あらゆる満足の答え





思いを食べ物に込めるとする。
そうしたら、調理されていく過程で込めた思いは溶けるのか、味になるのか、消えるのか。
調味料で埋まる味と匂いと、見た目と、いい香り。
食欲が溶けてしまっても、手順さえあればどうにかなるほど、料理は楽なものではない。
不安も、揺れる思いも、全部この手の下にある食べ物に込めてしまえばいいのか。
もし思いを食べ物に込めることが出来たのなら、世の中の食べ物は惚れ薬が毒か何かの悪意でまみれるだろう。
人はそれほど、好く出来ていない。
固形物をいつ口にしたか分からない私の身体が、それを何よりも現している。
それなら、私は何故生きているのか。
答えは出ないまま、今日も食欲を沸き立たせる匂いを嗅ぎ、湯気を見つめオーブンの火加減に目をやる。
キッチン横にあるコップを手に取り、傍らにあった袋を開ける。
濃いオレンジ色の液体がコップの底に落ち、広がった。
冷蔵庫を開けて冷たい空気に触れつつ天然水のペットボトルを手に取り、蓋を開けてコップに水を注ぐ。
オレンジ色の液体が薄まり、透明度を持つ液体になったところで飲む。
ビタミンを具現化したような味を飲み込み、胃を収めた。
オーブンは、もうすこしで音が鳴る。
それまでに洗いものをしなければ。
いま立ち上がれば、確実に倒れる。
数分置いて立たないと。
こうならないために、米でもパンでもパスタでも、なんでも食べればいい。
そんなことをしたら、その先は考えない。
気に入らない腹も太ももも、内臓も、重さも、どうにかなればいいのに。
胃が満たされても、眩暈の奥底に残るような不快感だけは取れない。
空腹のまま歩いていれば、どうにかなるだろう。
それでどうにかなるほど、人の身体は上手くできていない。



安物の箱を開けて、中からケーキがお目見えすると、光ちゃんとゾエさんの目が輝いた。
ふたりとも、美味しいものが好き。
光ちゃんがケーキに目を輝かせ、早速クッキーサンドケーキを手に取り、一口食べる。
「うんめえー!」
嬉しくなる言葉に、微笑む。
大きな手を伸ばしたゾエさんは、チーズクリームケーキを一つ手に取り食べ始めた。
一口が大きくて、すぐになくなっていく。
「なまえ、やべえ、これ美味いわ!なまえの分どれだ、えーと、これか、これ以外は食べる!」
「私はいいの」
「ほんとか、じゃあ食うぜ!ありがとな!」
光ちゃんがわざわざ分けようとしてくれたのを止めて、美味しく食べる人にあげる。
クッキーサンドケーキを食べ終わった光ちゃんが、苺とブルーベリーのシュークリームを食べる。
甘いクリームが可愛い女の子の口の中に消えていくたびに、私の気持ちが満たされる気がした。
美味しく食べてもらえることが、食べ物にとっての幸せ。
まんまるな頬を幸せそうに膨らませるゾエさんを見て、ケーキたちへの思いまで脹らんでいく。
満足そうな顔をしたゾエさんが、褒めてくれた。
「なまえちゃんの作るお菓子って甘くて美味しいよね。」
あっという間にチーズクリームケーキを食べたゾエさんが、次のケーキを手に取る。
大きな手の上では、どんなケーキも小さく見えてしまう。
光ちゃんが一個食べ終わる頃に、もう二個目の半分まで食べている。
それを見た光ちゃんが、冗談半分に怒った。
「おいゾエ!アタシの分まで食べる気だろ、ペースを!落とせ!ペースを!」
「美味しいんだもん。」
「オメーの一口はユズルとアタシの三口分だよ!」
怒りつつも、甘いものはしっかりと食べる。
可愛い光ちゃんと、食いしん坊なゾエさん。
二人のことが、食べ物を作る私と、私が作った食べ物は大好きだった。
どんどんなくなっていっては美味しい美味しいと言われ、食べられていく。
それを見ているだけで、私は幸せだ。
「しっかし甘いもん食えてよかったよな、なあゾエ?」
「うん。」
悪そうな笑顔を見せた光ちゃんが、私に悪事を教えようとする。
「なあなまえ、知ってるか?ゾエの食べ放題出禁の話。」
既に面白いその事実を聞き入ろうと光ちゃんに近寄ると、ゾエさんが笑いながら遮った。
「ヒカリちゃーん、やめてよー。」
お菓子のつまみにでもなりそうな話なら、喜んでする。
「知らない」
そう言うと、光ちゃんがお笑い番組でも見るような目をした。
ゾエさんに目配せをし、笑う。
「この前、食いすぎが原因でゾエがスイーツ食べ放題の店で出入り禁止くらったんだよ!」
あんまりな事実に笑うと、光ちゃんも笑い出す。
食べ放題の店で食べ過ぎることは、ゾエさんなら想像に難くない。
「ほんともうー、ゾエさん落ち込んだんだからー。」
落ち込んだと言いつつ、食べる。
ビスケットを一口で食べたあと、チョコレートケーキを食べ始めたゾエさんを見て、嬉しくなる。
美味しそうに食べる人の元にいく、私が作ったお菓子。
お菓子じゃなくても、この人ならなんでも食べてくれる。
「大丈夫だよゾエさん、お菓子食べたいなら、私が毎日ゾエさんの為に作るから」
思わずそう言ったあとに、私の家で沢山食べてくれるゾエさんが浮かんだ。
横でつまみ食いをしてくるけど、完成したものは残さず食べてくれる。
食べ過ぎても、出入り禁止になんかしない。
思い切り食べてくれるゾエさんがいる日々があってもいい、と考え始めると口の端にクリームをつけた光ちゃんが何の気なしに聞く。
「お?なまえ?告白か?」
ハッとして、顔を赤くする前に、ゾエさんがにんまりと笑う。
「毎朝オムライス10人前お願いしていい?」
口の端のクリームは取れることもなく、落ちることもない。
次のケーキを片手に光ちゃんがゾエさんに突っかかる。
「だあーっクソゾエ!ムードを読め!ムードを!」
光ちゃんを見たゾエさんが、口の端を指でつんつんと突く。
気づいた光ちゃんが手の甲でクリームを拭い、また食べるのを見て、笑いかけた。
「大丈夫」
そう、大丈夫。
「また、作るから」


コップの底のオレンジを見つめて、沈殿したものをまた飲むべく水を注ぐ。
すこし零れて、キッチンが濡れる。
ぐらつく手首の骨に打つ鞭もなく、水を飲むべく見つめた。
薄い味しかしない水。
流し込むための栄養錠剤。
埋まった泥に色をつけ、水を注ぎ、辛うじて飲めるようにした排水のようなそれを見て、霞んだ目を潤ませようとした。
無理だ、どう足掻いても、これはただの栄養。
いい匂いのする中、オーブンがそろそろといった具合の音を出し始め、匂いが鼻を刺激した。
鉄分の錠剤と亜鉛の錠剤とカルシウムの錠剤を口に入れ、飲む。
オレンジの薄い不愉快な味と共に、錠剤を胃に流し込んで冷たい手足に栄養を送った。
光ちゃんもゾエさんも、美味しそうに食べてくれるあの日はいつのことか、思い出せない。
たぶん一週間くらい前のことだ。
ふらふらの頭じゃ、思い出すのも虫食いのような感じで、そのたびに穴をゾエさんの笑顔で埋めていく。
美味しいといって笑う、あの優しい顔が好きなのだ。
キッチンの上にある、クッキーの欠片を一つ手に取り口に入れる。
味が広がり、脳が刺激された。
食べてはいけない、なんでそう思い始めたのか考えたくもないことの結論の言葉だけが、浮かぶ。
ようやく栄養が回ってきた頭で、オーブンの音を聞く。
箱は用意した、袋もある、あとは冷めるのを待って箱に詰めるだけ。
僅かな間、目を閉じた。


影浦隊作戦室の扉を叩き、招かれるのを待つ。
いつもは、光ちゃんが出てくる。
私を見ると雄叫びをあげて私と食べ物を歓迎してくれる、今日もそうだろうと踏んでいた。
作戦室の奥から、気配がする。
パンの詰まった箱を手に待つと、扉を開け出迎えたのはゾエさんだった。
「あ。」
私と、手にある箱を確認して、にんまりとする。
美味しいものに目がない顔。
私の好きなゾエさんの笑顔。
これが見たくて私はここに訪れているのか、訪れるために料理をするのか。
料理をしたけど、自分は太りたくないから他人にあげているのか、忘れた。
「なにかな、なにかな。」
足りなくなりそうな脳をした私を伺うゾエさんの笑顔で、はっと我に返る。
「パン、焼いたの」
箱を差し出し、ゾエさんの鼻先に持っていく。
柔らかい匂いを感じ取ったのか、まんまるな目が輝いた。
「わーい!食べてもいい?」
「うん」
作戦室に招かれ、箱を持ったままコタツへと移動する。
真っ直ぐコタツへ向かい、元に戻るかのようにコタツに入ったゾエさんが微笑ましい。
「楽しみだなー。」
「今日は、ゾエさんだけ?」
「うん。」
「じゃあ、全部食べていいよ」
「やったねー!」
大きな身体が、コタツと一体化している。
まんまるな目を更にまんまるにして、美味しいものはまだかと待ちわびていた。
食べることが好きそうな人を、食欲で煽る。
コタツに入ってから、箱に詰まったクロワッサンとパンケーキサンドとメープルクグロフとスコーンを見て幸せそうな顔をしてくれた。
ゾエさんが真っ先に手に取ったのは、クロワッサンだった。
零れないようにと、ティッシュを一枚手の下に敷いて食べる。
大きな一口のおかげで一気に半分以上なくなるクロワッサンと、僅かに落ちる生地。
こんがりとしたクロワッサンを一口食べただけで、いつもの幸せそうな笑顔が見れた。
「美味しい!」
嬉しそうな顔、まんまるの頬と目、美味しいと言う口。
食べることが好きそうな頬は、私が作ったものを美味しいといって食べてくれる。
幸せそうな笑顔が、好き。
自分じゃこんな笑顔はできないから、幸せそうに食べて笑ってくれるゾエさんが好き。
優しそうで大らかな目元、大きな身体。
栄養が足りないのか、何故かゾエさんを見ているだけで心臓がどきどきし始めた。
貧血か、面倒くさい。
クロワッサンの次はメープルクグロフに手を伸ばしたゾエさんが、幸せ論を展開する。
「パンのこんがりした匂いって、嗅いでると幸せにならない?」
「うん」
「なまえちゃんの作るパンってバター多くて大好き。」
「ありがとう」
「バターの匂い、好き?なまえちゃんのお菓子は焼き加減多めだよね。
「好きだよ」」
嘘、嗅いでると涎が出て自分が怖い。
「おにぎりの匂いは吸い寄せられるよね、パンはわくわくするし、パスタソースの匂いは涎出るし。」
「そうだね」
嘘、おにぎりの匂いがしたら手を伸ばしたくなるし、パンは次から次へと涎が出る、パスタは喉に異物感がひっかかる。
「ゾエさんは、よく食べるね」
貴方が幸せそうで、嬉しそうで、私は嬉しい。
私じゃない貴方が笑顔で食べてくれるだけで、食べられない私は満たされていく。
それでいいのか、そんなことでいいのか。
答えは食べられていくうちに忘れる。
それでどうにかなるから、人間の食欲は恐ろしい。
指についたメープルソースを丁寧に舐めとり、柔らかいクグロフの生地を食べたゾエさんが笑う。
「美味しいものを食べるの、好きなんだよね。」
「それはわかる」
「ご飯食べると幸せにならない?なまえちゃんは普通?」
「うん」
嘘、ご飯を食べるのは怖い。
「ゾエさん、白米も好きだけどピラフ系も好きでさ、最近ゾエさんの中でライス料理バトルが始まってるんだ。」
「楽しそうなバトルね」
「美味しいもの決定戦はゾエさんの中で毎日開催されてる。」
「ほんと、ご飯好きだね」
優しそうに、子供に声をかけるように。
クグロフを二口で食べ終わり、箱の中身を平らげようとするゾエさんが、まんまるな頬を丸くした。
「うん、美味しいものがそこにある限り、ゾエさんのお腹はブラックホールだよ!」
あっけらかんとした言い分に、笑う。
何かのゲームのように、吸い込むように食べては食べ、食べては食べるゾエさん。
東にご飯、西にご飯、朝はご飯で夜もご飯。
いっぱい遊んで戦ったあとは食べる、そんなゾエさんを想像した。
「ブラックホールって」
面白くて笑うと、スコーンを食べるゾエさんが変わらず口を休ませずにいた。
もぐもぐ、もぐもぐ、食べられていくスコーンと食べるゾエさん。
東西南北どこでも食べるゾエさん、敵の食糧倉庫を食いつくし、戦ってても食べる姿を想像して不謹慎な程笑うと、ゾエさんが喋る。
「なまえちゃん、笑うと声大きいね。」
思わず口を押さえ、コタツの中で笑い転げる。
あったかいコタツの中にいるせいか、顔が熱い。
「褒めたつもりなんだけど。」
上からそんな言葉が聞こえて、なんでこんなに笑っているのか説明がつかないことに気づいた。
疲れているのだろうか。
それとも、沢山食べるゾエさんが、好きなのか。
きっと両方だ。
コタツと一体化して食べるゾエさんの大食い幸せ論を思い出す。
「ねえ」
自分ひとりじゃ、作っても、食べても、戻してしまう。
怖いから、太りたくないから。
戻して安心して眠れば、頭は冴える。
栄養剤を胃に流し込んで生きるしかないと諦めている私に、笑いかけてくれる。
本当は変な私を、疑わない。
目の前にあるものを全て受け止めてくれる人。
あの乱暴で怖い影浦くんのところの隊員だから、悪い人ではない。
怖がりで、食べ物を持っていかないとコミュニケーションが取れない私を、まるごと受け入れてくれる。
この人の側にいれば、いつか答えが見つかる気がした。
ゾエさんが側にいれば、私が食べるより先に何でも食べて美味しいと言ってしまう。
思いを食べ物に込めたって、意味はない。
意味があるのなら、今頃ゾエさんは太るのが怖くて食べ物を吐き倒している。
なんでも美味しく平らげられる人。
食べてもらえるたびに私の心が温かくなるのは、今こうしてコタツに入っているせい。
私ではない、私に出来ないことをする人。
「私、休みの日にいっぱいケーキとかパンとか作るの、一人じゃ食べきれないの、作るの好きで、よかったら」
貧しい頭をした人だと、いつか気づかれるのかもしれない。
でも、ゾエさんといるのなら、一緒にいるうちに貧しい頭が多少まともになるかもしれない。
そう思っていいのか、どうか、食べられていくお菓子は教えてくれない。
教えてくれるのは私の中の、あらゆる飢餓。
満たしてくれるのは食べ物でも栄養錠剤でも水でもない、そう、それは、きっと、たぶん。
「ゾエさん、食べてくれない?」
「うん、いいよ!」
まんまるな顔をしたゾエさんに笑いかけるべく、コタツから出て、食べるゾエさんを見つめる。
「楽しみだなあ、ゾエさん、いっぱい食べるの大好き!」
スコーンを食べ終わり、丁寧に指を拭いている。
大きな手に、抱えきれないくらいのお菓子をあげたい。
幸せな笑顔を見るたびに、私の中の飢餓そのものが縮こまって、空いたところに幸せが詰まっていく気がする。
上手く出来ていない身体に、溢れる幸せを流し込んだ。








2015.10.29






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