綱を抱きしめた




花屋敷さんリクエスト
ただ一人の命綱の続き






埃の沈む床を見て、浅く呼吸する。
それがいったいどうしてこうなのか、とか、あれはこうであるからそうなるんだ、とか。
そういう物事の組み立てが上手くいかない頭になりつつある。
思い出せば、いつもこう。
飛び散る脳漿、髄液は血に混ざってどれなのかわからない。
ナイフについた滑り気は、きっと殺した奴の赤い唾液だろう。
鉄の生臭いにおいが、辺りに充満した。
不健康だったのだろうか、血の色までどろどろ流れている。
全身血まみれになって、死体を見下ろす。
私の体の中には水が詰まっていて、沸騰すると固くなって丸くなったら、口から出て行く。
顎の中を移動する唾液は垂れて、嘔吐に混じる。
その色もすぐに血に溶けていく。
いつもこうだ。
ケニーと出会う前、幼い頃に人を殺した。
殺し方もわからない私への呪いのように思い出として、鮮明な記憶として残る。
ケニーと過ごして、笑顔になればなるほど、血のにおいから遠ざかるほど、過去の記憶に刺されていく。
だからケニーはすごいんだ。
あれだけ殺しても、記憶に刺されない。
私の好きなケニー。
私のことは、小さい頃一時期暮らしていただけって認識なのは、わかっている。
その事実も、過去の記憶に刺されるまではいかなくても、目の前で火のついたマッチを揺らされている気分なのだ。
火がついて、ゆらゆらと、眼球に反射する。
目を閉じて何も考えないのは不快な夢への、反射的自己防衛だった。
自分自身でも認めている。
私が戦っているのは、思い出でもなく殺した相手からの怨念でもなく、自分だ。
きっと、そのことにケニーは気づいている。
私の、ただ一人の、家族。
一緒に暮らしてくれただけで、他人に近い。
覚えてはいるけど記憶の片隅の一番小さい隅に、私はいる。
夢の中のケニーの顔が、砕ける。
飛び起きて辺りを見ても、赤いものすら見えない。
尋常じゃない汗を感じてベッドから這いずりだすと、冷たい空気が喉を締めた。
私が殺した、あの人はだれ。
どうして、夢の中まで追いかけてくるの。
殺したことは謝るから。
もう二度とこないで。
テーブルの脚によりかかって、汗まみれの額を押し付けて呻く。
頭の中では、逃げ場のない惨状が張り付いている。
刺した感触に骨を踏んで折る音、眼球が割れて破裂する様、肉が引きちぎれ、太いミミズのような血管が地面に落ちる様。
小粒の塊にも見える脂肪は、鼠が食べてくれる。
趣味嗜好が特殊な人のとこに死体を預ければ下水に流れるものになる。
頭の中だけが不愉快だ。
立ち上がろうと手を伸ばすと、手を水のボトルにぶつけてしまい、頭から水を被った。
テーブルの割れ目から、粘液のように水が垂れる。
ボトルは音を立てて落ち、割れた。
ガシャンと空気に小さな傷をつけるような音がしても、背筋に反応は無い。
冷たくて、昂ぶって泣いていた激情が引いていく。
滴る音と私の荒い吐息だけが、部屋に響いた。
静かな部屋なのに、私の頭の中では殺人の光景だけが延々と繰り返されている。
夢に見る、怖い出来事。
静寂の中に内部では叫びが、耳元で聴こえてくる。
水と、私と、割れたボトルと、染みた床。
ボトルの破片が煌く。
煌きに誘われる前に手を動かし、割れたボトルの破片を手にとって、肘から親指の付け根まで、一気に切り裂いた。
一瞬顔を顰めるほどの痛みを受けたが、傷口から血があふれ出し私の手はみるみるうちに真っ赤になった。
ぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽた、落ちる間隔はない。
ちくちくと刺すような痛みが、何百箇所とあるようだった。
溢れて、溢れて、傷口が痛い。
ちくちく、ちくちく、じわり、痛みだけが腕の神経を通り脳に伝える。
血が出たおかげで、脳が落ち着く。
血管に雪を詰めたような寒さを感じて、心地いい。
あれだけ脳内でうるさかったものが、鎮まった。
静かな部屋を子供がノックするより小さな音で滴り落ちていく血。
服の裾に、水が滲んだ。
水が滲んで、すこし色が変わる服を見つめていたとき、頭の中に張り付いていた光景が消えていることに気づく。
こんなことでいいのか。
座り込んだまま動けない私を察知したかのように乱暴なノックがする。
「なまえ、今の音は何だ。」
ケニーだ。
ドアを開いて惨状を見て、うさんくさそうな顔をした。
「はあ?」
座り込む私と、水と、割れたボトルと、血。
「なにやってんだ、強姦ごっこか?え?」
「そんなわけないじゃん」
「今晩はなまえと朝まで床拭きか、冗談きついぜ。」
私の側にしゃがんだケニーが凄む。
自分の体が、鉄くさい。
「なにやってんだ?」
ケニーを見ると、怒っていた。
何も答えられずにいると、呆れたような顔をする。
「ああ。」
吹っ飛んだ私のもとにしゃがみこんで、目線を合わせた。
皺のある目と、私の目が合う。
「それより、腕見せろ。」
痺れてきたような気がする腕を、ケニーの目の前に持っていく。
一体どういう傷なのか、ケニーは見ただけで分かってくれた。
拳が飛んできて、頬を強く殴打された。
「馬鹿野郎!!!」
勢いよく床に飛び込む形で倒れた私の体のあちこちに、自分の血が付着している。
「死にてえなら遠くにいってから死んでくれ!死体いじくる趣味はねえんだよ、ああ!?」
そうねケニー、と言いたい。
言葉がどこかに沈んでしまって、何も言えない。
腕から溢れる血は、微妙に乾いてきている。
「死にたいのか、もうやめたいか?出て行け、早く出ていかねーと銃でなまえに馬とヤるための穴開けんぞ。」
「ねえ、ケニー」
「いい加減にしろ、死体と話したくねえんだ。」
「ケニー」
名前を呼んで、おねがいよ、こわい。
小さい頃は簡単に言えた強請りが、今じゃ言えない。
血まみれの手なんてどうでもいい、自分のことだけ考えてケニーに抱きついた。
瞬時に突き飛ばされはせず、顔色を伺う。
いつも通り、不機嫌でうさんくさそうな顔だ。
ケニーの乾いた唇に、キスをする。
酒臭いし、舌はざらざらして、長い。
私の厚みのある唾液まみれの熱い舌が、まるで栄養を与えてるように思える。
ケニーは私を突き飛ばすことはなく、キスに応じてくれた。
そうすると一瞬でケニーがリードした。
ケニーの腕が、私の腰と頭にある。
丁寧なキスをする傍ら、尻からふとももにかけて何でも撫でられた。
「ふう、あ」
声を漏らすと、ケニーが唇を離してにんまりとした。
ケニーのにおいが遠ざかる。
恋しくてケニーのシャツの端を掴む。
「ションベンくせぇキスだな、百戦錬磨だと思ってたぜ、おい。」
ケニーの口の中で、唾液が糸を引いた。
赤い舌の奥に飲み込まれる唾液は、私のものだろう。
「なまえは俺の部下だ。今のキスはなかったことにしてくれ。ただ、な。・・・俺以外に。」
頭を撫でられ、頬に手を当てられる。
ケニーの皺だらけで骨っぽい冷たい手が、氷のよう。
「俺以外のやつと家庭を築いて、なまえが見るっていう怖い夢を上書して遠ざけてくれ、じゃないと俺の体がもたねえよ。」
冷たい手から聴こえる音は、ない。
私の脈打ついらない鼓動がする。
「消えろって言えちまえばいいんだけどよ、俺はなまえに情がある。」
ケニーが真剣な顔をしたあと、目の光がすこし曇った。
大好きなケニー、そんな顔をしないで。
そう言えたらいいのに、なにもできない。
「何も知らないふりして、新しいとこで暮らせ。俺はいなかったし会ったこともないとオツムに言い聞かせるんだ。
そんだけ苦しい思いをして、俺に仕えることはねえんだ。強制しねえ、駒はいくらでもある、な?
なまえの過去は、なまえしか知らない、だったらなかったことにしちまえよ、そんな馬鹿みたいなことしてボケッとしてるんならよ。
なまえは女だ。怖い夢くらい簡単に上書できる。」
ケニーが静かに淡々と喋ることは、あまりない。
真面目な話をしても、いつもどこか投げやりなのだ。
それがケニーのことを好きになった要因でもある、でも、ケニーは私の気持ちは認めてくれない。
「なまえは知らねえだろうがよ、壁の中もけっこう広いし、北のほうに行けば温泉あるし南に行けば都市みたくなってるし。
ここ以外にも、なまえの居場所になりそうなとこはある。
前にも言ったっけなあ、なまえは見た目悪くないからどっかの男と結婚してガキ作れ、って。
家族と幸せに過ごすってのは良いもんだぜ?まあ、俺もそういうのわかんねえけど。」
いやだ、だって。
「ケニーと一緒がいい」
そう言うと、ケニーが鼻で笑う。
冗談にしか聴こえないわけではないだろう。
「馬鹿いえ、なまえ、おまえいくつだ?」
この人の目には、しっかりと見えている。
大人の女性になりかけの、膨らみと柔らかさ、白い肌の弾力、瞳と唇。
ケニーが見ている私こそ、今の私だ。
愛情を求める子供には、見えていないのだろう。
私は子供のまま、大きくなってしまった。
それでも脳内から取れない殺しの記憶は、ケニーに愛されても、抱かれても、消えることはないのだ。
殺したように腹を引き裂いて内臓を頭から被ってしまいたい。
この中身に詰まっているものの深さを、ケニーが見ているのなら、どれだけいいことだったのか。
ケニーが立ち上がり、ベッド近くにある応急手当道具の詰まった箱を持ってくる。
包帯を出してひょいひょいと準備するケニーに、涙ぐむ。
「ケニー・・・隊長」
こちらに顔を上げてくれたケニーは、いつもどおりの顔をしていた。
「こわいです」
「なにがだ。」
「ひ、ひと」
「は?人が怖いのか?」
「ちが、ちがうんです、ひとり」
喉の筋肉が、次の言葉を発しない。
出そうとしても強張るだけ。
言葉が詰まって出てこない。
体の内側から自分が殴られているような気持ちに吐き気を感じて、眩暈がする。
視界が火花でも散るように、涙が出そうになっては消えていく。
心の奥底で常に蠢いている気持ちは、実は生きていて今にも私を殺すのかもしれない。
もしかしたら、最初から言葉なんてなかったのかも。
ケニーが腕をとって、ガーゼで血を拭いたあと、長い傷口に薬草の粉末をかけて包帯を巻く。
手馴れた手つき。
私が初めてケニーの元に来たときも、手当てされたっけ。
私の命綱、できれば、お父さんともケニーとも呼びたい。
さっきみたいなキス、もっとしたい。
血が止まり、涙が溢れる。
ケニーのことが好きで、好きなのに、どうして私はこうなんだろう。
もっと強い子だったら、殺すことに躊躇いのない子だったら、ケニーの隣にずっといれたのに。
私はケニーの側にいれない、弱虫で死が怖い女。
捨てられた子供は、捨てられないために生きる大人になる。
分かりきっていたのに、とても怖い。
恐怖を抱えたまま生きても、誰も抱きしめてはくれない。
だからケニーに仕える、私の命綱だから。
包帯を巻くケニーが、だるそうに言う。
「出てけってのは本音だけどよ、捨てたりしねえよ。なまえは特別な部下なんだ。」
ケニーが私の頬を撫でる。
私は部下。
私は、女になれない。
乾いた涙のあとは、温かかった。
包帯のにおい、影、水のにおい、血のにおい。
ああ、このにおいには覚えがある。
この状況に何かしらの感情を抱いているのは、私だけだ。





2015.07.02





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