凡庸の身に幸福を






今月の別マガ掲載71話のあとの話





お腹を撫でる。
この下に、子供がいる。
思い当たることがありすぎるので、妊娠しても仕方ない。
それなら縛り上げて窓から放り投げてもらうのは無しにしてもらって正解だったと思い、間一髪を知った。
団長のときからだから、かれこれ六、七年は一緒に暮らしている。
妊娠しても、おかしくない。
呆然としながら、眼鏡をかけて遠くを見つめた。
はっきり見える看板も、文字も、全部飾りに見える。
いるだけで不快にしない飾り。
五ヶ月だから、と言われ、また明日旦那さん同伴で来いとのことだった。
ふらふら歩いて、現実を受け止める。
嬉しいけれど、キースはどんな顔をするだろうか。
馬鹿喜びするか、呆然として、そうかで終わらせるか、安静にしろと言って寝室から出してくれないか。
いや、それより先に報告だ。
子供が出来たといったら、どんな顔をするだろうか。
まず報告しよう、とキースがいる訓練地にまで歩みを伸ばすため、馬車を止めた。

感覚の浮く足で、キースを尋ねる。
人影を見つけて目で追ってみると、教官室から人が去っていくのが見えた。
もうすこし早ければ、かち合っていたかもしれない。
馬に乗って去っていく、調査兵団。
誰か確認しようと思い服に引っ掛けてた眼鏡をかけた。
業務連絡にしては、新兵が多いように見える。
それに、引率にみえるのはハンジとリヴァイ。
何をしに来たというのだろう。
気配が消えたのを確認して、教官室を覗くも、しんとした空気のもぬけの殻だった。
窓から外を見ると、訓練場にキースがいた。
立体機動訓練場に一人で立っている。
ゆっくり降りて、ゆっくり歩いて、キースに辿りついた。
風が頬を撫でる。
毛先がふわふわ舞う風のなか、キースを呼んだ。
「懐かしい顔が見えたんだけど、どうして?」
教官をしている時に会うのは、二度目だ。
私の声が聞こえて、驚いた目をしながら振り向いた。
それから、私の額に手を当てる。
朝の風邪っぽかったことを気にしてくれたようだ。
「なまえ、体は大丈夫か?」
「うん」
眼鏡を外されてから、キスをされる。
ちゅ、と音がしてから眼鏡は胸元にひっかけてくれた。
気遣いに、嬉しくなる。
「予期せぬ尋ね人、というところか、昔を思い出した。」
ゆっくり上がる階段を上がりながら、早く抱きつきたい背中を見つめる。
「キースの昔話、好きよ」
一段、一段、しっかり登る。
この歩き方に慣れておけば、転ぶ心配はない。
何せこれからお腹がどんどん大きくなるのなら、慣れないといけない。
教官室に到着し、壁に寄りかかる。
キースが教官室の鍵を閉めて、私を見た。
ここに来るということは、何かがある。
キースも、それはわかっているのだ。
「さっき帰りに、仕立て屋でね、おばあさんが昔の結婚式のドレスを仕立て直してもらってた」
椅子に辿りつき、座る。
「思い出つまってるもんね、ああいうの」
無意識にお腹を気にする。
医者の万弁の笑みと、五ヶ月ですよという言葉。
突然スイッチの入った母性本能が、脳からどこから溢れ出して滲んでいる最中。
「結婚式でたことある?」
「ある。」
「やっぱりスーツとか着た?」
スーツのキースは、想像しにくい。
団服か、私服か、下着もわかる。
楽そうなシャツを着て、しっかりした作りのズボンを履く、いつもそんな服装だ。
「あれ以来スーツを着る機会がないな。」
キースの声のトーンが、ひとつ落ちる。
私の目が捉えたキースは、客人のティーカップを片付けていた。
「身内は?」
「呼ばれていない。王政と、調査兵団に・・・俺のやり方に、納得がいかない連中だったからな。」
ティーカップが、かちゃ、と音を出す。
暗い話題に松明をつけようとして失敗してるマッチのような音だ。
「もう死んでる奴らのことだが、な。」
水の音がして、布が濡れる音がする。
「そう暗くならないで」
ぽたぽた、と滴り落ちる音のあと、キースがティーカップを拭く。
あれも教官室の私物なのだろう。
真っ白なものがいい、と買い込んだ記憶がある。
あのカップのあまりは、ここにあったのかと再確認した。
「さっきの人は報告?」
「新兵にエレン・イェーガーという奴がいてな、そいつから知ることを全て教えろと言われた。先に結論を言って、昔話をした。」
響きの悪い単語に反応して、キースを伺う。
「貴方なんか悪いことしたの?」
「悪いことか、そうだな、呪いをかけられて、沢山の兵を殺した。」
キースのマイナス思考の号令が聞こえた気がした。
椅子に座ったまま、伸びる。
背中を休めると、首筋が気持ちよかった。
「昔話をしたんじゃないの」
「ああ、した。」
ティーカップが、キースの処理でひとつひとつ綺麗になっていく。
古ぼけた指が、丁寧にティーカップを弄る。
「きっと・・・呪いは解けていたんだ、あの時、溶けた、溶けた時には全てが遅すぎた、それだけのことだ。」
キースの後姿。
これまで何度も見てきた、見ていると落ち着く見慣れた光景。
じゃあ、きっとこれも呪い。
そうではないだろうと言う前に、体を起こして軽く伸びをする。
背中の筋肉を締まらせ、背筋を伸ばす。
キースは相変わらずティーカップを掃除中だ。
「キースはお姫様で、呪われてたの?」
「違う。」
「そうよね、貴方、私の王子様なんだからお姫様なわけないもの」
椅子から立ち上がって、キースの隣に立つ。
微笑んで、キースの手を握った。
「誰でも誰かや何かに思い出を残す、知らないうちに知るよしもなく誰かを救うんだから、あまり思いつめないで」
キースの手は、すこし濡れていた。
冷たい水は手の間で広がり、ぬるくなっていく。
「知っているだろう、俺が団長だったとき、どれだけの兵が死んだか。」
「そうね、でも死ぬのを嫌がる人を殺したわけじゃない」
「なんの成果も得られない、無能な団長だった、なまえ、知っているだろう。」
雰囲気から、察した。
先ほど訪れていたリヴァイとハンジ一行は、何かとんでもないことをひっさげてきたのだろう。
たぶん、キースには関係ないけどキースの精神がぐらつくようなことを聞いて、手土産にして、帰った。
こうも気分が荒れかけているキースを見るのは、久しぶりだ。
思い出せば思い出すほど、吐き出す。
気分は最低だけど、波が収まればすっとする。
こんなこと、何回もあった。
ハンジに何を聞いたのか知りたい気持ちでいっぱいになったが、微笑んだ。
「人の上に立つことも、兵士を育てるのも、すごいことよ」
キースが、険しい顔を私に向ける。
「気づけなかったんだ、自らが、無能で、凡庸で、取り得がないということに、気づいたときには兵は沢山死んでいた。
呪いを受けて、呪いが解けた、その時にはもう多くのものを失っていた、それが呪われたものの末路。」
寂しそうなキースの顔を、ずっと見ていた。
この顔は、何度も見た。
団長を辞めた直後なんか、ずっとこの調子だった。
側にいるうちに、段々教官らしくなっていったけど、あの調子を思い起こさせるような顔だ。
握った手は温かくて、とうに受け入れた現実を掘り返して震えるわけでもない。
一体、ハンジ達は何の用件だったのだろう。
気になるのは、そこだ。
「若いというのは恐ろしい、自らの手の内を明かさず、驕ることを恐れない者になることが、成功者への道だと思った。」
泣きもしない、暴れもしない、感情に重い蓋を置いて、漏れてきた感情だけで喋るキース。
ああ、知っている。
本当はこういう人なのだ。
内なるもの、意思、野望、希望、絶望、驕り、傲慢、挫折、悲壮、後悔、懺悔、なんでも持っている。
長く生きただけ持つ人の苦節を、この人は持っていた。
私はキースを支えるだけ。
本当に、それだけなのだ。
それ以外に何も出来ないというか、しないほうがいいのだろう。
平凡な女に出来ることは少ない。
嫌がる人もいるのだろう、それも知っているから、怖い鬼教官をしている。
濡れた部分が汗のように感じたとき、微笑んでからキースの頬を撫でた。
「人ってすごいのよ、苦しくて泣いてても、つらくても、誰かを救っているんだから」
愛しくて、大好きなキースを見る。
「刺すのは痛いし、飛び散るのも痛そうだし、ゲロ吐きながらでも生きていたほうがマシだわ」
目元の皺も、怖い口元も、毛のない頭も、その髭も。
「だってわたしは貴方が好きよ、貴方の他人なのに貴方を分かった気でいる、わたしは幸せよ」
頬を撫でていた手をどけて、綺麗になったティーカップを手に取る。
棚のぽっかり空いた部分に並べて、元の位置に戻す。
背後から、キースの悩ましい暗い声がする。
「凡人は何も変えることができない、俺は今でも、それに気づかされることがある。」
ティーカップを戻して、振り向く。
こちらを見るキースと目が合い、いつものようににまーっと笑った。
「私、貴方に妊婦に変えられたんだけど」
教官室の静けさが、心地いい。
言葉を失ったキースが、私の腹を見る。
お腹を撫でてから、キースを見た。
まだ膨らみが目立たないし、どこかの糞ネタが好きな人に便秘かてめえ早く出してこいと言われそうな大きさ。
ゆっくりとした足どりのキースが、私から目を離さないまま近寄る。
微笑んで、お腹を差し出す。
膨らんでいるかいないかの、でも確かに子供がいるお腹。
キースがおそるおそる手を伸ばし、触れた。
そのまま、じっと見る。
「さっきあなた、呪われただの言ってたけど、呪いを打ち消す力って、祝福なんじゃないかしら」
新しく買ってくれたあの服のおかげで、大きなお腹も大丈夫そうだ。
キースの目に、光が落ちる。
「あなたが苦しいなら、私は貴方を祝福する、だから、この子にも同じことをして」
優しい手つきで、撫でてくれた。
大きな手が、腹の体温を感じる。
「呪われてなんかいない」
皺と傷のある大きな手が、お腹の膨らみを何度も撫でた。
何度も、何度も、撫でる。
「ほら、動いてるの、わかるでしょう」
窪んで皺を作った目元の皺が、より深くなる。
キースが、微笑んだ。
その顔は不思議と怖くなくて、大きな手は何度も私のお腹を撫でる。
安堵にまみれたキースの笑顔を、初めて見た。
怖いおじさん。
そう形容することしかできない、私の大好きな人。
私がキースの苦しみや悲しみの全てを理解できる日が来なくても、側にいたい。
きっと、キースは苦しみも悲しみも話さない。
抱きしめて、愛してるって、そう言ってキースを包むために、私は女として産まれたんじゃないかと思う。
一目みて分かった、私の運命の人。
怖くて、偉そうで、怒ってても怒らなくても怖い、でも本当は思いやりがある男の人。
節くれだった大きな手が、お腹を撫でる。
キースの目から、涙がぽろりと落ちた。
微笑んでキースの頬を撫でると、顔をくしゃくしゃにして泣き出す。
私の肩に甘えて、声を殺して泣き出してしまった。
泣いている顔は見ないで、ただ優しく肩と背中を撫でる。
これから母になる私が、平然とした顔をしているのに、なんともおかしな状況だ。
私がうふふと笑って、頭を撫でる。
怖いおじさんを翻弄させたい、そんな子供じみた気持ちは本当に大好きな人との間で、これからも生きていきそうだった。









2015.07.16


たぶんまた発作的に教官夢書くよね・・・


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