気配を消して








人気のない五階の廊下は、吹き抜けを見渡すのに適している。
一階は騒がしくて、静けさを求めて五階に来る生徒が後を絶たない。
朝の時間帯は四階まで上がると、騒がしさから抜けられる。
そういう場所に、彼は必ずいるのを知っていた。
冷たい空気で満たされた五階の壁を見つめて、影を探す。
五階の美術室の前に行くと、頭に猫を乗せた当真くんがいた。
「当真くん、おはよう」
朝焼けから離れた美術室の前の白い壁に、当真くんはいる。
振り向く前に猫を頭から降ろし、抱きかかえた当真くんが返事をしながら私を見た。
「おう。」
担任から渡されるように頼まれたプリントを差し出すと、当真くんの顔が曇った。
言わなくても何かわかるようで、暗い顔のまま動こうとしない。
わざとにこにこ笑って、渡す。
「期末試験の範囲、配られたよ」
そう言うと、当真くんは溜息を撒き散らしながらプリントを受け取り、猫を抱えた。
文字がびっしりと書かれたプリントを見つめ、口元を歪める。
「ご丁寧にプリントにするとか、見てなかったって言い訳できねーじゃん。」
「範囲だけ復習すれば大丈夫だよ」
励ますも、当真くんはプリントを二つに折りポケットに仕舞いこんで猫を抱いた。
もふもふの毛並みが腕の中で蠢いて、当真くんに顔を近づける。
頬ずりするような仕草をした当真くんが、現実逃避した。
「ネコ助もそう思うだろー?ありえねーよな。」
当真くんの声に返事をせず、目だけ細める猫。
抱かれた猫は少し太っていて、手足が丸く、毛並みが良い。
猫が好きなのはわかる、けれど、ここは学校。
「校内に・・・」
「生き物の持ち込み禁止なんて、どこにも書かれてねーよ。」
あっさりと言い返され、観念して自分に負ける。
可愛い猫とお近づきになるべく、猫を撫でた。
「猫さん、おはよう」
猫の顎下を撫でると、にゃんと鳴かれ挨拶された。
白、黒、茶が混ざる綺麗な配色の三毛猫は、当真くんの飼い猫なのか、そうじゃないのか、未だに知らない。
この辺りに猫は多いし、懐こい猫もいる。
懐いてきたら片っ端から可愛がって飼い猫にしているのかもしれない。
そうだとしても、この三毛猫と一緒にいることが多いのだから、飼い猫のようなものだ。
住処が別でも、気が向けば甘えてくる生き物と一緒の当真くんと猫。
当真くんのことだから、あり得る。
「なまえはネコ助の良さが分かるからいいぜ、わかんねー奴は突っかかるしよお、最悪だ。」
「突っかかるの?」
「んー、いるだけなのに色々言うのは、ネコ助が嫌いな奴なんじゃねえの。」
「そうかもね」
「何にもしてねえのに消えろなんて、悪役ですらねーよ。」
たぶん、猫を持ち込むなと怒られていたのを都合よく解釈している。
委員が怒って何か言うも、すぐ言うのをやめてしまう。
だって、見るからに不良だから。
気取った面倒くささをリーゼントに携えた当真くん。
同年代の中では浮いていて、クラスでも体育祭でも文化祭でも浮いていて、不良は不良で近づこうともしない。
クラスの人の眼中にないから、とは言い切れない程度には興味がある。
学校の外で何をしているのか誰も知らなくても、私は知っていた。
みんなを守る、かっこいい隊員。
実力は確かなものだから、こんな態度が取れる。
きっと抱えられてる三毛猫も、ただの明け透けな頭の軽いチンピラではないと見抜いているのだろう。
「私は好き」
可愛くて、まんまるで、柔らかくて、懐いてくれたら思い切り甘えてくれる。
猫が選ぶ人に、悪い人はいない。
「当真くんは猫が好きなんだね」
三毛猫を抱く当真くんは、得意気だ。
「このネコ助も、ワンランク上のネコ助っていうか?地域のボス的な奴で、違いの分かるネコ助は俺のことが好きなんだよねえ。」
偉そうな物言いは置いておいて、この猫は本当にボス猫なのだろうか。
少し太っているところを見るに、実は脂肪ではなく筋肉で蓄えられた強靭な肉体なのかもしれない。
他の猫を筋肉と腕力で蹴散らしてから、他の猫の分まで餌を食べる。
図太くないと生きれない、というわけではなさそうな綺麗な毛並みをしている三毛猫を、当真くんが撫でた。
撫でられるたびに目を細める猫を見て、温かい気持ちになる。
「猫は、猫が好きな人のことがわかるんだよ」
人間だって、嫌な雰囲気を出している人には近寄らない。
「だろうな。」
「嫌いな人のとこには行かないし」
「だよな。」
「悪い人は見抜くから、餌で釣るのは意外とできないし」
「そーそー、気まぐれで自由でキラキラしたものが好きで、ふわふわで綺麗好きで、本能のままに動くケモノ。」
撫でられて気持ち良さそうな顔を見るたび、笑顔になる。
素直な猫も、どこか悪そうな当真くんが本物の不良ではないことを知っている。
猫が好きで、自分に合わないことは徹底してやらないだけ。
学生としては如何なものかと思うのはリーゼントのみではなく、にやつく口元は、どこかわざとらしく見える。
「女子みてーだよな、ネコ助って。」
男の子らしいことも時たまに言う。
どう見ても同級生なのに、クラスメイトなのに、そうは見えない。
そういうこともあるよねと言わせてしまうのが当真くんだ。
「そうだね、嫌いな人の近くには行かないよ」
リーゼントと偉そうな態度と言葉遣いを鬻げるような彼は、暴力沙汰もなければ容疑もない。
至って普通の、男の子。
期末試験の範囲に青ざめ猫を抱く、普通の男の子。
ただ、実力にプライドが伴うが故ちょっと偉そうなだけ。
「女子もネコ助も、素直で真面目で遊ぶの好きなほうがカワイイと思うぜ?お嬢さんは皆可愛い、だろ、な?ネコ助。」
猫の顎下を当真くんが撫でると、ごろごろと喉を鳴らした。
目を細めていて、とても気持ち良さそう。
「ところで期末だけど、なまえの自己採点どうだった?」
珍しくまともなことを言った当真くんに、笑いかける。
「普通」
「普通かー、俺平均以下かも。」
「わかんないとこ、教えるよ」
「ありがてーわ、任務上がりでノート見てくれる子はいるんだけど、学校じゃなまえしかいねーし、ほんとありがてえ。」
「当真くんは、どこが苦手?」
「全部。」
当真くんの横に座り、リーゼントを見る。
今日もキマったリーゼントは、ちょっとの風じゃ崩れなさそうだ。
こんな人が平和を守るために戦う組織にいるなんて、とは思っても、当真くんは当真くん。
「がんばろ、ね?」
当たり障りのないことを言うと、当真くんは猫を抱えたまま表情を崩さずに喋った。
「任務があるから、成績悪くても大目に見てもらえんだよね、毎年そんなん、やりたくないことは目の前にあってもやんねえ性だから。」
要するに、やりたくない。
成績がどの程度免除されるのかは知りえたことがなくても、当真くんが進級できているのだから、策はあるのだろう。
首をこちらに向けて、いつものように私を見たときの、にやついた顔をした。
「つかなまえ五階に来た用事は何なの?美術室の掃除?」
「ううん、当真くん探してた」
「期末範囲のために?」
「うん」
素直にそう言うと、疑いもせず返された。
「なまえって、俺のこと好きなの?」
数秒の間を、自ら作り出す。
「え」
私から出た間抜けな声を聞いた当真くんが、にやにやと笑う。
「俺がわからないとでも思った?そりゃねーよ。」
からかうような表情と、声。
当真くんは、同級生で不良みたいだけど不良じゃなくて、防衛機関の隊員で、猫が好きで、私は、私は。
脆く崩れ去りそうな足を無視して座り続けていると、背筋が熱くなって、胃が冷える。
にやけた当真くんが、私に近づく。
「何かと理由つけて俺に構うとこ、ネコ助みたいで好き。」
近づいた当真くんと、その腕の中にいる猫。
猫が私を見ている。
なんだこいつは、と言いたげな顔をして欠伸をする姿の可愛らしさと、目の前の当真くん。
「俺、違いの分かる女も好きなんだよね。」
目の前の、当真くん。
大きな手が私の髪の毛先を弄って、だんだん顔に近づいた手は、頬に触れる。
冷たい指先と私の紅潮した頬が触れあい、熱い。
にゃあとも言わない猫は私を見つめ、当真くんも私を見る。
「なまえと、ずっとこうしたかった。」
私も、当真くんを見る。
そんなに近づいたらリーゼントが当たる、と思っても、笑いすら込み上げてこない。
「目、閉じろよ。」
ああ、いったい、どうしたのか。
大人しく視界を睫毛で隠し、瞼を下ろす。
真っ暗な視界、目の前には当真くんがいる。
そっと息を止めて、唇をきゅっと結んだ。
唇に、柔らかいものが当たる。
もにゅもにゅしてて、柔らかくて、でも、なんか冷たい。
それも、毛が当たる。
こんなに毛が当たるほど、当真くんに髭は生えていたっけ。
リーゼントが口元に当たっているのかもしれない、いや、それなら、唇に何か当たるのはおかしい。
その上、当真くんに髭は生えてない。
目を開ければ目の前には当真くん、のはずが。
丸い月のような黄色の目がふたつに、ふわふわの毛に覆われた体と、ふたつの大きな耳。
ピンと伸びた髭の持ち主の腕は伸ばされ、私の唇に当てられている。
当真くんの腕の中にいる猫の手は、当真くんの手によって差し伸べられた。
そして状況を理解する。
にやにやと笑う当真くんが、猫の肉球を私の唇に当てていた。
「なっ」
「ぷっ。」
猫を抱えたまま笑い転げる当真くんを、真っ赤な顔をして見つめることしかできない。
唇に残る猫の肉球は、柔らかいけど表面だけは硬め。
触ると幸せなものを唇で触れても幸せとは限らない、と学んだ。
想像していたものと違いすぎる事態に赤面する私を置いて、猫は当真くんの膝の上で丸まった。
「すっげー!今の傑作!」
「もう!当真くん!」
それなりに怒ろうか、と思った矢先、笑いながら言われる。
「やっぱ、俺はなまえのこと好きだわ。」
怒る気も失せるようなこと。
私を煽るような表情と、声と、存在。
当真くんは、同級生で、不良みたいだけど不良じゃなくて、防衛機関の隊員で、猫が好きで、私の好きな人。
おちゃめなことをする余裕があるところも、好き。
赤い顔を見られて、どうにでもなってしまいそうだ。
それでも意地で寄りかからずにいると、当真くんが私に身を寄せる。
「もっかい触らせてよ。」
伸びてきた当真くんの手は私の後頭部へと伸び、今度こそ当真くんの唇が私の唇に触れた。
人気のない五階の廊下は、吹き抜けを見渡すのに適している。
一階の騒がしさは、消える気配がない。








2015.11.05





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