斎藤一の憂鬱 (一二三)
「斎藤!永倉呼んで来い!」
「どこにいるんですか?」
「知らん。いいから10分以内に連れてこい」
必須単位を盾にとる横暴なクラス担任――芹沢鴨教授。専門は反社会性人格障害だ。自分自身を研究対象にしているのだろうか?――に命令され、広いキャンパスを駆けずり回っている。
普通なら自分で電話かメールで呼び出せばいいのだろうが、生憎探し人はキャンパス内限定で携帯を携帯してくれない――本人曰わく「実験の邪魔になるから」らしい――人物だ。
彼――永倉新八さん――は、うちの専攻から院に進学した人で、現在俺のクラスのTAを務めている。見た目は中学生のような人だが、その中身はかなり大人だ。そのギャップをうちの教授に気に入られ、事ある毎に呼び出されている。
そして俺は、何故か入学初日から彼の捕獲担当と化している。おかげで入学して3日――まだオリエンテーション期間だ――のうちに、『キャンパス内で俺の知らない場所はない』と豪語出来るまでになった。
入試の時に知り合った友人は、そんな俺を指差して爆笑してくれた。なんと友達がいのあることだろう。嬉しくて―…
「涙が出そうだ」
ちくしょう。大体、友達なら手伝ってくれたっていいじゃないか。
それより、永倉さんはどこにいるんだ?ただでさえサイズ的に見つけ難いのだから、大人しく文学部の学部棟に収まっていてくれてもいいと思う。
「永倉さん!」
漸く見つけたその人は法律経済学部の学部棟前にいた。「なんでキャンパス横断してるんだよ」と心の中で理不尽な怒りをぶつけながら声を掛ける。
「はじめ。また芹沢さんか?」
「また芹沢さんです」
どうやら知り合いと話していたらしい。楽しそうにしていた相手方と永倉さんには少し申し訳ないと思いつつも、一介の学生が教授に逆らえるはずもなく、横暴な教授からの呼び出しを伝える。
「今度はなんだ?」
「さあ?俺は呼んで来いと言われただけなので……」
「そうか。とりあえず、研究室に行ってみるわ」
毎回、世話かけさせて悪いな。はじめ。
悪いと思っているのならば、せめて携帯を携帯してくれないだろうか?
「それじゃ、平助。またな」
彼は相手に別れを告げると、お駄賃と称して俺の手にチロルチョコを握らせた。この人は大阪のオバチャンか何かか……?それとも、4年も関西にいると移るのだろうか?
研究室に向かって駆けて行く後ろ姿を眺めながら、失礼な事を考える。彼の姿が見えなくなった頃、背後から大層恨みがましい声がした。
「せっかく、新さんに会えたのに……」
振り返ると永倉さんに『平助』と呼ばれていた男がこちらを睨みつけていた。改めて彼の顔を見ると、とても整った顔をしている。
しかし、その美形も半泣きでぶすくれていては台無しだ。
「大体、この大学広過ぎ!また一緒に通ったりできると思ったのに!あんたも何なんだよ。せっかく新さんが俺に会いに来てくれたのに!30分しか話せなかった!!」
彼は一息に言い切ると、くるりと背を向け校舎の中に入って行ってしまった。
一方俺は、彼の迫力に気圧されて何も言えなかった。彼は何者なんだ?叫んでいた内容から同回生ということは分かったが……
「よし。忘れよう」
何か面倒そうな人だ。学部も違うようなので、今後関わり合いになるようなことはないだろう。何より、これ以上他人に振り回されるのは御免だ。
平穏な学生生活を改めて心に誓い、次の授業の準備をしようと一歩踏み出したとき、足下に学生証が落ちているのに気がついた。
『壬生大学 法律経済学部法律学科 藤堂平助』
まず間違いなく、さっきの人の物だ。追いかけるべきか、法経学部の事務室に届けるべきか逡巡し、結局どちらもしないことにする。
「永倉さんに渡せばいいだろう」
随分と親しげであったし、永倉さんと話す機会が増えた方が、『藤堂さん』は嬉しいだろう。
楽しそうな時間を壊してしまったお詫びのつもりで、彼の学生証を手に永倉さんの研究室へと向かった。
しばらくの後に、彼とは別の方面から改めて知り合うことになる。
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