渦巻く肺





てんさんリクエスト

・同性愛者コンプレックスを持ったヒロインが知られないうちにユミルに元気付けられる短編






息を止める。
その間、なんの匂いも味もしないし、私の存在も薄まる。
なにも意思を持って、意図的にしているわけじゃない。
体がこうしたほうがいいんだと命令を出して、体はそれを受け入れて、何もおかしくない普通のこと。
何十人、何百人といる中で、私は、息を止める。
街を歩いて、すれ違う人は、私のことなんて気にしていないから、息を止めることはなく歩く。
時にそれが集団の中の一員となるのなら、話は違う。
何百人の中の一人、何十人の中の一人、何人かの中の一人。
個体差があり、骨と肉は同じでも、頭の中身まで同じ作りなわけがないから。
こうして、また息を止める。
何を考えているわけでもなく、こうして息を止めて、そっと溶け込む。
溶け込んでしまえば、息を止めている甲斐があったものだ。
だから、私は、この人の存在があまりにも予想外だった。
「お前、なんでいつも息止めてじっとしてんの?」
そばかすの女の子は、私にそう言い放つ。
食事を終えて、喉を水で潤していると、私の隣に座って、突然そう言ったのだ。
水のおかげで乾きを癒した喉が、一瞬で干からびる。
黒髪でそばかすの女の子、名前は知らない、その子にそう言われ、それからぞっとする何かが胃の後ろを覆う。
女の子は騒ぎ立てることもなく、それだけ言うと無反応な私を見ていた。
どちらかといえば、怖い顔立ちをしている。
彼女の色のいい唇は動こうとしない。
「・・・え」
私の乾いて締め付けられた喉からは、それしか出なかった。
お構いなしに、女の子は私から聞き出そうとする。
「苦しくねえの、よくやってるっていうか、かなりやってるだろ、それ。」
いつから気づかれていたのかとか、もしかしてこの子は皆の回し者なんじゃないかと、嫌なことが頭を過ぎる。
でも、この子が他の女の子といるところは、殆ど見たことがない。
集団でいる子とは馬が合わなさそうな雰囲気をしている。
それに、この子はどうやってそれに気づいたのだろう。
何よりも気になるのはそれだったが、話題を逸らしたくて、顔をそっと伏せるように俯いた。
「特に理由はない」
「そんなわけないだろ、もしかして宿舎が臭いからとか?いつも大人しそうにしてるもんな。」
きゃはは、と見た目とは合わないような明るい笑い声をあげた女の子は、私の肩をぽんぽんと叩く。
手が、私の体に触れる。
それだけで、私は気にしてしまうというのに。
私はあなたとは違うの、やめて。
伏せた顔に、引いたばかりの血の気が集まりそうだ。
反射的に伏せていた顔をあげたら、気前の良さそうな笑顔が見えた。
悪気や悪意は、今のところ見えない。
顔を伏せるのをやめて、女の子に向き合う。
怖そうな顔をしていても、性格まで怖いわけではなさそうだ。
「そうかな」
顔色を伺うように呟くと、そうだよ、と返される。
「私はお前が喋ってる声を今初めて聴いた。」
女の子は、何の気もなしに明るく笑って言う。
首の裏を刺されたような冷たさを感じて、また目を伏せるはめになった。
ぞくぞくと、悪寒まで背中を這う。
もしかして気づかれたのでは、と寒気を押し殺していると、女の子は元の声色に戻った。
「虐めにきたんじゃねえよ、気になっただけだ。」
女の子はそう言って、私のグラスに水を注いだ。
飲みかけの水が足されて、潤う。
これを一気に飲めば、この寒気からも解放されるだろう、でも、目の前には女の子がいる。
「なまえ」
女の子が、思いのほか目を丸くする。
自分の声が刺さりそうだ。
「なまえって呼んで」
にやりとした女の子は、どこかつまらなさそうにしていた。
その顔を見て、不安になった私を見てから、今度は馬鹿にしたように笑う。
ああ、この女の子は、こういう子なんだ。
それが見えた途端に落ち着いてしまう自分の臆病さのほうが、刺さりそうだった。
「ふうん、そう言われちゃ、人の名前を聞く前に名乗れって言えねえじゃん、回転きくなあ、なまえ。」
ユミルだ、と名乗った女の子は、明るく笑う。
きっと私もこんな風に笑えるのかもしれない、と謎の思いが頭に浮かんで、消える。
いつもの心持に戻ったあと、ユミルに単純な疑問を投げかけた。
「なんで私が息を止めてるって気づいたの?」
「なんとなく。」
もしかすると、ユミルは人より数倍耳がいいのかもしれない。
目がいいだけでは、呼吸しているかどうかなんてわからなくて、人の呼吸音まで聞き分けるくらいの、すごい耳。
生きている人間が呼吸をしていないことなんて、誰が気づくだろうか。
ユミルは、私のおでこを人差し指でつつくと、何も気に留めなさそうな気さくな笑顔を見せる。
「無難なことを言うと、健康に悪いぜ、それ。やめとけよ。」
「癖なの、これ」
ふうんと相槌を打ったユミルが、あとから顔を顰める。
背筋の裏が、びくりと波打つ。
どうも、他人のこういう表情の変化には敏感になってしまった。
ユミルの顔に悪意がなくても、人の表情が怖い。
伺って伺って、ようやく息をする。
「子供のとき、ドブの中で暮らしてたのか?それなら息止めて生活すんのも頷けるけどよ、なまえはどう見ても普通だ。」
吸った息を、吐かずに止める。
止めた息はどこにいくわけでもなく、私の中に留まって、あとから吐き出される。
外に排出されたときには、なにもばれていない。
そうであるといいという思いが、消えることはなく、鼻腔から生暖かい空気を取り込む。
普通、その言葉が、私を殺そうとする。
わかっている、違うことくらい。
だから大人しくいさせて、私は、私は。
「変な奴ってばれたくない」
「はあ?」
わけがわからなさそうな顔をしたあとに、ユミルは笑った。
ははははは!と響く盛大な笑い声に、何人かがこちらを振り向く。
今笑っているのはユミルなのだから、私のことなんか誰も見ていないと信じたい。
それでも、こちらにいくつかの視線が注がれる。
ああ、やめて、こちらを見ないで、息をしないで過ごしているのに。
押し殺したような笑い声と混じった声で、ユミルは私に話しかける。
やめて、そんな声じゃ、聞き耳を立てていない他の人に話している内容が聞こえてしまう。
「なまえのどこがおかしいって?」
ユミルがふいに私の脇腹をこちょばして、身をよじる私を見て、にやける。
「おい、どこが変なんだよ、おい!おもしれえな!」
子供同士で遊ぶように、ユミルは私の体を何度もこちょばした。
くすぐったくて笑いながら逃げると、追いかけられて指でくすぐられる。
椅子から逃れても、ユミルは私を追いかけて悪戯をした。
壁際に追い詰められると、これでもかとくすぐられる。
「やめてよ、ユミル」
苦し紛れにそう言っても、ユミルはやめない。
「なまえが変なら、私はなんだ?そばかす顔で口がキツイ奴か?」
動物でもいじるように、私をくすぐる。
ユミルの大きめの手が私の胸元を、押すようにくすぐった。
急に、ぐわっと覚えのある熱が顔を覆う。
彼女は、こんなことなんとも思っていない。
そう、私が違うせいで、いけないことを思ってしまうんだ。
だからこそ、また息を止めなくては。
体の丸みを刺激するように、ちょっかいを出しては逃げる私を追いかける。
「ねえ、もうやめてよ」
私の声は、ユミルの笑い声に掻き消された。
両手を締めて、しゃがみこんだ私にユミルは覆いかぶさる。
誰が見ても、友達同士のじゃれあいにしか見えない。
それだけが唯一の救いで、しゃがみこんだ間だけは精一杯顔を歪めた。
ばれないように、ばれませんように。
反復してばかりの私の感情は、いつか火がつく。
でも、それじゃいけない。
後ろから抱きつかれた体勢になり、抱きかかえられずるずると元いた場所にまで戻された。
椅子に辛うじて座った私の腰を掴んだユミルが、肩と首の近くを叩く。
「はーいはい、可愛いなまえちゃん、変なとこがないか見てやるよ!」
やめて、その言葉すら出てこなかった。
ユミルの手が私の腕を掴んで、握る。
「やめて!」
ようやく出た大きな声で、ユミルを拒絶する。
私に話しかけて、遊ぼうとしてくれた人を、自分の思いを隠したいがために、拒絶した。
つまんねえ奴だ、と言われて終わり、そう思っていた。
ユミルは、すこし安心したようだった。
「ほら、叫んだ。」
「え、あ」
「そうやって叫ぶの、たくさん息を吸って吐かなきゃできないんだぜ、生きてる奴なら皆できることだ。」
何も知らないユミルは、私に優しくする。
やめてよ、やめて。
皆にばれたくないの、あなたみたいな女性が好きだってこと。
顔を赤くしたら、ばれてしまう。
皆が見ているかもしれない、お願い、やめて、私の思いの内側を壊さないで。
不安だらけの私を置いて、ユミルが再び私の隣に座る。
「なまえはどこもおかしくねえよ、ま、ぱっと見て変な奴じゃないんだから、すこし笑えよ。」
私の肩に手を置くユミルが、にやあと笑う。
「な?」
乾いた笑いしか出なかったものの、あはは、と笑う。
なんにも知らない人に、こうして慰められる。
ユミルに肩を抱かれて、元気そうにする横顔を見ていた。
体の底に、吐き出していない息と一緒に溜まった思いは溶ける気配もなく、渦巻いたまま私を覆った。




2014.12.22




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