06







水の中にいて、わかったことがいくつかある。
ここを流れる水の透明度は、任務に失敗したあの海よりはいい。
思ったより生態系はバラけていて、活動的な生物の主な地域は海ではなく陸。
爪から骨へとトリガーが侵食したあの瞬間は、幻覚などではない。
この川にいるだけでもわかる、この世界に水中を主に行動する知的生命体は少ない。
そして私は、今のところ殺されもせず川にいる。
不安定な水をどう使い生きているのか、まだわからない。
本来は巨漢のレイジという男に不明な点を聞けばいいけれど、わからないなら来いと言われ川から出されるような気がして、どうにも聞けなかった。
あのあとレイジという男に引きずりあげられることもなく、唯一私と意思疎通が出来た陽太郎から聞くところによると近界民を扱う機関の「上層部の偉い人は「タマコマに何匹近界民を飼う気だ」と言い放った」らしい。
陸で捕まるということは、キオンかレオフォリオの者か。
その捕虜の面倒も主に陽太郎がみているらしく、子供ながらに彼は有能だ。
陽太郎は動物と意思疎通ができるサイドエフェクトを持ち、乾ききって人になりかけた私でもリーベリーの濃い血を感じ取り会話できた。
魚と獣人と人間が合わさったリーベリーの民を見るのは初めてらしく、陽太郎も珍しがっている。
昨日は、そんなに珍しいか!と鱗の手で陽太郎の頬を撫でれば、慌てふためいて飛び跳ねていった。
光で一見綺麗に見える川は、どこまでいっても底が底が汚く、泥の中には更に汚泥。
薄汚いゴミと意味のわからない海草があるくらいしか川底である保障がなく、人が住む近くがこんなにも汚れることはリーベリーでは在り得ない。
リーベリーで戦争が起きれば、これくらい水が汚れるだろうか。
民は暴動の最中でも水を守るだろう。
今でもそう思えるくらいには、リーベリーの血だけは乾きとともに消えなかったようだ。
地底がこれほどまでに汚れているのにも関わらず、医者しかいないあの建物から脱走したときに触れた銀褐色の棒状のものから綺麗な水が溢れたのは何故か。
陸に水質調整をする機械があるとしても、それはどこにでもあるものなのか。
水質調整機器が個々にあり、生活分だけを綺麗にするしかないのか。
水の惑星だからこそ、陸の生き物が生活するために水への知恵を絞った結果なのか、まだわからない。
ある日突然現れた私が結果だけを知ろうなんて、出来るはずもなく水の中で過ごす。
僅かな音を聞き取り、ここがどんな世界か想像する。
陸を走る色々なもの。
生き物ではない、物がたくさん生き物のように走る。
人工と人工を組み合わせ作り上げた生き物のような機械を作ることに長けた世界でも、水がないと生きていけない。
それなら最初から水の中にいたほうがいいのに。
私の楽な体は、そう言う。
楽な体に戻ったのはいいものの、トリガーもなく行くあてもない私は、まだここにいる。
リーベリーなら水を伝っていけば分けもわからぬ赤子でも水の宮殿くらいにはいけるのに、何故陸を選んだのか。
岩はぶつかると痛い、水はぶつかっても弾けるだけ。
石は割れる、水は割れない。
無痛でもないのに、どうして痛みが付きまといそうなところで生活するのか。
大きな水の神殿では反射する光と共に生きることができる。
水と光がないと生きれないのに、何故そうしないのか。
疑問ばかり浮かぶ世界は難しそうだ。
鱗の手を見て、自分の体に感謝する。
砂色の髪には戻りたくないと思い、尾びれを曲げる。
水の流れは相変わらず不安定で、手先と腰のあたりで水温が違う。
綺麗とは言えない川でも、今はここでいい。
陽太郎とたまに過ごす私のことも大体は察せるようで、レイジに先日トリガーのことを聞かれ洗いざらい説明すれば顔を顰められ、後日エンジニアを交えると言われ会話を切り上げられる。
誰も私がトリガー使いだとは予想していなかったようで、事態は深刻。
私もそのあたりのことは不思議でならないので、調べてもらえるのなら是非と言って水へ戻る、そんな日々。
水の上で、私を呼ぶ声がした。
水から上半身を出すと、陽太郎が何かを持ったままこちらへ降りてきてくれているところだった。
河川敷ぎりぎりにまで行き、下半身は水に漬かったままのだらしない体勢で陽太郎を迎える。
「なまえ!おひるごはんだ!」
陽太郎は、とても優しい。
黒い盆の上に乗った綺麗な石の中に入っていたのは、糸にしては長く太いものの上に色とりどりの海草のようなものが乗った食べ物だった。
「これは」
私がわからなさそうにすると、陽太郎はわざわざ説明してくれる。
「冷やしたぬき蕎麦だ。レイジが温いものも熱く感じるなまえのために!冷たく!ひやっひやに!作ったんだぞ!」
「そば?」
「おいしいぞ!つめたいぞ!」
冷たいなら、と切れ目のある匙を持って食べようとすれば、爪がぶつかりガチンと音が鳴る。
不愉快な音にも顔を顰めない陽太郎が、頼もしい。
小さなものを使うには鋭利すぎる爪を指の中に仕舞いこみ水かきの間に切れ目のある匙を挟んで、食べる。
一瞬だけしょっぱいと思ったものの、味はすぐに口の中で順応してくれた。
見た目のわりに柔らかく、すぐに飲み込める。
けっこう美味しいので二口目を食べて、これはいいと判断し食べ続けた。
見た目に似合わず美味しいものを作ってくれたレイジに、感謝の意。
「ありがとうって伝えて」
「もちろんだ、なまえが美味しそうに食べていたと伝える。」
突然現れた私にこう接する子供がいるようなここは、一体なんなのだろう。
食べながら思い出すのは、あの基地めいたところで会った黒髪の少年の顔。
私に向かって姉さんと言ったときの、あの悲しそうな目。
あんな目をした子が普通にいるんだから平和とは言えないだろう。
それでも笑顔を絶やさない陽太郎見て、安心する。
「なんだか、優しいね」
「おれは指導に自信があるんだぞ?あまくみてはいけない。」
可愛らしい陽太郎に微笑ましくなりつつ、蕎麦を食べる。
「なまえは、2人目の捕虜なんだ、一人目はヒュースという男・・・おれの後輩でもあり、時期たまこま支部のメンバーではないかと実しやかに囁かに・・・。」
真剣な陽太郎の顔を見て、聞き忘れた内容を思い出す。
蕎麦を食べる切れ目のある匙をすこし下げて、質問する。
「前に聞けなかったんだけど、捕虜ってどこの国の人はわかる?ヒュースは、どこから来たの」
「アフトクラトルだ。」
「え?」
「アフトクラトルだ、何度もいわせるな。」
「頭に角がある?」
「そうだ。」
陽太郎の答えに、唖然とする。
たしかに、彼らは水の中を移動するわけではない。
アフトクラトルの者を捕まえて捕虜にしてしまえるくらいの実力者が、この世界には存在する。
それなら、リーベリーの民ひとりくらいなら簡単に潰してしまえるのではないか。
だからなまえも長いことここにはいられないぞ、と陽太郎が言い出すわけもなく、唖然とする私を置いて説明する。
「しかしヒュースは飲み込みの早いやつでな、いろいろとしこみました。ここは寝たふりをしてるだけでいつでも噛み付ける獅子の玉狛支部、捕虜であろうと強くなくてはわれらもこまる。
たのもしくつよい仲間と何を隠そうおれの相棒、雷神丸がいる最強の支部だ。たまこまはなんでもできるんだ、みんな強いぞ!負けないんだ!レイジのうまい飯、こなみのうまいカレー、みんなだいすきだ。」
意気揚々と説明する陽太郎を見て、突然笑顔が見たくなった。
匙をおいて、水かきのある手をすこしだけ水の中に突っ込む。
「陽太郎、おいで」
なんだと近寄った陽太郎に、水かきの部分を口元に持ってきて息を吹きかける。
陽太郎の周りに、水かきの上で作った水滴の玉を膨らませたものをいくつも振りまいた。
触れば割れると思ったのか指を突き刺す陽太郎。
でも、これは割れない。
水の表面だけで浮遊と振動を繰り返す、柔らかい水の玉だ。
手のひらに息をふきかけるたびに増える水の玉を見て、陽太郎が歓声をあげる。
「これはまたふうりゅうだ!すごいななまえ!」
「上流の水を使えばもっと輝くよ」
じゃあ上流にいくぞと張り切る陽太郎に、誰かが声をかける。
遠くからした声に目を向けると、誰かがこちらに向かってきた。

わざわざ灰色の建物から降りてくる背の高い黒髪の男の人には、見覚えがある。
目の中の水分を瞬きで増やし、遠くを見た。
その声に陽太郎もすぐに反応して、手を降り始めた。
食べかけの蕎麦は後で片付けることにして手の代わりに尾びれを振ると、春秋は笑顔を見せてくれた。
「なまえ、と陽太郎。」
冷やしたぬき蕎麦を乗せていた黒い盆を掴んで振り回す陽太郎が、春秋を紹介してくれた。
「東春秋!最初のスナイパーだぞ!」
「知ってる」
「おう、知り合いなのか。」
「恩人なの」
春秋がいなかったら、私は鱗まみれの元の体に戻ることはなかった。
盆を持った陽太郎が春秋に駆け寄り、何か会話する。
プライベートだ、と会話の内容を聞かずに春秋だけを見た。
黒い髪、背が高くがっしりした体、陽太郎と楽しそうに話す顔。
どこから見ても、いまのところ欠点が見当たらない。
ここの世界の人は皆こうなのだろうか。
話し終えた陽太郎が私に手を振り、盆を持って灰色の建物へと走る。
そのあと、春秋が私へと近寄った。
うれしくて、尾びれを動かして春秋に水を少しだけ跳ねさせる。
反射的に目を閉じた春秋に笑いかけると、近くに座り込んでくれた。
「聞いたよ、なまえ。」
まだ乾かない鱗の体のまま、春秋の声を聞く。
「偶然で驚いたよ、俺が思ったことを整理していいかな。」
「もちろん」
「君は運悪く水から切り離された、俺は砂浜でなまえと出会い何も知らずなまえを病院へ送り、なまえはそこから逃げ出して、偶然にも玉狛の隊員に会う、そしてこの川に運よく飛び込んだ。」
「それで合っているわ」
春秋はまっすぐ私を見つめた。
髪と同じく瞳も黒く、迷いのなさそうな目をしている。
リーベリーの民に髪も目もどちらも黒い者は、滅多にいない。
そんな色をしていれば水中で目立つから自然淘汰されていく。
この世界は、その必要はなさそうだ。
「運がいいのか悪いのか、とにかく何も知らない人たちに出会わなかったことだけは良かったとしか言えない。」
「春秋は何か知っているの?」
「俺や玉狛支部は、近界民への防衛体制を行う界境防衛機関所属の防衛隊員だ。」
「防衛?」
「なまえにとって耳の痛い言い方をすると、近界民の侵攻を防ぎ討伐をする為の組織。」
春秋の言っていることを簡単に理解していけば、こうだ。
この世界にも近界民への対応をする軍があり、たぶんレイジに一度連れて行かれた議会所のような場所は組織の本部。
口のきけない状態なのに陽太郎が私と意思疎通できたことを不審に思われたものの、水から出た私はあまりにもボロボロで身元もわからない。
素性不明で見張りをつけろと言い渡された後すぐに正体がわかり、私の扱いは睨まれるだけの捕虜。
「病院で関わった人以外は、みんなそこ所属の人なの?」
「そうだ。」
「私、いままでよく生きてるわね」
つい漏らした本音を鼻で笑うこともしない春秋は、まだ私にまっすぐな目を向ける。
「君は、あそこで何をしてたの。」
まっすぐな目のまま、詰めてくるような質問をする春秋。
ふっと浮かんだのは黒髪の少年の顔。
近界民と口にした途端豹変する雰囲気を見せないか、不安だった。
大丈夫だと願い、説明する。
「任務に失敗したわ、私の隊は遠征と水質調査をしているの、感知もしないくらいの海底にゲートを開いてそこから私たちは出入りするわ、私たちは水の底で着実にこの世界を掌握しにかかっている。
でも厳しいの、失敗したら置いていかれる、でもここは水の星だから平気だと思ったのだけれど・・・
水が多いのに陸地は不可思議な灰色の石に色をつけた建物ばかり、不思議、リーベリーは水の中で暮らせるのに何故こちらは水の中で暮らさないのかしら」
汚れた水を綺麗にする方法は、いくらでもある。
それはリーベリーの世界での話であって、こっちはそうじゃないのかもしれない。
綺麗とはいえない水が殆どなのに、水がないと死んでしまう。
「春秋は、なんであそこに?」
水浴びでもしてたのかと聞こうとすれば、春秋がようやく微笑んだ。
「魚を釣るのが趣味だから。」
すこしだけゾッとする上に、とても面白い答え。
灰色の石の中を彩って陸の上で生活する人たちがわざわざ水辺にいくなんて、そういうことだ。
急におかしくなって、思わず笑う。
「あの日は釣れたの?」
「まったく。」
「それなのに私が釣れたのね、あはは」
とんでもないものが釣れた春秋を労ってあげると、春秋は気の抜けた顔をした。
「ようやく笑った。」
「そうね、春秋あなたようやく笑ったよ」
「なまえが、だよ。」
至って真面目に言う春秋な真剣な顔。
遠のく視界とリングの合図と背筋の怖気とトリガーが骨へと侵入した時の恐怖が蘇りそうになったのを見破ったように、春秋が私を気にかける。
「書類に適当になまえって書いちゃったけど、本当はなんて名前なんだ?」
「なまえでいい」
あの時に、私は一度消え去った。
「そう呼んで、なまえって」
自嘲気味に言ってから、春秋に抱きつきたい。
もしそんなことをすれば体温で火傷をしてしまう。
「春秋、きて」
どうしても抱きしめたい。
春秋に手を伸ばして、水の中へと手招きをする。
歩みもしない春秋に向かって、尾びれを水面に叩きつけて水しぶきをお見舞いした。
釣り人とは思えない勢いで水から体を守った春秋の半身が濡れたのを見てから、腕を掴む。
生ぬるい体温が伝わるけれど、まだ火傷はしない。
腕だけをぎゅっと掴み、濡れた水かきを口元に持っていって息を吹きかけた。
陽太郎にしたことと同じように、割れない水風船をいくつか振りかけて、視線を逸らさせる。
珍しそうに見る春秋の顔を見てにこにこすると、春秋も笑ってくれた。









2016.04.17







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