02




何度も何度も、逃げ出そうと動き回った。
肺を使うために何度も動く鼻と喉も、ただの空気の通り道でしかなく、けひゅうと情けない音がする。
水の中とは違う重たい手足が、不自由でならない。
観念して、白い真綿を薄くしたようなものの塊に突っ伏す。
なんの香りもしないそれは、どうも寝具のようだ。
召使のような白い服を着た女の人達が、噂をする声が聞こえる。
耳に装備した、三半規管調整も兼ねているピアスを触り、トリガーを調整する。
脳への伝達をする苦しみがどうでもよくなるくらい、鱗まで乾き果てた両足が痛い。
緊急事態であることには、間違いない。
この体に合わせた三半規管の調整は、何度か訓練していた。
ピアスを弄る指先すら、重い。
ぼうっと、岩壁にしては随分とつるつるしている壁を見つめ、虚空を探した。
今更、連絡ができるのだろうか。
連絡する方法が見つかる可能性も、仲間が助けにくる可能性というものも、どうにも感じられない。
閉鎖空間のような白い壁の向こうには、景色が広がっていた。
灰色の規則的な岩のようなものが立つ景色。
ここが、水の惑星に僅かながらに残された陸地なのだろう。
悲しくはない、けれど、このままここで死んでしまうのだけは避けたかった。
二酸化炭素に長時間触れても死にはしない、でも、生きにくい。
地上にあがれば、両足で動くことも可能だ。
でも、私は特別それができなかった。
リーベリーの血、というものがあるのなら、それがどうしても濃くて、水の中での生活を主にしなければいけないような体だった。
珍しいことでもないことは分かっている。
水の中だけで暮らす民もいた、両足で歩く民もいた。
全て同じ、リーベリーの者。
軍事侵攻に力を入れる情勢になった今は、若い者は一度召集されて訓練をする義務があった。
もちろん、拒否することもできた。
でもそれは、逃げるということ。
それだけは、したくなかった。
水の中を動き回るのなら、なんでもできる。
けれどこうして、地上に上がってしまったのなら話は別だ。
鱗が乾き、足がある今は、誰もリーベリーの者だとは思わないだろう。
白い召使のような女たちの言葉がようやく聞き取れたところで、ピアスから指を離した。
似たような顔をした白い召使たちの「外国人よ、耳にあるピアスが外せないの、どうしてかしら」と話す声が這う。
居心地の悪い会話に、腹が推し戻されるような感覚が突っ込んできた。
どうしようもなく、ここから逃げる方法を模索する。
足は、痛い。
何かに紛れて動こうにも、この足の痛みでは何も出来そうにない。
こんな閉鎖空間にいるということは、もうばれているのだ。
ネイバーだ、ガイジンだ、どちらの言葉が先に飛んでくるか、自分の中で賭けた。
五分五分だ、というところ。
足の痛みに耐え起き上がると、白い台の上に、小さな皿がいくつも置いてあった。
中には、食べ物らしきものが入っていた。
食べる気にもならず、皿を無視して、なんとか足を動かす。
痛くて動けず、無理に足を引っ張り、片足を床につけた。
足の裏に、じんわりと痛みが広がる。
このまま無事に立ち上がっても、足の裏は剣で切りつけられたような痛みが走るだけ。
ぞっとしたままため息をつくと、閉鎖空間の扉がゆるりと開いた。
入ってきたのは黒髪の男の人で、背が高く、それなりに体つきがしっかりしている。
私の様子を見て、背もたれのない粗末な椅子を持って、寝具の近くに座り込んだ。
そして、私に向かって話しだす。
耳にあるピアスを押して、この男の人の言葉を理解する。
キン、と鼓膜にかかった金切り声のような音が神経に響く。
男の人の言葉が聞き取れるくらいにまで内耳の感覚を下げる。
脳の感覚が過敏になったまま、耳の感度を下げてしまえば、僅かに吐き気がした。
すぐに治まった吐き気のあと、眩暈が襲う。
この惑星の住人は、総合的な意味合いとして称される私達をよく思わない者が大半だと聞いていた。
男の人は、判決を言い渡すわけでもなく、ただ私に語りかけた。
「君は、どこの国から来たのかな。」
この男の人も、私のことを疑っていない。
リーベリーだ、と言えば、どうなるのだろう。
「東春秋だ。」
男の人は、何の気なしに名乗った。
一枚の白い紙をぺらりと出し、申し訳なさそうにしている。
「書類に、これ、ほら、なまえって適当に書いたから、一応、なまえって呼ぶね。」
なんの書類か、わからない。
適当に書いた、とはどういうことだろう。
一体、どんな扱いを受けて私はここにいるのか、検討がつかなくなった。
「言葉、通じてるのかな。」
寂しそうな声に、思わず頷く。
長い髪が肩にかかり、ぱさりと揺れた。
水の中にいたころは気にしてもいなかったけれど、この長い髪は邪魔かもしれない。
「わかる?」
もう一度強く頷くと、男の人は安心したようだった。
「わかるけど、こっちの言葉は喋れないのか。」
男の人は、腕を組んで、しばし考えるような仕草をする。
組まれた腕は、決して細くはなかった。
「困ったなあ・・・。」
呟く唇からは、低めの声が流れるように漏れる。
私も今までは、こうして喋っていた。
「新聞に写真を載せて、君を迎えに来る人を待つしかないのか。」
首を横に振ると、不思議そうな顔をされた。
違う、そうじゃない、そんなことをしても無駄なの、言葉は伝わらない。
けひゅう、と喉から空気が漏れて、かはっ、と下品な音がする。
私が、喋れないとわかると、春秋と名乗ったその男の人は、悲しそうな目をした。
「ああ、そっか。」
無言の間と、静寂ばかりが過ぎる。
なんでもいいから、水の中に放り込んでくれ。
そうすれば、少なくとも貴方と会話はできる。
「それなら、どうしてあそこにいたの?」
男の人は、話せない私に問いかけた。
「釣りをする為にいつも行かない海に行ったんだ、そうしたら君が打ち上げられていて、本当に驚いたよ。」
その言葉を聞いて、すっと体が冷える。
やはり私は、死に掛けていたのか。
冷えた体に、ぼんやりと浮かぶ、ただの可能性。
この人が、私を助けた。
閉鎖空間は、療養所のようなもので、この人が私をここに連れてきた。
経緯が伺えたとき、私の中の不安が和らいだ。
でも、安心はできない。
正体がばれたら、逃げることもできない私はすぐに捕まってしまう。
「一瞬、死んでるのかと思ったくらい、白かったから。」
心配そうに話す男の人は、悪人には見えない。
この男の人が、私を助けた。
わけもわからず、頭の中がぐるぐるする。
見た目で気づかないものか、と思ったが、ガイジンだという白い召使のような奴らの言葉を聞くに、容姿が飛びぬけて異様ではないのだろう。
打ち上げられていたから、助けたという男の人の目には、猜疑心も見えない。
絶望的な不運に見舞われている私の、唯一の光。
名も知らぬ、素性もわからぬものを助けてくれた。
「怪我がなくてよかった。」
男の人は、私を心配した。
ちがうの、足が痛いの、動けないの、どこでもいい、ここは水の惑星なんでしょう、水の中に私を放り投げて。
声は、出ない。
何も出来ず俯いて、男の人の顔を伺う。
黒い髪と黒い目、リーベリーではあまり見ない毛色だ。
これが、この惑星の住民の特徴でもあるのだろう。
私を助けてくれた、男の人、春秋は、優しそうな顔をして、疑いも無く私を心配した。
「また、来てもいいかな。」
頷くと、春秋は丁寧に笑った。
「早く良くなるといいね。」
手振りで、ありがとうと伝えようとした。
水かきのない軽い指先に、空気が通り過ぎる。
ゆっくりと頷くと、春秋は私の手を握った。
私の手を温めるように、握る。
冷たいのは私のほうで、痛みのない足すら無ければ、春秋にちゃんとお礼を言いたかった。








2014.09.04





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