落ちる陰りに愛の炎を






一番奥の席は、入り口からも店員からも見えない。
ここに通されるということは、あの店員もミラが誰か分かるのだろう。
戦闘とは懸け離れた時間と空間とはいえ、アフトクラトルを震撼させる窓使いの女。
気に障ることをすれば命は無い、と思われている。
本当のミラは、パンケーキのために城にパティシエを呼んだり、甘いものを求めてホテルの最上階にある喫茶店に行くような普通の女の子。
女の子と言える歳はそろそろ過ぎるけれど、私にとっては可愛い天使に他ならない。
真昼間の強い光から逃げるように入り込んだ喫茶店の窓から、行きかう人を見る。
一応は昼下がりのお茶に適した時間で、人通りがあった。
友達と遊んでいる女性の姿と、仲睦まじい男女の姿が隠れては見える。
「城下も好きだけど、ここの眺めが一番好き。」
私が外を見ているのに気づいたのか、ミラがパンケーキの最後の一切れを食べ終わってから視線を合わせる。
上品な手つきで紅茶に触れ、飲む。
左手に光る指輪を長い時間見つめる前に、ミラが外を見て何かに気づく。
「ねえ、あのお店は何?」
窓の光で輝いて見える瞳に映るものは何かと、振り向いた。
人が出入りする真新しい建物の入り口の飾りつけが陽の光で僅かに光り、視界の中でうるさく踊る。
小奇麗な女性がまた一人入り、扉を開けた。
薄い扉の中で、服を選ぶ女性達が見える。
目立つ看板の下にある真新しい店を見るミラの瞳を見ながら答えた。
「新しく出来た服屋よ、最近問屋の羽振りがいいみたいなの」
そういう私も最近あそこで買ったのだけど、とは言わずに、陽の光に当てられるミラを見つめる。
値段の張りそうなコートを脇に、装飾のついた質素な袖のブラウスを飾るブローチは、ミラの瞳と同じ色。
紅茶を手にしたミラは暫く眺めたあと、ああ、と呟いた。
「領地に迎えられた一家ね、一族に産まれた子供のトリオン能力が非常に高くて、ハイレイン様の下に一家ごと特別に引き取られたわ。」
歩いている動物の様子でも語るように言うミラの唇を見つめて、次の言葉を待つ。
出来ればハイレインという名前は聞きたくないが、ミラが言うのだ、聞くしかない。
真新しい店も、ミラにとっては只の変化にも満たないものにしか思えないようだ。
「お金と仕事が上手くいくようにハイレイン様が一族周辺の者に手配していたけど、そう、この辺りの人だったの。」
政略結婚の先に愛があるのか、無粋なことを伺ったことはない。
ハイレインと一緒になってからのミラの身については、知らないことのほうが多かった。
初めて耳にする事実を、掘り下げる。
「養子ってこと?」
「そう。」
頷いたミラが紅茶を一口飲み、皿の上に残った一滴のメープルを見つめた。
本当はもっと食べたいのだろう。
でも、食べない、我慢。
彼女がそういう性格なのも知っていたから、何も聞かない。
彼女自身も仕事以外での詮索はしないほうで、起きたことしか起きないという姿勢だ。
だから、政略結婚も出来る。
「可愛い?」
引き取られたのは子供だというから、きっと可愛らしいのだろう。
でも、きっとミラのほうが愛らしく可愛い。
紅茶から手を離したミラがテーブルの上で指を組んで、視線を落とす。
「可愛いけど、貧民の血は隠せないわ、時々品のない目つきで私と使用人とハイレイン様を見るの。」
「最下層の産まれの子供なの?」
「そこまでじゃないけれど、どういう運で稀なるトリオンを持って産まれたのか、と考えると、城下の高級娼婦が産み落としていった子供かもしれないわ。」
「随分言うわね」
「当然でしょう。」
細い指が絡んで生まれる影を見つめた。
薄い皮膚の下に通う血の熱さを、私は知っている。
「お母さんって呼ばれる?」
「その子にはミラ様と呼ばせているわ、私はあの子の母親ではないし、向こうがそう思うことを拒否しているはずよ。」
ミラの整えられた薄い爪が唇を触った。
仕草を見逃さない私の視線に気づいたのか、すぐに隠されたことを言う。
「夜中に手紙を書いているのを見たわ、恋しいのね。」
伏せた目を縁取る長い睫毛は影を作って、目元を暗く彩る。
陽の光が私達を照らし、傾いていくたびに、照らされる肌だけが白く映っていく。
ミラの白い肌を撫でたくて堪らないのを我慢して、内側にだけ声を掛けた。
「無理に子供だと思わずに接したらどうなの」
当たり障りの無いことを言えるのは、何も知らないから。
そうね、と呟いたミラの心は、今この話題の中にない。
悪意も無く、諦めでもなく、政略に関わることなんて本当はどうでもいいのだろう。
私の目の前で、ミラは高いところとパンケーキが大好きな女の子であり続ける。
それさえあれば、どうでもいい。
私だって、同じだ。
「全てはアフトクラトルの為。」
「知ってる」
「私がやることは、まだあるわ。」
「疲れない程度に張り切ってね」
「もちろん。」
何をすれば当主の妻なのか、答えは考えたくも無い。
国の為に捧げる魂の行き着く先は、誇りか愛か、哲学染みた話をするには外が明るすぎる。
陽を打ち落とす力が私にあるのなら、とうの昔に人の目を欺く夜だけの世界に変えていた。
そんな力は誰にもなく、変えられない世界の中で歩き続ける。
「使用人との勉強は好きみたいで、歳相応になれば部隊に関われると思うわ。」
真面目な顔で言うミラも、同じように歩いているのだろう。
「順調なら、それでいいのよ」
「今日は何もかも使用人に任せてきたから、とても楽なの。」
細い指が、自分の為だけに動く姿を想像する。
「いいのよ、ミラ、肩の力くらい抜いてね」
微笑んだミラの口元には、クリームひとつついていない。
卑猥なことも下品なことも紡がなさそうな唇の皺に埋まる赤色を見つめる。
見覚えのある赤は、まだ欲望に歪む気配がない。
「美味しいパンケーキに、美味しいお茶と、なまえが側にいる。」
ミラはその先を言わず、一度言葉を飲み込むように息を止めてから紅茶を飲む。

「なまえは変わらなくていいわね。」
どんな意味か分からずに、そうねと言って冷めそうな紅茶に口をつける。
色だけ立派な紅茶を飲めるのも、この国が上手くいっているから。
金を飲み込んでいるだけな気がしてならないのは、紅茶の味に問題があるからではない。
紅茶を覗きこむと、光だけが映りこんだ。
夜に近づくにつれて弱くなる光と、冷える気温。
ミラの体調を崩してしまうわけにはいかないので、紅茶に映る弱々しい光を見てから、時計を見る前に口にする。
「帰ったほうがいいんじゃない?」
形式はどうであれ、家庭がある。
もっと踏み込んで言えば家と旦那だけど、連れまわすわけにはいかない。
気を使ったつもりが、気分を押したようだ。
少しだけ悲しそうな顔をしたミラが、また指を組む。
怒るわけでもなく、ただ拒否する。
ミラの女の子らしいところは何度も見たから、驚くつもりもない。
言い直さない私を見て、ミラが空気に溶けるような声を出す。
「どうしてそんなことを気にするの。」
「ハイレイン様は、貴女のことを待っているわ」
当たり前のことを言う。
ミラは残った紅茶を飲んで、空にしてからテーブルを見つめる。
やっぱりもうひとつパンケーキを頼んで長居の理由を作ったほうがいいのではないか、と思ったが、店員を呼びつける気にはならない。
寂しそうな顔に、駄々をこねる子供のような雰囲気。
それでも彼女が滅多に感情を暴走させることがないのを知っているから、黙って見つめられる。
陽の光が弱まり、また影を増やす。
「どういうものか、まるで分からなかったの。」
ミラの心の陰りにまで踏み込んだ空の色は、まだ失せない。
「国のため、家のため、それでいいわ。なまえも知っている通り、ハイレイン様は素敵な方。」
出来れば聞きたくない名前が、また出てくる。
ハイレイン隊長、ハイレイン殿下、ハイレイン様、色々な偉そうな名前を持つ彼は確かに素敵な男性だと思う。
根暗だの陰湿だの陰口を叩かれる程度には、有能。
それを覆さない程には、手の内を明かさずに行動する。
本音としては、政略結婚でしかミラに手を出せない根暗男なんか殴り飛ばしたい。
野蛮な思いを飲み込んでは、ミラへの愛だけを口にする。
そうすることが美しいのかは、私ではなくミラが決める事。
後で精一杯愛を囁いてやろうと目論む私に期待しているとしか思えない顔をして、ミラが寂しそうに続けた。
ぽつり、ぽつりと落とされる言葉を、黙って聞く。
「おとぎ話に出てくる王子様とお姫様がする結婚は、私の身分じゃ出来ないの、自分の身以外に負うものがあると括った幸せを望むことが悪になるもの。
何も、ハイレイン様や私の周りや国を悪く言うつもりはないの、アフトクラトルの為に動ける冷静な方よ。自分が認めた者には隔てなく接して、物事を考える時は手の内を明かさない。治めるに相応しいわ、でも。
家族が好きと言っているけど、要するに・・・自分と自分が認めた者だけは安心できて、無償で自分を認めてくれる場所で穏やかに過ごしたいのよ。」
落とされる言葉を、黙って掬い取る。
言い終わる頃に泣き喚く真似もしないミラは、潤みもしない冷たい瞳を私に向けた。
「男、というか、生きてる者は皆そうよ」
「そうね。」
この席は店員からも客からも見えない。
店内に人が多い気配はしなくても、大きな声を出せば店員が駆けつける。
甘い匂いのするパンケーキは胃の中にあって、今更それを吐きだすこともしない。
言葉の中の真実が棘にまみれたようなことを言い終わったミラが、私を見た。

「なまえ、貴女はそんな子じゃないでしょう。」
求めるような可愛らしい一言で、私に火がつく。
音も無く立ち上がり、ミラの隣に座る。
店員の姿はなく、頃合を見て喫茶店を立ち去ることにして、さてどうしようか。
細い腰の横に座り、肩を抱くと、ミラの細い腕が私の太ももに置かれた。
「私のこと一人にしないで、なまえ。」
ミラの細い腕が、私を抱きしめる。
私の肩に柔らかい頬が埋められて、胸の鼓動が覚えのある感覚に高鳴った。
頭を撫でて、髪に指を入れる。
温かい肌に触れたくて昂ぶる思いをぶつけたいけど、ここは喫茶店。
思い切りキスするわけには、いかないのだ。
見つめる瞳が潤む様子は無い。
「ハイレイン様のことはいいの?」
理性があるふりをすると、ミラは甘える。
私に全て見通されていることを、ミラも分かっていた。
甘えた手つきで、私に寄りかかる。
ここは喫茶店、皿と紅茶と静かな空気が見つめている中でキスはできない。
「安心して、私は最初から、ねえ、分かっているんでしょう。」
唇の皺の上に乗る赤色に触れ、ようやくこの赤色が何なのか思い出した。
ミラとハイレインの政略結婚が決まる前に、お揃いで買ったリップ。
愛しい唇を染める赤色に、今すぐ口付けたい。
そっとミラの肩を撫でると、ミラの薄い指が私の足の間を撫でた。
「悪あがきはしたくないの、なまえ、早く私を抱きしめて。」
「ここ喫茶店だから」
盛りがついていたら、今頃ミラの服を残らず剥ぎ取っている。
ありとあらゆる体液がシーツに撒き散らされる卑猥な行為も、ここじゃ出来ない。
腰の肉に噛み付く感覚を舌の上で思い出していると、ミラの指がまた動く。
下着の中に忍び込む指の感覚と、ミラの吐息。
今すぐ襲いかかりたいけど、何度考えてもここは喫茶店。
窓から注がれる陽の光は、少しずつ弱まっている。
「なまえより先に死ぬのが怖いわ。」
怯えひとつ見えない瞳は、相変わらず美しい。
「角が無くても、私はなまえとは出会っていた気がするの。」
詩的なことを言う唇が唾液に塗れ喘ぐ姿を、私は知っている。
「考えすぎよ、ミラ、貴女やっぱり疲れてる」
そういう私の理性なんか、借り物だ。
ミラを愛するための、借り物で紛い物の品性。
「どこにいても、私は貴女を見つけて抱きしめていた」
僅かな頭で詩的な返事をして、細い体を音も無く抱きしめる。
柔らかくて良い匂いが、私の鼻に広がった。
嗅ぎ慣れたミラの匂いと、良いところの服の匂い。
頬ずりすれば細い腕が必死に私の胴体にしがみついてきて、可愛らしかった。
「なまえとなら不幸になったっていいわ。」
耳元で囁くミラの声が、ようやく震えた。
「私も」
小さくて柔らかい耳たぶにキスをして、角から後ろ頭にかけて撫でる。
もし私に力があるのなら、ミラと幸せになれる世界を探すために何もかもに欺いてもいいと言えただろう。
ミラの左手にある指輪が私の頬に触れて、冷たい。
熱い頬を冷やすには十分すぎる誓いの冷たさも、愛の前には無力だ。
誰かが見ているかもしれない喫茶店で抱きしめあいながら、次はどこに行こうかと考えた。









2015.11.09





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