過敏の赦し





はるこさんリクエスト
東さんにやきもちを焼かれる話








かれこれ一時間ほどリーゼントを眺めながら英語の参考書を団扇にしている。
年下のお願いを、きかないわけにはいかない。
ペンの音が聞こえたり聞こえなかったり、勉強しているか曖昧な空気を吸う。
唸り、呻き、歯軋りをしていた当真くんが突然呟く。
「うわっ、できた。」
ノートから体を逸らすようにしてから数学の教科書を抱きしめ、輝いた目で私を見た当真くんを生温く褒めた。
「おおーおめでとう」
生来こういう雰囲気なのだろう、容姿は良いのに緩くてだらしなさそうな井出たちの当真くんが溜息をすれば、何かのドラマを思い出す。
煙草を吸った俳優が同じような雰囲気を纏っていた気がするから、歳相応なのは内面だけなんだと思う。
再び参考書と教科書とノートに向き合った当真くんが、問題を書き写しながら緩く喋る。
「明後日の追試に後期範囲を最低限間に合わせないと留年かもしれなくてさ〜、まあボーダーで頑張ってましたって言えば卒業余裕だし?でも追試で時間取られるの嫌なんだよねえ。」
「言い訳はいいからしっかりやる」
「はい。」
返事をしたのもつかの間、ここがわからないと言い出す。
軽く教えながら、冬島隊のことを考える。
隊長は二日酔いで医務室行きになり、真木さんはどこかへ消えた。
冬島隊作戦会議室の散らかりかたを見てから、真木さんがいればこうはならないのを知っているだけに今日はいないのかもしれない。
いつもなら作戦会議室で昼寝をしているはずの当真くんが、申し訳なさそうに教えを乞いに来たときは笑ってしまった。
簡単な方程式を教えれば、当真くんがまたノートから体を逸らす。
「なまえさん教え方ほんと上手いよねー、イカしてる女性って好き。」
「そう?ありがと」
言葉の節々に、どこか他人に慣れた言葉を使う。
歳のわりにと思っても、まだ高校生。
そのうち歳相応になるのを楽しみにしておくとして、留年スレスレの成績はどうにかしないといけない。
ペンから手を離した当真くんが背伸びをして、雑談をしようとかかる。
「俺がっこーの勉強好きじゃなくてさ〜、非生産的なこと学ぶ気あるほど無駄な器がないんだよ。」
「一理ある」
「最低限高校は出ておくけど、勉学ほんとかったりー。」
「だるくてもやることはやっておきなさいね、面倒なことをやる忍耐だけは大人になっても必要だから」
当たり障りの無いまともなことを言えば、当真くんが歳に不相応な笑顔を見せる。
「東さんが選んだ女性なだけある〜。」
その一言に固まり赤面すると、当真くんが待ってましたとばかりにニヤけた気がした。
「それ誰から聞いたの?」
「え?」
「その、付き合ってるってこと」
歳のわりに女性を簡単にたらし込めそうな笑い方をする当真くんは、嫌いじゃない。
学校で学ぶ勉強の内容そのものは殆ど役に立たないことを理解している頭の良い子ではあるけど、勘までいいなら天才の域ではないだろうか。
「見りゃわかるじゃないですか、事実確認はうちの隊長から取りましたけど。」
「恥ずかしい…」
ボーダー内でいちゃついたことはないけど、距離感でバレるものなのか。
英語の参考書を机に置いて、当真くんから目を逸らして膝を抱える。
「まあ俺も華の高校生兼狙撃手のトップ維持してるんで暇じゃないけど、なまえさんがフリーなら俺考えてたし、むしろなまえさんが東さんのモノでよかったって思う。」
「女性をからかっちゃいけません」
「えー今の俺かっこいいと思ったんだけどー。」
膝と腕の隙間から当真くんを見ると、してやったりという笑顔をしていた。
「なまえさん、フリーになったら俺とラーメン行こうぜ。」
ラーメンは好きだけど、その手に乗ってはいけない。
「もう!追試対策はどうしたの!」
「ああそうだった。」
からかいに飽きたようにノートに向き合い始めた当真くんを見る。
早速ここがわからないと言い出した当真くんに教える間、当真くんがわからないと言い出した部分は中学で習う部分じゃないのかと思い肝が冷えた。
勉強をしていなくても狙撃手として成績がいいなら、ボーダーでは許される。
余計なことまで指摘する気はない、そのつもりで教えていれば作戦会議室の扉が開いた。
訪れたのは、真木さんでもなく二日酔いの冬島さんでもなく、春秋だった。
「冬島となまえが入れ替わってる。」
私と当真くんしかいない冬島隊作戦会議室を見た春秋が面白そうに言ったのを聞いて、当真くんが説明する。
「うちの隊長なら二日酔いで医務室でーす。」
「二日酔い?まったく、あいつなにやってんだ。」
床に散らばる冬島さんの半袖のシャツを跨いで作戦会議室に入った春秋が、紙束を手にちょいちょいと歩く。
冬島さんのレゴだらけの机の上に紙束を置き、机に向かう当真くんに声をかけた。
「冬島が医務室から戻ってきたら、この書類俺からだって伝えといてくれ。」
「うっす。」
適当に答えつつ方程式を解く当真くんを見守っていると、用を終えた春秋がこちらを伺う。
顔を上げて目を合わせると、春秋が不思議そうな顔をしていた。
「なまえは?」
「当真くんの追試対策に急遽呼び出されまして」
「なまえさん教えるの上手すぎて俺の成績上がりそう。」
ノートと睨めっこしては教科書と参考書を見て因数分解の段を見る当真くんを見て、本当に大丈夫なのかと不安になる。
成績が悪いとは知っていたけど、中学生くらいで苦手科目の学力が止まっていそうな当真くん。
それでも狙撃手としての成績はとてもいいから、見逃すことは出来る。
必死なリーゼントを見つめていると、春秋がこちらを見たのが分かった。
見なくても、春秋のことは気配で分かる。
「なまえ。」
名前を呼ばれて、ふっと顔をあげた。
不思議そうな顔から一変、真面目な顔をした春秋が廊下のほうを指差して手招きする。
「小荒井がなまえのこと探してたけど、行くか?」
「え?小荒井くんが?」
「ラウンジで派手に探してた。」
私を探すにしては珍しい人物の名があがり、必死に勉強する当真くんを見る。
まあいいか、と立ち上がり当真くんに苦行を突きつけた。
「当真くーん、戻ってきたら15ページ目まで答え合わせねー」
「やだああああ俺そんな出来ない!!」
悲鳴は聞かなかったことにして、私を呼んでいるという小荒井くんの元へ急ぐことにした。



冬島隊作戦会議室を後にすると、春秋が携帯を弄りだした。
何かの連絡がきているのか、そのまま歩き出した春秋についていく。
歩きスマホをする春秋の後頭部を見つめ、聞いても何も言わない春秋は初めて見たと思いつつ歩幅を合わせる。
「小荒井くん何だって?」
携帯を弄る春秋が何も言わず、私の手を引いて歩き出す。
ボーダー内で手を繋いだことはなく、温度を手に感じながら冷たい廊下を歩く。
何も言わず歩き、向かう先が分からない。
この方向なら東隊もあるし、私を探しているという小荒井くんの元へ連れて行ってくれるのかも。
いつもなら何か言うはずの春秋が、何も言わずに手を引いてくれる。
携帯をロックしてポケットに仕舞った春秋が、ようやく私を見てくれるかと思えば私のほうなんか見ず、手を引かれているのに無視されたような歩き方のままどこかへ連れて行かれそうになった。
「春秋、ねえ、小荒井くん急いで探してた?」
「あー、なんかもういいみたいだ。」
「?」
廊下の先を見つめて投げやりな返事をする春秋を見て、一体なんだったのかと思う。
小荒井くんが自力で私が必要そうな用事をクリアしたのか、それなら当真くんの元へ戻ろうとするも、手はしっかりと繋がれた。
離すのも忍びないけど、勉強を教えてくれと頭を下げた当真くんを放置するのも感じが悪い。
「そっか、じゃあ戻る」
名残惜しく春秋から手を離し、一人悲鳴を上げて参考書を投げているであろう当真くんの留年を回避させるため、来た道を戻る。
「なまえ。」
再び呼ばれ、何かと振り向けば強めの力で肩を捕まれ、立ち止まって春秋を見た。
珍しく湿っぽい雰囲気を醸し出す春秋が、距離を詰めてくる。
顔色に変わりはないものの、肩を掴む手の力から只事ではない何かを察した。
「え、なになに」
「戻らなくていい。」
「当真くん待ってるし、戻るよ」
「ランク戦のマップ、なまえもチェックしてくれ。」
「はい?」
間抜けな声を出して、今一度春秋を見た。
顔色には変化がないし、怒っているわけでもなさそうなのに目つきは真剣そのもの。
ランク戦のマップは、マップ選択権のある隊の隊員しか見てはいけない極秘扱いのものなのに、何を言ってるんだろう。
マップを決めるのに隊員以外を呼ぶなんて、聞いたことがない。
もしや小荒井くんが倒れて私が代わりにランク戦に参加しろということなのか。
一瞬それを考えたけど、その線は薄い。
あのサッカー少年は片足を折っても、追ってないほうの足でボールを蹴っているような根性の持ち主だ。
何より、教えるのが上手くて秘密を守る春秋がそんなことを言うなんて在り得ない。
元はA級一位を率いていた春秋が、こんなことを言うわけがなかった。
「春秋、どうしたの?」
疑う気はないものの、何かがおかしくて思わず疑念を抱く。
「…大人気ないな、すまん。当真のとこに戻れ。」
「いやいや、どうしたの?」
「なんでもない、俺が悪かった。」
何の理由も告げず自分が悪いと言うも、私の肩を掴む手の力は緩まない。
「春秋なんかあったの?大丈夫?」
伺うことはあまりしたくないけれど、春秋らしくなさすぎて疑念が膨らむ。
膨らんだものを壊すように、春秋が視線を落として呟く。
「無神経。」
「え」
「俺が無神経なんだ、もう忘れてくれ。」
「なにが?」
「あんまり身軽になるな。」
眉ひとつ動かさず、随分と我侭なことを言う春秋に驚く。
そんなこと言う人だと思わなかった!と逃げたっていいけど、相手は春秋。
何があったと思う気のほうが優先された。
「当真くんに勉強教えてくれって頭下げられただけだよ」
「それが口実だったらどうするんだ。」
察する間もなく、春秋が何を言いたいか分かった。
あまりに春秋らしくないことを言い出した春秋の目を、しっかりと見る。
怒りに似た感情を瞳に浮かべる春秋に後ずさる気持ちと、申し訳ない気持ちが沸いてきて立っている足だけ貧血みたくなった。
「え、でも…」
春秋の気持ちが、まったくわからないわけではない。
でも、春秋は大人で皆のお兄さんとして慕われていて、そんな人に限って。
思うことよりも目の前にいる春秋を大事にしないといけない。
「私、軽率だったね」
もしも春秋が当真くんと同じ歳くらいの女の子と密室に二人きりで勉強を教えあっていたら。
想像するだけはピンとこないけど、もし目の当たりにしたら私はどう思うだろう。
お互い憎たらしいほどの嫉妬深い人間ではない。
「駄目だ、俺いま頭おかしい。」
悄らしくなった春秋が、私の肩から手を離した。
「普通に考えて、当真が女性に何かするわけないのは分かってんのになあ…。」
「うん」
「俺が18歳だとしても、勉強見てくれる神みたいな人に横恋慕はしない…。」
「たしかにそうだね」
春秋は進学校だったから、家庭教師や講師でもない知り合いに勉強を教えてもらうことはなかったのではないか。
だから余計に、さっきの光景が目に焼きついた。
私と当真くんしかいない部屋、机の近くで寄り添っている姿。
気持ちを察して、私には春秋だけだよと遠まわしに伝える。
「大丈夫、春秋の気持ちは一方通行じゃないから」
「なんか…ごめんな、尖ってしまって。」
「当真くんはないかなあ…でも目の前に18歳の春秋がいたら、ちょっと考えちゃうかも」
悪戯っぽく笑うと、春秋がようやく笑ってくれた。
先ほどまで肩に乗っていた手が私の腰にきて、廊下に偶然誰もいないのをいいことに囁きかけてくる。
「なまえ、これから空いてる?」
「もちろん」
「抜けよう、廊下で盛りたくない。」
腰にある手が私の胸に這ってきて、下着の線をなぞる。
「小荒井がなまえを探してたっていうのは本当だけど、ラウンジで派手に探してたっていうのは嘘。」
「探されてる理由にもよるけど、私行ったほうがいいよね」
「行かなくていい、人見がなんとかしてくれる。」
したい気分のときに服の下にある下着を触る癖。
本気になれば服の上からブラジャーのホックを外せる指が、私の上半身を這い始める。
「なんにもしてないのになまえでいっぱいになってる。」
その気になった時の低い声が、体の中にドンと響く。
「風呂でしないか、防水性の買っただろう?」
「した後でいいじゃない」
「駄目。当真の匂いを落とす。」
「え、匂いする??」
「しないけど、気分的にそういう感じ。」
やきもちを焼く春秋に、なんてことない顔をして囁く。
「春秋でいっぱいになりたいって叫びまくりたいから荷物取ってきていい?」
黙って頷いた春秋を背に、今度こそ来た道を戻る。
カーディガンとバッグを取るために作戦会議室に入ってきた私に、青い顔をした当真くんが叫ぶ。
「なまえさああああん!まだ終わってないいいい!!!」
「じゃあそれ明日まで!」
そう言うと当真くんの悲痛な顔は一瞬で明るくすっきりした顔になり、呻きをあげながらガッツポーズをした。
「ありがとうございまあーす!」
元気そうな声をあげる当真くんを置いて、あとで春秋に脱がされるのにカーディガンを羽織る。
バッグを持ち、作戦会議室の入り口で私を見据える春秋に駆け寄った。







2016.06.09





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