言わずとも射抜かれる




箒を立てかけて、汚れすぎてどちらが表なのかも分からない雑巾を手に取る。
埃臭い水の匂いが、薄汚い布から漂う。
とても嫌な匂いに耐えて、掃除をしなければならない。
めんどうくさい思いをどうにか掻き消して、雑巾を水で湿らせる。
バケツに汲んだばかりの水が、雑巾を落としたまわりからじわじわと淀んでいく。
水の波紋を、気の抜けた目で見つめていたら、前髪がかかった額を、指でつんと突かれた。
「なまえ、おでこに埃ついてる。」
ナナバが額に触れたおかげで、小さな埃がひとつ、バケツの水に落ちた。
「ああ、ごめん」
「いくら綺麗に掃除しても、おでこに埃ついてちゃ話にならないね。」
薄い表情に感情を浮かばせるナナバは、汚い小屋に不釣合いだ。
濡れた指先を服の端で拭いてから、前髪を隠した。
「やだあ、もう」
「そうやって照れるとき、すごく可愛い顔してるのにね。」
「だから何」
わざとらしく不機嫌なふりをしてみると、すぐに見破られてしまったようで、ナナバに笑われた。
くすくすと、思いの他お上品に笑われ、余計にむっとしたと同時に顔が熱くなる。
「もうすこし普段からぶりっこしてもいいんだよ。」
「やだ!」
誰がぶりっこだ、と思ったけれど、綺麗で中性的なナナバの前では、どんなに可愛子ぶっても無駄なことくらいわかる。
誰に対しても品行方正。
すぐに考えてることを見抜かれて額をつっつかれるか、首ねっこを摘まれたまま引っ張られるか、機嫌のいいときなら担がれてくすぐられる。
上に立つ人だからこそ、どこかが不平等であれば蹴り落とされてしまう。
蹴り落とされる雰囲気がしないナナバは、純粋にすごいなあと思っていた。
「なまえはどうしたら女らしくいられると思う?」
「考えたこともない」
「ふうん、そう。洒落っ気づくのも恥ずかしいの?」
珍しくナナバが探るように話しかけてきた。
いつもは、適当に、へえとかそうなんだとかで終わらせる人が、何かを聞きだす体勢に入っている。
「いや、私服とかないに等しいし、それもあんまり」
話題を避けようとしても、追いつかれるように言葉で押し倒されてしまう。
「それとも、女らしく恋愛話でもする?」
ぐっ、と喉が締め付けられて、上手く返答ができない。
何せそういう話題には、最も疎い人だと勝手に思っていた。
思い込みのまま接していたという事実を突然突きつけられ、厚かましくも呆然としてしまう。
「えっ」
「嫌なの?」
口の端を吊り上げて笑うナナバは、たまに見るいつものナナバだ。
「ううん」
「じゃあ、なまえから。」
「なんで私なの」
「私が聞きたいから。」
まっすぐに見つめられて、馬鹿にされて聞かれているわけじゃないことを悟った。
ここで話題を跳ね除けることはできない。
仮にも、尊敬している先輩だ。
それにナナバは同性で、何度も話している。
無駄に危機感を立てるほうが、失礼極まりないだろう。
聞きたいから、と言われ、素直に言ってしまうのも底が見えてしまうだろうと、なんとなく口先で引き足をとった。
「気になってる人が、いるの」
「誰?」
間髪いれず聞いたナナバは、ふっと指を額にあて、片方の手で待ての合図を出した。
指に髪がかかって、僅かな影を作っている。
自然と目元に落ちた影が、睫毛をきらきら見せるようだ。
そんなのは私の目の錯覚でも、ふとした時、ナナバは綺麗だ。
「ちょっと待って、当てる。ヒントちょうだい。」
こんな話でわくわくさせられてしまう私は、きっとナナバよりも、他の皆よりもずっと子供。
直接言わなければ、これは私とナナバの永遠の秘密。
好きな人の顔と体格、見た目を思い出す。
思い出すだけで、どきどきしてしまう。
特徴を思い出し、当てはめ、小出しの情報にした。
「えーと、背が高くて、優しそうで、強い人、かっこいいかな、私はかっこいいと思ってる、あと髪の毛が綺麗」
ナナバは、少し考えてから、名前を挙げはじめた。
「エルド。」
違う、あまりにも違う。
でも彼は髪の色は綺麗だ。
そうか、と言ってまた考え込んだナナバは、視線を床に落とし、目をきょろきょろさせた。
脳裏には、一体誰が映っているのだろうか。
その中に、いるのだろうか。
他人の頭の中でのことにどきどきしながら、ナナバの次の言葉を待つ。
試すように、またひとりの名前を挙げられる。
「エルヴィン団長?」
「いやいや」
「うーん、オルオは絶対に違うね、彼は違う。」
「ねえナナバ、地味に今酷い事言わなかった?」
「かもしれないね。」
また考え込んだナナバが、今度は目を閉じた。
時間にして二秒くらいだったけれど、その間でナナバはどうも答えを導きだしたようだった。
「オルオの近くにいる?」
「え?い、いる、かなあ?」
「ペトラ。」
「ペトラは女の子!」
「そうだね、女の子じゃあなさそうだね。」
「それは、その、そうでしょう。」
「ハンジ分隊長。」
「違う違う」
私の反応を見て、ナナバはにやりと笑う。
「わかった、ミケだ。」
ぼん、と顔に火がついた気がした。
耳は熱いし、ナナバの頭の中で思考回路がどう繋がったのかが気になったけれど、聞けもしない。
どうにか打開策が欲しかったけれど、見つからない。
それに目の前にいるナナバに、真っ赤な顔は隠しきれずにいた。
ナナバはにこりと笑い、とても楽しそうにしている。
「へえ、なまえはミケが好きなんだ。」
恥ずかしくて堪らず、両手で頬を押さえた。
バケツの水で冷えた指先が、すぐに暖まる。
その温度差ですぐに顔にどれだけの熱が集まっているか分かり、また熱くなる。
掃除で手が汚れていたことも、すっかり忘れていた。
こんな話しなければよかったと思っても、今の私は既にナナバの手の中だ。
熱くなる頬、頭の中でナナバとミケ分隊長と焦りがごちゃごちゃになる。
「背が高くて、かっこいいし、大人の人だよね、同期みたくうるさくないし。」
自分を庇う恋心を呟くと、余計に恥ずかしくなった。
物静かなミケ分隊長の横顔を思い出して、首まで熱くなった顔をどうにかしようと、その場で飛び跳ねたけれど、床が震動するだけで変化はなかった。
「言わないでね、恥ずかしいから」
情けないくらいの声でナナバにそう言うと、両手を腰にあてて微笑んだ。
「いやあ、なんか優越感。」
こっちは恥ずかしくて堪らない。
にこにこ笑うナナバに悪戯っぽくじゃれあう気もなく、頭の中には好きな人の顔がちらついたままだ。
どうしたらいいだろう、それしか思えず視線をずらして赤面する。
ふと、腰に当てていた両手を下ろしたナナバが口をあまり動かさずに話した。
「そこまで思ってる恥ずかしい感情、私には話してくれたんだ。」
「うん」
「髪の毛、綺麗かな?どっちかっていうと髭のほうが綺麗じゃないか。」
「そうかな、でも、私はあの人が好き」
「へえ、好きなんだね。」
信用されている、ということは伝わったのかもしれない。
ナナバは、他人にばらすようなことをする人ではないけれど、ああ、でも、もし誰かに聞かれたらあっさり答えてしまいそうな気がする。
そもそも、なまえの好きな人は誰なの?なんて聞く人は誰だという話だから、気にしなくていい。
でも、気になってしまう。
思い返すのは、訓練中に見たミケ分隊長の横顔。
何度か話した時の物腰の良さとか、少なくとも同期の男性よりは清潔感があって、背も高い。
「じゃあ、嗅がれたりするの好きなんだ。」
「えええっ」
「やだ、なまえ、真っ赤だよ。」
「う、うん」
「ミケには、ぶりっこしないの?」
「できるわけないよ」
「そっか、うん、ぶりっこって言い方はまずいね、可愛がってもらえるようにしたらいいのに。」
「へえっ?」
「変な意味じゃないよ、年上の男性に対するわざとらしい振る舞いってあるじゃないか、それだよ。」
まさに変な意味のほうを考えてしまい、人に言えなさそうな光景を想像してしまった。
熱が体の中に下がって、腰のあたりが冷える。
首筋に鼻が近寄ってきて、すんすんと匂いを嗅がれたときの感覚に似た、ぞくぞくした感覚だけが体に戻ってきた。
頻繁に人の匂いを嗅いでいる、聞いても理由が分からなさそうなことをしているところも好き。
いくらでも好きなところはあげられる。
真っ赤な顔をしている私を見て、ナナバは楽しそうに笑う。
「その顔だよ、照れてるときの顔。すごく可愛いんだからミケにも見せてあげればいいのに。」
「無理、恥ずかしい」
「おでこに埃つけてたら、匂いを嗅がれるかもよ。」
まだついているのか、と手で前髪を触ったけれど、何もついていない。
ミケ分隊長に嗅がれるところを想像しそうな手前、ろくなことに思考回路を回せなくなった。
「つぎ、ナナバだよ」
照れ隠しにそう言うと、ナナバはまっすぐ私を見つめて答えてくれた。
「私はなまえが好きだよ。」
聞き間違えたと思って、何も言えなかった。
私を見つめるナナバの目を覗き込むように見つめ返したけど、ナナバは笑い出して、冗談だよとも言い出さず、ただ私を見つめた。
本気にしてるの?と笑いだしそうな雰囲気は、ない。
ナナバは真面目に、そう言った。
聞き返そうにも、自意識過剰にも程がある聞き間違い。
ヒントでもくれるかと思ったが、それはいい思い違いだったようだ。
何も言えず、ナナバを見つめていると、体の線を自慢するかのように腰に手をあて、ポーズをとった。
「私も背が高めだし、優しそうな顔はしてるつもりだよ、それなりに強い。」
言い返すこともなくナナバを見つめていたら、ポーズをとっていた手を胸にあて、また私を見つめた。
「私が男ならなまえは惚れてた?」
とてもじゃないが、嫌いだなんて言えないし、嫌いだとも思えない。
惚れたとか惚れてないとか、そんな話じゃない。
突然のことに何を言われているか分からず、赤面した私は好意を伝えることしかできない。
「今のままでも好きだよ」
「ううん、そうじゃないんだよ。」
「何が」
「違うね、違う、何かが違うだろう。」
違うだろう、と言ったナナバは、どこか悲しそうだった。
一瞬だけ見えた悲しみを隠されるように、ナナバはまた微笑んで、すこしだけ暖まった私の指先に触れた。
「私はなまえが好きだ。」
きっと、これは、このまま永遠の秘密になってしまうのだろう。
いつの間にか好きな人の横顔は脳裏ごと消えて、見つめてくるナナバをただ見つめ返した。







2014.05.12




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