透明な連弾






灯莉さんリクエスト
優しい犬飼くん






音楽室から、ピアノの音が聴こえる。
授業時間はとっくに過ぎてるのに、音楽室の鍵を誰が開けたのか。
音に耳を済ませて、本の間を潜り抜けて、窓辺に立つ。
図書室の中に溜まった本の匂いのする窓を開ければ風と共に音が流れ込む。
この曲はなんだったか、思い出せない。
ロマン派ということだけ辛うじて分かるのに曲名が出てこなくて、音楽の授業を思い出す。
浮かんでくるのは合唱曲だけで、脳裏が辛い。
何度も同じところを繰り返し弾くのを聞いて、誰かの練習であることは明らかだった。
誰かが図書室に入ってきた音がして、気配で人物を把握する。
放課後に訪れるのは借りた本を返却しに来た本の虫か、図書委員に用がある人か。
生憎、今日の返却期限は全て守られ、図書委員は私しかいないし雑用を手伝ってくれる委員も今日に限っていない。
振り向かずにいると、澄晴くんの声がした。
「なまえちゃん、まだ雑用してんの?」
「もう終わった」
机の上にあるラベル書きの残骸を見たのか、澄晴くんは図書委員でもないのに図書室へ入ってきた。
横目で見ると、我が物顔で図書委員のスペースに入り込み窓辺に立つ私へと近づいてくる。
「ねえ、怒ってる?」
開口して、その言葉。
にやついた目つきと整った顔立ちは、憎たらしく思えた。
誤魔化して笑える女じゃないのに、澄晴くんは私に構う。
「何に?」
澄晴くんの細長い手が窓に寄りかかったのを見て、素直にそう言う。
「俺が女の子と話してたこと。」
「それに怒る理由ってあるの?」
女の子と話していた、ときいて思い出すのは一時間ほど前に見た光景。
図書室に行くまでの道のりで、澄晴くんが女の子と何か話していた。
只の談笑なんて誰とでもする澄晴くんに、気持ちの悪い嫉妬を抱く理由はあるんだろうか。
「えー…嫉妬とかしないの?」
案の定な単語が出てきた澄晴くんを一瞥して、窓の外を見る。
「しない」
誰もいない中庭に向かって、呟く。
鬼ごっこをする人も、本を読む人も、談笑する人もいない時間帯。
残ってるのは何かしらの委員だけ。
そんな時間帯を狙って来る澄晴くんは、わかっているとでも言いたげな顔をしている。
常にそういう顔だ。
見なくてもわかる、次の言葉がわかってしまう。
知り得なくても上辺の底くらい簡単に見えてしまう澄晴くんの深層心理を、誰かに解明してほしい。
「なまえちゃんの気持ち、俺わかんない」
著名な心理学者じゃない私は、曖昧に返しては答えを伺う。
「澄晴くんと同じような感じだと思うよ」
窓に寄りかかる澄晴くんが、私と同じように窓の外を見た。
音楽室からはピアノの音がまだ聴こえていて、曲名も思い出せない。
澄晴くんに聴いたら、曲名がわかるだろうか。
今から音楽室に走っていけば、弾いている人物から曲名を問いただすことが出来る。
そこまでするほど気にもならない、でもピアノの音が耳に触れてしまう。
ふっとオーベールの名が浮かんで違うだろうと消える。
ブルグミュラー、ダルゴムイシスキーでもない。
この曲は、なんだったか。
「俺はなまえちゃんが他の男子と話してたら嫉妬する。」
曲に耳を傾ける私の耳に、澄晴くんの声が響く。
澄晴くんの声は、ピアノの音と同じ。
聴かずにいられないものの、好きで聴いてるわけでもないけど許容できる声。
「じゃあ同じじゃないね」
窓の外から風が流れ込んで、髪の毛先が舞う。
肌が風に撫でられ冷えて気持ちがいい。
「冷たいこと言わないでよ〜、俺けっこうマジなんだから。」
「そう」
「どうやったら俺がなまえちゃんにマジなこと伝わる?」
誘うような口調は、お姉さんが二人居るせいだと本人は言っていた。
喋ることの内容で生い立ちや環境が透けてみえるものだから仕方ないけど、本人はそれらを有効活用している。
澄晴くんに目をやると、にやけた目元で見据えていた。
この雰囲気に惚れる女の子は、どれだけいるんだろう。
少なくとも、私は惚れなかった。
惚れない女に興味はない、それが普通の男の子のはず。
そういう点では、澄晴くんは普通より少しズレている。
「澄晴くんは私のものって言えばいいの?そうじゃないでしょ?」
可愛げのないことを言っても、諦めてくれない。
いつブチ切れるか、正直楽しみだった時期がある。
逆鱗は知りえぬところにある澄晴くんがにやーっと笑って、私の方を抱こうとした。
眉を潜めると、澄晴くんの手が腕に落ちる。
僅かな表情に敏感で、気を見逃さない。
男の子にしては出来すぎた不気味さを持つ澄晴くんは、それを隠す方法を知っている。
だから格好よく見えてしまう。
細くて大きな手が、私の腕を掴んだ。
優しく掴んで、熱も伝えない。

「それくらいの勢いあっていいよ、女の子じゃん?」
女の子、おんなのこ、オンナノコ。
価値のあるなしに関わらず平等に見つめては人格を見据える目。
そこだけは好きだった。
他の女の子は見た目がいいとか優しいとこがいいとか言っているけど、見る目がないと思う。
付き合うことになっても、どうしても恋にがっつけない。
だって、澄晴くんがどういう人か見ればわかるから。
風がふいて、今度は澄晴くんの髪が揺れる。
「それ澄晴くんの理想でしょ、理想と現実は違うの」
言い放つと、つまんなさそうな顔をした。
何も言わずに澄晴くんを視界に入れれば、早速誘う顔つきをした。
隙を見逃さない、男性特有の目線。
澄晴くん以外に向けられたら怖気がする目線も、何故か様になる。
一定の人が嫌がる感情が似合う人というのは存在することを教えてくれた澄晴くんは、今この瞬間もにやけた目元を崩さない。
こういう顔に女は弱いと思っていそうだから、決して微笑んであげなかった。
冷たい風に撫でられる頬に、熱は感じない。
「なまえちゃん、俺に冷たいよね〜、好き同士なんだから、もっとあったかいことしたい。」
「物理的にそういうことがしたいのは、心理的に大きな不足がある証拠よ」
「そうだね、なまえちゃんが足りなくて欲求不満。」
付き合うことになった、そうなると誰かしらになにか言われる。
私の場合は女の子に嫌味を言われることはなく、逆に男の子から変な目で見られるようになった。
犬飼と付き合っているんだから、軽いんだろう。
地味系なのに犬飼が好きとか実は緩いんだろう。
これらをもっとフランクな言葉で言われ、盛大な吐き気がしても、周りは変わらない。
周りが想像する私という存在は、きっと性的に軽くて都合よく後腐れなくて実は男好きで。
寂しい事実を否定してくれて、私がそんなんじゃないのを知っているのは、私と澄晴くんだけ。
「私は今の状態で満足してるから」
窓を閉め、ピアノの音を遠ざける。
それでも聴こえてくるんだから、随分真剣に弾いていると思った。
図書室の静けさの中に、澄晴くんの声が混ざる。
「ねえなまえちゃん、あんまりそういうこと言わないでよ、言うこと聞かせたくなっちゃう。」
「犬のような女の子がいいなら私じゃない子でやって」
言い終わる前に、澄晴くんが私の肩を抱いた。
近寄られ、間近で呼吸音を聞く。
薄い胸板の下にある肺が動く音は聴こえなくても、息を止めがちにして私に接する温度だけ伝わる。
澄晴くんを見れば、いつもの顔をしていた。
男は女を守るものだと思っているけど、決して女と男は対等だとは思ってないことが一目で分かる顔。
そういうとこに、皆気づいていない。
気づかれているから好かれたのは、わかっていた。
「なまえちゃんだから意味があるの。」
澄晴くんが、私の頬に触れた。
髪に指を滑り込ませ、首筋に触れる。
キスをされそうな感じがしたので顔を逸らすと、澄晴くんが続けた。
「俺に姉ちゃん二人いるの知ってるでしょ?俺、実は姉ちゃんも普通の女の子も嫌いでさ〜、おしゃれとカレカノと流行が人生の中心になってる女って見てるだけでイライラすんの。
なまえちゃんは、姉ちゃんとその友達とも違うし、俺に群がる女子達とも違うの。なまえちゃんは違う。わかる?」
澄晴くんが見てるだけでイライラする女像には、同意せざるを得ない。
女の子に聞かれたらとんでもないことになる本音を垂れ流す澄晴くんに気づいたように、ピアノの音が止まる。
練習し終えて帰るというのなら、いよいよ私と澄晴くんの二人だけ。
どうか練習を再開してくれないかと祈る間も虚しく、澄晴くんが私を壁に丁寧にゆっくりと押し倒す。
やろうと思えば突き飛ばせるような距離と力だった。
抵抗はしない、でも警戒はする。
冷たい壁に頭がつくか、と思えば澄晴くんの手が後頭部にきて、一瞬で逃げ場を失う。
襲ってこない澄晴くんをまっすぐ見ていれば、にやけた目の中にある瞳孔が動いた。
「男が言う好きなんてスゲー軽いんだよ。軽そうな女の子を誘うための文句勉強してるうちに国語めっちゃ出来るようになるし。なまえちゃんへの気持ちを言葉にしろっていったって無理、好きって言葉使いたくないもん。」
警戒が伝わったのか、腕が離れた。
澄晴くんは私の目線にまで顔を合わせて、にやついた目元の力を抜いた。
それでも整った顔はしているのだから、あんな表情やめたらいいのに。
「愛してるって言う以前に、俺は絶対なまえちゃんのこと離さないから。」
壁に押し倒されている体勢を緩ませて、隙をつくる。
このまま腕の中に飛び込んで、すみはるくんだいすき!なんて言えないし言いたくない。
私のそういうところが好きだというなら、本当は優しい人なんだろう。
にやけた目元と雰囲気と口調をどうにかすれば、万人から好かれる。
私の手を握りながら、澄晴くんが真面目腐った顔で呟いた。
「っていうかなまえちゃんに対してマジじゃないなら今頃ヤッて…。」
澄晴くんの頬を掴んで、つねる。
半笑いになりながら身を引いた澄晴くんを逃がさずにいると、やんわりと手を捕まれた。
「おぶおぶ、痛い。」
腕ごと退けられ、澄晴くんが頬を押さえる。
上目遣いで微笑んだ澄晴くんが図書室の静けさを消し去るように微笑んだ。
「なまえちゃんのそういうとこ、本当好き。」
見透かそうとしていることも、澄晴くんの上辺の下を見ようとしていることも、本心だけを見抜こうとしているのも全部バレてる。
それでもなお、このにやついた目のままでいる澄晴くんのことは好き。
「言うこと聞かない子でいいからさ、俺のこと忘れて他の男子の優しさ受け取ったりしないでよ?」
澄晴くんが私の手を握り、指先にキスをする。
乾いた薄い唇が指に触れて、ようやく温度を感じた。
「傲慢ね」
「よく言われる。」
タイミングよくピアノの音が聴こえはじめて、安堵した。
まだ、この小さな世界には私と澄晴くん以外の人がいる。
聴こえてきた音の一節で、ノクターンが弾かれていることがすぐにわかった。
ノクターンを弾きはじめた人物の心情は察せない。
ロマン派の曲も、リアルのロマンも、わからない。
優しいノクターンが聴こえる図書室の閉鎖空間が軽やかに彩られていくように感じるのは、私の恋心が幻覚を見せているだけ。
今度は曲名がすぐに浮かんだ自分の頭に感謝しつつ、澄晴くんの手を握り返す。
「なまえちゃんになら、どんな我侭言われてもいい。」
ノクターンに似合わない笑顔が、私に向けられる。
それらを拒否できるほど、恋を否定できなかった。







2016.06.12








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