管の中の不足






あらゆる満足の答えの続き

ちょっと汚い描写あり







鉄分、ビタミン、亜鉛、カルシウム。
見慣れた単語を視界に入れて、拒否。
瓶から出る小粒を飲んで、水で流し込み、背伸びをする。
今日こそは大丈夫と足に鞭を打つ気持ちで鞄の中身を確認するため屈むと、胃袋が歪むのがわかった。
痛みもない、吐き気もない、だからこそ気分が悪いし怖くなる。
どうにかして吐かないようにしたいと思っても、出るときは出てしまう。
サプリメントを飲んだあとに出てしまう吐瀉物ほど、不味いものはない。
鼻と舌を攻撃するような胃液の味と、サプリメントが胃の中で溶けた味は最悪を極め、その後の数分間は人としての尊厳も消えて唾液すら吐き気を催す。
一度飲んだら出しちゃいけない、そんなの誰が言い出したんだろう。
血管の浮く手の甲に見える痣が最近薄くなる日は、くるんだろうか。
痣の上に絆創膏を貼り、いつもどおり。
携帯が鳴って、ああもういかなきゃと急かされる。
こういう風に急かされるのが大嫌いなんだけど、急かされないと私は死んでしまう。
一人じゃ呼吸ができないのを認めたくない、ばれたくない、だから誰か私の呼吸をするように急かして。
携帯を手に取り、返事をする。
光ちゃんの元気な連絡に絵文字を乱舞させ返事をして、平静を装う。
元気な笑顔が見たい、だから歩く。
でも途中で倒れないようにしないといけない。
棚にある小さな袋を手に取り、袋を切ってコップの底に中身を通す。
オレンジ色の粉がコップの底を埋めたのを見て、水を入れるべくコップを持つ。
その手が太く見えて仕方なくて、私の眼球の奥が竦む。
いけない、いけない。
コップに水を注げばオレンジ色の水で満たされた。
飲んで、胃の中に栄養を落とす。
働かない頭も、何故か自らのことだけに敏感だ。
何も感じなくなったとき、私はどうなるのだろう。
誰かに分かってほしいわけじゃない、一人で解決したいわけでもないし神を待っているわけでもない。
だから、私はこれでいいんだ。



お菓子屋さんに行って買ってきました、と言わなくても伝わるような箱を光ちゃんに渡すと、目が輝いた。
可愛い笑顔が見れて、満足する。
即座に箱を開けて中身を見てうひょーと喜ぶ光ちゃんのおかげで、安堵した。
「家の近くにあるとかチートすぎねえ?」
「どういうわけか、昔からあるんだよね」
私自身の胃の中に入ること、ないけど。
光ちゃんにそんなことは言えず、箱からティラミスタルトを選んで取った光ちゃんが、早速一口食べる。
食べた瞬間、溶けそうなくらい幸せそうな顔をした光ちゃんが、ごくんと飲み込んでから私に微笑みかけてくれた。
「マジなまえに甘いもん貰ってるから今度お礼させてくれ。」
「ありがと」
私と話してもらえるために持ってきてるものだから、お礼なんていらない。
元気な笑顔と口元が、私を安心させる。
でも、とケーキをひとつだけ手に取ろうと箱の中を眺める。
自分で選んだ色取り取りのケーキ数個を見て、喉の奥が締まって胃が不穏な疼きをした。
箱の中で、一番手前にあったチーズタルトを取る。
光ちゃんが私の絆創膏を見てから、気にせず言う。
「うっわなまえ細っ!」
絆創膏に突っ込まないところが、好き。
美味しそうに食べてくれる光ちゃんの手にあるティラミスタルトが、もうすぐなくなりそうだ。
「なまえほんと痩せてるよなー、体質?」
「そうだね、太らないの」
「うらやまー、アタシも痩せてー!とか言いつつ食うけど!」
時期が時期なので布団が取り払われた元こたつの上にある鏡で、光ちゃんが前髪をチェックする。
何もしなくても可愛いよ、と言えば照れるわーと笑ってくれる光ちゃんが好き。
いつもだらだらしてるのは確かだけど、スタイルはすごくいい。
体のバランスとか、頭身とか、そこらへんのモデルみたいに見える。
この好きは、友達の好き。
憧れみたいなものがあるんだろう。
チーズタルトを一口齧ると、口の中にあるものの味が鼻にきた。
押さえ込んでも、甘さを求める体が正直に唾液を出す。
嫌気が差していると、誰かが作戦会議室に入ってきた音がした。
挨拶しよう、と動く前に光ちゃんのスペースを覗かれた。
まんまるな顔、優しそうな目、もにゅんとした唇。
光ちゃんに対する好きとは違う好きを向けている人が、偶然にも来てくれた。
「あれ?なまえちゃんいるんだ。」
「こんにちは」
挨拶をすると、光ちゃんが私の側によりケーキをもうひとつ掴みながらゾエさんに親しげなヤジを飛ばした。
「甘いもん食ってるときにだけ都合よく現れるの食べ物の妖怪みてえでおもしれーよな、な?」
「いやいや、ゾエさん妖怪デビューは考えてないかな。」
それにすら笑うゾエさんが、好き。
「おいゾエ!オメーもこれ食えよ!」
光ちゃんの許可が降りて、ゾエさんが光ちゃんのスペースに足を踏み入れる。
「お?なになに?」
「なまえが持ってきたケーキ、うめえのなんのって。」
箱をゾエさんに向けて、笑いかける。
「ひとつどうぞ」
ゾエさんに笑いかけるときだけ、胃のあたりがきゅーってなる。
いつもなら嘔吐の合図だし、気分のいいものではない。
だけどそれが嫌に感じたことはなく、それを感じるたびにゾエさんともっと話していたい気持ちが強くなる。
ゾエさんが即座に箱に近寄り、ぱっちりした目でケーキを見定めた。
「あれ?このお店って。」
そう言って箱の横を確認して、お店のロゴを確認してゾエさんが何かに納得する。
「タルト系も揃えてたんだ?」
「時期になるとシュークリームもけっこうありますよ」
「ここのお店のモンブランしか食べたことなかったから新発見かも。」
「モンブランとか一番カロリーたけえやつじゃん、さすがゾエ。」
箱にあるレモンタルトを手に取ったゾエさんが、一口でタルトの半分以上を食べたのを見て、光ちゃんが笑う。
前に「オメーの一口はユズルとアタシの三口分だよ!」と言い放った光ちゃんを思い出し光景が甦り、私まで笑ってしまった。
口元を押さえて笑う私と、豪快に笑う光ちゃん。
ゾエさんは、どんな女の子が好きなのかな。
きっと、女の子より甘いお菓子のほうが好きなんだ。
私がお菓子になれたらいいのに、そうしたら胃の煩わしさも嘔吐する前の気分の悪さともバイバイできるのに。
思った言葉を口にする前に、レモンタルトは消えて光ちゃんが元気に喋りだした。
「この前うちで鍋やったときさ、シメが米かうどんかで弟と喧嘩したんだけどよ!」
「そこは天ぷらのダシに使わない?」
「やっぱゾエは各が違うわ。」
もういっこ、と整えられた爪をした光ちゃんの手がミルクレープを手に取る。
「なまえ!こっちもいっていい?」
「うん」
ミルクレープが、光ちゃんの口に招かれる。
「アタシ延々くずきり食うから弟にキレられたし。」
「くずきりっておつまみじゃないの?」
「なわけねーだろ、鍋の影の支配者はキノコとくずきり!あと柚子!」
「鍋なら肉から行くゾエさんには理解できないかな。」
「胃袋がフリーダムすぎるだろ。」
「不自由な世界を生き残るために食欲を自由にしないのは理不尽だよ。」
「哲学的なゾエは呼んでねえーよー。」
二人が延々話している間に食べているはずなのに、チーズタルトは半分も減らない。
顎が辛いわけでもないのに、何故かゆっくり食べてしまう。
ゾエさんの顔を見ながら、味を飲み込む。
あんまりにもゆっくり食べている私を見たゾエさんが、にこっと笑って話を振ってくれた。
「なまえちゃんはチーズタルトが好きなの?」
「そうだよ」
「すごいゆっくり食べてるから味わってるのかなーって。」
へーパータオルで手を拭いた光ちゃんが、テレビをつける。
地味な中継番組をつけた光ちゃんが視線をそちらにやっているうちに、チーズタルトを一口齧る。
もごもごと顎を動かせば、ゾエさんが微笑んでくれた。
「ゾエさんも美味しいもの大好きだよ。」
噛みながら頷いて、飲み込む。
残りのタルトを食べるゾエさんと、中継番組を見る光ちゃん。
ケーキの行方を気にされていない今なら、とチーズタルトを齧っては飲み込み、なんとか全部食べ終わった。
ペーパータオルで手を拭いて、中継番組に目をやる。
小難しい数字が並んだ画面のあと、外の景色がばーっと映ってからCMに入った。

洗剤のCMの軽快な音と共に、可愛い役者が白いシーツの上で気持ち良さそうに寝転がる映像が映る。
光ちゃんが「あーアタシもシーツ新しいのほしいー。」と言ったところで、胃が疼きだした。
この疼きは、わかる。
でも今は駄目、近くにゾエさんも光ちゃんもいる。
誤魔化すために咳をしてから、手を拭いたペーパータオルで口元を覆い、また咳をした。
まだ、気づかれてない。
ゾエさんを見ると画面を見ていたので、どうにかするなら今だとペーパータオルを持って立ち上がり、光ちゃんのスペースから抜け出す。
これを捨てにいったように見せればいい。
今度は本当に咳が出て、鼻の奥で何かの臭いを感じ取った。
げほ、と咳をするたびに覚えのある感覚がする。
トイレ、と思っても、そこまでいく感じではなくて、余計に焦る。
このままトイレに駆け込むための足が、体の中にある胃が、動き出して頭の中から眩暈を引き出す。
体の真ん中にある管が歪んで、私から正気を溶かして消え去ろうとする。
トイレまでの距離と、扉までの距離。
眼球を動かす僅かな間だけでも胃を支配するそれらを、今は受け入れたくない。
でも、体が受け入れるようになっているんだ。
体の真ん中から湧き出る感覚に、全身が支配される。
あ、もうこれ、だめだ。
逃げ道を探す間にも、それはやってくる。
日頃感じるそれを拒むこともできずにオペレーターデスクの近くにある、申し訳程度の簡略化キッチンが目に入り、そこに手をつく。
げほ、げほ、と咽るたびに、チーズタルトだったものが出てきてしまった。
落ちる音を消すために蛇口をひねり水を流し、口から出たものを必死で排水溝へ流す。
あとで回収するとしても、ばれちゃいけない。
喉を逆流し這い上がったものは舌に触れる前に口から出て、ぼたぼたと形を歪めて戻ってくる。
人の尊厳が消えそうな私と、そんなもん知ったことかと動く体。
幸いなことにチーズの味しかしなくて、処理を考えていると恐れていた事態が起きた。
「なまえちゃん?」
ゾエさんの声に背中の裏側がビリッと張り詰め、振り向いて言い訳する。
「咽ちゃって」
掠れた声を聴き取った光ちゃんが、声だけで心配してくれた。
「おいー、大丈夫かー?水飲めよ!」
声をかけてくれるだけでいい、それだけでいい、だから気にしないで。
今だけはどうか何も起きないでほしい。
生返事をして、排水溝のネットに手を突っ込む。
汚物まみれのネットを捨てるため、ゴミ用の小さなビニールを拝借して汚物まみれのネットを捨てる。
ビニールをしっかりと締め、ゴミ箱に捨てた。
あとで持ち帰るとして、まずはこれでいい。
バレてないはずだ、と思う私を遮るようにゾエさんが光ちゃんのスペースから立ち上がる。
ひやっとする私を通り過ぎて、一番奥のスペースにある冷蔵庫を開ける音がした。
飲み物でも取ってきたんだろうと思う私を、そのままにしてほしい。
汚い手を洗っていると、水が冷たくて血管を冷やす。
手を洗いながら口を洗って、臭いを消した。
この水が胃から出ても体温ですぐ温くなるんだろう。
私自身が冷え切ればいいのに。
手を洗っていると、大きな気配がした。
横目で見れば、そのまま光ちゃんのスペースに戻らなかったゾエさんがいた。
目が合った途端、私に声をかける。
「なまえちゃん。」
心配そうな目で私を見るゾエさんが手に白いカップを持っていた。
カップの上は加工ビニールが貼ってあって「みかどヨーグルト」と書かれている。
ゾエさんが私にそれを握らせ、俯く私に声をかけた。
「ヨーグルトあるから、これで胃を守って。それから消化のいいものを食べて、肉とか米とか、野菜も体が冷える食べ方では食べなくていいから。」
光ちゃんのスペースを一瞥したゾエさんが、私の顔色を伺う。
心配そうな顔、手渡されたそれに、ぞっとする。
「あ」
水で濡れた唇が、震えそうだ。
どうして吐いたの?なんで食べたものを出すの?と言われたら、と罅割れそうな私に気づいているわけがないゾエさんが心配してくれる。
「今日風邪でも引いてたの?無理しちゃった?」
柔らかい笑顔、私には大きすぎる優しさ。
ネットを捨てるところだけは見られていないようにと願い、頷いた。
「うん」
好意まで吐き出せるほど、飢えを拗らせていない。
蛇口の近くで話す私とゾエさんを不思議に思ったのか、光ちゃんがこちらを見たのがゾエさんと壁の隙間から見えた。
目が合うと、光ちゃんが不思議そうな顔をしたあとニコッと笑ってくれる。
気づかれてないことに安心してから、目の前の大きな優しさに向き合う。
「おなか痛いときに甘いものと油は駄目だよ、あと繊維の多すぎる果物もよくないし、家に帰ってもヨーグルトとバナナでおなか落ち着かせてね。」
純粋な気持ちで私を心配するゾエさんに、縋りたい。
胃のあたりがきゅーってして、俯くしかなくなった私を気にかけるゾエさんに対して申し訳なくて恥ずかしさを感じる。
足元を見つめて、ゾエさんの大きな足を見た。
私よりもずっと大きな足と、大きな体と、優しさ。
「なまえちゃん、辛いならゾエさん帰り送ろうか?」
目を伏せたまま顔をあげて、恥ずかしさを飲み込む。
辛いわけじゃない、今は苦しくもない、でも食べ物に対してこうなってしまうの。
でも食べ物は何もしてないのに、私の中の管という管が拒否する。
こうしないと、私が私じゃなくなる気がして、でもこうすればいいって体がいうの。
「大丈夫、ありがとう、でも一緒に帰りたい」
思いと違うことを口にして、ゾエさんに上辺を繕う。
「なまえちゃん、顔色悪いよ。」
「そうかな、やっぱり、うん」
「医務室行こうか、今の時間なら誰かしらいるし。」
「うん、行く」
「調子悪いときは、家で寝てるんだよ?ゾエさんと約束できる?」
妙に圧し掛かる言葉に、頷いてることも無理矢理な気がして、自分が消え去って透明になりそう。
透明になったら、きっとゾエさんへの思いだけで心臓だけが残る。
そんな気がして、目の前にある大きな手を思わず握った。
水に濡れて汚れは落ちても汚い手の私。
ネットを捨てたことがバレる前に、戻ってきて新しいのにしないと。
淀んだ心が、嘔吐したことによって晴れていくのを感じる。
正気なんてどっかいった私は余程調子が悪いと思われたのか、そのまま手を引かれて光ちゃんのスペースに戻らず扉へと向かう。
なまえちゃんを医務室へ送ると言い残せば、光ちゃんの元気な声が何か言うのが聞こえた。
大きな体にもたれかかれば、心地よく耳が塞がった気がする。
約束だけは吐き出さない私の都合の良さを、ゾエさんは責めない。
体が落ち着いた場所へ沈んでいくような気がして、今だけはゾエさんに頼った。
痣の上に貼った絆創膏は何時の間にか剥がれている。
医務室にいけば、いくらでもあるものを欲する気にもならず、ゾエさんに寄りかかり医務室までの道のりを歩いた。






2016.05.21







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