おとなどうし








もし、この世界が全てにおいて後日談ならどうなるのだろう。
すごい困難があったけど、私とミケは幸せに暮らしました。
子供が出来て、ミケはおとうさんって呼ばれて、私はおかあさんって呼ばれて。
きっとそんな世界は後日談だけに収まらないと、そう思いたい。
好きという気持ちだけが生み出すものが愛情表現で、そこから生まれるものがある。
だいすきな人は、宝物。
ミケの寝顔を見るたびにそう思う。
だいすきな人を宝物だと思うなんて、読み聞かせてもらった本の中でよく聞いた言葉。
この考えは、大人だろうか。
誰もが思うことは、眠気に溶けていく。
朝の淡い光が部屋にあって、床の埃がみえる。
瞳孔が光に刺激されて、嫌でも脳が目覚めた。
朝だけど、まだみんな起きていない。
乾いた髪や体から、セックスのあとの匂いが微かに香る。
ミケの寝顔を眠気に混ぜながら見る時間は、とても好き。
髭と、優しい目元。
ミケが渡した封筒の真新しさ。
気になって、ミケが寝ているうちに見てしまおうと思い立ちシーツから体を起こして足をずらせば、股の間から愛液のだるい匂いと精液の生臭い匂いを混ぜた匂いがした。
いい匂いとはいえないものが漂ったとき、寝ているはずのミケが顔を顰める。
におったのだろうか。
すこし申し訳なくなりながらもセックスのあとの体の匂いにも慣れてきて、寝ているミケの顔を見るのは幸せ。
起き上がって、昨夜脱ぎ捨てた服がある机まで全裸のまま数歩歩いて、眠り際に貰った封筒を見た。
近くに見慣れたミケの下着やシャツがあって、それに絡むようにある私のパンツ。
大きさだけ見れば、大人と子供。
こんなに体の大きさの差があるのに、私たちはもう大人。
ミケは寝ている、見るならいまだ。
これは私のものなのだ、今見たっていい。
封筒を開けようとすると、運悪く精液が溢れて垂れ、鼻先まで生臭い匂いが漂ってきた。
膣から垂れてきた精液を間一髪机の上のハンカチで押さえる。
滲んでこないものの、あとで洗わないと。
股にハンカチを挟んだまま、封筒を開けた。
中は紙で、長ったらしい筆記体で文章が書き連なっている。
光に透かしてみたけど、文字だらけで一節も読み取れない。
一枚一枚読むことにして、まず一枚目。
畏まった文章に印と署名、いくつかが記されている。
一番最初の書類は、団員書類や兵団書類でもなく、住居移転に関する書類だった。
ざっと見て、まず内容を把握する。
あなたが住むこの家は家賃はいくらで動物を飼うことは禁止で清潔にし壁と床を破壊しないこと、が厳重に書かれていた。
ミケは怒っても暴れるタイプではないので、破壊の心配はない。
それに鼻がきくから常に清潔。
でも動物はどうだろう、もしかしたら猫とかいたら珍しくて拾うかもしれない。
厳重な文章に目を通し、視線を文章のすぐ下にやる。
その下に、ミケ・ザカリアスの名前と印。
ミケの名前のすぐ下には、なまえ・ザカリアスと書かれていた。
私の名前の隣には、まだ印がない。
今現在の私の名前はなまえ・ザカリアスではなく、家ってなんだ、家賃がそこそこするけど、これはなんだ、なんだこれは、どういうことだ。
股に挟んだハンカチに熱が篭るのを感じながら、二枚目の書類に目を通した。
私の、移動通知。
ミケ・ザカリアスの分隊へ移動しろと書かれているけど、日付がかなり前のものだ。
どうして今頃私の手元にあるのか、わからない。
受け取った今は決めるのは私なので、まあこれはいい。
これがあれば新兵を連れて南へ行くというミケについていける、やったぞと思い更に下にある書類、三枚目に目を通す。
一目見てわかるくらい、小難しい書類だった。
紙は兵団のもので、聞いたことも無い神父の名前が書かれていた。
教会の名前には地区名が入っていて、ようやくはっとしてわかる、これは結婚式をあげる教会の神父の名前だ。
この書類を受理すれば二人は婚姻するよと要約された文章の下にはミケの名前、私の名前、ミケの名前の隣には印が押してある。
私のとこだけ、何の印もない。
示すように、この書類に書かれた私たち二人の住所は、兵舎からそう遠くない下町の小さな一軒家。
あそこは何度かミケと買い物に行っているから、どんな家が並んでいるかわかる。
ミケと買い物に行って、子供を兵士にするなんて!と言われてショックを受けて泣いているときにキスされたのが、始まりだった。
少なくともこの書類は始まりにすぎない。
寝る前に「いってくる。」と言ったミケの顔。
あの顔の裏でこんなことを考えていたなんて、信じられない。
何度見返しても、ミケ・ザカリアス、なまえ・ザカリアスと書かれている。
書類の注意書き備考欄に「子供が産まれた場合、妻が主に面倒を見る、夫は仕事上帰宅時のみ面倒を見る」と書かれている。
意味するものは、ひとつ。
これを今開けてよかったと思い、もう一度封筒の中身をおさらいする。
私の名前のところだけ印がない。
そう、そういうことだ。
今すぐミケを起こしたいけど、読み間違いはないかと何度も目を通し、何度も見る。
なまえ・ザカリアスと書かれていても、印だけはない。
住居移転、移動通知、ミケと私の名前が書かれた知らない住所の書類。
どうしてこれを一週間後に開けろなんていったんだろう。
驚かせたかったのか、たしかにミケはどちらかといえば寡黙だし愛情表現は言葉よりも体でしてくれる。
抱きしめてもらうときの安心感なんか、最高。
でも、もっと先にいってくれたっていいのに。
どうして、どうして、と考える。
ミケが一体何を考えているのか、なにもかも揃った書類と、あとは私の同意だけの紙。
どうして先に「結婚しよう。」と言わないのか。
ああ、でも、ミケならなんていう?
いつものミケ、すんすんばっかりする変なミケ、意外とこわがりなミケ、抱っこしてくれるミケ。
黙って私を愛してくれるミケ。
優しい目が私をしっかり捉えて「俺はもう覚悟を決めた、なまえ、あとはなまえの同意だけだ。」と言って団服のまま花束を持ってくるミケ。
そんな姿が浮かんで、乾いた笑いが出た。
大きな体に、きちんとしたスーツは似合うだろう。
隣にいる私は、白いドレスと頭に花冠を乗せてミケの腕にしがみつくのかな。
おとぎ話の本でしか知らない王子様とお姫様の結婚式。
そんなことを、ミケとするの?
左手に指輪をして、綺麗な格好で誓いのキスをして、あとはなんだっけ。
ミケがしようとしてくれていることが嬉しい、とってもうれしい。
想像すればするほど、幸せな光景。
なんで、なんでこれを一週間後なんて。
これから新兵を連れていくのに、なんでこんな大事なことを。
ハンカチを股から取り上げて、思い切りゴミ箱に捨てる。
封筒の中の書類三枚を持ったまま、ミケへと近寄った。
全裸の私、全裸のミケ。
違和感と圧迫感を感じれば起きるだろうとタカをくくって、ミケのお腹の上にそっと乗り腰を振る。
背後に書類を隠して、瞼を開けるのを待った。

ん、と声を漏らし起きたミケが、眠そうな目で私を見る。
私に向かって手を伸ばし、軽々と抱き寄せおはようのキスをしてくれた。
ミケの唇は、愛液と汗の味がする。
これが大人の匂いなんだ、口髭に触れて、優しい目と至近距離で見つめあう。
それから、ミケの前に書類を出した。
寝ぼけ眼がゆっくり動いて、止まる。
おはようのキスをおしまいにして、ミケを見た。
「こんな大事なものだと思ってなくて、開けちゃった、ごめんなさい」
「あ…。」
ミケが止まる。
本当に開けられると思っていなかったようで、ミケが言い訳もしない。
何を言うか、わくわくする。
「けっこう大事だしとんでもないものだけど、なあにこれ」
「…下りてくれないか。」
「やだ」
ゆっくりと上半身を起こし、ミケを見下ろす。
手を後ろにやって、ミケの股間に手を伸ばした。
朝一番の男性特有の熱に触れず、にまっと笑う。
「いつもなら朝におっきしてるのに、なんで今ちいさくなってるの」
「ひっこんだ。」
「朝おっきのちんちん触りたかったのに」
ふざけて笑っても、優しい目は驚いたまま書類を見つめ固まったあと、ミケが片手で目を覆った。
ふうーと息を吐いて、片手をベッド縁に放り投げるように伸ばし目を瞑る。
長い睫の下の目の色がどんなふうに焦っているか、はやく見たい。
「どうして一週間後なの?」
率直な質問をすると、ミケが目を瞑ったまま答えてくれた。
「…エルヴィンからフライングルートで入手したものだから…。」
「なにそれ、団長飛来したの?」
「違う、違うんだ、でも意味合いとしては合っている。」
どういうルートか知らないけど、用意してもらったのは確かなようだ。
お腹の上にいる私を見た目の色は、なんだか恥ずかしそう。
今にも伏せそうな目をしたミケが言い訳をするように呻く。
「やましい思いはなかった、俺が馬鹿だった。」
「しってるよ、でもミケは馬鹿じゃないのもしってるから一週間後なんて言い出した理由をしりたいの」
「いや、それと、あの…。」
そう言いながらミケが起きて、私はお腹の上から降りた。
ゆっくりとベッドから降りたミケを、シーツの上に座って見つめる。
冷たいベッドを椅子のようにして座り、全裸のミケを今度は明るいところで見た。
筋肉、たまに傷、筋肉筋肉筋肉。
高い鼻に堀の深い顔、でも目つきは優しい。
全裸のミケが机のあたりにいる光景を、昨日から見ている。
ミケが机の中から何か探し当てたようで、それを持ちこちらへ戻ってきた。
近寄るたびに、私を見下ろすミケ。
お互い全裸で言い訳がダイレクトに伝わる状況を一変させる気かと思えば、ミケが私の目線までしゃがんだ。
ベッドに座る私に土下座でもするつもりの体勢では、なさそうだ。
片方の膝をついて、全裸のまま服を着ようともしないミケの大きな指が小さい箱を開ける。
箱の中には、小さい飾りもない銀色の指輪がひとつ入っていた。
地味で小さな指輪。
これが何を意味するか、わかっていた。
今度は私が頭の先から爪先まで驚きで冷え切り興奮で燃え上がり、ミケの顔を見れば真剣そのもので、私たちは全裸で、わけがわからなくなった。
びり、と痺れたのは背筋ではなく、心。
大きな手に不釣合いな小さな箱は、目にした中で一番綺麗な光景だった。
「これしか…次の任務で出た給料で買う花と一緒に渡すつもりで…それで一週間後、って言った。」
ミケの頬が、赤い。
でも目だけは私をしっかりと見ていて、これがなんなのか即座に理解する。
ミケが一旦目を伏せて、私を見たときには頬の赤らみは消えていた。
真剣な顔つきをしたミケが、私に問いかける。
「なまえ、タイミング的に遅くて申し訳ない、だが俺の決意は固まった、これを受け取るか受け取らないかなまえが決めろ。もし俺の決意に手を取るなら俺はなまえを守り続ける。」
ミケが、私の手を待つ。
「怖い夢は二度と見させない。」
私の心が、ぽっかりとあいて止まる。
この感覚には覚えがあった。
寂しくて、つらくて、悲しくて、ひとりぼっちになった時に誰も側にいないのを自覚したときの行き場の無い心。
そのときに似てる。
なのに、目の前にはミケ。
それも今まで見た中で最高にかっこいいミケだ、全裸だけど。
そういう私も全裸だけど、もうどうだっていい。
逞しい体のミケが私に跪いて、私を待つ。
指輪は、周りが飾りで出来た穴。
ただの空洞だ。
空いたものを埋めることはできなくて、忘れるように努力するしかない。
だから兵団で頑張って、ミケがだいすきで。
辛いことから逃げて、嫌な思い出で心を満たされたくなくて、いやで、こわくて、つらくて、いや。
ミケに会ってからは安心した。
心に空いた穴は、別のもので埋まっていく。
だいすきっていう気持ち。
ミケへの思いとか今の状況理解把握能力が一瞬だけ消えてぽっかり空いたと思えば、空いたところから溢れてきたのは何故か悲しさで、涙がぼろぼろ溢れ出す。
泣き出した私を見て焦りだしたミケが、私と指輪を交互に見る。
焦っているミケ、泣き出す私。
優しい目は開ききっていて、黙って泣き出した私は叫びもしない。
唇を噛み締めて、呼吸を整えて、掠れた声を出す。
「おそいってなに?」
ミケはなんにも遅くない。
遅かったとすれば、おとうさんの死体を見つける時期が遅くて後悔してた。
「ずっと、最初からミケがだいすきだよ」
ミケのことが、だいすき。
突然いなくなったぺトラも、おとうさんも、最初からだいすき。
だいすきな人から、離れたくない。
「なんで私に迷いがあるんじゃないかみたいなこと言うの?」
「なまえ、ずっと一緒だ。」
涙が溢れて止まらない私の手を取り、ミケが指輪を手にする。
大きくて骨っぽい男くさい指が私の小さな手を取り、左手の薬指に冷たい指輪を嵌めた。
ひやりとした指輪。
私の小さな左手にある指輪を見た途端、私は声をあげて泣いた。
うあーと泣く私を抱きしめ、よしよしとしてくれるミケ。
私が求めているものを、全部与えてくれる。
大きな体が、私を包む。
「例え死んで化けて出て恐れられて項を削がれかけても、なまえを守る証をつけていいか?」
「ミケが化けるわけないじゃない」
「そうだな、言い直す、指輪をつけていいか。」
「うん」
鼻水が垂れてきて、ミケの肩につく。
あとで拭くとしても嬉しさと悲しさと嬉しさで、涙が止まらない。
もし、この世界が全部後日談で誰かの嘘で作られた世界でも、私たちはたしかにここにいる。
指輪しか身につけていないミケと私は、ずっとここにいる。
涙目のまま、脳裏に浮かんだ光景。
おとうさんおとうさん、さみしい、こわいと呟きながら泣いていた子供の頃の私が、涙を流しながら私に手を振って消える。
目の前にいるのは確かにミケなのに、なぜかそんな光景が浮かんだ。
もう大丈夫と私の中の私が背中を押して、体が温まる。
巻き返したような熱を体中に駆け巡らせる血管が、顔を真っ赤にさせた。
ぐらぐらする鼻腔と涙腺は止まらない。
ミケがいたから、私は大人になれた。
怖い夢を見ることは永遠にないような気がして、涙を流し続けた。
水の中に沈んだような体と、高ぶった心。
ミケの大きな手が顔を覆って、涙を拭いてくれる。
額と唇と手と膝と足にミケがキスしてくれる間、ずっと泣いてた。
「なまえ。」
体を包むように抱きしめてくれたミケに甘えてみれば、涙がひっこんでいった。
鼻呼吸をするたびにずびずびと鼻から鼻水が飛び出し垂れる。
いつまでも、こんなままじゃいけない。
「書類の印おしていい?」
「もちろん。」
泣き終わったら、書類にちゃんとサインなり印なりつけよう。
自分の腕で鼻水を拭く応急処置をして、ミケに向き合った。
「だいすき」
「俺もなまえを愛してる、今これで泣き止んだら、もう二度となまえを泣かせない。なまえの泣き顔を見るのは辛いんだ、いつまでも元気に笑ってほしい、そのためなら俺は戦い抜ける。」
「わかった」
ミケが私の涙のあとを指で拭いて、微笑む。
これから先、どんなにつらくても今日のことを忘れないだろうと確信する。
指輪を嵌めた私の左手は、細くて小さくてミケの手と合わせると親子のようだ。
でも、指はしっかりと絡めることができる。
私もミケも、おとな同士だ。







2016.04.20  end







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