溶融





単行本9巻カバー裏にて「ミラはハイレインかランバネインと政略結婚する」
との衝撃的なことが判明したネタ

冷徹の熱の続き
ミラがハイレインと結婚してます。









黙っていても、喋っていても、笑っていても、美しい。
立ち姿も、座り姿も、何もかも美しい、そして誰も寄せ付けない。
昔から、そういう女性だった。
なら、泣けば、喚けば、喘げば、どんな顔をするのだろう。
下心が強かったわけではない、生きる上で最初から決まっていたかのように、私とミラは、誰にも見られぬ場所で肌を重ねていた。
手の内を明かさない、冷たい氷のようだと思って近づけば、炎のような惨さを見せる。
関わる人も、大抵は逃げていく。
恐ろしいと思って、ミラを目にすれば皆足早に立ち去るのだ。
誰も彼女と深い関わりを持とうとしない。
強さや、軍事や政略の為に彼女に近づく者は後を絶たなくても、いざ踏み込んでみると、誰もいないのだ。
金しか詰まっていない宝箱のような、比喩をするならそれくらいしかできないのが彼女の関係性の総合的な図式。
ミラの内側に煮えたぎる灰汁にまで手を突っ込んだのは、私だけ。
どう恥ずかしがるか、とか、そんな下世話なことまで、いち早く私は知り得たのだ。
おそらく、そうであってほしいだけで、思い込みに違いない。
「どう?」
パンケーキの一切れを、丁寧に頬張るミラ。
上品な手つき、目つき、指先。
ミラは整えた爪が張り付く指先で小さなカップを持ち、パンケーキに赤いソースをかけた。
なにもかも試すように私の前に居座る彼女を抱きしめることも、殴ることもできないまま、見つめる。
好物のパンケーキを食べるミラの美しさは、例えようがない。
せめてもに表現するのなら、世界で一番美しい生き物が目の前で愛らしく動いたような、そんな美しさ。
「どうって、何がどうなのかしら。」
「隊長さん」
機械的にそう言うと、察することをしないミラはいつものように返す。
「相変わらずよ、なまえの知ってる隊長と同じ。」
ミラがパンケーキに、また別のソースをかける。
赤いソースの上に、茶色のソースが垂れた。
上手く混ざることはなく、赤を覆い隠すように茶がパンケーキに広がる。
「ああ、そんなことしたら、味が混ざるわよ」
「いいの、これで。」
垂れて、白い皿に歪んだまま滲むソースを見て、涎が溜まる。
自分のパンケーキに手をつけないまま、ミラの口元だけを延々と見つめた。
形のいい唇から、たまに見える白い歯と赤い舌。
見た目の美しさも、とても好き。
「最近はどうなの、上手くいってる?」
それが見たくて、食事中のミラに話しかける。
飲み込んでからナプキンで口を拭い、口を開く上品さを忘れないところも、とても好き。
「順調よ。」
「毎日慌しくない?」
「思ったよりは、ゆっくりしているわ。」
「よかった、働きづめで疲れてたら、どうしようかと思った」
「そんなに大変じゃないわ、きつい仕事は無い。」
「そう」
「こうしてなまえと会う時間も取れるの。」
「なんて言って来たの」
「パンケーキを食べてくる、って。」
「そんなわけない」
「じゃあ、なんて言えばいいのかしら?」
「恋人と会ってきます、って」
ミラが、パンケーキを食べる手を止める。
顔色を一切変えずに、ナイフとフォークを持つ指の力を緩めたようで、皿とナイフのぶつかる小さくて鋭い音がした。
その音に、まだ店内の執事は目をやらない。
こちらの空気に気づかないのは好都合だ。
「人聞きの悪いことを言うのね、いやだわ、なまえ、そんな子だった?」
先ほどまで動いていたナイフについているソースに指を伸ばし、触れる。
指先に冷たくて赤いソースがついて、皮膚の上に鎮座した。
甘い味がする指を、口に運んだ。
舌の上で指先を転がすと、柑橘と桃が混ざったような奇妙な味がした。
この赤いソースは、一体なんのソースなのだろう。
今度来たときに、もう一度メニューを見ようと思いながら、下品極まりない行為をする。
舌の上で溶けていくソースのわりに、私の心のどこかが硬く凍てついていった。
それでも、ミラへの思いは変わらない。
自分の気持ちへの絶対的な自信と、執着に似たそれのおかげで、こうしていられる。
ソースを舐めおわった自分の指を口から離すと、ミラは今にも挑発しそうな声で囁いた。
「痴話喧嘩を、したいの?」
艶めく肌をした手に、そっと触れて、指を絡める。
整えられた爪で、今すぐ私の手を引っかけばいいものを、ただ私を見つめたまま、熱の籠もりそうな目をしている。
何度も、覗きこんだ瞳。
綺麗な瞳を見つめたくて、気づけば身を乗り出していた。
すぐにキスできそうな距離にまで顔を近づけてしまえば、もう周りの空気なんて気にならない。
「そんなわけ、ないでしょう、可愛いミラ、私の」
そこから先は言わなかった。
熱の籠もりそうな目から、ふっと感情が消える。
多分、私の後ろの、更に後ろのほうに店内の執事がいるのだろう。
こちらの状況を察して、控えている。
ミラは、私の手を振り払おうともせず、淡々と述べた。
「何度か言った気がするけれど、あくまでも政略的なものであって、あなたの思うものと違うと思うわ。
それは相手だって分かっているし、気づかないなんて、どうかしている。
でも、それが悪のように間違っているなんてことは、ないの、あり得ない。
なまえを見ていると、食い違いがあるみたい。
少しだけね、なまえは考えが私と合わない、こういうところだけが合わない、それ以外は誰よりも相性が合うと思うの。
そう、例えば、私が今している結婚は、私となまえがするような結婚ではない。」
罠をすり抜けるように、私の手の中からミラの手が消える。
取り残された体温は、すぐに指先に取り込まれた。
それでも冷えて、またどこかへ行く。
ミラの手はパンケーキのためのナイフとフォークに戻り、私も自分の席にきちんと腰を下ろす。
感傷的になってしまっては、ミラを不愉快にさせてしまう。
一口も食べていない自分のパンケーキを見て、食べようと思える。
淡い色をした生地の滑らかさを見ている気分が貧相な私に、ミラが言い放った。
「どこをどうすればいいかなんて、ハイレインよりなまえのほうが分かっているわ。」
言葉の真意を、すぐに読み取ることはできなかった。
間を置いて、突き刺さる。
それでもミラの上品な手つきで口に運ばれては飲み込まれていくパンケーキのように、黙っているしかなかった。
「なまえ、あなた、男に産まれればよかったのではないかしら。」
手付かずのカップを、見つめる。
それから自分の指を動かして、カップを掴む。
ミラほどではなくても、整えた爪と、手入れした手を丁寧に動かし、音も立てずにカップに触れ、ソースを垂らす。
ようやく私は、自分の分のパンケーキに手をつけた。

パンケーキを胃に詰め込んだ私達を出口で待ち構えていたのは、ハイレイン隊長だった。
歩みを緩める私を置いて、ミラはハイレインの元へ行く。
私より数歩先を行く、美しい、私の愛する人。
遠く思えただけで、本当は距離なんて殆どない。
ハイレイン隊長は、馴れ馴れしくミラの肩に触れる。
当たり前だ、夫なのだから。
偉そうなハイレイン隊長の隣には、ランバネインの姿も見えた。
並んでしまうと、ハイレイン隊長は小さく見える。
あの二人がいるということは、このままミラは会議に直行だろう。
またね、も言えないままお別れかと思うと、ミラは振り返り、手を振った。
とてつもない安堵感が、私を包む。
手を振り返して、冷たくなった耳の裏と首筋に耐える。
迎えにきた手下と何か話しているミラの背中を見つめていると、何も知らないハイレイン隊長は私に話しかけてきた。
「なまえ、久しぶり。」
悟られないように、笑う。
「お久しぶりです、ハイレイン殿」
大きな角をした彼は、何も知らないまま、私を見下ろす。
ランバネインと並ぶと小さく見えるだけで、背は高い。
「畏まった言い方はいい、ミラがいつも世話になっている。」
「ええ」
「休みの日は、こうして君と会うだろう、なまえはミラの癒しなのかもしれないな。」
「偶然です、ほら、彼女はパンケーキが好きでしょう、たまにこうして食べに来るだけです」
「それも一因かもしれない、いつも冷静でいても、多少気にするところは気にするんだ。それが彼女の性でね。」
「ええ、よく知っております」
物腰の良さそうな、表情のない笑顔。
正直、不気味で仕方がない。
この男のどこから、叫びや笑いや悲しみが流れるのか、私には察することもできず、相槌だとばれないように笑顔を振りまく。
それはこの男も同じで、誰に対しても相槌のように振舞うのだろう。
安らぎを求める安易な感情も、どこかにあっても、それを他人に見せることはない。
ミラが選んだ男だ、そうに違いない。
「なまえが、ミラの一番の理解者かもしれない。」
当たり前だと言いたくなる気持ちを飲み込んで、愛想よく笑う。
唇を引きちぎって、何もかもやめたい。
その唇で、私の名を、ミラの名を、口にするな。
「恐れ多いですわ、そのようなこと」
「なまえ、君はどうやら、彼女の数少ない友人のようだから、これからもよろしく。」
本当に何も知らないのか、それとも知っていてなお、こう言うのか。
政略結婚だろうが何だろうが、手の内を明かさないミラが選んだ人なのだ。
きっと、そうに、決まっている。
「もちろんです、良き、お過ごしを」
ハイレイン隊長に一礼をして、去ろうとした。
何を思ったのか、ミラの近くにいたランバネインが走りながら笑顔で手を振ってくる。
手を振り返す前に、ランバネインに挨拶の抱擁をされた。
大男に抱きしめられ、足が宙ぶらりんになる。
「なまえ!久しぶりだなあ!」
「はい、はい、久しぶりです」
耳元で聴こえる大きな声に辛うじて返事をしていると、ハイレイン隊長の手によって優しく地面に降ろされた。
髪の毛に、仄かな酒の香りがする。
この大男は酒が好きだったような気がして、納得がいく。
「なあ、なまえ、聞いたぜ、美味いケーキの店知ってるんだってな、俺も連れて行ってくれよ!」
図体はでかいのに、酒に合う食べ物に関しては目がない。
何せこの男は酒が好きで、肉と酒があれば生きれそうな、変な意味ではなく酒池肉林の体現のような奴だ、そんなことをミラから聴いたことがあった。
ケーキではなくパンケーキだと言い返す気にもなれず呆然としていると、ハイレイン隊長がランバネインをそれとなく押し退けた。
「すまない、なまえ、無視してくれ。」
「つれないこと言うなよ!いいだろ!」
ええ、是非行きましょう、と言うと、ランバネインは嬉しそうにした。
甘いものは、酒に合う。
「それでは、またお会いしましょう」
愛想よく、笑う。
笑いたくもない男二人相手に、笑いかけた。
そうすればいいことを、私は知っている。
ミラの手前、ふざけたことはできない。
何事もないように振舞うことが、ミラと、私と、ミラと私の今後のため。
愛想笑いをする気持ちが絶える前に、そっと去る。
途中、ランバネインの声が聞こえたときは、振り向いて愛想笑いをした。
髪の毛についた、他人の酒の臭いが鼻をつく。
ずっとやめていた酒は、どこにあったか。
ミラが酒臭いキスは苦手だと言った日は、いつだったか。
いつだかも忘れた日から、酒を口にしていなかった。
口の中に残る甘いパンケーキの味と酒が混ざるところを想像しただけで、吐きそうだ。
自宅に戻り、埃を被りかけた棚に置いてあった酒の瓶を掴み、蓋をこじ開け、中身を胃に流し込む。
胃の中で、甘さと酒が混ざり合う。
感覚がないはずの胃が、悲鳴をあげて、軋む。
喉を刺す熱は火のようで、皮膚の下を焦がした。
この火と熱は、終わらない。
予感だけが脳を這いずり回るまま、身体を酒に浸すように飲み干した。






2015.01.25






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