氷酢酸


chelさんリクエスト
アセトアルデヒドの続き






細い体が足を軸にして踊る様が、私にとっての食べるため、生きるための行為。
軽快な音に合わせて、自分の体の動きで音と自分を引き立てる。
足は細く、体は細く、腕は細く長い。
顔は小さいほうがいい。
足は大きくてもいいけど、短い足は駄目。
首は暗闇の中でも浮くくらい白くないと映えない。
絶対条件に合わない子は、男の人の言うことだけを聞く仕事に行く。
行かなくていい私は、余興じゃまだ未来があるほう。
皆、家族を守るためとか、仕事をするためとか、子供がいるだとか、何かしら理由があって、それを正しくして働いている。
その生きるための理由というのは歯切れの悪いものではなく、生きるために必要な働くことに意味を簡単に見出せる。
私達余興の者と普通の人の圧倒的な違いはそこだ。
気づいた頃には私は細い体をコルセットで締め上げて、ボロみたいな薄くて軽いドレスで踊ることに専念していた。
他の子は、太ったとか筋肉が見栄えの悪いところについたとかで、必死になって吐いている。
私は吐かなくても細いままなので安心して踊りに打ち込めた。
顰蹙を買って、与えられたパンはガビガビの味のないひとかけらだったりしても、平気。
口の中で不味くても、喉元を過ぎれば泥も胃液になる。
やせ細って骨の浮いた腹が、いつかコルセットの締めすぎでぽきんと折れても、平気。
折れたことによってもっと細くなるんなら、踊りに差し支えはないのだ。
踊りすぎて腐りそうな爪も、きつく結んだ靴のまま寝れば大丈夫。
眠るときはいつもそう。
胃の中で渦巻く不味いパンとか、練習中に飲んだっきりの水とか。
ああ、次の余興は、いつだろう。
食べ物にありつける余興は、いつだろう。
私が踊らなくていい日は、いつくるのだろう。
いつだいつだと考えても、夜は更けるし過ぎ去る時間は風のように通り過ぎて何も無い。
不躾で物言いが悪い私はどこに行っても踊り続けるのか。
手を伸ばしても、この細い腕じゃ折れてしまうんじゃないか。
あの団長さんはずっと健康そうな体をしていて、思い出してしまう。
余興がまた開かれれば、あの団長さんとも会える。
次は名前を聞こう。
そう思っていた。
私はなまえ。あなたは?
お芝居みたいな口調を真似すれば、すこしは不躾で物言いの悪い女という認識は晴れてくれるかな。
きっと団長さんだ。
頭の悪い私には分からないように綺麗に言い捨ててくれる。
その綺麗な物言いも、私は楽しみだった。
ドレスの布を買って来い、と財布だけ渡された。
これはとても光栄なことで、財布を任されるくらい信用された証。
何度かあったことだけど、その何度かあったことはまぐれじゃなかった。
一歩一歩、踏み出している。
そう確信して、言いつけのとおりドレスの布を買いに行った。
余興に使うドレスの布が売っているのは、路地裏の小さな仕立て屋。
そこだけは高級な布を、ひっそりと売っている。
行きがてら財布の中身を確認して、買える布を考えた。
他の子の分も買って、財布の中身が余るくらい。
余ったお金で、パンのひとつでも買ってしまおうか。
でも、そんなことしたら、お金に申し訳ないだけでもなく、細い体と弱い胃袋に支障が出る。
だからしない、そう言い聞かせて、路地裏めがけて歩いた。
歩くたびに、爪先がなんだか滲むような気がして見てみると、確かに爪先に血が滲んでいた。
踊るための靴と外出用の靴を分ける金銭的余裕はない。
お金はあるけど、私は稼いだお金は化粧とドレスに使っている。
それこそこの財布で靴を買ってしまえばいいけど、そこまでする気にはならなかった。
血が滲んだままの靴で布を買いにいくのも気分が悪いので、壁に寄りかかって一度靴を脱いだ。
脱ぐ瞬間、爪先に布が張り付いて爪の間に不快感を感じた。
ずり、と爪先を襲う不快感。
血が滲んでいる。
それが努力の証。
努力の証は、誰も見てはくれない。
靴から解放された足は、爪が折れて血が固まっていた。
紫色をした足の指先は醜いもので、靴がないと見せられもしないものだった。
顔を顰めてもう一度靴を履きなおすと、近くに馬車が止まった。
お偉いさんが乗るような、小さな馬車。
私用なんだろうけど、路地裏も近いところに止めるなんて無防備だと思う。
馬車から降りた無防備なお偉いさんを一目見て、あわよくば余興の宣伝もしようと思った。
滲んだ靴のまま馬車の陰から見守っていると、のろのろと足取りの悪い長身の男性が降りてきた。
マントもスーツも上等そうだけど、そんな上等なものを着ている人があの足取り。
しかも、付き人は見えない。
一人だけで、のろのろと歩いている。
下を向いているわけでもないし、入るのは目の前の小さな古びた喫茶店だろう。
この喫茶店に入るということは偉い人と言っても、密会を好む偉い人。
どんな人だと気になって馬車からすこし身を乗り出してみると、気配を感じたのかすぐ振り向かれた。
無精髭を生やしたその人に、なんだか見覚えがあった。
見た感じは、おじさん、と言ったところか。
おじさんは私を見つめて、怒鳴るかと思いきやしばらく私を凝視してきた。
馬車の陰から見つめる女なんて、蹴散らして当然なのに、おじさんは何もしない。
ただしばらく見つめたあとに、私の身なりと、それから血の滲んだ靴を見て、寂しそうに微笑んだ。
「明るいところで見ると君は鶏ガラのような体をしているな。」
その声で、すぐに誰か分かった。
撫でられるような穏やかで紳士的な声。
そして、以前見かけた外見と今の外見の特徴、といっても眉毛だけれど、一致する。
「団長さん?」
「なまえ、だったか。」
私のことを覚えててくれたのね!と駆け寄って言うつもりだった。
馬車の陰から飛び出して団長さんに近づくと、すぐに異変に気がついた。
マントもスーツも上等、靴は汚れている。
どうしてだと思って視線を這いずらせた先に、片腕がなかった。
ぽっきりと、最初からなかったように片腕がないことが、袖の靡きで分かる。
あるはずのものがない。
それに、髭も生やしたまま。
片腕は、どうしたんだろう。
もしかして、この喫茶店に片腕を預けているんだろうか。
それなら邪魔しちゃいけない。
当然、そんなわけはないだろう。
血の滲んだ私の足なんてどうでもよくなって、言葉をかけようとした。
どうしたの、腕。
なんていったら傷つくから、駄目。
ごきげんよう、いかがお過ごしで?
なんていったら、気取っているみたい。
私らしく心配してあげなきゃいけない、でも、不躾で物言いの悪い私は、いや、団長さんにそう言われた私は、素直なことしか言えなかった。
「なんで髭を生やしてるの」
何も言わない団長さんに近寄ると、すこし臭った。
何日かは風呂にも入っていなさそうな臭い。
私達の匂いとはまた違う臭いに、鼻をすする代わりに微笑んだ。
「どうしたの、素敵な顔が、また素敵になったけど、髭はあまり似合わないわ」
「それはどうも。」
「剃ってあげる」
団長さんの頬を撫でると、優しそうに団長さんは微笑んでくれた。

団長さんの家だというそこは、調査兵団だかなんだかの広い一室だった。
所々埃を被った部屋は、いつか行った図書館を彷彿とさせた。
埃くさい部屋の窓際で剃刀を片手に団長さんの髭を剃る私は、非常にアンバランスな存在だろう。
調査兵団といえば、あの余興で会った髭面もそこじゃなかったか。
金持ち団体、暇人団体。
裏ではそう呼ばれているけど、誰も馬鹿にしない。
皆を巨人から守ってくれているかららしいけど、私は巨人のことはよくわからない。
よくわからないままでも、生きれる。
本当は髭の剃り方なんて分からないけど、なんとなく剃っている。
すこしでも髭がなくなればいいけど、剃り残しがあるだろうな。
ちゃんと教えてもらおう。
顎を剃っている間、留められてないシャツの間から胸元がちらちらと見えた。
女でもないのに、とても色っぽく見える。
男の人らしい筋肉も、体としては魅せるものがあるんじゃないか。
ろくに男の人に触れたこともない私が、髭を剃っている。
笑い事のようで笑い事ではないので、真剣に剃る。
もし傷でもつけてしまったら、大惨事。
踊りのように感覚だけで出来るものじゃないし、私には髭がないから予行練習もなしにいきなり剃っている。
だけど、なんとかなった。
団長さんの顎から泡が消え去る頃には、髭はなく、つるんとした顎がお目見えした。
「どうかしら」
手で触ってから、頷いた団長さんは褒め言葉でもくれると思った。
しかしそれはお門違い。
団長さんは私に直球だった。
「何故その剃刀で、私の喉を掻き切らない?」
一瞬、食われたように何も言えなかった。
団長さんは至って正気そうで、私からしたら上品な喋りで、でも無い腕は気になる。
「なんでって、それは」
理論は、突然求められる。
わけもなく踊り続けて生きる私に対しての難関なのか、どうなのか。
頭が悪いわけじゃない、本当は考えていないだけ。
「いけないことだから」
「この腕を見て、君は、よく私の髭を剃る気になったね。」
「そうよ、私、あなたの名前も知らないのに、剃る気になったの」
「私は君の名前は知っているが、君のことはよく知らない。」
「私もあなたのこと、知らない」
「殆ど見ず知らずの男の部屋に招き入れられ、髭を剃ったな。いつもこうなのか?」
「そんなわけないわよ、男の人に触ったのは産まれて初めてよ」
「珍しい女だ。」
女だ、と言われたその声に何かしらの違和感を感じながら、剃刀と泡まみれのタオルを机に置いた。
剃刀は鈍く光っていて、確かにこれで刺せそう。
そんなことをしたら団長さんは怪我をしてしまうし、私はいけないことに手を染めてしまう。
「私を哀れんだのか?余興の君は、この私を不便そうだと思って、近づいたのか?」
「うん、あなたの名前を知らないのは、たしかに不便」
「エルヴィン・スミス。」
初めて聞かされた名前。
男らしい、それでいて品のある名乗りだなと思いながら、改めてなまえと自己紹介すると、エルヴィンさんはそっぽを向いた。
「シャツの一番上のボタン。」
「ボタン?」
「片腕じゃ、ボタンが上手く留められないんだ。」
エルヴィンさんの胸元は、丸見えで、ボタンが留められていない。
難なくボタンを留めると、そっぽを向いたエルヴィンさんはこちらを見て、笑った。
歯並びのいい口元が、にゅっと見える。
「そうだね、それから、ベッドも綺麗に直してくれないか。片腕じゃ、隅々までシーツを引っ張れない。」
指を指された先にある大きなベッドは、整えられていたけどすこし雑にブランケットが乗っていた。
それも難なく直す。
踊り子達と集団生活をしていると、生活周辺のことはすぐに覚える。
こういうことをしていると、もし踊れなくなっても掃除婦として仕事が出来ると思うけど、そんなのは仕事にしたくない。
できれば踊りたい、というか、踊るしかないのだ。
学もなく余興に身を置く者が掃除の仕事なんて、笑い者もいいところ。
ベッドにすこし乗っかって、奥のシーツを直す。
シーツの柔らかさに膝が猫撫で声をあげそうになるけど、ちゃんとベッドメイクしたところで、またエルヴィンさんを見た。
片腕のない生活は、私は知らない。
踊るための両足が必要な私は、この生活の本当の辛さすら伺えない。
学がない辛さは、今身に沁みている。
エルヴィンさんの気持ちが、察せないのだ。
「なまえは何故今日あの場所にいた?」
「ドレスの布を買いにきたの。ちゃんと財布もあるよ」
財布を胸元から出すと、エルヴィンさんはふざけたように驚いた振りをした。
がらがらに空いた胸には、財布くらいなら入るのだ。
「お使いのところ悪かったね、なまえ。」
「いいのよ」
「これから会議なんだ、右腕を掴んでいてくれないか。」
財布をまた胸元に仕舞って、エルヴィンさんの側に立つ。
喫茶店前で感じた時のように風呂に入っていない臭いがして、あまり愉快ではない。
エルヴィンさんの右腕のを軽く掴むと、私に歩幅を合わせるように歩いてから、歩き出した。
横に立つといかにこの人が背が高いか分かる。
それはいいけれどやはり臭うので、あとで風呂に突っ込もう。
駄目なら、私がエルヴィンさんの体を洗う。
「会議が終わったらお風呂にでも入れてあげる」
「なんだ君は、面白いな。」
面白かったようで、声が笑っているエルヴィンさんに安心して、エルヴィンさんの代わりに部屋の扉を開けた。
大きくて広い質素な廊下を歩く。
私の小さな足音はどこかに吸い込まれていくようで、静かで私なんかいないことになってそう。
右腕を掴んで支える私は、もしかして部外者なんじゃないか。
後から侵入者扱いされたら、やだなあ。
その予想を当てるように、遠くの階段から人が現れた。
眼鏡をかけた人が驚いた顔でこちらを見ている。
私、捕まるのかな。
走ってきたその人は、私を捕まえるわけでもなく、髭の剃られたエルヴィンさんの顔を見つめてから私を見た。
「会議・・・もうすぐだよ。」
眼鏡の人は、私のことを不思議そうに見た。
完全なる部外者が、何故エルヴィンさんの隣にいるのか。
正直言って私も答えは分からない。
「そうか、急ぐぞ、なまえ。」
急ぐぞと言われて早足になったエルヴィンさんを支えて、同じくらいの早足で歩く。
血の滲んだ足先なんてもうどうでもよくて、隣にいるエルヴィンさんの腕はどうしたんだろうと思うばかり。
団長の人が、巨人に怪我をさせられたりするのかな。
そりゃあ、そうかもしれない。
これだから学のない頭は好きじゃないのだ。
私も、周りもきっと。
会議室のような大きな扉の前に着くと、エルヴィンさんにそっとアイコンタクトを取られた。
それを受け取って、離れる。
「部屋に戻っていてくれ。」
頷いて、エルヴィンさんから一歩離れると、扉が開いた。
扉の向こうはまた通路になっていて、まだエルヴィンさんは歩かされるんだと思った。
すぐに閉った扉に背をつけて、会話がないか耳を澄ませる。
冷たい扉に後ろ頭をつけて、何か聞こえないかと念じた。
「ハンジ、あの子はなまえ。側に置く。」
ハンジというのは、あの眼鏡の人。
側に置く、とはどういうことだろう。
「え?あの子、余興・・・の子だろう。なんで?」
疑問を真っ先に口にしたハンジさん。
私も疑問なので、是非聞いてほしいことだ。
「今の私、これからの私に、必要なのは、あのような者だ。」
その言葉を聞いて、私は血の滲んだ爪先を見つめた。
もし、エルヴィンさんの側にいるのなら、この足じゃいけない。
それに、支えて歩くのなら、細い棒切れのような足じゃいけない。
ドレスじゃなくていい、普通の服のほうがいい。
古い汚れたドレスを脱いでも、エルヴィンさんは怒らない。
踊り続けない私を、そのままでいいと言ってくれるのなら、悪く思うわけでもなく、ただひたすらに嬉しい。
ドレスの布を買うための財布を、どうしようか。
この財布で、エルヴィンさんのためにボタンのないシャツでも買ってあげようか。
やせ細った指先も、細い体も、段々いらない気がしてきて、それでも積み上げた美しさは捨てたくない。
そんな自分に気がついて、歩いてきた廊下に向かって財布を投げ捨てた。




2013.12.16



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