中2宍戸と中1長太郎。
冬の手前のおはなしです








最近の俺の楽しみ。
まだ日が昇る手前の時間に学校に向かい、廊下に響く旋律を密かに聴きにいくこと。


  dolce





初めてアイツのピアノを聴いたのは、今日提出しなくちゃいけない課題を部室に忘れたのがきっかけ。
運が悪いことにその日は授業で当てられる日で、尚且つその課題には全く手を付けていなかったという深刻な事態でもあった。
おかげで日が昇るか昇らないかの時間に、眠たい目を擦りながら学校へと向かう羽目になった訳で。

「全く、めんどくせーなあ…」

まだ朝方の寒さが残る廊下が、僅かに肌を栗立たせる。
はぁ、と小さくため息を漏らしながら部室棟を歩いていると、聞きとれるかとれないかのピアノの音がどこからか漏れてきた。
どうやらその源は、部室棟より少し離れた校舎の2階かららしい。

こんな時間に一体誰が?好奇心を擽られた俺は自然とその音色に惹かれるようにして、少しずつその教室へ近付いて行った。
だんだんピアノの音が大きくなってくる。
どうやら、場所は間違ってないらしい。きっと使われてない教室だ。
そろりそろりと、気付かれない程度に奏でられる音色がだんだん大きく聴こえてくるのを確認しながら。ゆっくりと歩み寄り、とうとうその教室の手前までやってくると、こっそり中を覗き込んだ。


刹那、衝撃が走った。


(長太郎、!)


何でこともあろうにピアノ弾いてんのがアイツなんだ、とか。何でこんなとこいんの、だとか、何でこんな時間に、とか。

数々の疑問が瞬時に浮かんでは消え、思わず惚けていたら。
突然カタン、と音がして、座っていた椅子から立ち上がった長太郎の姿が目に入った。
はっとして慌てて部屋から顔を引っ込ませ、尚且つ音を立てないようにそっと廊下を抜け出る。
思わず振り返ったときに見えた、ピアノの鍵盤の蓋を閉め十字架に口付ける長太郎のその姿が、


残像として、いつまでも脳裏に焼きついた。



宿題の存在なんか朝の出来事ですっかり頭から抜けていた俺は、案の定先生からの長々とした説教を食らったわけで。
まあ普段からの授業態度が良いかと言えばそういうわけでもなかったので、自業自得かとも思ったけれど、さすがに一人だけ追加課題を出されたという痛い現実だけは受け入れ難かった。


結局今朝のことについては、なんとなく、長太郎に訊かずに部活を終えた。


けど、もしかしたら。
漠然とだけど、次の日も長太郎がそこにいる気がして。
ちいさな、ちいさな、楽しみを見つけた俺は自然と顔を綻ばせた。

あれから俺は、気がつくと例の教室へと毎朝足を運び長太郎のピアノを聴きに行くのが日課になっていた。
毎朝大体同じ時間帯に来る長太郎とは顔を合わせないようにして、部室付近で軽く自主練したあと。控え目な鍵盤の音が鳴り流れ始めたころ、既に馴染んできた廊下を渡っていつもの場所へと向かう。

何だか長太郎にバレちゃいけない気がする。
気付かれたとき、その旋律が、二度と聴けなくなるような気がして。そんなことを考えている自分が何だかおかしくて、すこしだけ笑った。
折り目正しい後輩の、小さな秘密の演奏会。ゆるやかに、生活の一部として溶け込んでいった。







***
続きます。