#03




先ほどまで歯を磨いていた姉と入れ替わりで洗面所に入り、冷水で顔を洗う。少しかじかんだ両手と、開け放した窓から舞い込んできた金木犀のやわらかな香りが、改めて秋を感じさせた。
急に早く外に出たくなって、おざなりに朝食を済ませ玄関を後にする。街は1トーンも2トーンも落ち着いた色合いで仁王を出迎え、スクールゾーンでは、銀杏の葉がたくさん落ちていた。

カサリと踏み分けて歩みを進める最中、少し冷たい風が通り抜けていく。とても心地が良かった。



こんな日に朝練があるならどんなに良かっただろう。

このタイミングで設けられたテスト期間を憎らしく思って溜め息を吐いていると、背後から「仁王!」と声を掛けられた。びくりと肩を跳ねさせ、背後を振り返る。
そこには、チームメイトである真田の姿があった。




「真田か、驚かせんでくんしゃい。おはようさん」

「すまない、驚かせるつもりはなかったのだが…おはよう、今日は随分早いのだな。これが朝練の日だったら感心していたものを」

「確かに朝一番に真田から『たるんどる』以外の言葉を聞くのは久しいのう」

「上級生としての自覚が足りんのだ。三年生が引退した今、リーダーシップを執るのは幸村をはじめ、我々二年生なのだぞ。下級生の手本となるような行いを心掛けろ」

「…善処するナリ。それより真田、それは?」

「む、これか?」

これは小言が長引きそうだと、流れを変えるべく別の話題を持ち掛けた。およそ真田らしくない、ファンシーな手提げを指差して。

「佐助がくれたものだ」

「ああ、あの甥っ子な。真田、すっかりオッサンじゃの」

「叔父ではあるが、オッサンではない」


そこは譲れないようだ。

真田は自分にも周りにも厳しいが、それ以上に、人やものをとても大事にする。その誠実さが、真田の美徳だ。
なんと微笑ましいことだろう。


「中には一体何が入っとるん?」

「昨日、部室棟で落とし物を見つけたのだ。これなんだが…」


真田は、先ほどの手提げから落とし物とやらを取り出した。見覚えのある表紙に、思わずあっと声が出る。怪訝そうな顔をした真田に、「もしかして仁王、お前のなのか」と問われた。首を横に振る。
挟まれている栞を見て確信した。間違いない、これは幸村が読んでいた本だ。

「俺の友達の落とし物じゃ。俺から渡しちょくけえ、それ寄越しんしゃい」

「そうだったのか、ならば手間が省けてちょうど良い。では仁王、頼んだぞ」

「おん」

「それから、その本は図書室の貸し出し物だ。貴重品の管理をしっかりするよう、その友人に伝えておけ」


この本の持ち主が幸村だと知ったら、真田は一体どんな顔をするだろうか。どうにもおかしくて、笑いをかみ殺すのに苦労した。


「了解、きっちり伝えとくぜよ」

下駄箱の前で別れ、なんとなく真田の背中を見送る。仁王も自分のクラスに向かおうとしていたが、気が変わった。
















幸村のクラスを覗いてみたが、教室の中は無人な上に鍵が掛かっていた。当然か、と仁王は一人ごちる。

まだ随分と早い時間帯なのだ。2階の窓から校門を見渡しても、登校中の生徒は誰一人として見当たらない。


先程真田から受け取った、茶色くて薄い、凝った装丁の本を眺める。
表紙をめくると、知らないタイトルの絵本だった。栞とは別に、返却日が記載された紙が挟まっている。



返却期限は、あと2日。
仁王は教室の鍵を開けながら、この本を拝借して読んでみることに決めた。












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