あまかった





朝から、妙に頭が重かった。
寝すぎたのかもしれないけれど、頭の重さに気づいたのはオルオに話しかけられてからだった。
原因は、たぶんこいつだ。
「いつものボロボロの服はどうしたんだよ。」
ペトラの隣でパンを食べていると、オルオが不思議そうに話しかけてきた。
「部屋にある」
「ふーん、ぶかぶかじゃないか?」
「別にいいでしょう」
「見ただけじゃあ、なまえが服に詰まってるみたいだな。」
オルオが私のことを気にするなんて、らしくない。
いつものお古じゃなくて、ミケさんの部屋にあったミケさんのシャツを貰ったのだ。
見覚えでも、あるのだろうか。
分隊長ひとりひとりのシャツまで覚えているのなら、オルオの記憶力には脱帽したい。
でも、そうではなさそうだ。
「動きやすいよ」
パンを更に置いて手をひらひらさせると、オルオが食べかけのパンを取り上げた。
「ちび!ほら!取ってみろ!」
すかさずオルオの脛を思い切り蹴ると、オルオは倒れこんだ。
宙に浮いて、落ちようとするパンを掴み取り、朝食に戻る。
もそもそとパンを食べていると、横にいるペトラは笑った。
悶絶するオルオが、暫くしてから叫んだ。
「いってえ!!!」
「オルオ、ほんとばかじゃないの」
蹲るオルオを靴の先でつっつきながら、パンの一欠けらを口に放りこんだ。
ペトラは仲裁の形をとっているけれど、どう見ても笑っている。
「そこまでにしてよ、オルオが舌を噛んだら救護班の仕事が増えるだけなのよ。」
苦しそうに呻くオルオを放置して、ペトラの隣に戻る。
まだ更に残るパンを見てから、オルオを見た。
痛みに歪んだ老け顔と、パンの皺がそっくりだ。
「冗談を冗談と受け取れよ!バカ!」
再び叫んだオルオにいらついて、蹲っているのをいいことにオルオのつむじを叩く。
背の高い男の人の頭を見れたのは久しぶりだな、なんて思った。
どうしてオルオは、私に悪戯をするんだろう。
小さいから、挑発にすぐ乗るから、暇つぶしだと思われているのだろうか。
それなら、尚更腹が立つ。
「なによ!オルオなんかしらない!」

「ということがあったのね」
今朝の出来事をミケさんに説明すると、鼻で笑われた。
鼻をつんつんすると、猫のように目を細められる。
髭をひっぱると、眉間に皺を寄せる。
「冗談を冗談で返してるうちは、まだ子供なのかな」
椅子に座るミケさんの膝の上でごろごろしていると、足が宙に浮いて仕方ない。
ミケさんは、立体起動装置の手入れをして汚れた指で何かの書類にサインをしている。
ペンを握り終わったあとは、机の上のハンカチで指を拭く。
それから、私を撫でてくれる。
書類は片付いたようで、ミケさんは私を撫でてくれた。
「どうしたら、大人になれるの?」
何気なしにそう聞くと、優しげな目が私を見る。
「なまえのことを子供扱いしようと、かかっていることはない。」
頭をぽんぽんと撫でられ、抱きかかえられたあと、ミケさんは椅子から立ち上がった。
抱きかかえてもらうと、ミケさんの目線がわかる。
高くて、部屋が広く見える。
部屋の全体が、すぐ見渡せた。
私の背が特別低いだけで、普通の人も、ここまでいかなくても部屋の全体くらいは軽く見えてしまうのだろう。
「一度も、な。」
ベッドに腰掛けたミケさんの膝から転がって、毛布に纏わりついた。
ミケさんの匂いがする毛布に絡まって、背筋を伸ばす。
つん、と臍をつつかれて体をよじって笑いながら転がると、また鼻で笑われた。
体勢を直して、転がったまま這ってミケさんの膝の上に頭を乗せる。
妙な体のだるさと、それに反した思考の明快さに違和感を感じながら見上げると、優しそうな目がまた見下ろしていた。
「お前が辛い過去から逃げ切れないのも、わかる。」
ぽつりと言われた言葉に、ふと思考が止まる。
こうしてじゃれあうときは、真面目な話はしないのだ。
ミケさんは真剣な口調で、はっきりと言った。
「大人になるということは、自分の境遇を受け入れられたときだ。」
相槌のように頭を撫でる手はない。
真剣な話をされていると気づいて、胃が冷える。
境遇、と聞いて、止まった思考からずるりと何かが這い出てきそうな気配を抑えて、ミケさんを見つめる。
優しげな目に、私が映っている。
こんなに優しく言われているのに冷えるのは、当たり前のことだから。
「境遇そのものを受け入れろ、という話じゃない。
誰しもが、決意をするまでに至る経緯がある、それは誰かに見せるものではない。
だから強くあれと口を揃えるのだが、一人だけでは強くなれない。
兵士であるうちは身体的な強さが優先されるが、強くなるということは体だけの話じゃない。
ここにいても、いろんなことがあるだろう。鍛錬してもいい、ふざけあってもいい。その中で過ごすうちに、自分で自分を受け入れられるようになる機会が、くる。
受け入れられたら、大人になったということだ。」
珍しく長く喋ったミケさんを見つめて、目をぱちぱちさせる。
それから、私は肩を落とす。
「私は子供なのね」
「焦るな、なまえが兵士であることには変わりない。」
ミケさんが、私の額を撫でた。
大きな手が何度も撫でる。
目を細めて、閉じて、あけて、とじて、目の前のミケさんがいることを何度も確認する。
「私」
漏れた声は、掠れている。
泣き出さないように堪えている自分がいて、図星をつかれてしまったと微笑むしかなかった。
ミケさんの手の甲に手の平を置くと、大きな手は私の頬のあたりでとまった。
「寂しかったの、辛かったの、おとうさんがいなくなって」
大きな手は、確かにミケさんの手。
膝も、優しい目も、全部ミケさんのもの。
「おとうさんね、よく撫でてくれた、なまえの顔は小さくて可愛いって」
私の手は小さくて、ミケさんの手を覆うことはできない。
手の甲に置いた手がずるりと落ちて、シーツに埋もれる。
「家が貧しくて毎日働いて疲れて帰ってきても、私のこと、ぎゅってしてくれた」
埋もれた先のシーツは、冷たかった。
「うれしいの」
ぐわっと熱くなった目の奥を、隠した。
なんでもない、こんなことは、なんでもない。
夢に見る、思い出す光景はいくつもある。
そんなことにいちいち感けていたら、兵士は務まらない。
でも、不安で仕方ない、ぽっかりとあいた不安は埋めたくて仕方ない。
お父さんのような、ミケさんが好き。
どこかで男の人の優しさを求めている自分に、すこしだけ呆れた。
優しげな目のまま、ミケさんは私に確かめた。
「なまえの父親にはなれない。」
当たり前のこと。
わかりきっていることを言われても、嬉しい。
ミケさんの膝に乗って、首に腕を回す。
ぎゅっと抱きつけば、耳元近くまで顔を持ってこれる。
ミケさんの耳に頬ずりして、向き合う。
大きな鼻の先に、自分の鼻をくっつけた。
もうすこしでキスしてしまう、そんな距離。
「おとうさんに、なる?」
我ながらとんでもないことを言ったが、さすが大人、余裕をもってかわした。
「そういう冗談はよせ。」
「冗談半分、かなあ」
「なまえ。」
ミケさんの大きな手が、私の頭を撫でる。
嬉しくて目を細めると、ちゅ、と唇同士が触れ合った。
じゃれあうようにミケさんの首元に顔を埋めて、抱きつく。
大きな体に抱きつく安心感と、撫でてもらえる安心感。
漠然とした不安を、甘えては消して甘えては消して。
でも、誰にでも甘えたいわけじゃない。
今朝だってオルオを蹴り飛ばしたし、エルドの髭をひっこ抜いたりグンタのマントを窓から投げたこともある。
ミケさんだから、甘えたくなる。
私はこの人のことが好きなんだ。
もしかしたら、ミケさんの言うように自分の境遇を受け入れて大人になってしまえば、不安が消えてミケさんに抱きしめてもらう必要もなくなるのだろうか。
それは、嫌。
子供のままでいいや、と思っても、大人になりたい。
触れ合った唇の熱の中から舌が絡み合って、溶けるようだった。
慣れた舌の動き、ミケさんは大人だから、今まで何度もこういうことをしてきたはず。
私がミケさんを翻弄するなんていう、そんなことはないのだ。
大きい背中を抱きしめようと腕をまわしても、全ては抱きしめられない。
もしも、ミケさんが私を子供扱いする人だったのなら、甘えることも許してくれなかっただろう。
体は小さくて、大人のように振舞えなくても、私は兵士で、歳も大人だ。
一人の人として見てくれている。
キスをしているうちに、寝そべったミケさんは私の匂いを嗅いできた。
髭が首にあたるたびにくすぐったくて、くすくす笑っていると、キスをされる。
ぬちゅ、という恥ずかしい音には、まだ慣れない。
唇の端を舌で擦られるのが、くすぐったくて気持ちいいと言ったら、何度もそれをしてくるようになった。
おかげで、キスをしているとじゃれあいになってしまう。
じゃれあっているうちに眠くなって、ミケさんの腕の中で丸まって、眠った。
事が急変したのは、翌朝だった。
ミケさんより早く起きて、自分の部屋に戻って支度をしようと起き上がり、自分の上着を手に取る。
まだ眠るミケさんに、いってきますのキスをして、毛布をかけなおそうと手を伸ばしたときだった。
先ほどまで寝ていたシーツが、血で汚れていた。
シーツだけじゃなく、ミケさんのシャツの端にも血の染みがついている。
寝ているミケさんの腕や胸には、なにもついていない。
静かな朝の景色が見えるような部屋の空気の冷たさに、同化したように血まみれのシーツを見つめた。
どうしてなのか、原因に察しがついた。
血の沁みたシーツの汚れを見つめながら、私はゆっくりとベルトを緩めて、ズボンを下ろした。
ベルトにかかる指も、腰も、足も、全ていつもどおり。
何一つ変化はない。
下ろしたズボンが、ずるりと落ちて、下着には不快な渇き。
ズボンの股の部分には、赤い血が滲んでいた。
女なら知らないわけがないそれに、頭が真っ白になる。
五年前から、体の成長は止まっていた。
背は伸びないし、体は軽いまま。
普通ならあり得ないと言われるだろう。
体のことなんて放っておいてもいい、そんな認識は、甘かったのだ。









2014.09.30



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