拍動の裏で綻ぶ





馨さんリクエスト
対人恐怖症の女性エンジニアが子猫を拾ったことがきっかけで冬島さんと付き合うことになる話






元気そうに笑う男の子が、悪魔に見える。
襲ってこないのはわかるのに、足が竦む。
楽しそうな男の子の声が、悲鳴に聞こえる。
学生服の男の子が、武器を持った兵隊に見えないし思えないはずなのに、怖くて仕方ない。
傷つけてこないはずなのに、体の心が痺れて痛む。
これらの防衛反応そのものに、特に理由はいらないのだろう。
私がこうなのは、けっこう前からだ。
空虚なわけでもない私の中は特定の恐怖を避けるために、時により魂が浮いてしまう。
病気じゃない、聞いてほしいわけでもない、知ってほしいわけでもない。
でも私のことは見てほしい。
我侭だと思う反面、人間みんなそうだと分かりきっていた。
ダンボールの中にいる子猫も、喋れない代わりに癒しをくれる存在で居続ける。
か細くニャアと鳴く子猫を撫でれば、甘噛みされた。
母猫のおっぱいだと思ってるのか、指を吸われて手に縋りつかれる。
エンジニア室の隅に偶然あったダンボールに感謝しつつ、簡易ハウスの中で元気に歩き回る子猫を眺めた。
冷蔵庫にある牛乳なら、飲むだろうか。
シャワーで綺麗にして子猫用のスープを買ってきて与えれば、成長するかも。
一匹になってしまってもなお元気な子猫に指を差し出せば飛びつかれ、つい微笑む。
子猫に構っていて周囲を気にしていない私を伺うように、後ろから大きな影が落ちる。
誰かが後ろにいる、と気づき振り返ると、冬島さんがダンボールの前でしゃがみこむ私の後ろに立っていた。
「なまえさんが鳴き真似してるのかと。」
にやっと笑った冬島さんが、私の隣にしゃがみこむ。
子猫を珍しそうに見る冬島さんの顔を見ると、すぐに追及された。
「どうしたの。」
「拾いました」
へえ〜と生返事をされ、冬島さんが子猫に手を出す。
大きな手が子猫に近づいて、敵意はないと察したのか子猫が冬島さんの大きな手にしがみつく。
爪を立てたまま冬島さんの手の上に登り、ニャアと鳴く。
子猫を持ち上げて、おなかの柄を確認した。
「虫とか病気があるから、落ち着いたら動物病院行かないといけないね〜。」
病院きらい!くすりまずい!と言いたいのか子猫が冬島さんに向かってニャアアアと鳴く。
「こういうの放っておけないんだ?」
「母猫も近くにいなかったし…このままじゃ飢え死んでしまうっておもって、冷蔵庫にある牛乳くらい飲ませてもいいかなって」
「ねえ、子猫に牛乳はよくないって知ってる?」
え、と驚きを抑えた声を漏らすと冬島さんが子猫をダンボールに戻した。
よちよち歩いて、ダンボールの中を散歩する。
子猫を戻した冬島さんが、ズボンのポケットから携帯を出して何かを検索し始めた。
「実はだめなんだ、専用のものを飲ませないといけない。あと排泄とか毛づくろいとかは〜まあいいや、動物病院の先生に色々聞けばいいから、あとは猫の飼い方をネットで調べる。」
「すみません、私…」
「ハプニングみたいなもんでしょ、いきなり子猫拾ってハイ完璧に育てます〜なんて、余程の猫好きじゃないと無理。」
携帯を閉じた冬島さんが、私に提案をする。
「市内に一個だけ動物病院あるけど、行く?」



運転、冬島さん。
後部座席、私とダンボールの中にいる子猫。
渋滞に巻き込まれているけど、昼までには動物病院に着くだろう。
狭いダンボールの中でも元気な子猫に構っていると、運転している冬島さんが私に声をかけた。
「その猫、そんな心配?」
バックミラーに映る冬島さんの目元はニヤついていて、いつもの顔をしていることが伺える。
頷くと、信号が変わるのが見えた。
でも進むわけもなく、渋滞の最中無駄な会話が続く。
「そんくらいのうちは生命力も無いし、心配になるよな。」
「はい」
心配しなくていいよ、と言いたいのか子猫が鳴く。
小さい体で一生懸命生きる子猫を放っておけない、ただその一心な私。
「俺めっちゃなまえさん心配なんだけど。」
何故か子猫ではなく私のほうが心配だと言う冬島さんを見る。
ハンドルを握る手はそのままで、バックミラーから見える目元だけでこちらを見ていた。
「必死すぎて青白くなってるよ?気づいてる?」
あ、と声が漏れて子猫を見た。
おまえ青白いな!と言いたいのか、子猫がまた鳴く。
鏡はないから、どれくらい青白くなっているかどうかわからない。
興奮していないことは確かなので、そうですかと言って子猫を見る。
「ねえなまえさん、気になってたんだけど、なんでエンジニアになったの?」
車内で突如下される質問。
冬島さんから何かを聞かれるのは初めてで、一瞬動揺する。
「なんで、って」
「いや〜、こんだけ渋滞してると無駄な世間話のひとつやふたつしたくなるんだよ。」
「そうですね、それもそうです」
子猫が鳴くのが可愛くて、ダンボールに手を突っ込む。
撫でながら、冬島さんの声に耳を傾けた。
「いやー鬼怒田さんがね、なまえさんが入ってきたときにトリオン量の多い新人が来たって言ってたから。」
入ったときに、トリオンのことは言われていた。
エンジニアでいいのかと確認されたことがあったけど、これでいいと一蹴した記憶がある。
戦闘員になる気はなく、自分のトリオンのことは頭の隅にやっていた。
「あの人がわざわざそれ言うってことは、トリオン諸々が元々戦闘員向きなんじゃないかなーって思ってさ。」
「トリオンのことは前に言われましたね」
「アタッカーとかやらないの?」
いつだかに目にしたアタッカーは、みんな若い男の子だった。
スナイパーだって、ガンナーだって。
「やらないです」
「なんか理由あんの?」
若い男性が苦手。
「理由はないです」
言葉を必死で隠すために、空虚を装う。
そうすれば、何も言われないはず。
「えー、それ言う?」
私の空虚な返答に笑ってくれた冬島さんを見て、安心した。
「冬島さんは?」
つい聞き返してしまったあと、墓穴を掘ることになるかもしれないと気づく。
でも、もう遅い。
冬島さんがうーんと唸り、すぐ返事をしてくれた。
「俺は機械弄り好きだからかなー、ゲーム好きだしエンジニアになったのは自然の流れだった。」
そういやさあ、と冬島さんが続けたのを聞いて、地獄が始まったと思った。
冬島さんは悪くないのに、私が変なだけなのに。
全身を凍らせる私に気づいたのか、子猫が鳴くのをやめた。
「なまえさんがゲームしてるとこも携帯いじってるとこも見たことねえなーって。俺が見たことないだけかもしれないけど。」
「携帯はいつも鞄です」
「あ〜やっぱり。携帯ゲームとかしないんだ?」
「やらないです」
「機械が嫌いでエンジニアになる人はいないの分かってるから、なまえさんなんでエンジニアになったのかなーって。俺けっこう気になる人には男女問わず構うからさー、うざかったらごめんな。」
なんでエンジニアに、という一言に心臓の拍動が止まったのが分かった。
永遠に感じる一瞬のあと、けどさあ、と冬島さんが続ける。
「さっきダンボールの前で座ったまま動かないなまえさん見たら、なんかも〜放っておけない!ってなってな〜。」
ニヤついた目元のまま笑う冬島さんは悪くない。
凍っていた全身が少しずつ和らいで、心臓の拍動が戻っていく。
「渋滞だから長話しちまうわ、ごめん。」
渋滞は仕方ないよ!と言いたいのか、子猫が鳴く。
ニャアと鳴いた子猫の潤んだ目を見て、肺が冷える。
喋れないだけで、子猫だって今からどこに連れて行かれ何をされるか分かっているはず。
冷えた体の中で熱く動く臓器と、疼きだした心。
そして、自分の新たな面に気づく。
優しい言葉で、人からの思いやりで、心の割れ目が綻んでいく。
これまで一人で処理するのが当たり前だった気持ちが揺れて、大きくなって、支配する。
目を背けて無視していた感情が漏れ出す感覚を、冬島さんに向けちゃいけないのに。
信号が変わって、ようやく動く。
それでも20メートルくらいしか動かなくて、また止まる。
子猫がニャアと鳴けば、自制心の欠片を鳴き声に吸われてしまい、バックミラーに映る冬島さんの目に向かって話す。
「人が怖いんです」
若い男の人が怖いと具体的に言えばいいのに、言えない。
言わなければ、追及されることもないはず。
人が怖い、この一言で終えればいいものを私自身の奥底が許さなかった。
引き攣りそうな心臓の裏で足掻く自分が、やめろと叫ぶ。
乾きそうな唇が動いて、次の言葉を発する。
「なんか…こわいっていうか、それ自体に理由はあんまりなくて、ただ、もうなんか…怖くて…生きてることが怖いんじゃなくて、なんか、自分以外の生きてるのが怖いっていうか…別に世界に人がいるのに不満があるんじゃなくて」
気持ちが溢れる、言葉にするのも嫌。
でも、止まらない。
聞いて欲しいわけじゃなかったのに、止まらない。
「そうなる理由みたいなのはあったんですけど、酷いことじゃないし、怖いとかそんなこと言っても生きていけないから、会う人みんなに怖いですなんて言えないし、ほんとは……重症、なんですよね、たぶん」
手遅れじゃないか?
そんな言葉が浮かんで張り付く。
胸の痛む言葉が張り付いた上から、止まらない言葉が上塗りされて見えなくなる。
自分がどこかへ消えるような気がして、ぞっとした。
綻んだ心の隙間から常に漏れそうな淀んだ気持ちを、言葉で隠す。
適当な言葉で、隠して暗くして覆う。
そうしたら見えなくなる、誰からも見えなくなるから。
今までそうしてきた努力を無駄にして、どうしたいのか。
冬島さんに声を掛けられただけで、こうなってしまう私は、一体誰だ。
安い女に思えて仕方ない自分に泣きたくなる。
いつも通りの自分を抱きしめて離したくなかったのに、なんで。
言葉は止まらないまま、車内で響く。
「機械は喋らないし、人じゃないから怖くないし、ボーダーに転がり込んだ理由もそれで、ここじゃないと避けられないし…人が…怖い…だからエンジニアなら機械と関わるから平気かなって」
本当は開発室にいる若い男の人も怖い。
そんなの言えない、隠さなきゃ。
「みんなトリガーいじりに熱中してるじゃないですか、だから声とか無いし、それがいいなって…あ、会話自体は怖くなくて、なんかこう、特定の状況が凄い無理で」
隠せなくて冷や汗を流す私に、冬島さんが待て待てと突っ込む。
それだけで胃がぎゅっとなって指先が冷えた。
「エンジニアが作ったものを使うのは人間だけど、それは怖くないの?」
真っ当なことを言われ、我に返る。
綻んだ心の隙間を応急処置のように正気で縫って、溜め込んでいた息を吐き出して喋った。
バックミラーから見える冬島さんの目は、いつもどおりニヤついてる。
「ああ…そっか…でも関係ないです、エンジニアは機械と向き合えばいいんです」
信号は相変わらず赤い色。
渋滞にしたって、そろそろ着いていいのに。
運転に飽きたような呻きを出した冬島さんが振り向き、私を見る。
「じゃあ、その子猫は?人じゃないけど、機械と違って子猫は生きてるよ。なまえさんは重症じゃない。」
それだけ言って、私を見据える。
余程青い顔をしているのか、冬島さんが私から目を逸らさない。
戻ったら栄養ドリンクを飲もう、そう決意する私にニヤついた視線を向ける冬島さんは、怖くない。
「俺のことも怖い?」
「え、あ、いや…あの、正確に言うと、若い男の人が怖いんです、高校生くらいの…ほんとはみんな怖いわけじゃなくて…でもほんと、若い男の人とか見るとそれだけで、なんか汗とかすごいし手とか冷たくて」
「あ〜、じゃあ俺とか鬼怒田さんは平気なんだ。」
「はい」
「今それ聞いたとき人間全部無理なのかと思ってヒヤヒヤしたけど、うん、よかった。それなら子猫もなまえさんに心開いてくれるよ。」
ニャアという鳴き声が耳に触り、ダンボールの中を見る。
私に近づいた子猫が、ダンボールの中から鳴きかけていた。
冬島さんはバックミラーを通して私を見ていて、空虚なふりをしていた私を見て呆れもしない。
これでよかったのか、と笑うと冬島さんも笑った。
「なまえさん、笑ってたほうがいいよ。」
空虚なふりをして中は詰まって爆発しそうな私を、ちゃんと見てくれる冬島さん。
「ああ、今の言葉も駄目?」
「駄目じゃないです」
「俺は器用なほうじゃないから伝えたり丸め込んだりすんの下手クソだから人に世話焼いたりしてんだけど、まー、あれだ、俺はなまえさんの笑った顔のほうが好きだから。」
車が動き出して、交差点を曲がった。
逆方向の道路には、車がたくさん。
そこから先はあまり混んでいなくて、すぐに動物病院に着きそうな気がした。
「子猫、どこで飼うの?」
「あ、私の…家?」
開発室で飼うわけにもいかないだろう、と適当に答える。
エンジニア猫として飼ってもいいけど猫アレルギーの人がいたら大変だ。
「俺も子猫の面倒みたい。」
頼もしい申し出に頷くと、赤信号で車を止めた冬島さんが再び振り向いた。
「ねえ、俺若く見える?」
髭面、ニヤけた目元、年中半袖で長い髪をまとめた姿。
半袖から見える二の腕はがっしりしてて、男性らしさは感じても若さは感じない。
「男の子には見えないです」
「そりゃそうでしょ〜俺29歳だし。おっさん。」
言い訳をした私を逃がさない冬島さんが、ニヤけた目元を少しだけ優しくした。
「俺と真剣な交際をして、って言ったら怖くなる?」
私を上塗りするわけでもなく、まっすぐな言葉が突きつけられる。
はい、とも、いいえ、とも言えなかった。
言われたことを反復させ、冬島さんを見る。
答えを出す前に青信号になり、冬島さんが運転を始めた。
呆然とする私なんかお構いなしに、車は動物病院へと進む。
時間は待ってくれない。
風景が通り過ぎようとも、冬島さんの気持ちはまだここにある。
「怖くないです」
俯きたくても、バックミラーから目が離せない。
冬島さんは、何を考えているんだろう。
人が怖いという女の弱みを握って色々しようにも、得がなさすぎる。
警戒心は強い女なんて遊ぶのに向いていない。
だから「真剣な交際」なんて言葉を使われたんだと心臓の裏にいる自分が拍動に任せて恐れを盾に叫ぶ。
「嬉しい、です」
叫びを消して残るのは、素直な気持ちだけ。
子猫が聞いていたように鳴いて、恥ずかしくなる。
車が止まり、駐車場へ入る。
「着いた着いた、続きは後で。」
横目で私を見た冬島さんが丁寧に車を停めた。
今は子猫のことに集中しないといけない。
ダンボールを抱えて車から降りると、生暖かい風が吹いた。
みかど動物病院と看板を掲げた白い建物に入れば、子猫が助かる確率が跳ね上がる。
運転席から降りた冬島さんが、ダンボールの中にいる子猫に構う。
「まずは子猫の名前決めながら、すこし話し合おうじゃねえの。」
ニヤけた目元は、真剣。
冬島さんの指で撫でられるたびに目を細める子猫が、またニャアと鳴いた。








2016.06.18







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