シャノワールは王子様





散らかったソファの上にあるテスト用紙の赤字は100と書いてある。
丸ばかりついてて、フランス語のテストを満点にしたまま放り投げてある尊くんはテーブルの下に落ちたペンを拾っている最中。
「尊くんフランス語満点って何事」
「得意ですから。」
得意気な態度で髪を指で撫でる尊くんが、普段の尊くん。
腹立たしくなってしまうような態度も、我侭も、全部愛しい。
「すごいねー、異文化苦手だったから素直に羨ましい」
だから、素直になってしまう。
それは尊くんも同じだと思いたい。
「ねえねえ、なまえさん。」
尊くんが食器棚の近くにカードを仕舞い、私を見る。
「なーに尊くん」
私が呼ぶと、パッと顔を明るくさせるのが本当に可愛い。
クッションの山を通り過ぎようとした尊くんが、クッションを踏んで盛大に転び、思わず笑う。
ぼふうんと鈍く柔らかい音をして転んだ後、聞きなれた呻きがしてサラサラの髪をした頭が動く。
クッションの山から顔を出した尊くんが、笑う私に意を決したような顔で声をかけた。
「っの、あの!」
ソファから漏れ出したクッションと、私物諸々。
私のパールが見えたような気がしたけど、あれはもともと尊くんがくれたものだ。
でも、私のもの。
だけど私は、尊くんのものなの。
あっちのほうは私のものになってるけど。
可愛い尊くんが恥ずかしさと真剣さを混ぜたような表情をして立ち上がりながら、私を呼ぶ。
「なまえ!」
大きめの声を出すものだから、なにかと近寄る。
「なに?どうしたの?」
立ち上がった尊くんは転んだというのにサラサラの髪をしていて、羨ましい。
鳴かせたら可愛くてたまらない顔が、なんだか真剣になって眉間に皺を寄せている。

「ボク、思ったんです。」
「なにを?」
「ボクたち、いずれは結婚するというのに、さん付けくん付けっておかしくないですか?」
尊くんが言って、すこし考える。
私は年上、尊くんは年下。
私は尊くんの可愛さを貪る年上の尊くん限定淫乱女。
尊くんは育ちがよくて目上への敬意は忘れない子。
それでも恋人同士、たしかにおかしい。
「まあそうね、でも尊くんは尊くんってかんじ」
イメージと先入観で、もう尊くんは尊くんだった。
どうにもそれが不満な尊くんが、むっとする。
「ボクはもう子供じゃないんです!」
クッションの山から足を抜き、私に詰め寄った。
その詰め寄り方も抱きついて甘えたいように見えてしまうから、私はもうだめだ。
尊くんが、私の目を見てはっきりと言う。
「なまえさんから見たらボクが子供に見えるんでしょうけれど、ボクはなまえさんを守れるお金だって、権力だってあります。唯我の跡取りとして相応しいボクに備わらないものはありません。
ボクは、たしかに歳だけいうなら成人してないですけど…こんなにも早くなまえに出会えた、だからこそ守り抜きたいんです!」
ボーダーで守りたい人への言葉を学んできたのか、突然尊くんらしくないことを言い出した。
いつもなら、なまえさんなまえさん大好きと甘えて寝転がって、フレンチレストランへ言って、帰って抱き合って、シャワーでも抱き合って、寝る。
その時に見せる尊くんの安心しきってくれた笑顔が、可愛くて好き。
「だからボクを信用してください!」
「信用はしてるよ、ただ」
「ただ?」
そのお願いを受け入れようとすると、胸が高鳴る。
たとけとるを発音すればいい。
それだけなのにドキドキして、嬉しくなった。
こんなの、いつぶりなんだろう。
生娘でもないのに、こんなの、ひどい。
「たけ、る…のことは、好き」
顔に熱が集まるのを感じながら言うと、尊がぽかんとした。
やっぱり呼び捨ては合わなかったか、と思うと尊が真顔のまま迫る。
「なまえさん、今のすごい可愛い。」
「なーんで言いだしっぺがさん付けしてるの!」
「はっ!なまえ!」
訂正した尊が、私に抱きついて首に顔を埋める。
「なまえ、大好き。」
「たけ、る。」
そう言うだけで、体が温かくなる。
ぽかぽか、心地いい暖かさ。
お風呂に入っているときみたいな体温になって、落ち着いた。
部屋は片付け途中だし、クリームブリュレとピストルチョコレートは蓋を開けっ放しにしている。
あとで綺麗にしなきゃ、でも、私達がこんなに暖かいんだからいいよね。
全てどうでもよくなる暖かさを感じて、目を閉じた。
「尊、大好きよ」
首に顔を埋めていた尊が、私の顔を見る。
得意気で、我侭そうで、自分の感情にこれでもかと正直で、お坊ちゃまで世間知らず。
でも、私にないものを持っている尊。
可愛くてたまらない、思いを込めて尊を撫でれば、嬉しそうに目を細められた。
「なまえはいい妻になりそうですね、目が澄み潤んで、ボクのことをじっと見てくれる。ボクに毎晩あんな辱めを受けされる女性なだけはあります。」
「もう、本気なの?年上をからかっちゃだめ」
尊の肩に額をあて、冗談半分に笑うと、尊が私から離れた。
「からかってなんかいません。」
リビングの、そのまた向こうのフロアの向こうにある勉強部屋。
そこで何かがさごそ音をさせたあと、尊が戻ってきた。
手には小さな箱があって、それを両手で私に向ける。
「どうぞ。」
私に向けられた小さな箱を手に取ろうとすると、尊のほうから箱を開けた。
普通の紙の箱ではなく、ケース型だ。
ぱこっと開いたケースには大きなダイヤモンドの乗った指輪があって、目を剥きかける。
突然現れた、輝き。
指輪と尊、交互に見ていると尊は得意気に自信たっぷりな顔で私を見た。
「サイズはこのボクが覚えてますから、この手と指で。」
尊が指輪を手に取り、私に跪く。
見上げた顔は、目がきらきらしてて口元はにやけてて。
王子様のようなポーズのまま、私が左手を向けるのを待っている。
「だって、本当に?」
「はい!唯我なまえ、いい名前だと思います!」
本気の尊くん。
私だって、たしかに本気だ。
でも待て、尊くんはいくつだ?
私より年下の子、お金持ちのボンボンでいけすかなくて世間知らずで、まだ何も知らない。
直面し、私は動揺を極めた。
「一晩だけ、考えさせて」
「えっ。」
それだけ言い残し、寝室のほうへ引っ込む。
ああ、リビングの片付け終わってなかったな。
「…なまえ、さ。」
尊くんの声が聞こえた気がしたけど、迫り来る気持ちを落ち着かせたくて必死だった。

ベッドに座って、考える。
なにもつけていない左手を見て、ここにあの指輪がと思うと、尊くんから離れられなくなるのはもちろん。
尊くんの足枷に、いつか変わるんじゃないかと思った。
あと二年もすれば婚姻はできる。
でも、そうじゃない。
今判断したことが全て正しいと思ってしまう子のプロポーズを、受け取っていいのか。
彼なりの思いやりは、好きは、日常の延長ではないだろうかと大人の私が不安になる。
ありがとうと笑顔で受け取ればいいだけなのに、胸騒ぎがしてたまらない。
この胸騒ぎは、なんだ。
答えはわかる、尊くんが悪いんじゃない。
私が、怖いんだ。
あとになって尊くんに泣かれるのが、嫌がられるのが。
こういう時だけ女々しくなった自分を殴るように扉が開く音がして、振り向くと今にも泣きそうな顔をした尊くんが私を見ていた。
「一晩も待ってくれないの?」
泣きそうな顔をした尊くんが口を一文字にして、ふーっと鼻から息を出す。
「なまえ。」
「どうしていきなり」
「ボクはけっこう前から決めてました。」
「…そう」
決意が固まりきった声で、私の足元に跪く。
ベッドに座っているおかげで、目線は同じ。
もう、尊くんじゃないんだ。
もう一度ケースが開かれ、ダイヤモンドが輝く。
「受け取ってください。」
こんな大きな指輪、つけるのが勿体ない。
「ねえ、尊」
私の言葉を聞き逃さんとする尊。
まっすぐで、今にも泣きそうな目をして、不安そうな口元をして。
「私は尊より年上だし、貴方を可愛がりたいって思ってたし、その…私の生まれも知ってるでしょ?」
孤児院から引き取った義母は、唯我の妾になれば金がたくさん手に入るとか言われたけど、初対面の尊に夢中になったのでそんなこと知るか。
あれ以来唯我邸にお世話になっているとはいえ、いるようでいない私。
私のことを知っているのに、それでもという尊。
「だからです。」
指輪を手にして、私をしっかり見る尊の目つきが真剣になる。
白目のところが真っ白で、三白眼気味の黒目は涙に潤みそうだ。
「ボクは高貴で由緒ある唯我家の跡取り、唯我は行く行くはボクのものです。
でも、ボクじゃ足りないんです!ボーダーにいたって、ボクはボク、自らを卑下したことはありませんが、もっともっと大人になれば色んなことがあります。
現にボーダーで、ボクの知らない貧乏で乱暴な世界のほうが多いんだってわかって、ボクの側にいるなまえと会えたことが凄いことだってわかりました。」
なんの受け売りなんだろう、とか、悪態を吐く気は失せた。
尊をまっすぐ見つめれば、一瞬俯いたあと、またまっすぐ見る。
「ボクは…強くないしなまえみたく気も利かない、でも、なまえが側にいる特権を得られれば、なんだって頑張れます。」
この子のことだから、ある日帰宅すればメイドと執事によって盛大に飾り付けてある部屋の真ん中に用意された結婚式前夜祭だとか言ってウェディングケーキを用意して、白いスーツでも着て、私を招き入れるはず。
料理長に作らせたフレンチケーキは、私の大好きな味とクリームの上の砂糖菓子もウェディング仕様で。
でも、そうじゃなかった。
「ボクじゃ到底わからない価値観や思いを、なまえは持ってる。ボクはなまえを愛してるのだから、ボクに足りないものを持っているなまえを守る特権と栄誉を、なまえはくれるべきです。」
何も言えず、尊を見つめる。
お金があれば何でもできる、その間違いにボーダーに入ってから気づいたのだろう。
友人や恋人、組織の一員として生きることは、人種年齢境遇何も関係ないところで生きること。
実力主義の世界に、金はいらない。
だって、自分の大切なものを守るのは自分しかいないのだから。
「なまえ、なまえは!お金なんかに目もくれず、ボクのことを大好きって言ってくれた…。」
出会うまでに至った余計なことなんか、覚えてない。
でも、尊にはそれが大事なんだ。
「お、おかねがあるって言わなきゃ、みんなボクのことなんか、でもボクがいくらお金を出したって、なまえはボクのものにならない、でもボクは。」
尊の目の前に、そっと左手を出す。
手を見て、それから私を見る尊は驚いていて、それからダイヤモンドの指輪を私の左手の薬指にはめた。
左手を輝かせる大きくて綺麗な石。
世間一般でも使われる意味合いの指輪は、私の手で光り輝く。
「ありがとう、尊」
尊に笑いかけると、気が抜けたのか顔がくしゃくしゃになった。
「あと二年あるでしょ、学校。それまでに私もお金とか貯めて」
「お金はボクが持ってます!!!」
そこだけ強気に言う尊も、大人になっていくうちにどう変わるのか。
とても楽しみで、幸せ。
「コネで婚姻可能年齢は変えられないよ、尊が学校卒業したら、ね?」
「はい。」
「貰ったからには、もう尊を逃がさないわよ」
「ええ、ボクもなまえを逃がしません、ボクだけのなまえです。」
左手の指輪を見て、尊を見る。
くしゃくしゃな顔をして泣きかけている尊に、気持ちを込めた。
「明日から幸せ、今も、その前も、尊と会ったときから幸せだけど、すっごく幸せよ」
すると決壊したように尊が泣き出し、あっという間に目から涙が溢れた。
真っ赤な顔をして、隠しもせず泣き出す。
「う、ううっ、うあああああああ〜〜〜〜〜〜ん!!本当に嫌われたかと思ったじゃないですかあああ〜〜〜〜〜!!!」
大粒の涙を流し始めた尊においでをすると、私の胸に飛び込んできた。
強い力で抱きしめられ、一時は本当に不安になったことが伺える。
なんだかんだ、男の子。
尊のそういうところがとても好きなのに、大人になっていく。
その時が、とても楽しみ。
びえええと泣き、肩に涙と鼻水が垂れる。
これでもかと素直に泣く尊に、優しさが混じった呆れが漏れた。
髪の毛に張り付きそうな勢いで流れる涙は、尊が素直な証。
「なまえのばかあああ!うわああああ〜〜〜〜〜!」
「偉いね、16歳なのに」
背中を撫でて、落ち着かせても尊は泣き止まない。
「年齢は関係ありませえええええええん!!!うわあああ〜!」
「もう、泣かないの」
「貰ってくれなくって、ボクがさっきどれだけ心細かったか、うええええええ〜〜〜!!」
よしよし、としているうちに、涙と鼻水が止まるのを待った。
どうしようもないお坊ちゃまで、偉そうで、貧しさを知らないが故に傲慢。
でも育ちは良くて素直で嘘をつかず自分に正直。
人の正の部分だけ理想的に集めたら、それは自然と尊になる。
「もう泣かないの」
「はひぃ、ぐじっ。」
「泣くのはおしまい」
「はい!!泣きません!!!」
ぐしぐしと鼻を鳴らす尊をぎゅうっと抱きしめて肩を抱いてから体を離す。
鼻水と涙まみれの顔をした尊の頬を撫でて、手のひらに涙の湿りを感じる。
白い頬は紅潮し、透明な液体まみれ。
でも、いけない気持ちにならない。
愛しい子の涙の味がする唇にキスをして、背中を抱いた。
唇を離せば、尊の声が耳元でする。
「なまえ、だいすき。」
すこしだけ大人になった尊の頬に頬をくっつけると、幸せで自然と笑顔になった。





end






2016.05.24






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