小説

あなたがいないと


「いいか。あんまり遅くなるんじゃないぞ」
「日付は変わらないと思いますよ」
「……もっと早く帰って来てもいいんだが」
「零さんが残業もほどほどに帰ってくれるならもっと早く帰りますけど〜?」
「……」
「ね?やることまだまだあるでしょう?わたしよりも日付またぐ可能性大じゃないですか」

痛いところを突かれたのか、零さんはそっと視線を逸らす。こんなに駄々を捏ねるとは思ってなくてちょっぴり面白がっていることはそっとしまっておこう。バレたら大変。ぜったい大変。それにしても、千葉君たちと飲みに行った時はそうでもなかったのになあ。

「同窓会って言ったって、学年まるごと集めてるから立食でさらっと終わりです。誘ってくれた子とちょっと飲んでくるだけですよ?」

高校時代の同窓会はクラス単位じゃ年々人が集まらなくなってきて開催されたりされなかったりしていたらしい。それがここにきて学年合同の同窓会をやるんだそうな。高校時代仲の良かった子から報告したいことがあるから来てほしいと連絡が来なければ絶対に行かなかったけど。報告もたぶん結婚するとかそういうのだろうしねえ。そんなこんなではやく帰って来なさい、と親子のようなやりとりをしているのは庁内の廊下の端っこ。ロッカールームで着替えてメイクもばっちり決め終えたところで零さんに捕まった。

「指輪は?」
「見て下さい、ばっちりはめてるんですよこれが」

わたしの右手の薬指で輝いている指輪は実を言うと普段まったくつけてない。仕事じゃつけないし、家に帰って、さあつけるか!ってなるかというとならなかった。せっかく贈ってくれたのにしれっとそんなことを言うわたしに零さんは呆れちゃうかと思ったけど、わからなくもないと納得されてから数か月。うーん、わたしたちお似合いってことでいっか。

「左……いや、このタイミングじゃ……、だが……!」
「おーい、零さん〜?」

あっ、聞いてないわこの人。時間も時間だから早いところ出たいんだけど……強攻策行く?ここ職場ですが?ううーーーーん……。時間、零さん、タクシー、待ち合わせ……色んな言葉が頭の中をぐるぐる巡る。ええい勢いに任せてしまえ!

「零さん、零さん、」

見慣れたグレーのスーツを引き寄せた。体幹のしっかりしている人だから思ったよりもよろけてくれなくてちょっと大変。普段じゃ履かないヒールの力を借りて、目当ての右頬に口付けた。

「わたしも早く帰ってきますから、零さんも早く帰ってきてくださいね?」
「……なんで頬なんだ」
「これでもめちゃくちゃ頑張ったんですから褒めてください!」

わたしのつけていたリップグロスがくっきりと頬に残ってる零さんの顔を見たらなんだかめちゃくちゃ恥ずかしくなってきた。いや、なに大胆なことしてんだわたし……ん?……あそこの角からはみ出てるの風見さんの靴じゃない……?昨日久しぶりに丁寧に磨いたって朝自慢してきた靴のつま先じゃないか……?

「うわああ!とにかく!とにかく!わたしはもう行きますので!いいですか、もう行きますからぁっ!ほっぺ拭いて!」
「俺はいいから気を付けて行っておいで」
「よくないよくない!絶対それ拭いてから仕事戻ってくださいね?絶対ですよ?」
「前向きに検討しておくとしよう」
「それやらないやつー!!」

*

タクシーでグロスを塗り直し、向かった先にいたのは連絡をとるだけで何年も会っていない友人たち。みんなちょっと大人っぽくなった気がする。パーティー使用だからそう見えるだけかな。手を振っている集団に手を振りながら近づく。

「みんな久しぶり〜」
「手!手を出せ紗希乃!」
「左じゃない、右を出して!」
「なにこの高そうな指輪!!!!!」
「ダイヤでか!何カラットあるの?!」
「みんな変わってないねえ……」

指がもげそう。わたし本体よりも指輪に気を取られている友人たちはああでもないこうでもないと盛り上がってる。零さんとお付き合いしていることは伝えてないのでそりゃもう格好の餌だった。え?結婚報告じゃなくて海外転勤の報告だったの?そりゃこっちの方に食いつくわけだ。

「旦那の写真が見たーい!」
「正確には旦那ではないかなあ」
「未来の旦那でしょ〜?」
「そうなってくれたらうれしいけども……」

開会の挨拶もそこそこにアルコールの回った女たちに連れまわされて、色んなことを聞かれるけれど、それはもう適当に答える。かなり適当にはぐらかしてるけど皆大丈夫なのかなこれ。

「吉川!」

次のドリンクを取りに行ってしまった友人たちについていく途中で後ろから呼び止められた。……誰だっけこの人。

「大丈夫か?なんだか、連れまわされてるみたいだったから……」
「あ、うん。平気」

ほんとに誰だっけ。クラスメイトかどうかも怪しいこの男の人は一体どこのどなたでしょうか。にこにこ笑う人の好さそうな笑顔を見つめるけれど、一向にリンクする顔が思い浮かばない。今でこそこんな仕事をしているけど、高校の頃なんてぼんやりしていたから覚えてないことの方が多くなってしまった。

「それにしても吉川が来るとは思ってなかったよ」
「今回は都合がついたからね」
「へ〜、そうなんだ」
「そっちは毎回来てたの?」
「2年前くらいまでは毎年参加してたよ」

毎年と言えるほどちゃんと開催していたのは他のクラスで、うちのクラスは大学時代にすでに仲の良い人だけ集まる方式にチェンジしてる。しかも集まってたのはいわゆるクラスの中心的な人たちで彼らとはさっき話もしたから全員覚え直した……ということは、確実にこの人は別なクラス!よって覚えてなくても仕方ない!答えを導き出せた達成感に胸を張りたいところだけど、実際誰なのかは突き止められてない。ほんとこの人誰。

「指輪……彼氏いるんだね」
「うん」
「年上?年下?」
「年上だよ」
「ふうん、どこで会ったの?」
「職場〜」
「へえ……職場と言えばさ、吉川って卒業後どこに、」

クラッカーの音がパンパン!と続けて何度も鳴り響いた。どうやらビンゴゲームが始まるらしく、司会役がマイク片手に何やら叫んでる。ざわざわ盛り上がる喧噪に紛れて、さっきの人から距離を置いた。私を探してキョロキョロしている友人たちのところに合流すると、さっきの人が私がいなくなったことに気づいている様子が遠くに見えた。

「ね、あそこにいる人誰だっけ」
「えー?わからん」
「どこの人?」
「あそこ。あの深緑のネクタイしてる」
「あれじゃない。隣りのクラス」
「隣のクラスでわたしに接点ある??」
「なに、ナンパされてたの?」
「いや〜ちがうと思いたいんだけど誰かすら思い出せなくって」

面倒ごとは避けたい。友人たちの陰に隠れながら、進んでいくビンゴゲームをやり過ごす。わたしの分は友達にあげた。スマホの画面を見たら、そこそこ良い時間になっている。きっとこのゲームが終わったら、締めの挨拶とかやって解散だろうな。よーし、もうすぐ開放される!もうすぐ一次会が終わるので、ちゃんと帰りますねと零さんにメッセージを送って、ビンゴの当たった友人を壇上へと送り出した。





「トイレ混み過ぎだよ〜」
「飲んだらみんなトイレ近くなるからでしょ」
「おばさんみたいなこと言わないで」

あれから問題なく終わった同窓会の後、トイレに作られた長蛇の列の後ろも後ろに並ぶことになってしまって会場を後にするのが遅くなってしまった。二次会行く人を数えているらしくて、混ざらないように外れの方にやってきた。幹事に挨拶だけしたいけど無理かな。ふと、スマホを見てみると零さんから「わかった」とだけ返事がきていた。わかったって、どういう意味だろう。俺はまだ仕事してるけどなってことかな。気を付けて帰れよ、ってことならそう書いて来そうなもんだけど。

「吉川!!」
「あっ……」

名前も知らぬその人が、二次会参加組の枠から逸れてこっちへやって来た。

「二次会行かないの?」
「うん、やめとく〜」
「そっちのグループで二次会するならこっち来なよ。まとまって座れるし」
「今日は帰るんだ、ごめんなさい」
「そうそう。私たち帰るし、何なら紗希乃は彼氏さん迎えにくるから!」
「えっ」
「そうそう!迎えくるって言ってるのに置いてっちゃ可哀そう!」
「そうだよ〜せっかく迎えきてくれるのにさぁ!」

いや、迎えなんか来ないんですけど。追い払うための方便か本気で思い込んでるのか判断がつかないくらい酔いが回ってる彼女らにぎゅうぎゅう抱き着かれる。く、くるしい……誰か本気で首に腕回ってるから緩めて……!ほんのり酔ってるのと苦しいのとで幻覚見えそう。ほら、駐車場にRX-7入ってくるのが見え、……え?幻覚じゃ無いでしょこれ。白のスポーツカーが入ってきたことで二次会組の注目がそっちに行った。比べてこっちはまだまだ迎えにくるからと押し問答。いや、来てる。ほんとに来てるんだよすぐそこにさあ!

「紗希乃は彼氏さんと帰るからぜーったいに二次会にはいかないから!」
「そうですね。僭越ながら僕が連れ帰らせて頂きますよ」
「えっ?」

皆がポカンと呆けているうちに、腕の中を抜け出す。ニコニコと笑っている零さんの元に向かって一生懸命背中を押した。っだから!体幹に!ぶれがなくて悔しい!早いところ退散したいのに涼しい顔をして立ち止まっている零さんは背を押されるふりをしながら、顔はしっかりと後ろを振り向いている。

「心配しなくてもナイトがこれだけいてくれるとは僕も安心しました」
「零さん!一刻も早く足を動かしてください……!」
「うん。ごめんね、どうしても心配だったから来てしまったよ」
「わざとらしく話さなくて良いので前に進んでください〜!」

目が笑ってないし、確実にあの人に向けて圧をかけている。やめて零さん。彼は自分の名前が忘れ去られてることをたぶん気づいた上で話しかけてくれるくらい優しい人だと思うのでやめてあげてくださいな……。一番ひどいのは今も誰だかわかってないわたしだけど。なんとか運転席に押し込んで、急いで助手席に飛び乗った。

「言っときますけど!わたしはどこの誰かも思い出せてない程度なので!」
「ハハ、随分とひどい物言いだなぁ」
「貴方もなかなかでしたけどね……」
「俺か?本心だったけど」
「わたし、そんな心配させてます?」
「いや、お前自身に悪いところがあるんじゃないよ。俺が欲張りで、心配性なだけさ」
「……ふーん?ところで仕事はどうされたんです?」
「……」
「降谷さん?」
「急に仕事モードに戻るなよ」

仕方ないなあ。今日はもう帰って、明日は2人で早めに出勤しましょう。お酒もはいってふわふわしている頭で出した提案は、クスリと笑う零さんに快諾された。友人たちと会うのも好きだけど、やっぱりわたしは零さんと一緒にいる方が落ち着いていられるみたい。今日はゆっくり一緒に寝よう。そして明日からはまた普通の日常だ。


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