見る光景なのに、その日だけは違った。
親しそうに話しながら、お好み焼き屋に入っていく次男くんと一緒にいる人。
その瞬間、時が止まる。
体が止まって、視線が次男くんと一緒にいる人から離れない。
背が高くて、体が大きくて、骨格そのものがガッシリしているのは見て分かるのに、数秒間だけ見えた顔は信じられないほど優しい顔つきだった。
時間にして十秒くらいしか見てないのに、一瞬で脳裏に焼きついたその姿は、次の日、また次の日になっても離れない。
なんでも食べてくれそうなお腹、優しそうな顔、柔らかそうな頬、まんまるな目、柔らかそうな唇。
一目惚れをした自分の浅ましさよりも、相手のことが知りたい気持ちが勝った。
名前も知らない、どんな性格かも学生なのかも分からない。
気になって仕方ない彼は、次男くんの友達であることだけは確かだ。
そうと推理できれば、じっとしてられない。
「影浦くーーーーーーん!の!次男のほうの影浦くーーーーーん!」
お好み焼き屋の扉を開けて、大声で知人を呼ぶ。
カウンターでお好み焼きを焼いていた影浦くんが、顔を顰めてこちらを見る。
「なんだよ!ってなまえか。」
美味しい匂いのする煙に囲まれた影浦くんが火を止めてこちらへ来ながら緩い謝罪をした。
「悪りぃ、なまえの声が俺のチムメンの女子に似てんだよ、間違えた。」
影浦くんは、商店街で老舗人気お好み焼き店の次男。
顔見知り程度だけど、歳が近いのもあって私は一方的に慕っていた。
生来の厚かましさを今駆使するときが来たと言わんばかりに、影浦くんに迫る。
「ねえねえ、昨日夜7時くらいに来てた人、友達?」
お好み焼きの熱で額を赤くした影浦くんが、自分の頭のすこし上で手をひらひらさせる。
「これくらいの背で、全体的にでけえ奴のこと?」
思い切り頷くと、なんでもなさそうな顔で告げられた。
「俺のダチだけど。」
よしきた、と狙いを定める私を感じとったのか、影浦くんが真顔になる。
この人は昔から察するのが得意だ。
なんでかは知らないけど、たぶん小さい頃からお店を手伝っているからだろう。
「友達ってことは、同い年?」
「おう、学校も同じ。」
「あの人、次いつ来るの?」
「さあなー、時間見つけてウチで食いに来るから予定は未定ってとこだ。」
「次!!いつ来るの!!!」
影浦くんは私の剣幕を見て、不満そうな顔をした。
ギザギザの歯の隙間から見える舌は赤くて、そこだけ熱を出したような色をしている。
突き進んで後退しない私に呆れたのか、溜息をついてから種明かしのように予定をバラしてくれた。
「三日後。」
影浦くんの肩を叩いて、飛び跳ねながらお礼を言う。
奥から影浦くんのお母さんが覗いて、笑ってる。
今はそんなことも気にしていられないくらい嬉しくて、影浦くんにお礼を言いまくった。
「三日後ね!それまでにうちから差し入れ作っておくから!」
「はあ?なに張り切ってんだ?」
意味わかんねえ、と呟いた影浦くんが首をぐるっと回してから、まあそうだな、と付け加える。
「ゾエめっちゃ食うから差し入れあんなら助かるわ、あいつ腹減ってるときの食い方が在庫食い尽くす勢いだし、なんなら惣菜屋と提携すっか?」
「あ、それいいね」
「親に言っておくわ、あー、ゾエだけどな、ほんと食うから持って来るってんなら多めに宜しく。」
「たくさん食べる人なんだあ」
きっと、出したものを全部ぺろっといってくれる人なんだ。
テーブル一面にご飯を出せば、全部食べてくれる。
あの優しい顔が、美味しさに綻ぶところを見たい。
美味しいよ、とか、これ好き、とか、上手く焼けてるね、とか言いながら沢山食べてくれる。
柔らかい唇の中に、食べ物が飲み込まれていく。
盛り付けた皿の上に何も無くなる頃には、笑顔になってくれる人。
そんな人であってほしい。
ガッシリした体型を思い出して悦に耽っていると、影浦くんが現実へと引き戻してくれた。
「…おいなまえ、なんかキメえぞ。」
「男にはわかんないでしょっ!この気持ちっ!」
「あーはいはい。」
ほぼ呆れかえっている影浦くんを無理矢理こちらに向かせ、問いただす。
「ねえ影浦くん!私って、どう?」
「どうって、惣菜売ってる奴としか言えねえよ。」
それだけの言葉に、自分という存在の立場を察した。
色味の少ない服にエプロン姿、髪は適当にまとめて、学校が終われば惣菜屋の手伝い。
「深刻な女子力の低下を感じる」
項垂れる私を突き飛ばさない影浦くんに感謝しながら、あの人のことを思い出す。
優しい顔つきを目の前にできるだけでいい、出来たら顔を覚えてもらえたら。
そのうち惣菜屋のほうになんて、それはいい。
とにかくあの人にまた会いたい。
目に焼き付けるだけでもいい、それでもいいから。
さっき影浦くんは、あの人のことをゾエって呼んでいた。
「ゾエさん?は、三日後に来るのね、うん、覚えた」
「北添っていうんだ、そう呼んでやれ。」
本名を知り、きたぞえさん、と復唱する。
珍しい苗字だから、すぐ覚えられた。
どうしても北添さんに会いたい気持ちが伝わってしまったのか、影浦くんのほうから頼もしい提案が飛んできた。
「まーあれだ、ゾエが来たらなまえんちの家電にワン切りすっから。」
「ありがとーーーー!!!!」
お好み焼き屋だというのに絶叫すると、影浦くんから「うるせえ!」と一喝され、影浦くんのお母さんには笑われた。





三日間なにをしてたかって、服の買出しとヘアポニーの買い替えとエプロンの新調と惣菜の腕前を上げることに費やしてばかりで寝てない。
どうすれば可愛く映るか、そんなことばかり考える。
でも相手は見た目からして食べるのが好きそうな人だから、まずい惣菜をあげてしまったら嫌われてしまう。
寝ずに惣菜に触れるのなんて御免だといい続けて家を手伝っていた私が今、ありえないことに惣菜に真剣になっている。
あっという間に三日後になり、惣菜の袋をスタンバイさせ電話の近くで土下座のような体勢のまま動けない。
これでいいだろうかと悶絶しそうになるのを耐えて、考える。
北添さんは、どんな声なのか。
どんな喋り方をするのか、どんな性格なのか。
影浦くんの友達だから、乱暴な人である可能性だってある。
もしそうだったとしても、好きなのは変わらない。
なんにも知らないのに好きなんて、身勝手。
電話が一回だけ鳴って、身勝手なんてどうでもいいと袋を持ち家を飛び出す。
今夜も大盛況のお好み焼き屋に向かうと、人がぎっしり。
内線では流行のラブソングが流れてて、破壊したい衝動に駆られた。
そんな場合ではなく、店内で思い人を探す。
記憶だけを頼りに目だけで探せば後姿だけでわかる、北添さんがカウンター席の手前に立っていた。
ダウンジャケットの上からでも分かるガッシリした骨格、丸そうな体。
見てるだけたまらない、そこから踏み出さなきゃ。
「あっ、あの」
惣菜の袋を持ったまま、声をかける。
先に振り向いたのは北添さんだった。
大きいわけでもないのにパッチリした目と、柔らかそうな唇。
優しそうな顔つきなのに背が高くて、体つきだけ見ると大人の男の人。
一目惚れした人が、私を軽く見下ろした。
「ん?カゲ、友達?」
初めて聞く北添さんの声。
低いけど優しい口調で、胸が高鳴って足元がひやっとしてから顔が熱くなる。
あの時見た人だ。
一目惚れした北添さんが、私を見てる。
カウンターから出てきた影浦くんが、他己紹介をしてくれた。
「向かいの惣菜屋の女子。」
そっか、と笑った北添さんの笑顔に、ときめきで倒れそうになるのを堪えて挨拶する。
「は…初めまして。」
ちょっとつっかえた、と思ったあとでは遅かった。
「え、えと、北添さん?」
名前を聞くに至る瞬間にまでつっかえる喉を殴りたくなる。
きたぞえさん、きたぞえさん。
心の中で何度も復唱してる私に、北添さんは優しく微笑みかけた。
「そうだよ、ゾエさんって呼んで。」
北添だからゾエさん。
でもまだ呼べる気がしない。
一応頷いてから、手にある惣菜の袋を差し出した。
「こっ、これ、惣菜屋からの差し入れです」
「おー助かるぜ。」
すかさず影浦くんが袋を奪い取り、中身を確認する。
美味しい煙の中、袋の中身を確認した影浦くんが振り向いて、にやーっと笑う。
ギザギザの歯が剥き出しになった笑顔で、影浦くんが私を褒めた。
「へえ〜、なまえの気の利き方が獣並みだな。」
「なにそれ、カゲ、どういうこと?」
お互いにカゲ、ゾエと呼び合う仲。
影浦くんが羨ましく思う中、北添さんの横顔を見て気が抜けている私がいる。
ぷくっとした唇と太い首のギャップがたまらない。
袋から惣菜を取り出して、影浦くんが惣菜を北添さんに差し出す。
「ゾエ、これなまえんとこの春巻き。」
春巻きと聞いた瞬間、北添さんが癒したんまりな笑顔をした。
袋ごと受け取り、影浦くんがそこに座れと合図したところにドスッと座る。
ついでに隣に座ると、春巻きのパックを開ける北添さんが私に笑いかけてくれた。
「春巻き、だいすきなんだ!なまえさん、ありがとう。」
何度も想像した笑顔。
まんまるな頬、柔らかそうな唇、優しそうな目元、ガッシリした体型。
一目惚れの人が、今私に笑いかけている。
「あっ、あっ、はひっ」
「これ食べていい?うわー美味しそう!春巻き大好きだから、今度買いに行くね!」
「ひっ、はい」
「ん?なまえさんも食べる?」
「へあっ」
変な声しか出ないことに気づいて、思い切りお好み焼き屋を飛び出して走り抜けた。
顔も体も真っ赤で、熱い。
ありがとうと笑う北添さんの顔と声と雰囲気。
全身がぎゅーっとするくらい幸せな気分になって、走り出してしまったら止まらない。
今から戻ってもいいけど、たぶん今の私が落ち着く以前に北添さんの顔を見たら今度こそ発狂してしまう。
穴に落ちるような感覚を全身で体感しながら走って、笑顔を脳裏に焼き付けた。
まんまるな顔、あの笑顔、優しい目元。
あの笑顔だけで、当分は幸せになれる。
けど、ここで逃げてよかったのか。
嬉しさのあまり商店街を走りぬけ、信号止まりで万歳をしたまま空を見上げる。
とっくに星の出た空を見て、この星のように北添さんと仲良くなれる方法が散らばっているというのなら、手探りでも掻き集めてみようじゃないか。
私の恋は、終わりそうにない。







2016.06.22







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